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『光の王女』Dragon Sword Saga 外伝2  作者: かがみ透
第一部『ミラー伯爵家』
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白龍将軍の娘

プロローグ



 木々の間をすり抜け、ひとりの女が駆けてゆく。

 太陽の色をした艶やかな長い髪をなびかせ、暁を思わせる紫の瞳が、印象的な女だ

った。


 女は、何かから逃げるように、時々振り返る。腕には、しっかりと、赤ん坊を抱え

て――。


 森の中に、小さな湖が現れた。鬱蒼(うっそう)と生い茂った青い木々の間に、

ぽっかり出来たその湖のほとりには、ひとりの老人が座り込み、木の枝から垂らした

草のつるが、水面に浮いている。


 女は、夢中で、老人に駆け寄った。


「もしや、あなたは、大魔道士ゴールダヌス様ではありませんか? 」


 赤ん坊をしっかり抱いたまま、女は尋ねる。


 老人は、女に話しかけられたことも、しばらくわからない様子であったが、その

うち気が付いたのか、驚いた顔をして女を見つめた。


「大魔道士ゴールダヌス様を、ご存知ありませんか? 」


 始めに尋ねた時よりも、冷静になって、女は再び尋ねた。


「ああ? なんだね、お前さんは? 」

 背中の曲がった、小柄な老人は、ゆっくりと問い返した。


「時間がないのです。彼らがやってくるわ。お願いです! ゴールダヌス様をご存知

なら、この子を……この子を、あのお方に預けて頂けませんか? 確かに、この森に

いらっしゃるはずなのです。昔、わたくしの師匠であった、あのお方が――! 」


 まだ若いであろうその美しい(おもて)は、疲労と、連続する緊張のあまり、

憔悴(しょうすい)していた。


 けれども、老人は、女の言うことが、わかっているのか、いないのか、きょとんと

した顔で、女を見つめているばかりだった。


「時間がないわ。とにかく、この子だけは、彼らに渡さないで。お願い! でないと、

この子は……殺されてしまう! 」


 女は早口にそう言うと、老人に無理矢理赤ん坊を押しつけ、湖から姿を消した。


「こっちだ! 」


 フード付きのマントを頭から被った、黒ずくめの男が数人、女の現れた方向から、

ずかずかとやってきた。


「おのれ、どこへ……。おい、貴様、赤子を抱いた女を見なかったか? 」

 横柄な物言いで、黒マントのひとりが、老人に近付く。


「……あ、ああ? 」

 湖の浅瀬に、足のすねまで浸かっている老人は、わけがわかっていなさそうに、

黒ずくめの男たちを、口を半開きにして見つめているばかりだ。


「耳が遠いのか? おい、じじい、今ここを、白い神官服の女が通らなかったか? 」

 先よりも声を大きくし、ゆっくりと、男は尋ね直した。


「知らんなあ、女など」

 老人は、ほとんど歯のない、ふにゃふにゃした言い方であった。


「それよりも、今日は大漁じゃ! 見よ、こんなに大きなお魚殿が――」

 先程から両腕いっぱいに抱いている大きな魚を、老人は、嬉しそうに見せる。


「じいさん、悪いが、あんたの暇つぶしに付き合ってられるほど、俺たちは気が長く

ないんだ。女は、どっちへ行った? 答えろ! 」


 男のひとりが、老人の胸ぐらを掴む。

 老人の手からは、大きな魚が、ぼちゃんと、こぼれ落ちた。


「やめてくれい! お魚殿が逃げてしまう! 」


 仲間たちに放すよう促されると、男は、老人を、乱暴にその場に転がせた。


「先を急ぐぞ」

 女の消えた方へと、彼らは姿を消した。


「大丈夫かい、お魚殿」


 浅い水面には、老人の抱いていた大きな魚が、ぴしゃぴしゃと水しぶきを上げて

いた。


 老人は、大事そうに魚を救い上げ、胸に抱いた。


「おお、よしよし。……ほう、たいしたもんじゃ。泣きもせぬわ」


