表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『光の王女』Dragon Sword Saga 外伝2  作者: かがみ透
第八部『王女として』
21/45

王女の修養

いよいよ後編に突入します。


 ベアトリクス城では、許嫁(いいなずけ)同士である第一王女と、公子との婚約が

発表された数日後、婚約の儀が取り行われ、招待客である高位の貴族たちが帰った後、

王家と大公家のみの晩餐(ばんさん)会が開かれた。


 儀式では、アークラント公子セルフィスから、拳三つ分ほどの高さである黄金の

女神像が贈られた。

 国王と大公は、終始上機嫌に話を弾ませ、それに対して、国王の実妹であるアーク

ラント大公夫人は、いつになく寡黙(かもく)であった。


 王女マリスは、この父親には、少々呆れた顔を向けながらも、時折、セルフィス

公子と視線が合うと、嬉しそうに微笑み、頬を染めていた。


「これが、お前の母の肖像画だよ」


 食後に、貴族の間で好まれているカシス酒を啜っているところで、王が、召使いに

ひとつの絵画を持ってこさせた。


「これ一枚しか残っておらぬが、どうだ? 美しいだろう? 」


 それには、ひとりの、まだ若い女性が描かれていた。


 マリスと同じオレンジ色に輝く茶色の髪と、紫水晶のような瞳の、白い神官服に

身を包んだ娘であった。


 一見、似ているようでも、絵の中の女性の方が、いくらかやさしげな顔立ちで、

大きな目尻は、どちらかというと下がり気味であり、中性的な凛々しさをまとう

マリスとは雰囲気は違い、明らかに女性らしい。


「綺麗な(ひと)ですね」


 セルフィスが感嘆の声を上げた。王も、嬉しそうに笑う。


「ただ、このかたの方が、ずっと女性らしく見えますが」


 セルフィスが、ちらっと、マリスをからかうような目で見てから言う。

 それに対して、マリスも、わざと、少しだけ頬を膨らませてみせる。


「そのように見えるだろう? この肖像画は実によく描けていて、まったく彼女その

もののようだ。だが、清楚に見えるこの彼女も、巫女にしては珍しいタイプであった

のだよ」


 王は、顔中の筋肉をほころばせて、話を続ける。


「我が三王子たちの白魔法家庭教師として、ティアワナコ神殿より派遣され、能力的

には完璧であったが、巫女としての生活がとても不似合いな女性であった。授業は

真面目におこなっており、普段も明るく、よく動き回る娘であったが、時々ぼうっと

したように、窓の外を眺めておった。


 生まれつき魔力が高かったために、神殿などに入れられてしまったが、自分はなぜ

巫女などになってしまったのだろうかと、時々後悔しているようだった。聞けば、

神殿でも、かなりの跳ねっ返りで、彼女自身、巫女の生活は窮屈だったようだ」


「やっぱり、マリスのお母様だね」


 セルフィスが、くすくす笑ってマリスを見る。マリスは、いまいましそうな目を、

彼と、肖像画の女とに向ける。


「余も、この城での愛のない生活や、王の立場なるものに、少々窮屈さを感じている

頃であった。ましてや、ぼうっと空想の世界にでも浸っているかのような彼女の姿を

見ていると、余も彼女を放っておけない気持ちになったものだ。


 そのうち、似たような境遇であった者同士、恋に落ちたのだ。いやあ、余も若かっ

たものだ! だが、本当に、余にとって、最後の女性だと思っていたのだ」


 王は、窓の外に一度目をやってから、にこやかに、マリスとセルフィスを見た。


「そうだ、マリス姫、セルフィス公子を、彼の部屋にご案内してきなさい。婚約して

からは、こちらの城で、彼も一緒に過ごすしきたりとなっておるのだからな」


「はい、陛下」


 マリスが侍女ソルボンヌを伴い、セルフィスは、室の外で待機していた側付き

魔道士ギルシュを連れ、回廊を進む。


 王と大公の話は、まだまだ弾んでいた。



