獣神の護る者
「おお! あれは、我がベアトリクス特殊部隊『黒鷹団』ではないか! 」
赤龍団将軍が、歓喜の声を上げる。
その黒い集団を先頭で率いる一際目立つ人物に、殆どのものの目が注がれていた。
黒い甲冑を部分的にしかつけず、兜も被ってはいない。腕や太腿などから、浅黒い
肌が覗いている。
ウェーブのかかった長い黒髪をなびかせ、整った顔立ちに、神秘的な黒曜石を
思わせる吊り上がった瞳ーー
それは、まさしく、東方から来た女戦士ラン・ファであった!
「ラン・ファ! ねえ、ダン、ラン・ファだわ! 」
「ああ! 」
マリスが嬉しそうに、ダンの後ろで声を上げる。彼も、初めて戦闘を共にする
ラン・ファを、期待に瞳を煌めかせて、見つめた。
彼女の剣には、赤い血が、べっとりとついていた。それだけ見れば、先ほどの悲鳴
を上げ、倒れた魔道士の説明がつく。
「悪いけど、空間移動なら、こっちも出来ないことはないのよね」
ラン・ファがウィンクして微笑み、風でまとわりつく髪をかき上げてみせた。
その艶かしくも美しい仕草には品があり、いやらしくは映らない。
誰もが、つい見蕩れてしまう動作だった。
その彼女の首元には、魔道で使われるルーナ文字が、一文字ずつ刻印された、大粒
の青い宝石を連ねたネックレスが、巻き付いている。
魔力を増強するアイテムだ。
「ちょっとズルしないとムリなんだけど、それは許して頂こうかしら。そちらは、
あと五人も魔道士さんがいらっしゃるんですものね」
ラン・ファは、剣から血を振り落としてから、顔の前に持ち上げ、剣を横向きに
構えた。独特のスタイルだった。
「さあ、いらっしゃい、魔道士の皆さん。私ひとりで、受けて立ってあげるわ! 」
きらりと黒曜石の瞳が光った。
またもや、誰もがその妖しい輝きに、背筋がそくっとしたのを覚える。
途端に、魔道士の五人は、空中へ飛び上がった!
ラン・ファの口元が微かに吊り上がり、口の中で呟いたと当時に、彼女の片方の
てのひらが、上空に向かって伸ばされた。
すると、空中を移動しかけていた魔道士たちの身体は、それ以上進めなくなり、
立ち往生する。
「逃げようとしても無駄よ。あなたたちは、既に、私の結界の中だわ」
ラン・ファの身体が勢いよく舞い上がり、一瞬で魔道士たちのところまで飛び上が
った。
地上の騎士たちは、それを見上げ、何が起きたのか、瞬間では理解出来ずに、
その光景に、釘付けとなった。
魔道士たちは怯えたように重なり合い、結界の隅の方に、寄り添う。
「あなたたちも、戦いに加わったからには戦士でしょう? 潔く、覚悟を
決めるのね」
上目遣いで笑ったラン・ファは、素早く剣を両手で持ち直し、呪文を唱え、その
剣先から発動させた!