 魚は、老人の手に抱かれているうちに、女の預けた赤ん坊の姿へと、みるみる移り

変わっていったのだった。



「生かして連れて帰るよう言ったはずだ」

「申し訳ありません」


 ある暗い一室では、先の黒いマントの男たちの他に、もうひとつの影があった。


「赤ん坊は」

「は。それが……彼女を見付けた時には、既に連れておりませんでした」


 男たちは、石の床に膝を付き、深々と頭を下げたままで答える。


 その様と、窓際でひとり背を向け立つ者の威厳からすると、彼らの間は、ただの

主従関係ではなく、それは絶対のものだというのが、見て取れる。


「そなたたちは、ジャンヌを捕らえられなかった上に、赤子までをも、みすみす逃し

たというのか! 」


 彼らの雇い主らしき人物が、窓の外を見つめていた顔を振り向かせた時、月明かり

が、その顔を照らし出した。


 その大柄な体格と、低い声色からは想像もつかないことであったが、それは女で

あった。


「ですが、王妃様、我々も全力を尽くし……」

「言い訳などは、聞きとうない! 」


 女は――ベアトリクス国王妃イフギネイアは、太い声で打ち切った。


「やはり、魔道士にでも頼むべきであった……! ジャンヌめ……! 神殿から姿を

消したと聞いたが、まさか、赤子を産み落としていようとは――! 拷問にかけ、

この私の手で、殺してやりたかったのに……! 」


 王妃は、ぎりぎりと歯を鳴らし、両の拳を握り締めた。


 その様子は、はたから見ても、尋常ではない。


 黒ずくめの男たちは、更に、頭を低くした。



「まあ、凄い風ですこと」

「今夜は、嵐になりそうだな」

「そのようですわね。つい先程までは、穏やかな風でしたのに」


 青い花模様のドレスを着た中年になろうという女と、精悍な顔つきの、やはり同じ

ような年頃の男が、豪華な敷物の敷かれた広間で、ゆったりとソファに腰掛けていた。


「ご主人様、お休みのところ、申し訳ございませんが、是非、お会いしたいという

方がお見えです」

 執事が、ノックをして入ってから、そう告げる。


「こんな時間にか? 」


 主人は、手にしていた本から視線を執事に向ける。

 女も、編み物の手を止め、どうしたものかと、夫の顔を見つめる。


「明日ではだめか? 」

「是非、今日のうちに、お話ししなくてはならないと、その一点張りでして……」

「一体、誰なのだ? 」

「魔道士のような黒いマントの男で、……自分は、予言者だと、そう言い張っておら

れて……」


 執事も、しどろもどろに答える。


「予言者だと? 」

 主人は、いかにも疑わしいというように、執事を見る。


「頭のおかしい輩か、ごろつきだろう。なぜ、そんな者を、館へ入れた? 」


「それが、その……ティアワナコ神殿の遣いというので……」



 主人は、執事の案内した部屋の扉を開けた。


 執事の言う通り、頭からすっぽりと黒いマントで全身を覆った中肉中背の男が、

部屋の中央に立ち、主人の姿を認めると、深く頭を下げた。


「白龍将軍ルイス・ミラー伯爵であられるな」

「いかにも。あなたは? 」


 主人ルイスは疑い深い目で、一見して魔道士とわかるその男の言葉を待った。


 男はフードの中から青く表情のない瞳で、見返す。頬はこけ、黒い髪がのぞく。

 年齢は、中年くらいだろうと、ルイスは踏んだ。


「実は、そちらに預かっていただきたいものがある」

「私に……? 」


 魔道士はマントの中から赤ん坊を取り出した。


 白い布に包まれた、まだ生え立ての柔らかなブラウンの髪をし、すやすやと眠って

いる。


 魔道士に促され、ルイスは手を伸ばし、赤ん坊を抱く。


「この子は、どうされたのです? 」


「我がティアワナコ神殿に(ゆかり)のある者と言える。この子は、戦士としての

才覚に恵まれるであろう。大事に育てるがよい」


「一体、何のことだね!? ……はっ! 」


 魔道士の身体は、宙に、ふわりと浮かんでいた! 