「今日から、ここがあなたのお部屋よ。あたしの部屋は、この廊下をぐるりと回った、

ちょうどこの反対側なの」


 ソルボンヌとギルシュは、部屋の外で待つ。

 マリスとセルフィスは室内に入った。


 白い壁に床、レースのカーテン、大きな白いベッド。彼女の部屋と同じように、

白を基調とした部屋になっていた。


「欲しい家具があれば、揃えていけばいいわ。カーテンや敷物も好みのものに変えて

いっていいそうよ」


 セルフィスは部屋に入り、正面の窓を開けた。


 夜空には、無数の星たちが、美しく輝いている。


 マリスも、ひっそりと彼の隣に寄り添い、星を眺めた。


「僕たちは、実に運命的な出会いだったんだね」


 セルフィスが星を見上げたまま、不思議そうに呟いた。


「病気の療養のために移った小宮殿で、きみたちと偶然出会い、一緒に遊ぶように

なってから、まだたった四年ほどしか経ってないんだけれど、きみとは、もう大分前

からの知り合いのように思えてならなかった」


「あたしもよ」


 マリスが、セルフィスを見上げる。


 彼は、空を見上げたままで、話を続けた。


「身体が弱くて、いつも寝てばかりいた僕には、僕よりも年下である元気な女の子が、

いつも眩しかった。しっかりしていて、頼もしい彼のことも、とても羨ましく思えて

いた。きみたちは、僕にとって、かけがえのない友達だった。


 そのうち、僕の護衛を、きみにしてもらい、社交界にも顔を出すようになって、

同じ年頃の姫君たちを見ていくうちに、僕の中には、今までなかった感情が、

はっきりと、形を表していったんだ。


 ……いや、もしかしたら、その前から、それは湧いていたものだったのかも知れな

い。魔物に取り憑かれた僕を、ラン・ファ子爵ときみが救ってくれた時からだったの

かも……」


 セルフィスがマリスを見下ろした。やさしげな瞳であった。


「僕のせいできみが傷付いているのを見て、正気に戻った時には、夢中できみを抱き

しめていた。あの時から、僕は既にきみのことを……想っていたのかも知れないな」


 マリスは、しばらく彼の、淡い緑色の瞳に見入っていたが、ふと顔を伏せた。


「あなたは綺麗な人だわ。お姫様たちにも、あんなに騒がれて、中には、本当に

かわいらしく、おしとやかで、お美しい方だっていらしたわ。いいのよ、無理して、

あたしのことを想ってたなんて、言ってくれなくても。どうせ、陛下が無理矢理

決めた婚約者同士なんですもの」


 マリスは、ちょっとだけスネてみせた。


 彼は、そんな彼女を温かい視線で、見つめ直した。


「おとなしくて、かわいらしくて、美しい姫なんて、ただそれだけではつまらない

じゃないか。かわいらしいものや、美しいものなんて、この世には、いっぱいあるん

だし、おとなしかったら、話も続きやしない。そんな子たちなんて、一緒にいても

退屈してしまうよ。特に、始めにきみという女の子を知ってしまった僕としてはね」


 セルフィスは、マリスに微笑んでみせ、彼女を自分の方にやさしく振り向かせた。


「それに、きみは、どの姫君たちよりも、綺麗で強い。そんなきみは、この世で、

ただひとりの……僕の光の王女だ」


「セルフィス……」


 彼を見上げたアメジストの瞳は、潤んでいた。


「さっき、きみに贈った婚約の品、あの黄金の女神像はね、きみをモデルに作った

ものなんだよ」


「……そうなの? 」


「そうだよ。きみの肖像画を見せて、鋳造(ちゅうぞう)してもらったんだ。名前は、

『光の王女』。きみのことだよ、マリス」


 マリスは、像を良く見る前に、使いの者が運んでしまったので、どのような顔で

あったのか思い出せないでいた。


 彼の柔らかいペリドットのような瞳が、さらにやさしく彼女に微笑みかけると、

彼は、マリスを抱きしめた。


「……好きだよ、マリス……。僕には、きみ以外の婚約者なんて、考えられない」


「……本当? 」


「ああ」


