幽霊少女
2 幽霊少女
夢を見ている。
意識はそう感じている。
その夢の中で小さな子供の彼はなぜか大勢の子供達から暴行を受けている。
その大勢の子供達とは彼と同じ団地に住む昔は友人達だった子供のようだ。
彼はなぜか裸にされていてそして水をかけられ体が冷たい、そして寒い、
「早くここから出て行け」
そう罵られわれ、そして蹴られる。
地面に横たわった彼は丸くなって蹴られる苦痛を堪える。
「この魔女っ子!悪魔っ子!思い知れ」
罵る子供の数人の容赦ない蹴りが彼の体に複数の苦痛を与える。
彼はさらに丸まってその苦痛に耐える。
やがて蹴りが来なくなる。
もうおしまいか?そう思い安堵して顔をあげる。
その時、
「これでもくらえ!」
そう叫ぶ声が聞こえきて、そして突然目の前が真っ白になる。
彼らは消火器の消火剤を彼に浴びせかける。
消火剤のせいで息ができない、そして息をしようと消火剤を吸ってしまい苦しくて咳込む、
ゴホッ ゴホッ ゴホッ ゴホッ
ゴホッ ゴホッ ゴホッ ゴホッ
異物が気管に詰まり思わず咳込んでしまう、
息ができなくて苦しい、驚いて思わず起き上がって目を開ける。
そうして彼は眼を醒ました。
咳込みながら涙目で周りを見る。
目がかすんで見にくいがどうやら彼を痛めつける大勢の子供達はここにはいないみたいだ。
「ちくしょう、あいつら絶対復讐してやる」
ぜえぜえと荒い息でそうつぶやく、まだ寝ぼけていてさっき夢に見ていた子供の頃の体験と現実との区別が つかない、
すると目の前に黄色い物が現れて、それが、
「水を飲ませようとしたの」
そう声をかけてくる。
その聞き覚えのある声に彼はなぜか身の危険を感じて心が警鐘を鳴らし始める。
危険の理由を思い出そうとして朦朧としていた意識が次第にはっきりしてくる。
その声との関連した出来事を思い出そうとして、そして次第に声の主との遭遇から意識を失うまでの出来事を回想していき、やがてあの不幸な体験を思い出す。
そして目のピントが完全に合い目の前にあの少女の顔がある。
「なななぁ、なんで、おおおぉ、おまえが…」
思い出した災厄の元凶が彼の目の前にいることに驚愕して思わずどもってしまう、
その災厄の元凶が再び口を開く、
「倒れたから部屋にいれてあげたの、そうして看病しているの」
そう言われて周りを見回すとそこはよく知っている六畳一間の彼の部屋だった。
彼はそこに敷かれている万年床の自分の蒲団の上で寝ていたようだ。
「俺は生きているのか?看病って?おまえが何で?そういえば部屋の前で、うっ、痛てて…」
今の状況がよく理解できず少女に尋ねてみるが、しかし痛みで言葉が途切れてしまい思わず体を見る。
パンツ1枚という姿の彼の体中に湿布薬や絆創膏が貼ってあり、その上から包帯がぐるぐる
巻きにされていてまるでミイラ男みたいだ。
湿布薬のせいで体が冷たい、そして寒い、
「な、なんだこれ!」
慌てて包帯を解こうとするが変な巻き方でなかなか解けない、しばらく悪戦苦闘していると、
「とっちゃだめなの」
そう言う声とともに横から伸びてきた手が彼の手を押さえる。
彼は思わずその手を振り払い少女の方を見て、
「おまえがこんな事をしたのか?寒いぞ、俺を凍え死にさせるつもりか?」
そう言って抗議するが、でも少女はニッコリ微笑み、
「わたしが手当したの、はじめは冷たいの、でもすぐ気持ちよくなるの、痛みも消えるの」
彼はもう面倒くさくなって包帯を解くのをやめて部屋の中を見回し、そして炬燵の上に半分ほど水の入ったコップがあるのに気づく、すると急に渇きを覚えてそれを手にして飲み始める。
「やっぱり喉が渇いていたの、さっき飲ませてあげようとしたの、でもうまくできなかったの」
彼は口に含んだ水を思いっきり噴き出して、
「寝ているのに無理やり飲ませようとしたのか?おまえ絶対俺を殺す気だろう…」
そう言われても少女はキョトンとした顔で彼を見ているだけで自分が悪いことをしたという考えはまったく無いみたいだ。
彼はそんな少女を見つめてしばらく考える。
この少女は自分の事を幽霊とか言っているがスタイルが奇抜なだけで見た目は普通の女の子だ、いや普通以上にかわいいけど…でも幽霊って言うんなら何かの目的で俺に近づいてきたと考えてしかるべきだ、しかしあの出会いが意図的なものだとしたら何か変だ、最初はこいつの方が俺の事を驚いていたし、それが俺を油断させるための芝居だとしたら、いや、そういう芝居ができそうな奴でもなさそうだし、それに害をなす存在って言っても突き飛ばされた以外は特に手を出してこないし…あの男の事だって俺が石を投げたのがそもそもの原因だろうし、それに気を失った俺を部屋に入れて手当てしてくれたみたいだし…これは一応助けてもらったと言うべきか、とにかくこいつのやっていることは結果はともかくとして別に悪気はないみたいだし、それに手はあったかいし…怒ったり笑ったりするし…幽霊って言われても特に実感ないし…それに死神でもなさそうだし…でも俺以外の人間には見えないみたいだ。しかしそれっていったいどういう事だ?そしていったいこいつは何者だ?
