大魔道士の計画
その数日後。
夜も更け、大公家では、深い眠りにつき始めていた。
公子セルフィスの部屋の灯りも、消されようとしていたその時のことだった。
コツン……
軽い小石が、窓に当たった音がし、公子が窓に近付く。
「ダン! 」
セルフィスが、小さく叫ぶ。
窓の下には、彼の幼馴染みでもあるダンが、立ってい。
「よお」
ダンは、セルフィスの開けた窓を、ひらりと飛び越え、彼の部屋に入った。
セルフィスが、すぐに、窓とカーテンを閉める。
「よく衛兵に気付かれなかったね」
「ああ、そんなのは、ガキの頃から慣らしてあるからな」
「そう言えば、そうだったね」
セルフィスが、懐かしそうに笑った。
ダンは、特に笑いもしなかった。
「こんな夜中に突然訪ねてくるなんて、どうしたの? 僕は嬉しいけど」
セルフィスは、ダンの出で立ちに目を留めた。
貴族の礼服でもなく、かといって騎士団の甲冑姿でもない。
目立たない、黒っぽい服装に、部分的に防具を付けただけの、傭兵のような身なり
であった。
「俺は、この国を出る。騎士団にも、辞表を出してきた」
唐突なダンの申し出であったが、セルフィスは、それほど驚いてもいないようで
ある。
「……だと思った」
少し淋し気に、そう言っただけであった。
「第二王位継承権利者となり、国の第一王女を妻にしようというお前に、こんなこと
を言うのは気が引けるが、……俺は、この国にはもう幻滅した。絶対王政で、王家の
力を見せ付け、権力にもの言わせて、何でも思い通りにことを進めようとするやり方
には、もうついてはいけない。だから、国を出る。俺は俺の力で、自分の地位を築い
ていくんだ……! 」
黒曜石の瞳が、鋭く、公子に向けられる。
セルフィスは穏やかにダンを見つめていた。止めても無駄だと、その瞳は悟って
いた。
「……淋しくなるね……」
ぽつんと、セルフィスが呟いた。
「マリスには、なんて……? 」
ダンが首を横に振る。
「あいつには、何も言ってない。言うつもりもない。だいいち、いくら俺でも、
ベアトリクス城にまでは、忍びこめねえよ」
少しだけ笑ったダンを、セルフィスは、淋しげな笑顔で見つめた。
「あいつを幸せにしろなんて言わなくても、お前ならそうするだろう。だから、俺は、
お前たちには何も言わない。俺だけが、勝手に突っ走っていくんだからな。
だけど、もし、俺が、国を手に入れるようなことがあれば、お前たちは、おキラク
に、国の政のことだけ考えてはいられなくなるかも知れないぜ。俺は、
俺の野望に忠実に生きる。国を手にしたあかつきには、この国さえも手に入れてやる。
その時は、お前を失脚させ、マリスを奪い返す時だと思え」
黒曜石の瞳は、ギラリと光った。
それには、セルフィスは動じなかったが、緑色の瞳の、その柔らかい光の中には、
僅かに悲しみの影が覗いていた。
「俺は貴族が嫌いだ。特に、権力をかざしているお前たちのような高位の貴族がな!
