戦闘に備えて
「マリスがいくさに!? 」
セルフィス公子の部屋では、彼とギルシュの他に、マリスがいる。
マリスは、瞳を輝かせながら、嬉々として、彼に報告を続けた。
「そうなの! あたしも、今、お義母様から聞いて、びっくりしたんだけど、喜んで、
セルフィス! あたし、また戦士に戻れるのよ! 」
「そんなこと、喜べるわけないでしょう! 」
有頂天になっているマリスに、セルフィスが、ハラハラしていた。
ギルシュも、呆れたような、すわった目で、マリスを見ている。
「いったい何を考えているんだ、お母様は! 僕が、考え直すよう、話してくる」
そうセルフィスが部屋を出て行こうとすると、マリスが必死に彼の腕にしがみ
ついた。
「待って! お願い! そんなことしないで! 」
「どうしてさ!? きみは王女なんだよ。どうして、王女のきみが、わざわざ軍を率い
なくてはならないんだ? 勇猛な武将なら、他にも、たくさんいるじゃないか! 」
「それが、いろいろと事情がおありのようで、お義母様が、あたしをご推薦して
下さったのよ! ああ! お義母様は、あたしがいつもお城で退屈していたのを見て
同情なさり、外で羽ばたかせてくれようと、考えられたに違いないわ! 」
マリスは両手を組み合わせ、うっとりと天を見上げていた。
(なんとまあ、おめでたい! 大胆な陰謀がめぐらされているとも知らずに! )
ギルシュはマリスを見て、心配するというよりは、呆れてしまっていた。
「外に出られるのだったら、なにもいくさじゃなくてもいいじゃないか。きみと約束
したように、湖の森まで、ギルシュを貸してあげるから、そんないくさに行くなんて、
言わないでくれ! 」
セルフィスが、必死な面持ちで、マリスの両腕を掴んだ。
「あら、だって、ちょっと遊びに行くのと、いくさとでは、全然違うわ」
「そうだよ、全然違うことだよ。だから、危ないからやめ……」
「いくさなら、思いっきり暴れられるわ! ここんとこ、身体がなまっちゃって、
しょうがなかったのよねー。ああ、そうだわ! いくさに備えて、今のうちから、
鍛え直さなくちゃ! 」
マリスは瞳を輝かせ、有頂天のままである。
「……きみって人は、僕が心配しているのが、わからないのかい? 」
セルフィスが、ぼう然として呟く。
「あら、何を心配しているのよ。大丈夫よ。あたし、なんだかわからないけど、今度
のいくさ、絶対勝てるような気がするの! 」
自信を持ってそう言う彼女を、セルフィスは「そんな根拠のない自信なんか、
あてになるものか」と言わんばかりに見つめていた。
「あっ、そうだわ! あたし、また思い付いちゃった! 」
マリスがギルシュを振り返る。
(きた! )
ギルシュはおののき、額に冷や汗を浮かべ、反射的に後ずさった。
(今度は、いったい何を言い出すつもりなんだ!? しかも、セルフィス様の前で! )
彼はセルフィスを気にしながら、さらに一歩下がった。
「ギルシュ、あたしの剣の稽古の相手になってくれないかしら? 」
マリスが、にっこり彼に微笑む。
「だめです。やりません」
マリスから何を言われても、断ろうと心に決めていた彼は、ろくに話を聞くまで
もなく、即答した
「だいたい、私は魔道士なんですよ。剣なんて持ったこともないのに、どうやって、
あなたのお相手をするっていうんです? そんなことは、どうか他の方にでも、
お願いして下さい」
「だって、あたしの相手が勤まりそうなのは、せいぜい、ダンとラン・ファくらい
だったわ。ミラー家のお兄様たちは『絶対やだっ! 』って言って、一度もお相手
して下さらなかったし、流星軍では、あたしより強いヒトはいなかったもの。