そう考えている彼の前で少女は救命胴衣みたいなベストの内側のポケットから何か取り出して彼に差し出す。
「食べるの」
そう言って差し出されたのはシュークリーム、それはコンビニなんかで売っている1個が袋に入っている物だ。
「え?なんだこれ」
「おいしいの」
そう言って少女は彼の前にそれを置いてもう1個をポケットから取り出すと袋を開けておいしそうに食べ始める。
少女のそのおいしそうに食べる姿を見ていると急に彼の腹が鳴る。
貧乏な彼はいつも空腹なのだ。
しかしまだ得体の知れないこの少女の持っている食べ物、それがまったく無害であるという保証はなく何かの罠かもしれない、彼はしばらくそのシュークリームを見つめて考える。
幽霊が物を食べるというのはおかしい、妖怪の類なら食べるかもしれないけど…人肉なんか…しかしこいつ本当に幽霊か?それにこのシュークリームは見た感じは普通にコンビニに売っている物みたいだし、まてよ…それなら毒か薬でも入っているかもしれない、でもそんな企みがあるのなら俺が警戒する前これを食べさせようとするだろうし、
いろいろ考えても少女の意図が解らない、しばらく少女とシュークリームを交互に見つめる。
しかしついに空腹に耐えかねた彼は目の前のそれに手を伸ばし、そして毒を食らはば皿までとばかりに、それをガツガツと食べ始める。
味は普通、いや空腹であるためかむしろ大変美味しく感じる。それに毒や薬は入ってないみたいだ。
「まだあるの」
あっという間に食べてしまった彼にそう言って少女は2個目を差し出す。彼はそれを受け取ると貪るようにまた食べる。
「まだまだあるの」
その声に前を見ると少女はベストのポケットから次々にシュークリームを取り出して、そして彼の前に積み始めた。
「おまえいったい何個持ってるんだ!」
思わず突っ込んでしまう、とにかく彼の胃袋はこの大量のシュークリームのおかげで久しぶりに満たされたのだった。
空腹が満たされたところで時計を見ると時刻は午前2時だった。夜明けはまだ遠い、だからまだまだ幽霊の活動時間帯だ。
彼の拙い知識では幽霊は夜活動して朝になったら消えてしまう、そんな存在であるはず、だから夜が明けて日が昇ったらこの災厄の根源の少女も多分消えてしまい見えなくなって、そうして平和な日常が戻ってくるはずだ。
彼はそう思いながら少女が最後に取り出したパック入りのイチゴの乳飲料を飲み、
「おまえ幽霊なんだろう?だから朝になったら消えてしまって見えなくなるんだろ?」
そう質問してみる。すると、
「わたしは消えているから消えないの」
何だか訳がわからない答えが返ってきた。
「消えているから消えない…なんだ?それはどういうことだ?」
「わたしは死んで幽霊になったから消えてしまったの、でもわたしはここにいるの、夜も昼もここにいるの、でもここにいるわたしがみんなは見えないの、わたしはみんなの前から消えてしまっているの、だからこれ以上消えないの でもわたしが見えるあなたはいつでもわたしが見えるの」
少女の訳の解らない話を解釈しようとして頭がくらくらする。
彼はなんとか自分なりに解釈してみてその答えが正しいかどうか聞いてみる。
「おまえはもう誰にも認識されない、それはすでに死んでいて消えている存在だから、しかし実際は存在していると認識されないだけでずっとここに存在していて、だから別に朝になっても昼になっても消えない、つまり透明人間みたいにすでに消えているからそれ以上は消えることがない、しかしその消えている存在が見える俺の前からは消えることはない…そう言うことか?」
少女はパック飲料を飲みながら頷いて彼の解釈を肯定する。
彼はハ~ッと溜息をついてから、これからどうしたらいいんだ。そう惑いながらとあれこれ考える。
どうやら完全にこの幽霊少女に取り憑かれてしまったらしい、でも幽霊といっても俺に対する悪意はないみたいだが…しかしこいつに関わっているとひどい目に遭うということは体験済みだし、それに幽霊というよりむしろ厄病神みたいだ。しかしこいつはなんのために此処にいるんだ。、帰るところはあるのか?いつから幽霊をやっているんだ。名前はあるのか、そういろいろ考えてみても疑問だらけでどうにもならない、その情報不足を解消するため少女にいろいろ尋ねててみなければならない、彼はその質問内容を考えてから、