結局、俺からマリスを奪ったお前も、権力の力を嵩に着ているだけのことだ。
俺は、俺の、ゴールド・メタルビーストを守護に持つ宿命のままに生きてやる! 」
ダンは、睨むような目で、彼に指を突きつけて、そう言った後、窓に近付くと、
首だけを振り返った。
「これから先は、今までのように、純粋な公子様じゃ通らなくなるぜ。簡単に、周り
の人間をーー俺みたいなヤツを、信用するんじゃない。したたかになれよ。あばよ、
セルフィス」
ダンは、ひらりと身を躱すと、暗がりの中に、姿を消していった。
セルフィスは、しばらく窓に手をかけたまま、動かなかった。
「公子様」
セルフィスの後ろに一瞬黒い影が出来ると、それは、ひとりの魔道士の姿となった。
「ギルシュか」
公子が振り向く。
灰色の髪に、細い青い瞳が、黒いフードの中から覗く。
それは、バルカスが連れて来た新しい側付き魔道士であったが、彼が以前と違う
ところは、その額に、明々(あかあか)と、真っ赤なルビーが輝いていたことであった。
「彼のことは、このまま放っておくのですか? 」
「ああ」
「一言ご命じ下されば、私がなんとかすることもできますが」
セルフィスは強く首を横に振ると、淋しげな視線を、窓の外に送った。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、ギルシュであった。
「それにしても、随分ないいががかりでしたね。まったく、ひがみもいいところです
よ。私だって、まだ護衛についてから数日しか経ってはおりませんが、王女殿下が
セルフィス様のことを御想いになっていらっしゃるのは、権力のせいではないこと
など、見ればわかります。
結局、あの男は、あなたがたのことを、受け入れるほどの、深いふところは、持ち
合わせてはおらず、やっかんで、自分から逃げていっただけのことじゃないですか。
それを、あんな風に、権力をかざしている貴族は嫌いだとか、この国に幻滅した
などと、さも自分の行動を正当化させるようなことを言ってのけ、挙げ句の果てには、
……公子様を失脚させてやるだなんて、大ボラまで吹いて……! 」
「少し言葉が過ぎるよ、ギルシュ」
セルフィスに静かに咎められ、ギルシュは少しだけ下がり、頭を下げた。
「彼は、僕に忠告するのと同時に、励ましてくれたんだとも思うんだ。これまでの
ようなわけにはいかなくなる、高位の者には、それなりの責任があるんだ……ってね。
彼の言う通りだと、僕も思うよ」
「……なんと人の良い……! 」
ギルシュは、あんぐりと口を開けてから、すぐにまた頭を下げた。
「それにね、彼の言うことは、まんざらやっかみだけとは限らないんだよ。マリスを
この家に招待したのも、僕の護衛につけたのも、それは、僕が公子の立場だから
できたことなんだ。舞踏会をこの家で主催した時だって、彼女と一緒に踊りたくて、
護衛の仕事を休ませたのだって、全部そうさ。だから、ダンの言うことは、当たって
るんだよ」
彼は、淋しげに笑い、溜め息を吐いた。
「悪いことではないと思っていたけれど、それが出来ない人たちにとっては、鼻に
つく行為だったんだろう。僕は自分でも気付かないうちに、そうやって、ダンだけ
じゃなく、いろいろな人を傷付けていたのかも知れない。……たまたまそういう身分
に生まれたというだけで……! 」
セルフィスはベッドに腰かけた。
それを、魔道士の青い目が追う。
「それは、あなたのせいじゃありません。平民に生まれたのも、彼のせいではありま
せん。行き違いは、誰にでもあることです。その度に、あなたがお心を痛める必要も
ありませんよ」
セルフィスがギルシュを見上げ、呆気に取られたような顔をしていたが、そのうち、
