ストーンサークル
8 ストーンサークル
決意を胸に羅冶雄はアパートに帰って来る。
「ただいま」
そう言って羅冶雄は部屋のドアを開ける。しかし返事はない、そして異変に気づく、
机の引き出しがひっくり返されてタンスが開けられ衣類が散乱している。さらに押し入れの荷物が引きずり出されている。台所は棚が開けられ鍋や食器類が床に散乱している。
「こ、これは一体どう言うことだ?」
もう一度部屋を見回して、そして名前を呼ぶ、
「多舞!」
しかし、返事はない、羅冶雄は部屋の中を探し始める。押し入れの中、炬燵の中、トイレの中、しかしどこにもいない、
羅冶雄は部屋の中に立ち尽くして、そして状況を考える。
多舞がまた発作を起こして暴れたのか?いや、これは闇雲に暴れまわった跡じゃない、誰かが部屋を物色した跡だ。泥棒?でも盗まれた物はない、多舞が?いや、多舞がこんな事をする筈がない、する必要がない、では何者が?
「誰かが何かを探した…」
そうつぶやいてポケットの中の袋を取り出す。
何者かが求める物、思い当たるのはこの石しかない、何者かが羅冶雄が石を持っている事をつきとめて遂に行動に出たのだ。
その不吉な現実に耐えるため羅冶雄は袋ごと石を握りしめる。
多舞の両親が殺されたように自分も殺され、そして石が奪われる。それは2つの絶望を意味する。
自分の命と多舞の運命、それが今奪われようとしている。
「どうすれば…」
警察に飛び込んで事情を説明する。しかしこんな話を信用してもらえるのか?それ以前に警察は信用できない、多舞の両親の事件を心中事件と発表した警察、そこに何者かの関与があることは明らかだ。
襲撃者を迎え撃つ、しかし自分には何の力もない、嬲り殺しにされるのが落ちだ。
最善の策は逃げることだけだ。多舞を連れて逃げなくてはならない、遠くへ、誰にも分からない場所へ、その為には多舞を探さなければ、
「多舞はどこに行ってしまったんだ」
そうつぶやいて考える。
何者かが部屋を物色している時に多舞が部屋にいたとしたら、その何者かの後をつけて行く、その可能性がある。どうしてそんな事をするのか、その理由を確かめるために、多舞は今、その何者かの傍にいる。
「なんて無茶な事を…」
多舞を探す。しかしそれはその何者かに自分が発見される可能性が増えるということ、自分から火の中に飛び込んで行くようなもの、
羅冶雄は袋を握りしめて、そして頭を振る。
今まで考えていた事は全部自分の想像でまだそうと決まったわけじゃない、また悪い方に考え1人で思い悩む悪い癖が出た。思い悩む暇があったら一刻も早く多舞を探しに行かないと。
決心して羅冶雄は部屋を後にする。そして急ぎ足でアパートの階段を駆け降りる。
多舞を探しに、愛しい人を探しに、救う為に、救われる為に。
商店街の中に多舞の姿は無かった。羅冶雄は辺りを見廻しながら駅の歩道橋を昇る。
歩道橋の上からバスの待合所を見てもそこにあの見慣れた姿は発見出来ない、
「一体、どこに…」
そうつぶやいた時に下のバスターミナルで異変が生じる。
金色のスポーツカーが突然急発進してバスターミナルの中を蛇行する。そしてターミナルに進入してきたバスと接触しそうになる。
「危ない!」
思わずそう叫ぶ、しかしスポーツカーはぎりぎりでバスを避ける。無謀運転に怒ったバスの運転手がけたたましくクラクションを鳴らす。
そのまま無謀運転のスポーツカーはターミナルを出て国道を走り去る。
「なんだ?今のは…」
羅冶雄は目の前で起こった映画のワンシーンみたいな出来事にしばらく茫然とする。
やがて我に返ると首を振って、
「こんな事をしている暇はない、探さないと」
そうつぶやいて歩きだす。