「おまえいつから幽霊やってるんだ?」
「10年ぐらい前からなの」
「死んで幽霊になったんだろう?どうして死んだ」
「殺されたの、おとうさんもおかあさんも殺されて死んだの」
「な!なんで…どうして殺されたんだ!」
殺されるという衝撃的な死因につい声が大きくなってしまう、しかし少女は淡々とした口調でその時の状況を語り始める。
「夜に寝ていたの、玄関のベルが鳴ったの、その音で目が覚めたの、おとうさんがドアを開けたの、男の人がいきなり家に入ってきておとうさんを拳銃で撃ったの、そうしておかあさんを縛り上げて何か聞いていたの、でもおかあさんは何も言わなかったの、そうしたらおかあさんも撃たれて死んだの、そのあと男は家じゅうを探したの、わたしは隠れていたの、でも見つかってしまったの、そうしてわたしだけ幽霊になったの」
「ど!どうして、なぜ殺されたんだ!」
「わからないの」
どうやら少女はなんらかの事件に巻き込まれて殺されてしまったらしい、両親と一緒に…
不幸な事件で死んだ両親に対する思いが未練となりこの少女を幽霊に変えてしまったのだろうか?肉親を失う苦しみ、その寂しさや悲しみは彼もよく知っている。
目の前での突然の喪失、心の病気になってしまっても不思議がないショッキングな出来事、その事件のせいで自分もあやふやな存在になってしまい、その驚きやとまどい、そして悲しみや苦しみとは簡単に言い表せない悲痛な体験で深く傷ついた。そんな心の傷に触れてしまったのではないかと彼は不安になり、
「それは…とても大変で…まったくひどい死に方だったな、それなら幽霊になってしまっても…仕方がないかな?とにかく嫌な事を思い出させてすまない、いや、すいません、本当にごめんなさい、今後気をつけます」
彼は土下座して謝罪するが少女はあまり気にした様子もなく、
「もうだいぶ前のことなの、その時は悲しかったの、毎日泣いたの、今でも思い出すと悲しいの、でももう大丈夫なの」
少女はそう言って笑ってみせる。しかし彼はその笑顔をせつなく感じる。
傷ついた心は一生癒えない、彼はその事をよく知っている。
彼はそんな暗い話はよくないと思い話を変えようと、
「おまえ何て名前なんだ?でも幽霊に名前が必要かどうか解らないが」
そう言う彼の質問に少女はニッコリ笑い、
「多舞っていうの」
「タマ?なんか猫みたいな名前だな日本中に何万匹もいるような…そしてどこかの駅の駅長になったみたいな…おまえ本当は幽霊じゃなくて化け猫か?それともサッカーボールのお化けか?人間だったんなら江戸時代か明治の生まれか?なんかそれ年寄りくさい名前だぞ、死んでから実は百年ぐらいずっと幽霊をやっているのか?」
しかし彼の名前に対する数々の暴言を少女は完全に無視して、
「多くを舞うと書いて多舞と言うの、おかあさんが付けてくれたの、とってもいい名前なの」
そう言って微笑む多舞を見て、
一体何を考えてかは知らないが死んだ母親が付けてくれたた名前、それをなぜか気に入っているみたいだし、だから馬鹿にしたらいけないかな?やっぱり名前を馬鹿にされたら腹が立つだろうし俺だっていつも怒る…ひどいこと言ってしまったな、
彼はそう自分の事と照らし合わせて考えてさっきの暴言を反省していると今度は多舞の方から、
「あなたはなんていう名前なの」
彼の名前を聞いてくる。
「俺の名前か…別にそんなたいした名前じゃないから知らなくてもいいぞ、そんなの気にするなよそれよりも」
彼が憎んでいる父親が付けたという全然まったく好きではない、そうしてこの名前を知られる度に笑われ馬鹿にされる、そんなコンプレックスの原因になっているような名前をあまり言いたくなくて、だから話を変えようとするが、
「教えてほしいの」
そう言って多舞は哀願するような瞳で彼を見つめる。
そんな瞳で見つめられれば彼は何か悪い事をしているような気分になりそして、
こいつの名前を聞いたのは俺の方からだし、それに聞かれて俺だけ言わない訳にもいかないかとそう思ってしかたなく、