安心したように笑い出した。
「きみって、案外はっきり言うんだね。宮廷魔道士なんて、大抵が、遠回しにものを
言うもんだけど」
「すみません。どうも、私は思ったことを、すぐに口に出してしまうようで……
バルカス殿にも、よく叱られておりました」
ギルシュが、すまなそうに詫びるのを見て、余計にセルフィスが笑った。
「何でも思ったことを口に出してくれていいよ。きみとは、なんだか主従関係という
より、友達になれそうな気がしてきたよ」
「滅相もございません」
セルフィスの笑顔に向かって頭を下げた魔道士の細い瞳は、少しだけ和んでいた。
町外れの湖。
そこは、しんみりと、暗い森の中であった。
地を這う生き物はすべて寝静まり、時々、湖の上で、サカナが飛び跳ね、ぼちゃん
と水飛沫をあげている他は、物音などは、ひとつもない。
その闇の中を、更に、ひとつの闇が進んでいく。
中肉中背、青白い顔をした青い瞳の黒髪の男。頬のこけた不健康な中年に見える
その男は、地面から、少し浮いている証拠に、落ちている枯れ葉を踏む音さえ立てず
に、進んでいた。
ふいに、男は、その場にとどまり、ゆっくりと目の前の大木を見上げる。
その木の枝の上で、脚を組み、背を幹に凭れかけている者に、目を留めた。
普通の人間であったならば、そこに、その者がいることには気付かなかったであろ
う。
それだけ、その人物は、自分の気配を、人に悟られないよう、熟練された者に違い
なかった。
彼とて、その人物の気配を察して、足を止めたのではなかった。
その者の持つ、高い魔力に反応して、足を止めたのだった。
「お久しぶりね、予言者さん」
艶のある美しい声が、枝の上から降り注ぐ。
「あなたの正体は、もうなんとなく見当は付いているわ」
ばさばさっと、木の葉が音を立てる。
魔道士の目の前には、背の高い、ひとりの女が現れたのだった。
浅黒い肌に、ウェーブのかかった長い黒髪、黒いマントに身を包み、黒い軽装を
した彼女は、黒い宝石のような瞳を持つ、東方の女騎士ラン・ファであった。
「あるときは謎の予言者。またある時は、この森の中にひとりで住んでる変人魔道士、
その他にも、この湖で時々釣りをしているボケ老人など……いったい、いくつの顔を
持ち合わせていらっしゃるのかしらね。大昔から、このベアトリクスにいる大魔道士
さん」
ラン・ファは腕を組んで、にやりと笑った。
その暗い魔道士の顔は、少しだけ、口の端をつり上げた。
「さすがは、武術だけでなく、頭の方もかなりの切れ者だと聞く女戦士だ。だが、
ワシが、おぬしに見つかってやったのは、わざとだとは思わないかね? 」
魔道士の声は、とても見た目と違い、徐々に年寄りじみていく。
「もちろん、そうでしょうね。でなきゃ、私程度の魔力で、あなたを探し当てるの
なんか、到底無理ですもの」
「賢いお方じゃ」
魔道士は、老人の声で笑い声を上げた。
「ついでに、どうして、あなたが、今、私の前に姿を表し、その正体を仄めか
せるようなことをしているのかも、当ててあげましょうか? 」
ラン・ファの瞳が怪しく輝き、人差し指が立てられた。
「私が部隊をやめ、旅に出ることにしたからよ」
男の青い瞳は『ほほう』と光った。
「あなたに疑いをかけ、邪魔をする可能性が一番高いのが私。その私が、この国を
出て行くことに決めたんですもの。それは、安心したでしょうね。最も、私程度が、
あなたの企みを邪魔出来るほど、自分では自惚れてはいないつもりだけど、
少なくとも、今のベアトリクスにおいては……ってことで、許してもらおうかしら」
「ふん。なかなかに、よくわかっておるではないか」
魔道士は、感心した。
