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制裁としての儀式の判定結果は〈色狂い〉認定だった。
代償として捧げられた腕の切断面から肩へ這いのぼる炎のように浮かぶ斑紋。薄い紅のそれが彼に与えられた証だ。
愛がありながら過ちを犯した阿呆の大罪人と見た目にもわかるようになった。
ガルフラウは観念した。
観念して、そして、開き直った。傍目にも想いを丸出しにしてリオの尻を追いかけまわすようになった。
遅きに失するとはまさにこの事だと、斑紋つきの色狂いを見る周囲の目はたいへん生温かった。
「お断りします」
今日も今日とて愛しい女にキッパリハッキリバッサリ拒絶されている。が、ガルフラウはめげなかった。
「ンでだよ? オレがいりゃあ、請けられんだろ、その仕事」
「……何故わたしがあなたと一緒に仕事をしないといけないんですか」
「ごーりてきだろ?」
「脳ミソ無くしたんですか。おっと失礼。前からアリマセンでしたね!」
そんな性格でもないのに、リオは笑顔で毒を吐いた。厭味で笑顔なのではない。恐ろしいのだ。本能的に。つい笑顔をつくってしまうほどに。
なにしろ相手は身長2メートル超え(正確な数値は知りたくないとリオは思っている)の巨漢である。ひょろりと背が高いのではなく、骨格から何から何までガッチリとした、生ける岩石みたいな大男なのだ。
そのくせ動きに鈍いところはカケラもない。まさに獣。大型の肉食獣。
そんなのと言い争うのはどうにも怖いのである。
無視は無言のOKと押し切られそうなので、そうされても文句が言えなくなるので、嫌なものは嫌だと明言しなくてはならない。こちらはそういう世界だ。
食い下がられたら、さらに上を行く言葉で断らなければいけない。
ので、頑張ってはいるのだが、性に合わないことなので彼女には正直きつかった。ものすごく嫌っています、と表現するのは気力体力が削られる。ゴリゴリと。
しかもこの男が、斑紋つきがまとわりついてくるお蔭で、まともなひとにドン引かれる。結構な割合で。そのことでも気力が奪われていた。彼らの気もちはわかるが、弊害が自分にまで及ぶのがつらい。
斑紋つきの色狂いっていうのはつまり強姦犯なので。未遂でも何でも。
惚れた女には尻尾を振ってても、それ以外には以前のままの性格なわけで。大概そんな犯罪者は性格が悪いし、うっかり女に粗相でもしてしまったら、斑紋つきはそれはもう容赦がないので。
以前と態度を変えずに接してくれるのは、相当な平等主義のものすっごい良識人か、変人奇人くらいだった。数少ない友人ですら、少々腰が引けている。
獣人の獣性が荒事を好むと言っても、自分にまったく利の無い悪環境に身を置きたいわけでない。四六時中、言い争いをしている男女に、自分から寄りつきたいと思う男がいるだろうか。
女も同じく。目の前で当てつけられるのはカンベンだろう。リオには気がないと言っても、斑紋つきなんて目立つものがひっついていたら、一緒にいる自分まで口さがない噂に巻き込まれ兼ねない。
ギルドには荒くれ者が集まっているからまだマシな方だった。ガルフラウ個人をよく知る者も多いので、そこはかとない同情もある。誰に対しての同情なのかで色々とビミョーな問題は残るが。
リオにとって大問題だったのは、ただでさえ手応え今ひとつな仕事状況が、さらに悪化したことだった。
仕事で組んでくれる人間が減った。さらに。ええ、さらに。討伐系・護衛系が受けられない。
ちまちまとした採集系の仕事ばかりの日々に戻った。
そこへ元凶がやってきて自分と組めとほざく。
たしかにガルフラウと組めば中級程度の魔物討伐には二人で出向ける。片腕になっても獣性の強い彼は頑丈で、いくらでも力押しできるのだ。バランスが悪くなって、スピードや精度が落ちていても、おかまいなしに。
彼女の師匠が言った通りだった。彼なら腕の一本無くなっても、相変わらずで生きていける。
対して自分は仕事が激減。向こうも減ってはいるんだろうが、何だろう、この物凄い不公平感。
なにも悪いことはしていない自分が、自分のせいでないことで仕事の機会を失って困っている一方、自分に悪事をはたらいた男は堂々と生きている。
実力主義にも程がある。幸薄いにも程がある。
……とにかく仕事は欲しい。
背に腹は変えられない感は物凄くする。
しかし、だ。
自分を犯そう(壊そう)とした男の口車にほいほい乗っちゃう女って。どうなの。うわ、あり得ない。どういう目で見られることか。
「とにかく、お断りします! 今後も一切そのつもりはありませんから、二度と誘わないでください!」
開き直って馬鹿男を利用する悪女にもなれそうにないリオは、溜め息まみれの暮らしから抜け出せずにいた。
もっと早くからこうしていれば。その後悔はガルフラウには一生ものだった。