「羅冶雄」
小さな声でつぶやくように答える。
「聞こえないの」
彼の声が小さすぎてよく聞き取れなったみたいで多舞は耳に手を当ててもう1度聞こうとする。
彼はやけくそになって本棚に置いてあるラジカセを指さしながら大きな声で、
「羅冶雄だ!」
今度は叫ぶように答える。
「ラジオなの?電波が受信できるの?音楽が流れるの?」
多舞は彼が指さすラジカセを見つめて不思議そうに尋ねる。
彼は今まで名前を言う度に馬鹿にしたように何度も聞かれる同じ質問にうんざりして、
「できねぇよ、だいたい俺はあんな機械でなくて人間だ。だから名前の読みがあの機械と同じなだけでそんな機能はついてないしこの名前はたぶん面白がっておやじが勝手に付けたんだ。あいつはそんな奴なんだ。苗字が高石だからみんなから、『こうせきラジオ』って呼ばれてガキの頃から馬鹿にされているんだ。変な名前だろう?おかしいだろう、面白いだろう、だったら笑えよ」
そう嘯く羅冶雄に多舞は微笑みながら、
「わたしも変な名前なの、石野という苗字なの、続けて読むと石のタマなの」
しかし多舞は彼の言葉に笑う事もなく、そして恥ずかしげもなく言う、
「石の玉…それはおかしいと言うとか…いや…むしろなんかせつないというか…」
多舞のフルネームでさらにパワーアップした変な名前を聞いて、たぶんその名前のせいで自分と同じように多舞の経験したであろう過酷な現実を想像しながらそう言い、さらにその事に同情して、
「それは大変気の毒に…馬鹿な親のせいでさぞかし笑われたり馬鹿にされたりしただろうな、名は体を現わすというけどそんな事は全然ない、おまえは石みたいに硬くないし球のように丸くもない、だから気にするなよ、ほら俺も変な名前だし変名友達がいてよかったな、そうしてこれから馬鹿にされても挫けずお互い心を強くして頑張ろう、ん? それと金さんとは絶対に結婚するな、悲惨なことになる…ああ、だけど死んでいるんだから結婚はできないか…よかった、かな?」
羅冶雄なりに冗談?を言ったりして慰めようとするが、しかし多舞は不思議そうに、
「馬鹿にされたことないの、みんなはかわいいって言ってくれるの、とても憶えやすいって喜んでもらえるの、学校の先生もクラスのみんなも一番に憶えてくれたの、だからいい名前なの」
どうやら羅冶雄のような名前による過酷な体験はしてないみたいだ。
しかしその話が信じられない羅冶雄はもう一度聞いてみる。
「ちょっとまてよ、今の時代はこんな些細な事がいじめの対象になったりするんだぞ、おまえ本当に誰にも馬鹿にされたりしてないか?」
多舞はしばらく考えてから羅冶雄を指差して、
「馬鹿にしたの、ラジオが最初なの、いじめなの」
「…ごめんなさい、すいません、もうしません」
羅冶雄は頭を下げてもう一度謝るしかなかった。
「でも友達なの、だからゆるしてあげるの」
頭を上げた羅冶雄はそう言ってニッコリ笑う多舞を見て、確かにこいつをこの名前を理由に馬鹿にしたり、いじめたりするような奴はいないなと納得した気持ちになる。
笑顔がとてもかわいくて、だからこの笑顔を守ってやりたい、大切にしたい、失いたくない、そんな感情を抱かせる。そういう気持ちにさせる魅力が多舞にはあり、だからいじめて泣かせるなんてとんでもない事のように感じる。
そんな多舞の事がもっと知りたいと思い、
「おまえ今何歳なんだ?と…女性に歳を聞くのは失礼かもしれないが、それに幽霊に年齢なんかないかもしれないけど…ちなみに俺は17歳だ」
多舞は羅冶雄の言葉を聞いてしばらく考えてから、
「7歳なの」
そう真面目な顔で答える。しかしその見た目以上に幼い年齢を信じられず羅冶雄は思わず、
「え…7歳?嘘だろ、どう見てもおまえそんなガキに見えないぞ女なら実年齢より少しでも若くそう見られたいと思うんだろうけど…でもそれはあまりにもサバの読みすぎだぞ」
思わずそう突っ込んでしまう、しかし多舞は平然とした顔で、
「7歳の時に死んだの、だから7歳なの」
自分の年齢の正しさを主張する。
そんな多舞に羅冶雄は何か違和感を覚えてしばらく考える。