羅冶雄は気づかない、愛しい人がさっきまで近くにいたことに、そして走り去ってしまったことに。
歓楽街の雑踏を羅冶雄はあてもなく彷徨う、しかし愛しい人の姿はどこにもない、
「どこに行ってしまったんだ」
人ごみの中でそうつぶやく、しかしその声に関心を持つ者などいない、
多舞の姿を見る事が出来るのは自分だけ、だから人に尋ねることはできない、見つけ出せるのは自分だけ、だから探すしかない、
そんな風にあてもなく多舞を探して歩く羅冶雄に声をかける者がいる。
「高石羅冶雄か?いい処で会った。お前の家まで行こうと思っていたんだ」
振り返るとそこには新聞記者の新庄がいた。
羅冶雄は会いたくない存在の出現にうんざりした顔になり、
「俺はあんたに用はない」
そう言って歩き去ろうとする。しかし新庄は羅冶雄の腕を掴んで、
「待てよ用があるのは俺の方だ。話を聞け」
そう言ってニヤリと笑う、
「俺は忙しいんだ!」
そう言って腕を振りほどこうとする羅冶雄に新庄は、
「石の事が知りたいんだ。お前は知っている筈だ」
いきなりそう聞いてくる。
「石の事…」
その言葉を聞いて羅冶雄はその場から動けなくなる。
「そうだ。お前は知っている。違うか?」
「そんな物の事は知らない」
そう言って首を振る羅冶雄を新庄は含み笑いで見つめ、
「組織の事を知っているか?石を求める者達の事を」
「組織?…」
「そうだ。俺は知っている。石の事を教えてくれるのなら交換で教えてやってもいい」
「その組織はもしや」
「そうだ石野夫妻の事件に関係している」
羅冶雄は新庄の顔を見つめる。
多舞を探さなければならない、しかし闇雲に探し回っても見つけられない、だが情報は欲しい、それは多舞が今近くにいるかも知れない何者かの情報、そしてその情報を持つ男が目の前にいる。
そう考え羅冶雄は心を決めると、
「わかった。石の事を話す。その代りに…」
新庄はまたニヤリと笑うと、
「よし取引成立だ。でもこんな所で立ち話できるような内容じゃない、トップシークレット、機密事項だ。誰にも聞かれる恐れのない場所…そうだ。あそこに入ろう」
そう言って喫茶○○と書かれた看板を指さす。
「いいだろう」
そうして2人は店の中に入って行く。
店の中に入った瞬間、目の前にメイドが出現する。
「そういう類の店だったのか…」
思わずそう言って新庄は失笑を漏らす。
「御帰りなさいませご主人さ…」
しかしなぜか目の前のメイドが言葉を詰まらせる。
不審に思った羅冶雄がそのメイドをよく見ると、
「絵里!」
驚いて思わず叫んでしまう、
「ラジオじゃない、あんた何してるの?」
「おまえこそ、その恰好は?」
「アルバイトよ、洋服を買うにもお金がいるの、だから稼がなくっちゃ」
「……」
新庄はそんな2人をニヤニヤ笑いで見つめて、
「なんだ?おまえら知り合いか、羅冶雄もなかなか隅に置けない奴って事か?」
その言葉に羅冶雄は顔を赤くして、
「そんなんじゃねえ…」
そう言って下を向く、
その時、店の入り口の異変に気づいたメイドの1人が駆けつけて来て、
「申し訳ございませんご主人さま、何か粗相が御座いましたか?」
そう言って頭を下げる。
しかしそのメイドの顔にも羅冶雄は見覚えがあった。
「生徒会長…」
それは、羅冶雄の学校の生徒会長、宇藤の双子の姉の碧恵だった。
「あら?ご主人様はうちの学校の生徒なの?」
すかさず絵里が、
「うちのクラスのラジオよ」
勝手に羅冶雄を紹介する。
「あら、あら、あなたがあの悪名高いラジオ君なの、あなたの事はいつも弟から聞かされているわ、元気がよすぎるって」
そう言って碧恵は微笑む、
「な、何なんだ。この店は…」
羅冶雄が店内を見回すと接客するメイド達のほとんどに見覚えがある。みな自分の学校の女生徒ばかり…