「ワシには、おぬしのような小娘は、非常に好感が持てる。ワシの正体に勘付き
ながらも、そのように堂々と刃向かってくるのは、好ましいものじゃ。それにしても、
ひとつだけ尋ねるが、なぜこの国を出て行くことにしたのかね? まだワシが
『そのように、いくらも手を打っていない』うちに」
青い瞳は、からかうように、ラン・ファに向けられている。
「おぬしのかわいい妹分であるマリスから、そんなに早くは慣れてしまうとは、
さすがのワシも読めなんだぞ」
ラン・ファの瞳が細められ、妖し気な笑みのまま、口を開いた。
「そんなふうに、知らないうちに、あんたの思い通りに動かされるのなんか、もう
真っ平ごめんだからよ」
屈辱的な表情になり、ラン・ファは続けた。
「数年前だったわね。あなたは、私を使って、魔物に襲われていたマリスと公子様を
助けさせたわ。私は、二人を護るために行かされたんだと思った。だけど、それは、
魔力のコントロールの仕方を、彼に教える意味もあったのではないかと気付いた時、
無性に悔しくなったわ。神の意思ではなく、あなたの意思で使われたことに、頭に
来たのよ」
黒曜石の瞳が、鋭く彼を射抜く。
「あなたは、今のところ、マリスに対して、悪いことは何もしていないみたいだし、
彼女は王女となり、公子様との幸せな日々を約束されたわ。あなたは、もしかしたら、
彼女を、後のベアトリクス女王にして、自分の思い通りに操ろうとしているのでは
なくて? 」
魔道士は、ゆっくりと面を上げた。
「そうしたくてたまらぬのが、蒼い大魔道士じゃよ」
はっと、ラン・ファの瞳が見開かれた。
「蒼い大魔道士……! そう……、だったら、あなたの正体は、やはり……! 」
ラン・ファは、確かなその名前を口にすることは出来なかった。
「どうじゃ、滅多に言葉を交わすことなど出来ぬ、伝説の大魔道士との歴史的な
出会いは? 」
魔道士は、再び笑った。
「蒼い大魔道士は、この国を狙っておる。特に、セルフィス公子の並大抵ではない
魔力に、目をつけておるようじゃ。だが、彼が、思いのほか早く、白魔道の洗礼を
受けてしまったことによって、少々計画を変更するようじゃのう」
「……じゃあ、あなたは、公子様を護る側だって言うの……? 」
半信半疑なラン・ファの言葉に、魔道士は鼻で笑った。
「ワシの目的は、ひとつの国をどうこうすることなどではないわ。もっと大きなこと
じゃ」
その瞳は、遠くを見つめる。
「まもなく、千年が経とうとしておる。闇よりの使者が、この世につめかける恐怖の
時が、来ようとしておるのだ。それに対抗出来る戦力を、人間も持たなくてはならぬ。
それが出来ねば、この世は、闇に乗っ取られ、魔族の支配する暗黒の時代となろう! 」
ラン・ファは目を見開いて、その魔道士の、重々しい言葉を聞き入れた。
「戦いの神、最強の獣神の力を以てしなくては、それを食い止めることは出来
ぬ。同時代に現れたゴールド・メタルビーストを背負った二人の戦士たちのうちの
ひとりが選ばれた。それが、マリスだったのだ! 世界を救う使命を持った女神
として、彼女は、闇に立ち向かっていく運命なのだ! 」
魔道士の青く光る瞳が、ゆっくりとラン・ファに振り返り、今度は、神がかった
ような、厳かな口調で続けた。
「獣神は、きまぐれで気の向いた時しか出て来てはくれぬ。もうじき、それを
『こちらの都合で呼び出せる』ことになろう。もちろん、彼女は、そんなことは
まだ知らぬ。ワシの研究でも、まだ完成してはおらぬのだから」
「な……んですって……!? 」
ラン・ファの唇から、掠れた声が思わず出る。
老魔道士は、そんな彼女を見つめたまま尋ねる。
「そのもうひとりのゴールド・メタルビーストが、誰であったかわかるか? 」
