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『光の王女』Dragon Sword Saga 外伝2  作者: かがみ透
第七部『囚われの王女』
18/45

城からの逃亡

(お父様ったら、ひどいわ! あたしのことを、あんなにあっさりと、国王なんかに

譲るなんて! )


 ふかふかのベッドの上で、オレンジ色のドレスに身を包んだままのマリスは俯せ、

泣きじゃくっていた。


 白い壁に、豪華な模様を織り込んだ白い敷物、全身を映せるほどの大きな鏡、

天蓋付きのベッド、その他には、まだたいした家具はなかった。


 ベアトリクス城の一室、仮に、彼女の部屋とされている場所である。


(あたしのお父様は、ルイスお父様でしかないのに……! いきなり、国王を父だ

なんて呼べるわけないわ! それに、巫女だかなんだかっていう女が、あたしの母

だなんて……そんなの知らないわよ! )


(みんな、あたしにどうしろっていうの!? いきなりミラー家とは他人で、ベアト

リクス国王の娘、王女になれだなんて……あたしの気持ちはどうなるの!? 関係ない

の!? )


 マリスは一晩中、泣き続けていた。



「おはようございます、殿下」


 淡い色の女官服を着た若い女性が、扉をノックして入る。


 マリスは、ゆっくりと身を起こす。


「まあ、夕べは、そのままお眠りになってしまったのですか? 」


 マリスは、泣きはらした赤い目をこすり、女官を見つめた。


「わたくし、今日から、殿下の身の回りのお世話をさせて頂くこととなった、

ソルボンヌともうします。どうぞ、よろしくお願い致します」


 ソルボンヌは、柔らかい栗色の髪を、後ろに束ね、色の白い、そばかすのある、

人の良さそうな顔をした、マリスよりも少々年上の娘であった。


「朝食のお時間まで少々ございます。お召しかえを」


 マリスは、自分が昨夜舞踏会の前に、菓子をつまんだくらいで、それ以来は何も

口にしていなかったことを思い出し、空腹であることにも、今気が付いたのだった。


「こちらになります」


 侍女ソルボンヌに案内されたところは、広々とした大理石でできた空間であった。


 中央には大きめの白い浴槽があり、豪華なワゴンには、大きなブラシや、美しい

模様入りの陶器で出来たツボなどが並んでいる。


「朝風呂……!? 」


 マリスが、ソルボンヌを振り返る。


「さあ、どうぞ。お召し物はこちらに」


 侍女は、ビロードのカーテンに囲まれた箇所へ、マリスを連れて行き、ドレスを

脱がせると、細心の注意を払いながら、吊るした。


 侍女と言えども、直接王族の人間の肌を見ることは許されず、マリスは薄い肌着の

まま、浴槽に連れていかれ、そのまま、真っ白な湯の中に浸された。


 侍女は、濡れた肌着だけを湯の中から回収すると、陶器のツボから、とろっとした

液体をブラシにとり、マリスの背を、丁寧に、こすりだした。


 身体を洗い終えると、バスタブの縁に重ねた布を敷き、そこにマリスの首を乗せ、

別のツボから液体を取って、バスタブの外で、彼女の髪を洗う。


「……いい香りだわ……」


 気持ちがよくなったマリスは、思わず呟いた。


「これは、ムスカリアの花の香料が入っておりますの」


 いきなり浴室に連れてこられ、面食らっていたマリスも、ちょうどよい湯加減の上、

ソルボンヌに丁寧に髪を洗ってもらい、あまりの心地の良さに、つい眠ってしまい

そうになるほどであった。


 白いガウンを羽織った彼女は、浴室内の別のカーテンで仕切られた場所に移動する。


 そこでは、髪の水気を、何度も取り替えた布で拭き取るとともに、着替えもできる

よう、いくつかのドレスが吊るしてあった。


「昨夜、ミラー伯爵家のお遣いの方が、こちらをお届けになられました。本日、

デザイナーをお呼びし、お召し物をおあつらえ致しますので、それまでは、

今までのものでお許しください」


 マリスは、その中の、淡い水色の、シンプルなドレスを着せられた。



「おお! これは、また一段と美しい! 」


 大きな長いテーブルの両端には、ベアトリクス国王とマリスが座り、朝食が

運ばれる。


「もう少し、近くで食べてはどうかね? 」