「文化祭でメイドカフェをやったら面白くて、だから自分で店を経営してみたの」
碧恵はそう言ってまた微笑む、
羅冶雄は顔を蒼くして、
「あ、悪夢の店だ…」
そうつぶやく、
その時、痺れを切らせた新庄が、
「おい、いつまでここで立ち話しているんだ。ねえちゃん、いい加減に席に案内してくれ」
そうわめく、
「失礼いたしましたご主人様、絵里ちゃん、ご主人様を席まで御案内して」
碧恵に言われて、絵里は渋々、
「ご主人様、こちらにどうぞ」
そう言って背中を向けて歩きだす。その背中に、
「おい、落ちついて話ができる席にしてくれよ」
そう新庄が声をかける。
「かしこまりました」
振り向かずそう返事して絵里は窓際の、店の一番隅のテーブルに2人を案内する。
新庄の後ろをついて歩く羅冶雄を見てメイド達がひそひそとなにか囁き合っている。
「よりによってこんな店に…」
そうつぶやいて羅冶雄は席に着く。
「御注文がお決まりになりましたら御呼びください」
そう言って歩き去ろうとする絵里の背中に新庄は、
「もう決まっている。コーヒーでいい」
そう声をかける。
絵里は振り向いて、
「どのコーヒーで御座いますか?」
そう言ってメニューを差し出す。
メニューを受け取りそれを見て新庄は、
「何だこりゃ?」
思わずそう呟く、
爽やかな朝を迎えるコーヒー、午後のひと時のコーヒー、黄昏を見ながら飲むコーヒー、徹夜覚悟のコーヒー、ほろ苦い大人のコーヒー、夢の世界に行かないでと願うコーヒー、訳が解らない形容詞がついたコーヒーしかない、
「普通のコーヒーはないのか?」
思わずそう言う新庄に微笑んだ絵里は、
「ご主人様のご要望なら御用意いたしますが」
愛想よくそう答える。
「ああ、用意してくれ、普通のコーヒーだ」
不機嫌そうにそう言って新庄は絵里にメニューを突き返す。
「ラジオは何にするの」
絵里は突き返されたメニューを羅冶雄に差し出し聞いてくる。
「俺はご主人様じゃないのか?」
その言葉に絵里は吹き出しそうな顔をして、
「そう呼ぶのに抵抗があるの、呼んだら笑ってしまいそうで」
それを聞いて羅冶雄も不機嫌そうに、
「俺も普通のコーヒーでいい」
そう言って絵里から顔を背ける。
「かしこまりました!」
元気よくそう言って絵里はテーブルから離れていく、
「ここの従業員はお前の身内ばかりか?」
そう尋ねる新庄に、
「いいや、敵の巣窟だ」
羅冶雄は辺りを見回してつぶやくようにそう返事する。
「まあ、とりあえず、これでようやく落ち着いて話が出来るな、まずは俺の方から話してやろう、組織の事を」
「組織…」
「そうだ。お前が新聞社に来た日にお前の話を聞いて俺はまたあの事件の事をまた調べてみようと思った。俺もあの事件の真相を知りたい、そう思っていたからだ。心当りは一つだけあった。退職した警察官僚、そいつが何か秘密を握っていると以前からそう思っていた。実はそいつには貸しがある。そいつの起こした汚職事件、それを突き止めたがその事件を記事にしないで闇に葬ってやったことがある。俺は奴と取引した。そして奴は取引に応じた。条件付きだが…そして組織の事を聞かされた。ストーンサークル、そう呼ばれる組織の事を」
「ストーンサークル?」
「そうだ。誰にも知られていない闇の秘密結社、奴らはいつのまにかにこの国の中枢に根を張り、そうして陰でコントロールしている」
「この国の中枢に?そんな巨大な組織なのか?」
「組織の規模も構成員も何も解っていない、でも力を持っている。その組織の目的はただ一つで石を集めること」
「石を集める!」