「うわああああ! 」
五人の魔道士たちの悲鳴が、天から降り注ぐ。
騎士たちが地上から目を凝らす。彼女の剣から吹き出た風のような、はたまた水
にも見えるものを浴びた魔道士たちが、次々と凍っていく。
巨大な岩の氷付けにされた魔道士たちは、身動きが取れなくなり、生きているのか、
死んでしまったのかも、傍目にはわからない。
ラン・ファと、その氷の岩が、ゆっくりと下降する。
「放っておいても、この人たちは逃げられないわ。私が呪文を解かない限りはね」
宙に浮かんだラン・ファが、そのまま片手を移動させていくと、それに合わせて、
氷の塊もゆらゆら飛んでいき、そこから離れた木の根元に、着陸した。
ラン・ファが満足そうに腕を組み、浮いたままで、それを眺める。
「……魔女だ! 」
「この女は魔女だ! 」
敵兵たちは、口々にそう叫び出し、武器を捨てて、逃げ出し始めた。
「こら貴様ら! 逃げるとは何事だ! 戦え! 戦うのだ! 」
ナハダツの指揮官の叱咤もむなしく、ナハダツ軍は、次々と引き上げていく。
「あらあら! どうやら、『逆に狩られる不運なムシ』とやらは、あなたのこと
だったみたいねえ」
ラン・ファが、ふわっと敵の武将の前に浮かび、片目を瞑り、人差し指を
立ててみせる。
東洋の神秘的な魅力に、さらに加わったコケティッシュなその笑みに、恐れを成し
たのか、指揮官までもが、とうとう剣を放り出し、夢中でウマを駆り立て、逃げ出し
ていた。
「敵は撤退した! 我が軍の勝利である! 」
ベアトリクス軍の総司令官である赤龍将軍は、信頼を込めた左手でラン・ファを
抱き寄せると、右拳を高く掲げた。
それに応えて、ベアトリクス軍は、勝利の雄叫びを上げた。
ラン・ファが、黒い鎧の集団に振り向き、すまなそうに笑った。
「せっかく来たのに、あなたたちの出番がなくなっちゃったわね」
黒鷹団の騎士たちは、首を横に振り、声を揃えて言う。
「いいえ。いつものことですから」
初陣戦であったダンとマリスも、抱き合って勝利を喜んでいた。
「やったわね、ダン! あたしたちが勝ったのね! 」
「ああ、もちろんだ! 魔道士たちが出てこなかったら、俺たちだけで勝てたんだが。
ラン・ファ先生は、やっぱりすごいや! 」
二人は、周りにいる銀色の甲冑の仲間たちとも、それぞれ抱き合った。
狂喜乱舞するベアトリクス軍から、少し離れた場所で、むくりと、半身をおこした
ものがいた。土色の甲冑を着た、傷付いた兵士であった。
(畜生! あんな小僧どもに、俺たちがやられようとは……! )
苦しそうに片目を瞑り、男は、傷付いた腕を庇いながら、開いている方の目で、
銀色の集団を睨みつける。
ふと男の目がひとりの戦士の上で止まった。
(いた! あいつだ。あの小娘だ! )
ナハダツ兵の男は、マリスの姿を認めると、片腕に装着されたボウガンを、震え
ながら持ち上げ、彼女目がけて一気に発射させた。
ボウガンの矢は、マリスの側にいたウマの首に刺さった。
(ちっ! 外したか! )
ウマは嘶くと同時に暴れ出し、少年兵たちは、驚き、蹴られないよう方々
へと慌てて散っていく。
さらに、男は、矢を連射させた。
矢のひとつが、崖から落ちそうになったウマを鎮めようと追いかけ、手綱
を掴んだマリスの腕を抉った。
「マリス! 」
彼女を助けようとしたダンの頬も、矢が掠める。
ダンの伸ばした手も間に合わず、マリスはバランスを崩し、ウマとともに、崖から
真っ逆さまに落ちていった!