 彼の腕に力がこもった。


「嬉しい……! あたしも、あなたが好きよ、セルフィス。……ずっと前から……! 」


 二人は、しばらく抱き合った。


 セルフィスが、マリスの顎に、軽く手をかけ、上を向かせる。


 彼女も、彼を見つめていた瞳を、ゆっくりと閉じていく。


 二人の唇が重なり合おうとした瞬間、セルフィスの手が止まった。


 彼は、彼女の白く美しい(おもて)を、一瞬見つめ直すと、手を放したのだった。


「……やっぱり、やめておこう。どうせ僕たちは、もうすぐ結婚するんだ。その時

まで、とっておこう」


 マリスが、うっすら瞼を開く。


 彼は愛し気に微笑むと、再び彼女を抱きしめた。


 マリスは、彼に愛されているのを実感し、幸せな気持ちになっていた。


 ふと、強引に唇を奪っていったダンのことが頭を掠める。


 なんて乱暴で、無神経なことであったか。

 最悪な印象であった初めての口づけは、マリスにとって、消したい想い出であった。


 ダンの複雑な心境を理解するには、彼女自身まだ充分に子供であった。




 暗い一室であった。


 二つの黒い人影がある。


 暗い中ではあっても、互いの存在は把握しているらしく、ぶつかることもなく、

離れ過ぎることもなく、二つの影は寄り添っていた。


「お兄様ったら、どういうつもりなのかしら。このわたくしからセルフィスを引き

離して」


 その声は、つい先程までベアトリクス城で、王とともに食事をとってきたばかりの

女のものであった。


「いいではありませんか。これで、王を殺すこともなく、あなたの望み通り、

セルフィス様の地位が最高位に近付くことができたのですから」


 東方訛りのある声だった。


 女の方は、どこか腑に落ちない。


「あの子を王に付ける前に、わたくしが女王となって、あの子の周りをいろいろと

整えておきたかったのに」


「しかし、あの王にまでは、王子たち、お妃のように毒を盛るわけにはいきませぬ。

王には強力な魔道士がついているのですから。いくら私でも、彼に何も勘付かれずに、

王を殺すなどということは難しい上、万が一、戦闘となれば、かなりのダメージを

追うことになるでしょう」


「わたくしは、『セルフィスを』国王にしたいのよ。このままでは、あの娘が女王に

なって、影でお兄さまに操られ、国を治めていくことになるのよ。そうなったら、

セルフィスは王配という、ただのお飾りも同然だわ! 」


 ぎりぎりと歯を噛み合わせる音が、しばらく聞こえていた。


「……でも、仕方がないわ。しばらくは、様子を見ましょう」


「それがよろしいでしょう。やたらに動いては、かえって危険です」


 暗闇では、もう声はしなかった。




 マリスの王族としての修養が始まった。


 これまで騎士としての生活を送っていた彼女は、家に帰れば伯爵夫人との約束で

あった作法や教養も身に付けていたことが、ここへきて功を奏したが、王族として

必要な教養を最優先に、これから指導されることになる。


 一日に、数人の教師が、決められた時間毎にやってきた。


 初回は、語学の授業であった。

 少々年のいった、痩せた女性教師である。


「一国の王女たるもの、美しい標準語をきちんと話し、加えて、基本的なルーナ語と

東洋の言葉くらいは、簡単に操れなくてはなりませぬ」


 マリスは積まれた書物を見て、目を丸くした。


 そのうちのひとつを手に取り、開く。


「随分変わった、模様っぽい文字ねぇ。でも、どこかで見たことがあるような……」


「殿下、それが、ルーナ語でございます」


 ルーナ語も知らないのかと、教師の目が、呆れてマリスを見下ろした。


「魔道の書に使われている言語です。王族とあらば、白魔法の教育を受けねばなりま

せぬ。それを解読するのに、必要な文字でございます」


「ああ、そう言えば、ゴドーの家の本棚に、たくさんあったのを思い出したわ。