7歳と言うのは絶対変だ。どう見ても自分と同年代ぐらいにしか見えない、しかしまてよ、こいつはさっき10年前に死んだとか言っていたな、しかしその時本当は死んでなくて…そこから体が10年間普通に成長していたとしたら…今はたぶん俺と同じ17歳で見た目との辻褄が合う、こいつは本当は死んでなくて、ただ死んだと思い込んでいて、それで幽霊になったと言っているだけで実はそうではなく何か別の理由で誰にも認識されないそんな存在になってしまったのかも知れない、と言うことは…こいつは生きている。そう考えられる。
「おまえは死んでから今まで何をしていたんだ?」
もし多舞がそんな存在になってしまったのなら、今までどうして過ごしてきたのかそれが気になって尋ねてみる。
「ただ見ているの、毎日なの、毎日そうして探しているの」
羅冶雄の問いに多舞は少し遠い目になって呟くようにそう言った。
「何を探しているんだ?」
「おとうさんとおかあさんを殺したあの男を探しているの」
「探し出してどうするつもりだ、復讐でもするのか」
「何もできないの、わたしは幽霊だから人には干渉できないの、でも知りたいの、殺された理由が知りたいの」
多舞はそう言って羅冶雄の顔を真剣な目でキッと見据える。
そんな真剣な顔で見つめられてもなぜか多舞のしている事に虚しさを感じて…思わず、
「そんな事がわかったってどうにもならないぞ、たぶん余計に悲しくなるだけだ」、
慰めるようにそう言う羅冶雄に、
「ちがうの、その事が分かったら幽霊になった理由もわかるの、そうしてわたしは完全に消えてしまえるの、だからもう苦しまなくてもよくなるの、もう悲しまなくてもいいの、もう泣かなくてもいいの、きっとそうなるの」
多舞はそう言ってさらにさっよりも遠い目になる。
こいつはこんな存在になった理由を探しているのか、その苦しみから逃れるために、
家族全員が殺されなければならない理由、そこにこんな存在になった答えがあると多舞は考えているのだろう、
理由も分からず誰にも認識されないそんな存在になってしまった少女、その理由を探し求めてこの世をさまよい、その10年間のさまよい続ける日々の中で多舞の経験してきたその苦しみはきっと想像出来ないような過酷なものだったのだろう、
羅冶雄は何を言ったらいいか分らず下を向いてしばらく考えてから、そして顔を上げ、
「その理由が分かったとしても消えてしまえる保障なんてはないぞ、たぶんおまえは幽霊なんかじゃない生きている普通の女の子だ。俺はそう思う」
そう言って羅冶雄は多舞の手を握り、
「あったかい手をしている。やはりおまえは幽霊なんかじゃない生きているんだ。だから消えてしまうことなんかできないはずだ。誰にも認識されなくなった。そうなってしまっただけだ。だからそうなってしまった理由が分かれば消えてしまうんじゃなくおまえはきっと普通の女の子に戻れるはずだ。俺はそう思う」
多舞は羅冶雄の握る手を見つめ、そうして、
「わたしは幽霊なの、だからもう消えてしまうしかないの」
寂しそうにそう呟く、
羅冶雄はその言葉にやるせなさを感じて思わずさらに強くその手を握りしめて、
「そうじゃない!おまえは生きている人間だ。だから俺がおまえを普通の人間に戻してきっとその事を証明してやる」
「生き返れるの」
そう言って多舞は顔を上げて羅冶雄の目を見つめる。
「そうじゃない普通に戻るだけだ。そして誰とでも話が出来るようになる」
その言葉に多舞は顔を輝かせて、
「みんなとお話できるようになるの、もう無視されないの」
「ああ、きっとそうなるはずだ」
多舞は輝く瞳で羅冶雄の目をみつめ、
「約束なの」
そう言って羅冶雄の手を力強く握り返す。
「ああ、約束だ。おまえを必ず人間に戻す。そう誓う」
六畳一間の部屋の中で2人は握手を交わし合い、そうして1つの約束が生まれた。
「そんな状態になってしまった。それには必ず原因があるはずだ」
そう言って羅冶雄は多舞が現実ではありえない存在になってしまった理由を考える。
異常な事態を招いた現象には何らかの原因が必ずあるはずだ。
現実にありえない状況を作り出すには何か人知を超える超常の力が必ず働いているはずだ。