少年兵たちは、腹這いになってボウガンを構える男を見つけると、数人で襲いかか
った。
「マリス! マリスー! 」
「だめだ、隊長! 危険だ! 」
ダンがマリスを必死に叫びながら、今にも崖から身を投じようとしているのを、
必死に少年たちが止める。
「いったい、どうしたの!? 」
騒ぎを聞きつけて、ラン・ファがやってきた。
「マリス隊長が、ウマと一緒に、ここから落ちたのです! 」
「なんですって!? 」
ラン・ファが崖から下を覗き込むが、木が生い茂っているばかりで、何も見えない。
「ダン隊長! 危険ですから、下がってください! 」
「残念ですが、マリス隊長は……この高さからでは、多分、もう……」
「うるせー! てめえら、放せ! だったら、俺も、あいつと一緒に死んでやる! 」
数人の少年兵たちに取り押さえられているダンは、もう冷静な先導者ではなくなっ
ていた。
「ダン、落ち着きなさい! 」
ラン・ファがダンに駆け寄る。彼はラン・ファにも気付かないのか、崖の上から、
喉を枯らして、マリスを叫び続けていた。
「しょうがないわね」
ラン・ファが指をパチッと鳴らすと、突然、ダンは、がくんと首を垂れ、動かなく
なった。
「せ、先生! 隊長は……!? 」
流星軍の少年兵たちは、慌てふためいていた。
「大丈夫。催眠術で、ちょっと眠らせただけよ。単純な神経の武人ほど、かかり
やすいのよ」
「は、はあ……」
ラン・ファは、ダンを背負った。
「ど、どこへ……? 」
少年兵の一人が、おそるおそる尋ねる。
「マリスを探しに。この下は、草木が多いから、地面に直撃は免れて、助かってる
可能性が高いわ。私ひとりで行くつもりだったけど、この術は、時間が経てば解けて
しまう。目が覚めたら、いても立ってもいられなくなって、どうせまた大騒ぎする
でしょうから、彼も一緒に連れていくわ」
ラン・ファは、黒鷹団の副将軍にもその旨を告げ、今後の指示を与えると、ネック
レスの魔力を使って、ふわりと崖の下へ舞い降りていった。
『おい、起きろ』
朦朧とする中で、マリスの意識は、次第にはっきりとしてくる。
『起きろよ。たいした怪我は、しちゃいねーはずだぜ』
知らない男の声だった。
「……誰? 誰なの? 」
うっすらと瞼を開ける。ぼんやりと、知らない顔が浮かんでいた。
他には何も見えない。闇の中であった。
どこかに横たわっているのか、宙に浮いているのかも見当が付かない中、再び声が
する。
『おめえを護ってやってるもんだ。恩に着ろよ。この俺様が、人間如きにつく
なんざあ、数百年にいっぺんくらいしかねえ、珍しいことなんだからよ』
顔の輪郭が、次第にはっきりとしていく。マリスは、うつろな瞳で、それを眺めて
いた。
白い彫刻のような美しい男の顔。黄金色の長い髪をたなびかせ、薄く白い衣を
はおっている。
はだけた部分からは、鍛えられた男の筋肉が覗く。
吊り上がった緑色の瞳と口元は、どちらかというと、邪悪な印象だ。
かなりの美形であるにもかかわらず、口の利き方はぞんざいで、横柄である。
『いろいろいた候補者の中から、お前を選んでやったんだぜ。今んところ、お前に
つくのが一番面白そうだったからな。感謝しろよ。
最も、俺様がついたところで、まともな運命を辿ったモンは、今までいないに
等しいがな! 』
男は大声で笑った。
「……なに? ……何を言ってるの? 」
マリスは身体を起こそうとするが、痺れたように動かない。
『ゴールド・メタル・ビーストを守護神に持った人間たちの中から、おめえを選んで
やったんだよ。俺様は、ゴールド・メタル・ビーストの化身、雷獣神サンダガー様
さ! 』
サンダガーと名乗る美しい男は、両手を腰に当て、仁王立ちになり、笑い声を
轟かせた。
「ああ、なに、これは……! いったい、この人は、何を言っているの? 」
マリスは譫言のように呟く。