「そうだ。しかし奴らが集めている石がそれが何なのかわからない、警察官僚も知らなかった。あの石野夫妻の事件、それも石がらみだったとその警察官僚は言う、何者かの圧力であの事件は殺人事件から心中事件にすり替えられた。それはストーンサークル、そう呼ばれる組織の仕業だ。その組織の求めている物、石、それが何なのか俺は知りたい」
新庄の話を聞いて羅冶雄は見えざる巨大な敵の姿に戦慄する。そんな敵が羅冶雄を狙っているのだ。
その時、お盆の上にコーヒーを載せて絵里がテーブルまでやってくる。
「お待たせいたしました。普通のコーヒーで御座います。ご主人様」
そう言ってテーブルにカップを置く、普通のコーヒーカップに入った普通のコーヒーを、
そしてミルクにシュガー、お絞りに、お冷、それをテーブルの上に並べて、
「ごゆっくりなさいませ、ご主人様」
そう言ってテーブルを離れる。そして振り返って呟く、
「あの男なに者かしら?」
只者ではない雰囲気を持つ男、胡散臭い感じがする。羅冶雄のただの友人とは思えない、一体どういう関係なのだろう、ひよっとして羅冶雄を悪の道に誘い込もうとする悪い奴なのかもしれない、
もしそうだとしたら放っておけない、
絵里は2人の姿をカウンターの隅から見つめる。
新庄は運ばれてきたコーヒーを口にして、
「確かに普通のコーヒーだ」
満足そうに言うと今度は羅冶雄に、
「俺の知っていることは話した。今度はお前の番だ」
そう石の事を話すように促す。
羅冶雄はしばらく考えて、やがて決心するとポケットから袋を取り出しテーブルに置く、
「何だ?それは」
訝しげな新庄に袋の紐を解いて石を見せてやる。そして、
「これはミラクルストーン、奇跡の石だ」
そう言って新庄の顔を見つめる。
「ミラクルストーンだと?…」
新庄はテーブルに置かれた小さな青い石を見つめる。どこにでもありそうなガラス細工のような小さな石を、
「あんたの言う組織はこの石を求めている。そして殺して奪う」
新庄は石を見つめながら、
「この石にそれだけの価値があるのか?ただのガラスの石にしか見えない」
見た感想をそう述べる。
「関係のない人間にはこれは只の石だ。でも持っている人間にとってこれは奇跡の石なんだ」
新庄は石から目を離し羅冶雄の顔を見つめ、
「奇跡の石と言える理由はどこにある」
胡散臭げにそう聞いてくる。
羅冶雄は暫く躊躇った後、
「この石は持ち主を探す。その力を発揮するためにその力を求める者を探す。絶望する者を、そして絶望する者は、望む、願う、祈る。そうして代償を支払う、石は代償を受け取り奇跡の力を発揮する。そうして、その者の願いを叶える。この石はそう言う石なんだ。これは人から聞いた話で俺はその奇跡を見たことはない、でも、その奇跡の渦中にいる。そんな存在を知っている。だからこの話は真実だと、そう確信している」
新庄は羅冶雄の顔から目を逸らすとコーヒーを一口啜り、
「絶望する者に希望を与える石…ファンタジーかメルヘンの世界だな、夢物語だ。絶望して死んでいった者は沢山いる。そいつらが皆その石を持っていたか?救われる可能性があったのか?ナンセンスだ。そんな都合のいい話なんてない、そんな話は信用できない」
そう言ってポケットから煙草を取り出して火をつける。
その時、近くにいたメイドが、
「ご主人様、当店は禁煙です。申し訳ございませんが御煙草はご遠慮していただきます」
そう言って灰皿を付きだす。
その言葉に苦虫をかみ殺したような表情になった新庄は、
「何が喫茶だ。その喫て何なんだ?」
そうメイドに問い詰めるが、
「さあ?」
聞かれたメイドは首を傾げるだけ。
しかたなく新庄は差し出された灰皿で煙草を揉み消す。そして、
「禁煙が正義、その考えが悪だ」
不貞腐れたようにそう呟く、
そんな新庄を睨みつけて羅冶雄は、