「もうひとりの……? ……まさか、ダン……!? 」
魔道士は、またしても、感心した。
「その通りじゃよ」
「やっぱり……! 私の守護神は黒鷹だし、今まで言い伝えられて来たゴールド・
メタルビーストを守護に持った人物の、気性的にも、彼は当てはまるわ。ということ
は……! 」
ラン・ファは、キッと、彼を見据えた。
「あなたがダンをそそのかして、この国を追い出したのね」
「そんなこともないがのう。彼には、ちっとだけ助言をしてやったに過ぎない。
彼ほどの戦士の才能に恵まれた者が、すぐれた武将の多いこの国で埋もれてしまう
のは忍びないので、己の才覚を生かすよう、教えてやったまでもじゃ」
老人は、何気ない口調で語った。
ラン・ファは、彼を睨んだままだった。
「そんなでたらめを吹き込んで、彼をそそのかして……ダンの様子が、どうも変だと
思ったら……! 」
「でたらめではないよ、本当のことじゃ。彼は、このまま埋もれてしまうには、
とても惜しい人物なのじゃよ」
不健康な見た目に釣り合わず、けろりとした老人の口調の男を、彼女は憎々し気に
見つめた。
「ダンまでも……! いいえ、彼だけじゃないわ。あなたが、ちょろちょろと、歴史
を変えない程度に手を加えているのも、わかっているのよ。
例えば、もう一年以上前になるけど、隣国ナハダツの奇襲。ダンとマリスにとって
の初陣戦だったけど、あの時に限って、ナハダツが魔道士を連れていた。あんなこと
は、今までなかったわ。なぜって、あの国には、魔道を使う戦士はいないからよ。
あれも、あなたの仕業だったのでしょう? 何のためにそんなことをしたのかわから
ないけど」
魔道士は、どこか満足気な笑みを浮かべている。
そんな彼に、ちらりと冷たい視線を投げかけながら、彼女は続けた。
「まだあるわ。マリスの本当の母親である巫女だった人物は、あなたの弟子だと言う。
これで、すべてのからくりが、ほぼ見えてきたわ。マリスの出生の秘密を隠し、
わざわざルイス将軍家に預けたのも、あなただったんでしょう?
聞けば、私の前に現れた時とも、今のあなたの姿とも、そっくりですものね。
マリスを戦士として育てるのに、ルイス将軍のところに預けたのも、全て計算された
ことだったのね? 女の子でも戦士になるには不自然ではない環境だもの。
私は、将軍とも親しかったから、マリスとも知り合い、東方の女戦士の持つ最高の
技『武浮遊術』まで伝授した。そこで、またマリスを戦士に育てるための『コマ』と
して使われていたとも知らずにね。まったく、私ってば、そうとは知らずに、最初
から、あなたの思惑通りに、ずっと動いていたんだわ……! 」
ラン・ファは二度目の屈辱的な表情で、魔道士を睨みつける。
「ワシは、おぬしとも彼女を引き合わせたかった。『武浮遊術』は、東方のごく一部
の女性にしか受け継がれぬのでな。マリスには、生身でも強くなってもらわなくては
ならぬ。この先、待ち受けておる戦闘に立ち向かうには、この世で最強の戦士になら
なくては、勤まらぬのじゃ」
「さっき言っていた獣神とやらを呼び出すために? 」
「呼び出さずとも、充分、強くなってもらわなくてはならぬ。なにしろ、これから先、
彼女の敵は、増える一方に違いないのでな」
ラン・ファは、首を捻った。
王女となり、許嫁である公子との結婚も控えたマリスは、一見、戦いとは無縁にも
思われるのだが、国が絡んだ陰謀であるかも知れないと思い直した彼女は、そのこと
を疑問に思うのは、ここではやめておいた。
「まだあるわ。マリスを本来の父親である国王のもとに、いきなり届けなかったのは、
亡くなった三王子や王妃のように、マリスに陰謀の被害が及ぶのを避けるため?