超常の力!それには思い当たる節がある。
「おまえもあの石を持っていたな、あれは死んだ時から光っていたって言っていたがその前は光ってなかったのか」
羅冶雄の質問に多舞はうれしそうに微笑んであのネックレスを取り出すと、
「おかあさんに貰ったお守りなの、でも貰った時は今みたいに光ってなかったの、死んだ時から光っているの」
不吉な物を見るように多舞のその青く光る石を見つめながらしばらく羅冶雄は考える。
もしこの石に神秘的な力があるのなら多舞がこんな存在になってしまった理由がこの石に必ずあるはずだ。
自分も同じ石を持っていた。それは多舞と同じように死んだ母から貰った物だ。
この石を貰った時に母が言った言葉、そこに石の謎を解くヒントがあるはずだ。
羅冶雄は自分が石をもらった時の母の言葉を思い出す。
「これに望みを願えば、きっとこれはあなたを助けてくれる力になるわ、だから大切にしてね」
そうだ。願いだ!
この石に願い事をすると神秘的な力が発動してその願いを叶える。
多舞はきっとこの石に願い事をして、そしてこんな存在になったんだ。
そう結論付けて、そしてそれが正しいかどうか多舞に聞いてみる。
「おまえはなにかこの石に願い事をしたことないか」
多舞はその質問を不思議そうに聞いて首を傾げて、そうして横に振り、
「願い事はしてないの」
多舞の答えは羅冶雄の期待した答えではなかった。しかしあきらめきれず、
「その石はお母さんに貰ったんだろう?貰った時に何か言ってなかったか?」
多舞はちょっと考えて、
「お守りだから大切にしなさいって言われたの」
「それだけか?願い事が叶うとか言われていないか」
多舞は黙って首を横に振る。
どうやら多舞の母親はこの石をただのお守りとして彼女に渡しただけのようだ。この石に何か神秘的な力があるということを告げずに、いや、そもそもそんな力があるということを知っていたかどうかもわからない、だから多舞はこの石に願ったりしないだろう、だから何か別の理由でこの石はその力を発動させて、そして多舞をこんな存在に変えてしまったのだろう、
ともかくこの石の秘密を解き明かす事が出来れば、あやふやな存在である多舞のそうなってしまった理由もわかり、そして普通の人間に戻すことも出来るだろう、
腕を組んで考え込んでいる羅冶雄に多舞はベストのポケットから何かを取り出しそれを差し出して、
「これはラジオのなの、大切にするの」
そこには羅冶雄が持っていた。あの不幸の元凶とも言える呪いの石がある。
それを見た羅冶雄は瞬間的になぜか体中が痛くなり、眩暈がして、悪寒が走る。
羅冶雄はそれを受け取ると無言で立ち上がり窓を開けて投げ捨てようとする。
「捨てちゃだめなの!」
多舞がそう叫んで羅冶雄の腕にしがみつく、
「え、何?」
石に対する拒絶反応のせいで無自覚になっていた羅冶雄はしがみつかれて我に返る。
「お守りなの、大切にしないといけないの」
そう言って多舞は窓を閉めて羅冶雄を睨む、
「あ、ああ、そうだな…すまない」
考えてみるとこの石も謎を解き明かすための重要な証拠だ。だからおろそかにはできない、
羅冶雄は手の中の石を見つめてその変化に気づく、
「光ってない…」
そこには母親から貰った時のままのどこにでもありそうな、そんななんの変哲もないガラス細工のような小さな青い石があるだけだった。
なぜ光ってないのか?わからない…この石はとにかく謎だらけだ。
羅冶雄は手の中の石を見つめて考える。
願いを叶える石?この石がさっき光っている時に多舞と出会った。それは普通ではありえないそんな出会いだ。
この石には確かに何か神秘的な力がある。
それを証明するには…そうだ!願えばいいんだ。
それなら願い事をすればきっとこの石はまた光り輝いて、そしてその願いを叶えてくれるはずだ。
よし願ってみよう、しかし何を願う?今1番欲しいもの…やっぱり金か…もう貧乏は厭だしな、そうだ!どうして今まで思いつかなかったんだ。こんなに簡単に金を手に入れる方法があったのに俺って馬鹿?…まあいい、でも気付いてよかった。これで今から美味い物が食い放題だ。やった!