「信じてくれとは言ってない、そもそも信じられない話だ。でも現にこの石を狙っている組織はあるんだろ?石を狙う理由、それはこの石の奇跡の力、それだけだ!」
叫ぶようにそう言う、
しかし新庄はコーヒーを全部飲み干してから水を飲んで、それから、ようやく羅冶雄の顔を見つめ、
「この石を狙っているだと?お前は組織に狙われているのか?」
光る眼でそう聞いてくる。
「……」
咄嗟に羅冶雄は返答出来ない、
「そうなんだな、それなら…」
新庄は笑みを浮かべる。
「それなら話は早い、おまえに貼りついていれば組織の人間に会える。そう言う事になる」
そう言って新庄は不敵な笑いを浮かべる。
「奴らは俺を殺しに来るんだ。石を奪う為に、平和に話が出来るような奴らじゃない!」
新庄の不敵な考えに思わず羅冶雄はそう叫ぶ、
「な~に、簡単にはやられん、これでも腕に自信がある。そいつをとっ捕まえて石の事を聞く、それが一番いい、お前の力になる。子供の時にもこの前もそう言っただろ、今がその時だ」
新庄はそう言って握り拳を立てる。
「あんたの力は借りない、この前そう言った!」
そう叫んだ羅冶雄は石と袋を掴んでポケットに突っ込むと席を立つて店の出入り口に向い走り出す。
他人を巻き込みたくない、なぜかそう言う思いに駆られ、
しかし出入り口で起こった騒動に行く手を阻まれる。
ファーストフード店の中、ドリンクだけを手にした2人の女性がテーブルに向かい合う、その2人にはなぜか他の客達の視線が集まっている。
2人はテーブルに並べられたカードを見つめている。
占いに使用されるタロットカードを、
その女性の1人、メイドの格好をした女性が口を開く、
「で、彼はどこにいるの?」
黒いコートを着た魔女のようないでたちのもう1人の女性は暫く沈黙したあと、
「彼は偽りの奉仕者の中にいる。その中で、要求者と向かい合う、でもその要求は叶えられない、そして床に倒れ伏す…占いではそう出ているわ」
美沙希は溜息を吐くと、
「あんたが落ち着いて占える場所に行けばきっとラジオのいる場所がわかると言うからここに入ったのに、何それ?偽りの奉仕者?どこにいけばいいの?」
希美は考える。奉仕する者、それを、看護師、介護士、各サービス業、そして偽りとは、そして1つだけそこに思い当たる場所がある。
「彼の居場所はわかったわ、行きましょう」
そう言って席を立ち歩き始める。
美沙希はテーブルに置かれた3つのドリンクのうち、自分の飲みかけのドリンクと誰も飲んでいないドリンクを手にすると歩く希美の後を追う、そうして、
「どこに行くの?」
希美にそう尋ねる。
「偽りの奉仕者の元に」
希美は背中で返事して、そしてさらに歩を速める。右足を引きずって。
「御帰りなさいませ…」
接客に出た絵里はまた言葉を詰まらせる。
目の前にはメイドが立っている。自分と同じメイドが、
「あ、あのう、あなたは?…」
「ラジオはどこにいるの?」
そう尋ねるメイド姿の女性は店内を見廻す。
「ラジオ、それなら…」
そう尋ねられて絵里は振り返って店内の一角を見つめる。そこで怪しい男と話をする羅冶雄の姿を。
「あれがラジオね」
美沙希は羅冶雄の席に向い歩きだそうとする。しかし腕を掴まれ動けなくなる。振り返ると、
「ちょっと待って、あんた同業者のスパイ?店の中で勝手しないで」
落着きを取り戻した絵里がそう問い詰める。
「あんたの同業者じゃないわ、私は本物、一緒にしないで、ラジオに用があるだけよ」
美沙希はそう言って絵里の手を振りほどこうとするがほどけない、
「怪しいわ、じっくり話を聞く必要があるわ」
絵里は目を細めて美沙希の顔を見つめる。
「放せ!。おまえに用はないんだ。放さないなら痛い目を見るぞ」
その言葉に絵里は不敵な笑みを浮かべると、