 王が遠慮がちに切り出すが、マリスは冷たく断った。

 それでも、王は上機嫌に喋っていた。


 マリスは、黙々と、目の前に並んでいる食事に手をつける。


「それにしても、そなたは、実にジャンヌに似ておる。彼女は、誠に美しい女性で

あった。そなたを見ていると、まさに彼女が……」


「わたくし、これを頂いたら、帰らせて頂きますから」


 王の話の途中で、マリスがきっぱりと言った。


「帰るとは……? どこに帰るというのだね? 」

「決まってますわ。ミラー伯爵家です」

「ほほう」


 王は、水色の瞳を面白そうに輝かせた。


「まあ、それもよいだろう。帰れるものならばな」


 マリスは怪訝そうな顔で王を見つめたが、さっさと目の前のものを口に詰め込んだ。



「このあたしが、そう簡単に、乗せられてたまりますか! 」


 マリスは食後、自室に戻ると、脱出しようと部屋の窓を開ける。


「げっ! 」


 窓の外は空であり、はるか下方に、草の生えた地面が見えた。


「ここって、一〇階くらいかしら……? 」


 二、三階程度ならば降りられると思っていたが、さすがの彼女も諦めなくては

ならなかった。


「だったら、裏庭に出て、敷地の外に……」


 マリスは部屋の扉を開け、回廊をきょろきょろ見渡すと、かわいらしい声を作って、

ほうぼうに振りまいた。


「すみませ~ん、ちょっとどなたかいらして頂けませんこと~? 」


「何事ですか、殿下? 」

 数人の警備兵たちが、彼女の前に集まる。


「どなたか、おひとりで結構よ。そうね、あなただけでいいわ。後の方は、下がって

ちょうだい」


 マリスは、まだ若く、細身で、背格好もいくらか自分に近い者のみを、扉の中に

招き入れた。


「殿下、ご用とは? 」


「ちょっと暑くて、着替えたいの。手伝って下さらない? 」


「ええっ!? そんな……! それなら、侍女を及び致しますから」


 若い衛兵は驚き、顔を赤らめる。


「いいえ、侍女を呼ぶまでもありませんわ。わたくしは、『あなたに』手伝って頂き

たいのです」


「ひっ、姫!? 」


 マリスが彼にふわりと抱きついた。

 その途端だった。


 どすっ!


 衛兵は小さく呻き声を上げると、どさっと床に倒れた。


 マリスは、彼の腹に突き出した拳を降ろす。


「ラン・ファに習った武遊浮術(ぶゆうじゅつ)愛技初級編を使ってみただけだけど、

うまくいったわ! あたしも、まんざらでもないみたいね! 」


 色仕掛け……と言えるほどのものであったかは判断し兼ねるが、とにかく成功した

彼女は、うきうきと自分の服を脱ぎ、警備兵の男の服装に着替えた後、ローブの紐

(この部屋では、他に縛るものは見つからなかったため)で、彼の手足をぐるぐると

縛り、ベッドの下へ転がせて隠す。


 そして、何事もない様子で部屋から出ると、すたすたと廊下を歩いていったの

だった。


(作戦成功だわ。ちょろい、ちょろい! )


 マリスは、心の中でくすくす笑いながら、城の裏庭を目指す。


(多分、ここが裏庭だわ)


 芝の生えた人気のない広い庭らしきところへ出ると、他に人のいないのを確かめ

ながら、庭の端に向かった。


 高い木々に囲まれた庭から、外に出ようと顔を覗かせると、


「あっ! 」


 木々の無効は掘になっており、さらに低いところに、水が流れていたのだった。


 急な斜面の石垣を伝い、なんとか降りられたとしても、川幅もある。


 それを泳いで渡れたにしても、向かいの石垣は、こちら側のものよりも、ずっと

高い。よじ登るのは、不可能である。


「残念でしたな」


 低い声がして、彼女が、はっと振り向くと、国王の側付き魔道士バルカスが、

宙に浮かんでいた。


「この城は、ぐるりと堀に囲まれております。堀を越えるには、正門から、吊り橋を

降ろし、そこを通る他はございませぬよ」


 アークラント大公家から、空間を移動してベアトリクス城内に一瞬で連れて来られ

た彼女は、城全体や周りの造りなど、とうてい知る由もなかった。


 キッと彼を睨み、つかつかと、彼女はもと来た道を戻っていく。


 それを、魔道士は、ゆらゆらと浮かびながら、見送っていた。



(だったら、堂々と、正門から帰ってやるわ! )