それとも、『その中で、マリスだけが生き残るのは、あまりに不自然』……だから? 」
魔道士は、面白そうに、瞳を輝かせた。
「はて? 王子たちが亡くなったのは、確か、伝染病によるものとの、城側の発表で
あったが、実は、なにかの陰謀だったというのかね? 」
「とぼけないで。あんなにバタバタ亡くなっておいて、王様や他の者は元気じゃない
の。陰謀に決まってるわ。それも、相当に幼い、チャチなものね」
ラン・ファは、じっと魔道士の目を見据える。
「おぬしは、それさえも、ワシのせいだと言いたそうじゃが、残念ながら、それは
違うぞ。あれらは、権力に目の眩んだ、愚かな人間が引き起こしたものじゃ。おぬし
の言う通り稚拙で、しかも大雑把すぎるやり方じゃよ。ワシならば、もう
ちっとうまくやるがのう。あの城の中で起こった出来事と、ワシは、一切無関係じゃ。
何が起こるのか予知は出来ても、手を加える気は毛頭ない。今までも、そして、今後
ものう」
「そう。なら、そのことは、そういうことにしておくわ」
ラン・ファは、あっさり引き下がった。
魔道士の彼女を見る目は、次は何を言い出すのかと、どこか楽しみになっていた。
「おぬしは実に良いところに目を付けてくる。思った以上に勘の鋭いお方じゃ。
魔道士の塔に属するでもなく、なんの組織も持たずに、よくもまあ想像だけで、
そこまで辿り着いたものよのう。まだ何か言い足りないようじゃな? この際じゃ
から、全部言うてみい。だんだん、おぬしと話すのが、楽しくなってきたぞ」
ラン・ファは、ウキウキしている老魔道士を、面白くなさそうに見つめるが、
乗りかかった船と腹をくくり、決して、親しみをその瞳に表すことなく、続けた。
「とにかく、獣神だかなんだか知らないけど、最強の戦闘神がマリスについている
なら、私の出番は本当にもういらないでしょう。彼女のことは心配ではあったけど、
あなたも、どうやら、私が思っていたのとは違ったみたいで、魔族から人間界を救う
ために、なにやら研究しているらしいこともわかったし、それだけでも、安心したわ。
今夜、あなたに会えて、それだけは良かったと言える。だけどね……」
ラン・ファが腕を組み、魔道士を静かに見る。
黒曜石の瞳には、とうに妖し気な光は浮かんではいなかった。
そこには、矢のような鋭い光だけが、浮かんでいたのであった。
「あなたが茶々を入れたおかげで、いったい何人の人生が狂わされたことかしらね。
マリスを実の子のように育てていたにもかかわらず、国王陛下に返さなければなら
なかった将軍家の人々の気持ちを考えたことはあるの?
あの子のベアトリクス城逃亡の試みが耳に入った時、将軍は無性に彼女に会いたく
なったと同時に、ひどく心を痛めていた。だけど、思い踏みとどまり、しばらく宮廷
に顔を出さないことにしたわ。ちゃんと国王陛下のお許しも頂いてね。ミラー将軍は、
マリスが心配だったけど、彼女や国ために、心を鬼にして、そうすることに決めたの
よ。
それと、私は望んで国を出ることにしたけど、ダンは、少なくとも、あなたに
そそのかされて出て行ったわ。私には、なにもそこまですることはなかったように
思えるけどね」
彼女の眼光が、鋭くなった。
「あなたの計画とやらのせいで、人生を狂わされた人々のことを、考えたことはある
の? そんなにヒトの運命を弄んで楽しい? そうやって、神にでも
なったつもり? 」
つけつけと言い立てる彼女を、魔道士は、無表情で見つめている。
さらに、彼女の表情は、挑発を帯びていく。
「あなたの邪魔をする気はないけど、これだけは忠告させてもらうわ。ヒトは神には
なれないのよ。そんなことをしていると、いつかきっとその報いを受け、大きな代償
を払わされることになるでしょう。例え、それが、世界を救う英雄のやることだった
としてもね」
二人の間を、一筋の風が通り過ぎていった。
足元の木の葉が舞い上がる。
二人の視線は、絡み合ったままであった。
「別に構わぬよ」
彼は、くるりと背を向け、再び、足を使わずに進んでいった。
そして、ラン・ファも、それとは反対の方向に、歩き始めたのだった。