踊る心でそう思い、そして眼を閉じて石を握りしめ、
「お願いです。今すぐ100万円ください、今すぐ100万円ください、今すぐ100万円ください」
呪文のように3回唱える。
そして唱え終わってから願い事の内容に疑問を感じる。
ん…なんで百万円?どこから出て来たその金額?しまった!どうせお願いするんならもっと大金にすれば…貧乏が板に付いているからそれが大金に思えたのか?おれってやっぱり小市民なのか…ちくしょう、大金が手に入る人生最後のチャンスだったかもしれないのに俺の馬鹿!馬鹿!馬鹿!
そう悔しがってももう手遅れ、しかたないとりあえず100万円でもいいか美味い物ぐらい買えるし、そう思いしぶしぶ妥協して、そして目を開ける。
しかし目の前には不思議そうな顔の多舞がいるだけで何も起こっていない、そして起きる気配もない、空から金は降ってこないし突然目の前に出現したりもしない、なぜだ?羅冶雄は握りしめた手を開いて石を見る。
「光っていない…」
思わずそうつぶやく、
なぜか羅冶雄の願いも虚しく石は神秘的な力を何も発揮していないようだ。
そして衝動的に怒りが沸きあがり目の前が真っ赤になる。
「馬鹿にしゃがって!こんな物!」
思わずそう叫んで窓を開けてまた石を投げ捨てようとする。
「だめなの」
また多舞がその腕にしがみつく、そしてまた我に返る。
怒りはなぜか急激に薄れていく、
「あ…すまん、こいつが俺の言うこと聞いてくれないからそれで腹がたって」
多舞は子供をしかる母親のような顔をして、
「もう捨てようとしないの、大切にするの」
そうだなこの石の謎が解明されるまでは大切にしないといけないな、その謎を解明すればきっと願いが叶うようになる、そうだ!そうすれば必ず大金も手に入るはずだ。
現金にそう思うとなぜか気分がうきうきしてくる。石の謎を解き明かすのがなぜか楽しみになってくる。
なぜかうかれ気分になった羅冶雄は多舞に手を差し出して、
「分かったから、大切にしまっておくから出せよ」
そう言っても多舞は不思議そうに首を傾けているだけだ。
「これが入っていた袋、あるんだろう」
しかし多舞は首を振って、
「知らないの」
そう言うだけ、どうやら石だけを拾って持って来たらしい、そして羅冶雄はあの袋の重要性に気づく、
あの袋には金色の糸で文字が刺繍してあった。もしかしてその文字は石の事を示す言葉が書かれていたのかもしれない、それは願い事を叶える手順かもしれないし最重要な手がかりだ。
「しまった!」
思わずそう言っても後の祭り、たぶんさっきの騒動の時に落してしまったのだろう、
石の秘密を解くための重要な手掛かりだがそれを探しに行くにも今のこの有様では体力も気力もない、
どうせあんな物はたいして値打もあるような代物じゃないし、誰も拾って持って行くはずはない、朝に学校に行く時に探せばいいか、そう考えてふと時計を見ると午前3時半、いつもだったら夢の世界にいる時間だ。
体の痛みは多舞の手当のおかげ?でだいぶましになっているが、しかし疲れはまだ取れていない、この体調回復のためにはまだ休息が必要だ。
とりあえず朝まで寝て今後の事はその時考えるか、とそう思い、
とりあえず部屋の隅にほうっておいた寝巻にしているスエット上下をを着る。
多舞の捲いた包帯はほどくのが面倒だからそのままだ。
「ん、あいつはどうした?」
さっきまでそこにいた多舞の姿が見えないことに気付いてそうつぶやく、そして部屋を見回すがどこにもいない、
「消えてしまったのか?やっぱり幽霊だったのか」
驚いてまたそうつぶやく羅冶雄の耳にスースーという寝息が聞こえる。
その音の発生源を見ると炬燵の中に潜り込んで多舞が寝ている。
「おい、そんな所で寝ていたら風邪ひくぞ」
そう声をかけても返事はない、
ベストを掴んで引っ張り出すが手を放すとまたズルズルと炬燵の中に潜り込んでしまう、
そしてついに完全に炬燵の中にもぐり込んでしまった。
布団をめくって中を覗くと多舞は丸くなって幸せそうな顔をして眠っている。