それで、見たことがあったんだったわ」


「そして、こちらが南方の古典の書物にございます」


 女教師の差し出す本には、これまた角張った細かい文字が書かれている。


「今では、南方も標準語が通じるようにもなってはおりますが、文学や文化、商品に

よっては、古典言語のままのものも数あるのです。知性教養を試されるためと、取引

をする際にごまかされないためにも、あちらの古典を知っておく必要があるのです」


「はあ……。こんなの、ホントに、あたし覚えられるのかしら」


「覚えて頂かなくては、困ります! 」


 キッと、教師がマリスを睨んだ。


 マリスは、肩を竦めて、別の本を手に取った。


「あら、これなら見たことあるわ」

 マリスの瞳が希望に輝いた。


「小さい頃、ラン・ファに東方のご本をもらったことがあるの。東方の言語なら、

少しはわかるわ! 」


 マリスが嬉しそうに、読める単語を発音してみようとすると、


「東洋の国々は、ただ今鎖国状態にあるので、こちらは、今は覚えなくても結構です」


 マリスの笑顔は失せた。


(……だったら、持ってこなきゃいいじゃない……。しかも、さっき東洋の言葉くら

いは……って言ってたのに)


「殿下には、神殿で洗礼を受ける儀式もございますので、ルーナ語を最優先でお教え

いたします。それでは、基本的な発音からですよ」


 教師の後に続いて、マリスも発音するが……、


「いたっ! せ、先生、舌を噛みました」

「舌を巻かなかったからですよ。はい、もう一度」


 教師は冷たく、授業だけを真面目に行っていた。



 次に現れたのは、白魔道の教師である、ティアワナコ神殿の巫女であった。

 白い神官服に、黒髪を束ねた、地味な女性であった。


「よろしいですか、殿下。まずは、てのひらに神経を集中させます」


 教師の巫女は、ぼそぼそと言った。


 マリスは、てのひらを差し出した。


「ねえ、先生。先生の神殿にいた巫女で、ジャンヌって人、知らない? あたしの

お母様だったんですって」


「殿下、今は、授業中です」

 巫女が、じろっと、マリスを見る。


「でも、これだけは教えて。じゃないと、そのことが気になって、とてもこの手に

神経を集中させるどころではないわ」


 マリスがだだをこねるので、教師は仕方のなさそうに、溜め息を吐いた。


「あなたのお母様は、魔力がとても高く、白魔道使いとしては、とても優秀なお方

でした。幼い頃にどこかで魔道を習っていらしたようで、黒魔法も使えたのですが、

巫女になる時に、そちらは封じたのだそうです。


 しかし、彼女は、性格的に、あまり巫女には向いていませんでした。礼拝には必ず

寝坊して遅れていらっしゃるし、お城の王子様方にお教えに行かれた時も、巫女の身

でありながら、禁止されている肉料理をおなかいっぱいご馳走になったり、挙げ句の

果てには、巫女の身で、子供まで身ごもり……」


 巫女の教師は、はっと口を閉ざした。だが、マリスは気にはしていなかった。


「そうなの……。聞けば聞くほど、あたしの母親だって気がしてきたわ! 」

 かえって喜んでいた。


「能力的には優秀だったってことは、その幼い頃に習っていた師匠が、良かったのか

しら? いったい、どんな人に習っていたのかしらね」


 巫女教師は、あまり押しの強い方ではないらしく、ついマリスのペースに乗せられ

ていた。


「それが、あまりにも現実からかけ離れたことを言うものですから、神殿では誰も

信じなかったのですが……彼女は、ゴールダヌスに習ったのだと言うのです」


「ゴールダヌス……? 」


「そうです。大昔、ここベアトリクスで宮廷魔道士をしていたという伝説の魔道士

ですわ」


 マリスは、ふと、森でひとりで暮らしていた老人のことを思い出した。


(そうだわ。ゴドーが時々街に出て『我が名はゴールダヌスである! 』とか

なんとか言っていたわ。そのゴールダヌスのことかしら)