ね? 他にいないでしょう? 」
小首をかわいらしく傾けたマリスに、ギルシュが目を吊り上げた。
「『ね? 』じゃ、ありませんよー! だから、私は『魔道士』なんですってば! 」
「そんなこと言わないで、手伝ってあげなよ」
そう言ったのは、セルフィスであった。
彼は、疲れたように肩を落とし、溜め息を吐いた。
「相手はナハダツ国なんでしょう? たいした軍隊じゃないって聞いていたし、王族
が軍を率いる時は、大抵お飾りみたいなもので、周囲に守られ、じっと戦況を見守っ
ていればいいんだから。お母様だって、なにも本物の将軍として、マリスを起用する
のではなくて、相手を油断させるとか、そのような手段としてマリスを抜擢したのだ
ろう。マリスも、もう返事しちゃったんでしょう? 」
「ええ、即座に」
にこにこした彼女の笑顔を見て、彼は余計に深い溜め息をつく。
「多分、優秀な青竜団が、マリスを守ってくれるだろうから、今回のいくさは、
きっとたいしたことにはならないだろう。だから、マリス、行ってもいいけど、
決して危ないことはしないでよ。危なくなったら、すぐに逃げるんだよ」
「大丈夫よ。少なくとも、あたしは、あなたよりは、いくさの経験があるんだから」
心から心配しているセルフィスとは全く対照的に、彼女の方は浮かれていた。
セルフィスは、今度はギルシュの方を向いた。
「きみもさ、彼女は僕の婚約者なんだから、そんなに冷たくしないで、彼女の練習
相手になってあげてよ。練習もなしに、いきなり本番じゃ、それこそ危険じゃないか。
どうせ、王宮騎士団の稽古なんて、時間もないし、危なくない程度にしかやらないと
思うんだ」
セルフィスが力なく言うのを受けて、ギルシュは、深く頭を下げた。
(そんなに俺、冷たくしてたかな……? )
マリスの頼みを断ることしか念頭になかった彼は、主人の婚約者という立場の者に
対しては、主人にも彼女にも無礼であったかなと、少しだけ反省した。
「しかし、私は魔道士でして、本当に、剣など扱ったことはないのです」
ギルシュがセルフィスに訴えたが、代わりに、マリスが答える。
「あなたが剣を持つ必要はないわ。召喚魔法さえ使ってくれればね。あなたなら、
できるんでしょう? 」
はっとしたように、ギルシュは彼女を見た。
セルフィスも、なるほどと手を叩く。
「そうか。それで、例えば剣の達人とかを召喚して、訓練するというわけだね!
それは、いい考えだ! 」
安心したように笑うセルフィスに、マリスは作り笑いをしてみせ、ギルシュに、
にっこり笑った。
ギルシュは恨めしそうにマリスの微笑む顔を見て、心の中で呟いた。
(その笑顔ですよ、その笑顔。あなた、絶対、何か企んでるでしょう? )
「さあ、準備はいいわよ」
ベアトリクス城の裏庭で、マリスが、ギルシュに剣を構えてみせた。
髪を後ろで一つに束ね、将軍家にいた時のような男装をしている。剣も、流星軍
時代に、彼女が使っていたロング・ソードを磨き直してある。
ギルシュは普段通りに黒いマントをはおった、典型的な魔道士のスタイルのままだ。
「なにを召喚すればいいんです? 」
ギルシュの問いに、マリスは待ってましたとばかりに答えた。
「野盗」
ずるっと、彼は足を滑らせた。
「なんですか、野盗って!? 」
「あら、知らないの? 罪もない人々を襲い、食料や宝物を強奪する極悪非道の集団
よ」
けろっとマリスが言う。
「そんなことはわかってますよ! ですから、なんで、そんなものを召喚しなくちゃ
ならないんですか? 」
「この剣のサビにしてやるのよ。悪い奴等なんだから、可哀想でもなんでもないで
しょ? 」