「それがあんたの本性?一筋縄ではいかない奴ってことね、益々怪しいわ」
「怪しいもんじゃねえ!」
そう叫んで美沙希は絵里に蹴りを放つ、素早い蹴りを、
しかし、美沙希の蹴りを平然とかわした絵里は、
「怪しすぎるわ」
そう言って構えを取る。空手の構えを、
店の出入り口付近で2人は睨み合う、店内の客達はそれを固唾を飲んで見つめる。何か面白いイベントが起きた。そう思って。
じりじりと間合いを測り合う2人はやがて、美沙希は蹴りを、絵里は拳を相手にぶっけようと繰り出す。
しかしそのどちらの攻撃も相手に届く事はなかった。
「ぐあっ!」
その攻撃は、その時そこに駆けてきた不運な少年の体にヒットした。
2人の攻撃をもろに受けた羅冶雄はその場に倒れ伏す。
美沙希と絵里は茫然とその姿を見つめる。やがて、
「あんたが悪いのよ、挑発するから」
「先に手を、いや、脚を出したのはあんたじゃない」
倒れ伏す羅冶雄を間に挟んで、2人はまた睨み合う、
その時、店の扉が開き中に誰か入ってくる。
入ってきた黒いコートの女性は倒れ伏す羅冶雄と向かい合う2人を交互に見て、
「占った通りの事が起きたのね、止めようとしたのに…」
悲しそうにそう呟く、
「遅かったな希美、この女の邪魔が入ったけど、とりあえずラジオの身柄は確保した」
そう言って美沙希は床に倒れ伏す羅冶雄を指差す。
「か、確保って、何をしたの?」
希美は倒れ伏す羅冶雄に駆け寄ると体を揺さぶって、
「しっかりして」
そう声をかける。
「あ、赤石先輩、どうしてここに?それにこの女は何者なの?」
絵里はわけがわからなくなって希美に質問する。
「貴女は石江さんね、この人は恥ずかしながら私の姉なの…私達は高石君を探していたの、私が居場所を占って、そうしてここに来たの」
希美の今の言葉に美沙希は眉をピクリと震わせ、
「恥ずかしながらって言うのはどう言う意味だ!」
そう言って羅冶雄を介抱する希美を睨みつける。
「その言葉使いにその恰好、姉と呼ぶには恥ずかしすぎるわ」
「何だと!」
美沙希の目とフードの奥の目が睨みあい火花を散らす。しかしその時、
「おい、その楽しそうな話に俺も混ぜてくれ」
店の奥から歩いてきた男が皆に話しかける。
美沙希はその姿に見覚えがあった。その胡散臭い姿にどこかで会った事がある。どこかとは思い出せない、でも名前が、
「新庄…」
名前を呼ばれて新庄は値踏みするように美沙希を見つめる。やがて、
「福石ラッキーストーンズ、そのリーダーの赤石美沙希、走り屋を引退したと聞いていたが、しかしメイドになっていたのか?」
その言葉に美沙希は男の正体を思い出す。そして、
「おまえは新聞記者の新庄拓也!あの時は取材だとかぬかしてよくも俺たちの後を追いまわしてくれたな、あの時の礼はまだ済んじゃいねえ、今きっちり返してやる!」
そんな、いきりたつ美沙希を手で制して新庄は、
「待て、待て、あの時は悪かった。謝るよ、あれは社会問題の特集記事のために仕方なくやったことだ。大人気なかったと反省している」
「プロのレーシングドライバーの運転する化け物みたいな車で俺たちを散々追い回して、あのせいで事故を起こして怪我した奴もいるんだぞ!」
「そのプロが運転する車を後ろからあおりまくって、そして最後にクラッシュさせたのは誰だったかな?」
「……」
新庄は黙り込む美沙希を見てニヤリと笑い、
「もう終わったことだ。昔の楽しい思い出だ。それよりまだ済んでない、いや、これから始まる事件、そっちの方が重要だろ」
そう言って床に寝転ぶ羅冶雄を見つめる。
「彼の意識が戻らないわ」
羅冶雄を介抱する希美は途方に暮れてそう呟く、
「ちょっと待って」
絵里は羅冶雄の傍に座り込むと、その体を起して活を入れる。
「うわっ!」