『まあ、そのうちわかるだろう。そうそう、俺様はキマグレだから、気の向いた時に
しか現れてやんないぜ。なんか特別な方法でも考えつかない限りはな! 』
サンダガーは、マリスを見下ろした。
『じゃあな。あばよ、小娘! 』
彼は背を向け、歩いていき、そのうち見えなくなっていった。
マリスは、うっすらと目を開いた。
「おお! 目を覚ましたか! 」
気が付くと、彼女は、自分の部屋のベッドに、横たわっていた。
上から、ルイス伯爵夫妻、三人の兄たちに、ラン・ファ、そして、ダンまでが覗き
込んでいた。
「マリス、心配したのよ! このまま、あなたが目覚めなかったらと思うと、気が
狂いそうでしたよ! 」
「……お母様」
伯爵夫人は、マリスを強く抱きしめ、涙を流した。
「まったく、よくもまあ、あの崖から落ちて、たいした怪我もなく、済んだものだ」
ルイスも、ホッと胸を撫で下ろした。
「崖から落ちたところを、私とダンが助けてから、あなたは、丸一日眠っていたのよ」
ラン・ファも、目尻をそっと拭って、安心したように微笑んでいた。
マリスの腕には、矢が刺さった箇所に、包帯がまかれている。
マリスは、それで、おおよその状況を悟った。
「そうだったの……。みんな、心配かけて、ごめんなさい」
ルイス伯と夫人は、マリスを抱きしめた。兄たちも、良かったと口々にし、肩を
叩き合っていた。
「そうだ、マリス。お前の眠っている間に、ひとつ決まったことがあるのだよ」
ルイスが誇らし気に言った。
「ダンが昨日のいくさでの業績により、ランカスター伯や、お前の兄たちと同じ
金獅子団に引き抜かれることになったのだ! 」
「まあ! ダンが!? 」
マリスは、ラン・ファと並んで立っているダンを、満面の笑みで見つめた。
「おめでとう、ダン! いきなり昇進ね。やっぱり、ダンはすごいわ! 」
ダンは、ちょっとだけ微笑んでみせた。
彼が、それほど、はしゃいでいるようでもないことに気付いた彼女は、不思議そう
に彼を見る。
「お前だって、昇進したんだぞ」
「えっ? 」
マリスが驚くと、ルイス伯が、ダンの言葉を続けた。
「そうだぞ、マリス。お前も、昨日の戦闘ぶりが評価されたんだ。お前も、我が
白龍団に所属が決まったのだ! しかも、セルフィス公子殿下が、直々に、お前を
白龍団近衛兵に、ご自分の直属の護衛にと、国王陛下に申し出られたのだ! 陛下も、
すぐに賛成なさったのだよ! 」
「ええっ!? あたしが、セルフィスの護衛に……!? 」
マリスの頬が紅潮する。
夫人は、彼女を、再び抱きしめた。
「ああ、良かった! これで、あなたが危険な戦地になど行かなくて済みましたわ!
全部、セルフィス様のおかげです! 」
「セルフィスの護衛……」
母の腕の中で、マリスは、茫然と呟いていた。
「あんまり喜んでないみたいね、ダン」
皆には聞こえないところで、ラン・ファが、ダンに囁いた。
ダンは、ふっと、静かに笑った。
「そんなことはないさ。昨日みたいに、あいつが崖にでも落ちたり、敵に怪我を負わ
されたりするのを見たら、心配でしょうがなくなって、いくさどころじゃなくなっ
ちまうのが、自分でもわかったんだ。
それだったら、あいつとは一緒に肩を並べて戦いたかったけど、セルフィスの護衛
っていう安全な仕事しててくれてた方が、俺としても安心なんだ。
一見、マリスがセルフィスを護る役ではあるが、実は、セルフィスが、そうやって
マリスを護ってるんだ。……やっぱ、公子って身分だと、違うな。俺には、こんな風
に、マリスを護ってやることは、出来ないもんな」
ダンは、力なく笑ってから、真顔になった。
(だけど、これが一番いいと頭では、わかってるはずなんだけど……なんで、こんな
にすっきりしないんだ!? )
彼の中では、別の心配が湧いてき始めていた。
これを期に、マリスがどこか遠くへ行ってしまうのではないかと、そのような不安
が、心の中に浮かんできていたのだった。