「よいか、必ず戦士として育てるのだぞ。彼女は、必ず、ベアトリクスに勝利を導く

女神となるだろう」


「彼女!? ……では、女の子なのか!? 」


 ルイスの問いかけに答える間もなく、魔道士の姿は、ふうっと、空気に溶け込む

ように、消えてしまった。


 目の前の出来事は、彼にとって、到底信じられるはずもなかった。


 だが、彼の腕の中には、生まれて間もない赤ん坊が、静かに寝息を立てているのだ

った。



第一部『ミラー伯爵家』 1. 白龍将軍の娘



「ご主人様、金獅子将軍ランカスター伯爵様が、お見えになりました」

「おお、そうか。今行く」


 ここベアトリクス王国において、白龍将軍の称号を持つルイス・ミラー伯爵は、

書き物の手を止め、羽根ペンを置いた。


 古くからの友人であるランカスター伯とは、チェックという、貴族たちの間で流行

っている、ガラスで出来た駒を進めるゲームの仲間でもあった。


 彼は、いそいそと書斎を後にした。


「待たせたな、ジョン。久しぶりだな! 」

「おお、ルイス! 」


 庭の一角では、黒髪を後ろで束ねた、背の高い、がっしりとした体格の男が、厳格

な顔つきをほころばせて、振り向く。


 ベアトリクス王国の勇猛武将と言われる、金獅子団の将軍ジョン・ランカスターで

ある。


 一方、王家の護衛を主に任される白龍団の将軍であるルイス・ミラーは、彼と同じ

く丈の長い上着をはおり、金色の髪を、同じように後ろに束ね、目付きの険しい精悍

な顔立ちであった。


 ランカスターほどの背丈はなくとも高い方ではあり、鍛えられた体格ではあったが、

彼と並ぶと、猛々しさは抑えられてしまい、思慮深い印象の方が残る。


「相変わらず、綺麗な庭だな。拝見させてもらっているよ」

「妻も私も、花が好きなのでな」


 中庭の中央には、小さな池があり、人の等身大ほどの白い女神の像があった。それ

が手にしている水瓶からは、ポンプで汲み上げられた水が常に流れ出している。


 色とりどりの花が、種類毎に植えられ、鮮やかな緑色の葉の上で、咲き誇っていた。


 どの花も、目の前で見る事ができるよう合間を縫って道があり、中央の噴水の周り

を、花のない緑色の、背の低い草が囲んでいる。


 中庭をぐるりと、樹木も立ち並んでいて、それは、まるで花園のようだった。


「後で、私の部屋で、久々に一戦やろう」

「おお、それも本当に久しぶりだ。是非! 」


 ふと、ルイスは視線を低く落とす。ジョンの後ろには、まだ幼い少年がいることに

気が付いたのだ。


 少年は、ジョンと同じ黒い髪をしていて、貴族のような服を着てはいたが、少々

窮屈(きゅうくつ)そうであった。


 その黒い瞳は、幼さの割りには、既に、しっかりとした意志を思わせる光が浮かん

でいた。


「彼は? ご子息とは違うようだが……? 」


 ジョンは微笑みながら、少年の頭を撫で、ルイスの質問に答えた。


「貴族ではないのだが、私の遠縁に当たる者でな、なかなか見込みがあるもんだから、

今年、士官学校に上がったと同時に、うちで面倒を見ることにしたのだよ」


「ほう。道理で、芯の強そうな目をしているわけだ」


 ルイスは感心したように少年を見つめた。少年も、ルイスのエメラルド色の瞳を

見返す。


「将来は、私たちのように、ベアトリクスの精鋭たちを率いるようになりたいのだ

そうだ」

「それはそれは、頼もしい限りだな」

「まったく、恥ずかしいことに、我が息子たちは、剣の才能がなくてなぁ。この子が、

私の後を継いで、金獅子団を引き継いでくれればと願っておるのだよ」


 二人の将軍は、バルコニーへと向かう。バルコニーでは、執事によって、既に、

お茶の用意が成されていた。


「最近、ティモーネ王国の新しい国王は、何かとやり手で、我がベアトリクス王国の

武器や防具を、今までの倍欲しいと、申し出ているそうだ。戦闘でも始めようという