 マリスが次に現れたところは、正門の吊り橋であった。

 門番と思われる衛兵に、いきなり後ろから飛びかかる。

 兵士は悲鳴を上げた。


「いい? 吊り橋を降ろすのよ! さもなければ、こいつの命はないわよ! 」


 マリスは衛兵を人質にとり、剣を男の首もとにつきつけ、辺りの兵士たちを脅した。


 兵士たちは戸惑いながらも、素直に吊り橋を降ろした。


(思ったよりも、簡単にコトが進んだのが怪しいくらいだけど、ま、のんびりとした

宮廷なんて、こんなものなのかも知れないわね)


 人質を引き摺りながら、用心深く吊り橋を渡り切ったマリスは、人質を放り出し、

一目散に駆け出していった。


(ふん、国王め! ざまあみろだわ! もう二度と、ベアトリクス城なんかに行く

もんですか! )


 彼女は、薄笑いを浮かべて、走り続けた。


「きゃっ! 」


 突然、マリスの身体が、柔らかい、ぶよぶよしたものにぶつかり、跳ね返った。


 もうすぐそこが城下町だというのに、何か透明の柔らかいものが立ち塞がっている

のだ。


「……なっ! 何よ、これ!? 」


 彼女がいくら手で押してみても、剣で切り裂こうとしても、その柔らかい壁は破れ

なかった。


「残念でしたな」


 先程よりも、いくらか笑いを含んだ声が、彼女の後ろで聞こえる。


「またあんたなの? 」


 マリスが顔をしかめる。


「この城には、私が結界を張り巡らせておきました。だから、衛兵たちも、簡単に、

あなたを見逃したのですよ」


 マリスの頬が、ぷーっと膨れた。


「この城から、あなたが脱出するのは、容易ではありませんよ」


「強引な! あたしを閉じ込める気? 」


「少なくとも、あなたが王女として、この城に住むとお決めになるまでは、私の結界

は、あなたにつきまとうことになりましょう」


「それじゃあ、どっちにしろ、これからずっと、あたしが不自由なのは免れないって

ことじゃないの」


 マリスが腕を組んで、面白くなさそうに言う。


「そうとも限らないと思いますが。王女になれば、欲しいものはなんでも手に入り、

好きなことをして遊び、かえって自由に暮らせるではありませんか」


「あたしを子供だと思って、そんな甘いことばかり言ってごまかそうったって、

そうはいかないわ。絶対に抜け出してやるんだから! 」


「どうぞ、ご自由に」


 バルカスは、その口元を、少しだけ面白そうに緩ませた。


 案の定、マリスの逃亡作戦は、次々と失敗に終わっていった。



 その日、国王と一〇度目の夕食をとっていた時であった。


「もう、逃亡はしないのかね? 」


 国王がからかうような目を、マリスに向ける。


 彼女は、それを面白くなさそうに、上目遣いで見ただけで、黙ってスープを啜った。


「まったく、次から次へと、よくもまあ性懲(しょうこ)りもなく、いろいろな小細工

を考えつくものだな。逆に、余は感銘をうけたぞ! 」


 王は、おおらかに笑い声を立てた。


「あたしは、あんたを父親と呼ぶなんて、真っ平なんだからね。そんな風に笑って

いられるのも、今のうちよ! 」


 この数日間のうち、彼女の国王に対する口調もエスカレートし、随分とぞんざいな

ものになってきていた。


「あたしを城の中に閉じ込めて、小鳥のように飼おうっての? そんな不自由な生活、

誰がおとなしくやってやるもんですか! 」


 だが、彼女が怒れば怒るほど、彼は喜んでいるようである。


「気の強いところも気に入った。だが、残念なことに、この城から出ることは不可能

だ。バルカスの結界は、魔道士ですら、よほどの者でない限り、破ることは出来ない

のだよ。もういい加減に諦めてはどうかね? 城の外には出させてはいないが、

城の中では、何不自由なく、そなたも暮らしておるだろうに」


「出られないってのが、一番不自由なのよっ! あたしはねっ! 外で駆け回って

いるのが、性に合ってんの! 」


 マリスが、ばん! とテーブルを両手で叩いて立ち上がった。


 王は『なんだ、そんなことか』と、笑った。


「では、バルカスに、そなたの今まで行ったことのない外国にでも連れていって

もらってはどうだ? 彼ならば、高速で飛ぶことも、空間の合間を移動することも

できる。きっと面白い場所へ連れていってくれることだろう。そうだ! 異空間