効果覿面、羅冶雄は意識を取り戻す。が、
「こ、殺される!」
目の前の黒装束の存在に怯えて、そして床を這って逃げようとする。
「待って、みんなは貴方を助けるためにいるの、っだから逃げなくてもいいわ」
希美のその言葉に床を這う羅冶雄の動きがピタリと止まり、その顔は辺りを見廻す。
そうして振り向いて希美の姿を認めると、
「会長、どうしてここに、あれ?俺は今まで何していたんだ」
「不幸な事故があったのよ」
絵里がぽっりと羅冶雄に言葉を投げる。
「事故?…」
「心配しないで、わたしはあなたを助けに来たの」
美沙希が微笑みながら羅冶雄に話しかける。
「助けるって?…そうだ!多舞を探さないと、逃げないと殺される!」
起き上がって歩き出そうとする羅冶雄の腕を掴んで美沙希は、
「待って、あの子はここにいる。もう探さなくてもいいの」
その言葉に振り返って美沙希の顔を見つめて羅冶雄は、
「多舞がここにいる?どこに?」
そう尋ねる。
「屋敷からずっと一緒だったの、奥様からあなたの許に連れて行くように言われているわ、だからここにいるはず。わたし達には見えないけど」
「屋敷?奥様?」
そうつぶやきながら羅冶雄は廻りを見廻す。しかし愛しい人の姿はどこにもない、
「いない、多舞はここにはいない…」
その言葉に美沙希と希美は顔を見合わせる。
「駐車場までは一緒だったはず。一体どこに?」
希美はコートのポケットからケースを取り出して蓋を開ける。しかし彼女の赤い石は光っていない。
「探しに行かないと…」
羅冶雄は出口に向い歩きだそうとする。その前に美沙希が立ちふさがる。
「待って、あなたは組織に狙われている。外に出たら危険よ」
その言葉を聞いて新庄は目を細める。そして、
「組織!おまえはストーンサークルの事を知っているのか?」
美沙希にそう尋ねる。
美沙希は新庄の顔を無感情に見つめて、そして、
「その名前を口にしたら命はないわ」
無感情にそう言い放つ、
「そこをどいてくれ、俺は探さないといけないんだ」
羅冶雄は外に出ようとして美沙希を押しのける。しかし柔らかい感触に押しのけた手を見る。その手は美沙希の胸を掴んでいる。
「どこ触ってんのよ!」
美沙希の顔が魔人のように変貌する。
「ひ、ひーっ!」
数秒後、羅冶雄は再び床に倒れ伏している。
「姉さん、何て事を…」
そう言って希美が美沙希を諌めるが、
「こうでもしないとこのバカ勝手に出て行ってしまうでしょ、あの子は放っておいても命の危険はない、そのうち何所かでまた会える。でもこいつは命を狙われている。奥様から言われた保護すべき対象なのよ」
床に倒れ伏す羅冶雄を見つめて希美は、
「保護すべき対象?…ねえ」
ぽっりとそう呟く、
その時、さっきからずっと事の成り行きを見つめていた絵里が、
「さっきから一体何を言っているの、命が狙われているだとか、殺されるとか物騒な話、それに見えないあの子って何?組織って何?説明してよ、赤石先輩」
そう問われてフードの奥から絵里の目を見つめて希美は、
「知らない方がいいわ、貴女を巻き込みたくない」
そう言うが、しかし絵里は、
「もう巻き込まれているわよ、それにラジオは私のクラスメイト、放っとけないわ、話してちょうだい」
梃子でも譲る気はないようだ。
その時、店主の碧恵が歩いて来て、
「みなさん、各々の御用事はもうお済み?まだお済みでないのなら、ここでは他のお客様の迷惑になりますのでこちらに」
そう言って店の奥の個室に入るように皆を促す。
羅冶雄を担ぎあげた新庄が、
「これはありがたい」
そう言ってその後に続く、
希美と美沙希は顔を見合せてからその後に続く、そして最後に絵里が、
「知らないでおけないわ」
そう言って個室に入りドアを閉める。