「タマっていうぐらいだからやっぱりこいつ猫で、だから炬燵が好きなのか?」
そうつぶやいてからどうしたものかと考える。
羅冶雄は1人暮らしらだから当然布団も彼が使っている1組しかない、その蒲団を多舞に使うと自分の寝る場所がない、
多舞はだいぶ厚着しているみたいだしこれならここで寝ていても風邪ひいたりしないだろう、それにこの炬燵が気に入っているみたいだし、もしそれが嫌なら俺と一緒に同じ布団で寝るしかない…
「!?」
そこまで考えてはっと気づく、
ちょっとまて、何でこいつはここで寝ている?そもそもこいつに帰る場所ってあるのか?いやそれよりもまずい!このままでは女の子と一緒に一晩過ごす事になるぞ、それって据え膳?食わねば恥なの?いやいやいやいや、たぶん俺は基本的には紳士であるはずだ。だからそんな狼みたいな真似はできないし、でも、こいつ飛びっきりの美少女だから変な気持になるなと言われても…そもそもこいつを見て何も感じないのは男であるとは言えないし俺は薔薇の人じゃないんだしいたって健全な青少年だし、とにかくこいつを女と思わなければいいんだ。拾ってきた…そうだ!猫を拾って来たんだ。紳士として捨て猫をほっておけなくて拾って来た。タマって言う猫を拾ってきた。そう思えばいいんだ。それなら俺は変な気分になったりしないはずだ。
長期間のひとり暮らし、そのため付いた癖のためなのか人を寄せ付けない性格のせいなのか今まで女性にもてたことなど1度もなく、そのためまったく女っ気のない生活をしてきた羅冶雄は今まで経験したことがない状況に軽いパニックになってしまい、そうしてその解決策として変な方法を思いつく、
そうして多舞が潜り込んでいる炬燵を指さして、
「おまえは猫だ、おまえは猫だ、おまえは猫だ」
呪文のように3回つぶやく、
すると炬燵の中の猫が、
「うう~ん」
小さな寝息を漏らす。
「そうじゃない、ニャ~ンだろ」
そう突っ込む羅冶雄にさらに炬燵の中から、
「ともだちなの、逢えてうれしいの、一緒にいたいの」
「え…」
寝言なのか、それとも羅冶雄の心を見透かして言った言葉なのかわからない、しかし多舞の安心しきったその言葉の奥の汚されていない純真な心を感じて少しでも邪な感情を抱いてしまった自分が恥ずかしくなる。
「こいつはたぶん心はまだ子供のままなんだ」
感慨深げにそうつぶやく、
こんなあやふやな存在になってしまい、10年間、毎日ただ真実を求めてさまよい続ける。
誰とも話もできず、誰とも接していられず、誰にも何も教えられず、だから誰にも汚されず、子供の心のまま、10年間こいつはその孤独の中を生きて来たんだ。
羅冶雄は自分の孤独だと思っていた今までの人生を思い返して、
「俺は本当は孤独じゃなかったんだ」
真実に驚愕してそうつぶやく、
父親は姿を消した。母子は迫害された。笑われた。馬鹿にされた。いじめられた。母が死んだ。そうしてうとまれた。嫌われた。つま弾きにされた。人間が嫌いになった。だから人に接しなかった。話さなかった。係わり合いにならなかった。人間関係を必要最低限にした。だから孤独だと思った。それでいいとそう思った。
でも羅冶雄の周りには常に人がいて、そうして彼のことを認識している。その連中が彼の事をどう思っているかは知らないが、しかし常に人々の群れの中にいた。
でも多舞は違った。
周りに人はいても誰も認識してくれない、誰も話してくれない、誰にも話を聞いてもらえない、誰もかまってくれない、誰にもかまえない、誰も助けられない、誰にも助けてもらえない、周りの状況は自分とはまったく無関係に進行して行く、まるで映画の中に迷い込んだような世界、悪夢の世界、それは真の孤独と言えるものだ。
その真に孤独な少女、その存在を唯一認識している羅冶雄は彼女にとって思いがけない貴重で重要な存在なんだろう、
「友達か…」
そうつぶやいて羅冶雄は部屋の明かりを消すと布団に潜り込む、
そして炬燵の中の多舞に、
「おやすみなさい」
そう声をかけてから羅冶雄は疲れた体を癒すように自然と眠りについた。