 巫女教師は、呆れたような溜め息を吐いた。


「ですが、そのようなお人は、現在は、もういないだろうと言われているのです。

彼が宮廷で魔道士をしていたというのも、実際はいつだったのか、はっきりした年代

は、誰も知らないのです。


 だいいち、その頃だろうと言われているのは、もう三〇〇〇年も昔です。いくら

魔道士でも、そこまで長生きしているものかどうか……。しかし、実は、彼は、

まだ生きていて、この国のどこかにいるのではないか、と言う人々もおりますが、

現在の宮廷魔道士方によると、そのような大魔道士の魔力は、感じられないという

ことでした」


「へー」


 マリスは瞳を無邪気に輝かせた。


「そんな伝説的な魔道士に、お母様は魔道を習っていたの……。黒魔法も使えたんで

しょう? どんな魔法だったのかしら! 」


 教師は血相を抱えた。


「なりません、殿下! 黒魔法などは邪道です! 王族の人間ならば、白魔法を極め

るべきです! 」


 それまでマリスに押され気味であった巫女教師は、豹変したかのように目尻を上げ、

きつく戒められたマリスは黙ったままであったが、黒魔法に対する興味は消すことは

出来なかった。



 白魔法の授業が終わると、今度は、王国に代々伝わるという王宮刺繍というものの

授業であった。


 現在の王族では、刺繍などはほとんど受け継ぐ者はなかったのだが、王族教師の

中でも一番古い彼女のために、形式的に組み込まれざるを得ない授業なのだった。


 マリスには、まったく興味が湧かなかった。


 つまらなかった彼女は、教師である太った老女を、ゴドーのところで見た星人の

ポロポロに似ているな、などと想像していた。


 いつかダンと一緒に老魔道士を訪ねた時に、彼が召喚した、黄色く丸い、おとな

しい生物を思い出し、笑いをこらえていたのだった。


「今日は、簡単な王宮刺繍をお教え致します。まずは、ご覧ください」


 大柄な女性教師は、白い布を環で挟み、青い糸を針に通し、白い布に縫い付けて

いった。太い指でも、さっさと器用に縫っていく様子に、マリスは感心して見入って

いた。


 一輪の花が、白い布の上で咲いた。


 その後、教師から、環で挟まれた布を受け取ったマリスが、わくわくしながら糸を

縫い付けてみる。


「そうではありません。ここはこうです」

「ですから、そんなに糸をきつく引っ張ってはなりません。生地が寄ってしまいます」

「ここはいったん返してから縫うのです」


 一針一針、マリスは縫い方を注意されていた。


 穏やかな笑みを浮かべ、おおらかに見えた教師は、かなり細かいところにまで目が

行き届き、口うるさく指導する。


(まあ、ポロポロったら、見掛けによらず、以外と神経質だわ。こんな、ウラを返さ

なければ見えないところにまで……どうでもいいじゃないの)


 マリスは少々うっとおしそうに、ポロポロ教師の小さな目を、ちらりと見た。



 午後になってからは、花を生けたり、歌や楽器を奏でたり、詩を詠んだりと、彼女

が護衛の仕事の時に、目にしてきたものの授業が続く。


「やあ、調子はどうだい? 」


 セルフィスが、マリスの授業に顔を出した。

 側付き魔道士ギルシュも、一歩下がって付いている。


「セルフィス! 」

 マリスは嬉しそうに顔を上げた。


 教師の女性が立ち上がろうとするが、彼は微笑んでそれを制した。


「ああ、どうぞ、そのままで。授業の邪魔はいたしませんから」


 セルフィスは、床に落ちている紙に目を留め、拾うと、書いてあったものに、何気

なく目を通してみた。


「『夜空に輝く星たちよ』……なかなかいい書き出しだね。これ、マリスが書いた

の? 」


「そ、それは……」


 セルフィスの問いかけに、年配で、髪の毛をひっつめて、頭の上で丸く結っている

痩せた女性教師は、口をもごもごさせたが、マリスは元気に笑って頷いた。


 彼は、続きを読み上げてみる。



『赤い星はドドの星

 青い星にはバルルがいて

 緑の美しい星にはデボガボが暮らしてる

 ポロポロが住むのはいったいどの星?