などはどうかね? これは、なかなか普通の人間の行かれるところではないぞ! 」


 王のセリフに、マリスは思わず床に俯せていた。


「……あんた、頭おかしいんじゃないの? 」


 呆れた声で、よろよろと起き上がると、マリスは力なく椅子に腰かけた。


「ふふん。そなたが認めるまでは、余は、どんなことでもするつもりだ」


 策略家のような不敵な笑みが、国王の精悍な顔に浮かんでいた。


(この王様、最初は、泣いてあたしの足にすがってたもんだから、貴族のボンクラ

小僧が、そのまま大人になっただけかと思っていたけど……どうやら、多少は、

したたかなところがあるみたいね)


 この一〇日間で、マリスには、どこか彼に対して感心するような気持ちも湧いて

きていた。


「おお、そう言えば、そろそろ、そなたを余の娘として、国民にふれを出すとともに、

社交界にも披露せねばなるまいな。その時は、この城で、盛大に宴を開く予定だが、

三日後でいいかね」


 王の何気ない口調に、マリスは目を丸くした。


「随分、気が早いのね。あたし、まだあなたを父親だなんて、認めてないってのに」


 王は気にも留めず、にこにこと続ける。


「その時、ついでに、そなたの許嫁(いいなずけ)も発表されることになっておる

のでな、楽しみにしているがよい」


「ちょぉっと待ったぁ! 」


 マリスが血相を抱えて立ち上がり、王の横へ、ずかずか歩いていった。


「人に断りもなく婚約者なんて、勝手に決めないでよ! だいたい、あたしは、

まだ王女になるなんて、一言も言ってないし、あんただって、愛のない政略結婚

だったから、愛人作ったんでしょーが! だったら、すこしは、人の気持ちが

わかってもいいんじゃないの!? 」


 王は、目だけを鋭く、マリスに向けた。


「王家の人間は、たかが結婚ごときで動揺するものではない。平民や、ただの貴族

とは違い、結婚が人生のすべてを決めてしまうものではないのだ。王家の人間には、

それ以上の重大な事柄に、取り組まなくてはならないことの方が多いのだからな」


 今までの、からかうような調子とは一変した王の口調に、マリスは、ピクッと身体

を震わせた。


「お前は、間違いなく余の子だ。愛人の子と言えども、正式な王家の血筋であるには

違いない。王家のものとしての自覚と誇りを持つのだ。夫との間に、どうしても愛情

が芽生えなければ、愛人を作るが良い。誰も責めはせぬ。その代わり。後のベアト

リクス女王にふさわしい立ち居振る舞いや判断は、絶対でなければならぬのだ」


「の、……後の、ベアトリクス女王……あたしが? 」


 思わず動揺して聞き返すマリスに、王は、ゆっくりと頷いた。


「そうだ。余が、お前を認知した時から、お前は、この国での、第一王位継承権利者

となったのだからな! 」


 三人の王子が亡くなり、妃までもが亡くなったとあらば、それは当然のことで

あったと、マリスは、今気が付いた。


「第一王位継承権……そんな重たいものなんか、いらない……」


 言いかけたマリスの言葉を、王が遮る。


「お前がいくら逃げまどい、反抗しようとも、もうこれだけは逃れられない宿命

なのだ。王女の自覚を持つのだ、マリス。そして、後のベアトリクス王国を背負う

身としての自覚も持つのだ」


 王は厳しい顔で、マリスに言い聞かせた。


「……開き直ったわね……。そうやって、人をコマのように扱うことに長けてるのね、

国王って。国交に有利な国のボンクラ王子と政略結婚させるために、あたしを認めた

のね? そんなの、人として最低だわ! 」


 怒りを(あらわ)に言い切るマリスに、王は怒るでもなく、きらりと、その青い瞳

を光らせた。

 口元には、微笑さえ浮かんでいる。


「目先のことにとらわれずに、先を読むのだ、王女よ。いくさと同じく、城の中も

既に戦場なのだ。常に先を読めるものだけが、その後も生き残るのだ。そうして、

国の指導者となるべく、世界を見るのだ。見る必要があるのだ」


 その精悍な面は、彼が今も武将である明かしとも言えたであろう。


 その強引なまでの成り行きに、理不尽な思いは感じていながらも、もう後戻りは

できないことを、国王から目を反らせないでいたマリスは、漠然と悟っていったの

だった。


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