ギルシュは、しばらく空いた口がふさがらなかった。
「わかったら、はやいとこ、さっさと召喚してちょうだい」
マリスが、剣を構え直す。
「……あのですねえ、召喚魔法というのは、異空間から人間界にはいない生物を呼び
出す魔法であって、物ならともかく、生身の人間を、それも集団でなんて呼び出せる
わけはないんですよ」
「ええっ!? 」
マリスが悲しそうな顔で叫んだ。
「じゃあ、野盗は、呼び出せないの!? 」
「当たり前です。剣の達人も同じく」
心底がっかりした彼女は、がっくりと膝を付いた。
「……そうだったの……知らなかったわ……」
そんなマリスを、ギルシュは呆れたように見下ろした。
「だから、私には手伝えないって言ったんです。やはり、あなたの剣の稽古などは、
魔道士では勤まらな……」
「いいえ、まだあるわ」
ギルシュのセリフを、マリスは立ち上がり、にやっと笑って遮った。
「あたしを、野盗のいるところまで、運んでちょうだい」
「は!? 何言ってるんです!? 」
驚く彼に、彼女は続けた。
「確か、オラールの山には、よくいたのよ。さ、早く連れていって」
マリスが催促するが、ギルシュはうろたえる。
「そ、それでは、ソルボンヌさんも一緒に……」
「はあ? 何言ってんのよ。野盗がうじゃうじゃいるそんな危険なところに、彼女を
連れていくわけにはいかないでしょう? 」
「で、でも、セルフィス様とのお約束では、必ず、彼女もご一緒にということでした
ので」
「野盗を練習相手にしたいから、彼女と三人で行かせてくれ、とでも言うの?
そんなこと言ったら、反対されるに決まってるじゃない」
「だったら、やめましょうよ、そんなことは。何か、他の方法で……」
「他の方法? そうねえ……だめ、やっぱり、思い付かないわ。オラールに行くしか
ないわね」
「そんな……! あなた、今、ロクに考えてなかったじゃないですか! ちゃんと
考えてくださいよ! 」
「なによー。剣の稽古を手伝ってやれって言ったのは、セルフィスなのよ。本当に
稽古するだけなんだから、そんなに深く考えることないじゃない。さ、早く行きま
しょう」
マリスは剣を鞘に戻し、彼を促した。
彼は、彼女のペースに嵌ると、どうも調子が狂ってしまうのだった。
(ああ! これ以上、セルフィス様に秘密を作りたくないのに! )
彼は、野盗を叩きのめしているマリスを見守りながら、嘆いていた。
武術らしいことをするのは、彼女にとって、数ヶ月ぶりである。その間、訓練と
いう訓練は何一つしていなかったが、大柄な男たちを投げ飛ばし、蹴り飛ばしたりと、
彼女の技のキレは、一向におとろえてはいないのだった。
「はー、いいウォーミング・アップになったわー! 」
マリスは、すっきり爽快の笑顔で、額の汗を手で拭った。
辺りには、累々と、三〇人ばかりの夜盗が転がっている。
岩に腰かけ、頬杖を突いてこの様子を見守っていたギルシュは、何か言いたそうな
目を、ずっとマリスに向けたままだった。
「やっぱり、ずっとお城にいたせいか、身体がナマってたみたい。もうちょっと運動
しないと、まだまだ本調子は取り戻せないわ」
両手を腰に当て、クビをこきこきと鳴らしながら、彼女は言った。
「次は、ケルルの谷よ。あそこらへんにも、野盗がいるの」
ギルシュは思わず岩から落ちそうになった。
「ま、まだやるんですか!? 」
「当然でしょ? ちょっと荒療治しないと、前線までに今までサボってた分を取り
戻せないわ。どんないくさでも、ナメてかかるわけにはいかないものよ」
マリスの本気であるらしい瞳を見ると、ギルシュは諦めたように、岩から降り立っ
た。