のではあるまいかと、我が騎士団の間では、警戒しておるのだ」


「なるほど。確かに、この国の武器も防具も、一級品だからな。しかし、道具ばかり

がよくても、それを使いこなせる腕がなくては、しょうもない話ではあるがな」


 二人の伯爵は笑いながら、カップの紅茶を啜った。


 ジョン・ランカスターの隣では、少年が紅茶にも手をつけようとはせず、ただ落ち

着かなそうに、もぞもぞし、庭をきょろきょろ見ていた。


 その時だった。


「お嬢様! 危のうございます! 」

「お戻り下さい! 」


 屋敷に仕えるメイドたちの悲鳴が、突然聞こえてきたかと思うと――!


 ガシャーン! 


「うひゃあっ! 」

「うわあっ! なんだ!? 」


 バルコニーの白いテーブルの上に、いきなり降ってきたものがあった。


 陶磁器のカップは割れ、テーブルも壊れてしまい、菓子は足元に散らばった。


 バルコニーに、一瞬にして破壊を招いたのは、オレンジ色のドレスを着た、その

ドレスと同じ色に輝く髪をした、色の白い、まだ幼い娘であった! 


「あら、おとうさま、おじちゃま、こんにちは」


 娘は、むっくり起き上がり、その愛らしい顔を、嬉しそうに、ほころばせた。


「マリス! 一体、何をしているのだ! どこから落ちてきたのだ!? 」


 ルイスは紅茶を引っ掛けた服に構うことなく、驚愕のあまり、娘を叱るどころでは

なかった。


 驚いて尻餅をついているランカスター伯も、目を白黒させている。連れの少年も、

ただ唖然と、口を開いたまま、何が起こったのか理解も出来ない様子だ。


「申し訳ございません! ご主人様! 」


 メイドたちがわらわらと、必死の面持ちでやって来る。


「ちょっと目を離した隙に、お嬢様が屋根の上を、お歩きになっていらして――! 」

「私たちの止める間もなく、足を滑らされたのでございます! 」

「どうか、お許しください! 」


 メイドたちは口々に弁解し、頭を何度も、深々と下げる。


 当の幼女は、かすり傷を負ったくらいのもので、たいした怪我もなく、にっこり

笑って立ち上がっていた。


「まったく、このお転婆娘が! 打ちどころが悪ければ、死んでいたのだぞ! 」


 ルイスは、幼女を脇に抱えると、ドレスの上から尻をぱんぱん叩いた。


「や~ん、おとうさま! やめてー! 」


 娘は、途端にわあわあ泣き叫ぶが、彼は手を止めなかった。


「危ないことはするなと、何度言ったらわかるのだ! 特に、お前は、女の子なのだ

ぞ! 」

「ごめんなさい! もうしないから! 」


 二人の客は、呆気に取られて、その様子を見ていたが、そのうち、見兼ねたジョン

がルイスを止めたので、幼女は、尻叩きから解放されたのだった。


 オレンジ色のドレスをはたくと、娘は、何事もなかったかのように、けろっと泣き

止んでいた。


 それは、いつものことであったのだろう。

 ルイスは憎々し気に、彼女を横目で見ていた。


「いやあ、マリスちゃんは、いつも元気がいいなあ」


 ジョン・ランカスター伯は、片頬を引き攣らせて平静を装い、彼女を抱き上げて

いた。

 マリスは、きゃっきゃと喜んでいる。


「そうだ、ダン、お前、マリスちゃんの遊び相手になってあげなさい。年も、お前の

一つ下だからちょうどいい。大人の話に付き合っていても、面白くないだろう。二人

で、庭で、お・と・な・し・く、遊んでいなさい」


 ランカスター伯に言われて、少年は、マリスを見つめた。


 マリスも地面に降ろされると、ダンを見上げ、彼の黒い髪と黒い瞳を、珍しそうに

見つめていた。


 ダンも、マリスのカールしたオレンジ色に近い茶色の髪と、なによりもガラス球の

ように透明な、不思議な感じのするバイオレットの瞳に、しばらく魅入っていた。



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