 ああ、私はさっき出会った

 大きな丸いポロポロに

 彼女は花を咲かせていた

 器用に器用に咲かせていた……』



 読み上げたセルフィスと、その後ろのギルシュの動きは止まっていた。


 彼らは目を見開き、その紙から目を背けることはできないでいた。


 ぽろりと、セルフィスの手から、紙が落ちた。


「ねえ、どうだった、セルフィス? あたし、詩を書いたの初めてよ。なんでも思い

付いたものを書きなさいって言われたから、適当に書いてみたの。それは、自分でも

気に入ってる方なの」


「じゃ、じゃあ、なんで、床に落ちてたの? 」

 紙を拾い直しながら、セルフィスが思わず尋ねる。


「下書きだから。今、清書してるわ」


 セルフィスは、めまいを覚え、よろめいた。


「こ、公子殿下、それは、まだわたくしが見る前のものでして……ただ今、別のもの

を、王女殿下には詠んでいただくところでありまして……」


 両手を揉み絞り、詩の教師が必死に言い訳をする。


「この詩は、……全体的に、どういう意味なのかな? 」


 引きつった笑顔で、セルフィスがマリスを見る。

 マリスは、微笑んだ。


「夜空に浮かんでいる星々には、それぞれ星人と呼ばれる生物が住んでいるって聞い

たことがあったの。そのお話がとても印象に残っていて……だから、書いてみたの」


「そ、そう……。僕のことでも、書いてくれたらよかったのに」


 公子は、少し残念そうな顔であった。


「ええ。だから、いつか、あなたとも、それらを見られたらいいなあって、思い

ながら書いたのよ」


「そ、そうじゃなくてさ……。普通、詩って、人の愛とか、そういうものを中心に

唄うものでしょう? 僕に対する想いでも唄ってくれれば、もっと嬉しかったんだけ

どな」


 彼は、彼女を傷付けないよう、遠回しに、彼女の詩だかなんだかわからないものを

批判していた。


「だって、愛とか恋とかって、そういう気持ちは、言葉にはできないものだわ。その

人と一緒にいて交わされる言葉や、一緒に見るもの、聞こえてくるもののすべてが、

二人にとっての詩なんですもの」


 マリスは恥ずかしそうに肩を竦めた。


(ほう。この王女殿下、わかっていないようで、わかってるじゃないですか)


 ギルシュは、少し感心したようにマリスを見ていた。


「私は、なかなか興味深い詩だと思いましたよ、王女殿下」


 ギルシュが細い目を余計に細めて、マリスに微笑んだ。


「本当? ギルシュ」


 マリスの瞳が大きく見開かれる。


「本当ですよ。ただ、このような空想的な詩は、あまりお目にかかったことがなかっ

たもので、さっきは多少面食らってしまいましたが。それにしても、この詩には、

季節の言葉がありませんね。ただ『花を咲かせていた』では漠然とし過ぎているので、

何の花かを言った方がいいんではないでしょうか? 」


「ええ、そうね。でも、あんな花はないわ。練習用に、彼女が勝手に作った花です

もの。その代わり、このデボガボっていうのが暮らしている星は、少し寒い季節に

ならないと緑色にはならないの。しいて言えば、これが季語かしら」


「なるほど、そうでいらっしゃいましたか。それは、差し出がましいことを申し

ました」


「いいえ。とんでもないわ」


 ギルシュとマリスの、意味不明な会話を聞いて、セルフィスも、詩の教師も、

ポカンと口を開けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