あの晩、行きつけの店で騎士上がりの男に諭されて、初めてリオの怯えが深刻なものなのだと気づかされて。
ガルフラウは粗暴な男だったが、何故だか酷く傷ついた。
しばらくは彼女の顔を見るのも嫌になったくらい。
幼い反応だった。彼女が感じたであろう気まずさを慮ることもできずに己の感情を優先した。
そうして、あのとき距離を置いてしまったせいで、自分は彼女の師匠から「それまで」と判断されたのだ。今なら判る。後から知った。あの魔術師にならそれができる。それだけの影響力がある。
ギルドでリオの情報が入ってこなくなった。最近どんな仕事をしているかとか、仲間を欲しがっているかとか。
ギルドの窓口でそういう情報が他のギルド員に伝えられるのは当たり前の便宜だった。仕事仲間を捜している時に、適格な人物に伝えてもらえれば、互いに益がある。
逆にそれがなければ口利きの意味が半減する。
それなのに、リオの情報はぱったり聞かれなくなった。彼女自身、周囲とは一線を引いているところがあったから、ガルフラウが話を聞けるのはわずかな相手だけだ。
心当りにはそれとなく聞いてみた。「さあねえ」「どうだろ」「あんたこそ知らないのか」なんて返事ばかりだった。
リオの恐怖心を知っていたから、漠然と、あまり仕事をしなくなったのかと思った。それで影が薄くなっているのかと。
そうして情報を遮断されているうちに、徐々に興味も薄れていった。
彼もサカリのある男だから、普通にオツキアイできる相手を求めて、たまには見つけたり、振られたりしながら、それなりに過ごしていた。
でも時折り、ギルドでリオを見かけることはあって、そういう時には気になった。目の当たりにすると、彼女はひどく彼の気を惹いた。いつも地味な服装で、華やかさに欠け、体臭すらも薄い女なのに。
それでも、見る度に気になってはいた。
リオがなにやら困った状態にあるんじゃないかと知ったのは何年も経ってからのことだった。
たまたま通りすがりに、受付で窓口係りを拝み倒しているのを見かけたからだ。それぐらいなら自分が同行してやると申し出たかったが、その時は丁度別の仕事に出掛けるところで声はかけられなかった。
彼女の仕事ぶりが心にひっかかってはいても、まず彼自身が忙殺されていた。彼の実力を考えたら相応とはいえ、それにしてもほいほいと遠方の仕事が舞い込んでは、次から次に押しつけられていたような。
それも、考えてみれば、あの魔術師のせいだったのではないかと、ガルフラウは後々になって思った。
もちろん手を打ったに決まっている。
但し、ガルフラウが考えるような理由からではなかった。
グラムエインは己の弟子に魔術の修行に集中させたかった。
せっかく異世界人の弟子だ。最強の魔力だ。師である自分さえも超える量の魔力を持っているんだから、その才能を開花させなくては意味がないではないか。
既に成人している上に、少々賢い人並み程度の頭脳しかない残念さからして、相当な逼迫感による真剣さが必要だと彼は考えた。
そのためには、はっきり言って情夫など邪魔なのである。彼女にぬくぬくとした安心感を与えるだろう男の存在など近づけさせたくなかった。
自分の弟子になったからには、彼女には他のすべてを諦めてもらう。
彼の与える魔術以外のすべてを。
そうでもしないと、あれ程度の頭では、最強魔力を使いこなす魔術師になどなれはしない。彼の描く「異世界人の弟子」像に少しでも近づかせるためには、余裕ぶっていてもらっては困るのだ。
仕事がないことでの苦労は、食住を賄ってやっている以上、適度な緊張感をもたらしていいだろうと思っていた。実際それで彼女は猛勉強をして、早々に上級魔術まで憶えたし、初級魔術でとんでもない威力を出せるようになったのだから、効果はあった。
ひとまず見込みが立ったと思ったので独り立ちを許した。完成したなんてちょっとも思っていなかったけども。
ずっと手許に置いて、自立心を殺してしまうと、魔術師として大成しないと思ったから。
その後も彼女の様子を探り続けることぐらい、彼にはたやすいことだ。もし移住先でたるんでるようだったら、尻を叩きに行くつもりだった。
――なのに結局、引き止めた。これはどういう心境かな?
年をとったからかも知れなかった。十年若かったら、みっともない弟子の状態に待ったを掛けたりせず、逆に試しになると思ったことだろう。それで潰える程度の才能なら要らないと。
だが、彼も年をとった。次の弟子を迎えられるかどうかわからない。
初老程度の年齢は、上位の魔術師にとってはまだ先は長いと言えるものなのだが、そうは言っても、何度でも同じ好機が得られるわけではないと知る程度には、彼も老成していた。彼女と同程度の魔力を持った者が、また自分の弟子になるとは限らない、ということだ。
あれが最後の弟子になるのなら、異世界人というのはまことに面白い題材で、重畳であったとグラムエインは思うのだった。