第一話
西暦二千百年。五十年前の日本とは比べ物にならないくらい、日本は廃れていた。唯一の頼りだった大国からも見捨てられ、もともと法律なんかなかったかように日々、至る所で犯罪が行われていた。政府や警察の力はもう、昔みたいに強いものではない。殺人が起こったって、わざわざニュースになるようなことでも無かった。
そんな時代のある街外れの寂れたビルの三階に、一軒の探偵事務所があった。それは黒屋と言う、探偵とは名ばかりの万屋で大体の依頼が違法薬物の運び屋や、殺人死体の片付けなどの、違法なものばかりである。それだけではない。依頼を解決するのは、小さな少女なのだ。それにいつも、必ず一振りの日本刀を持ち歩いているらしい。
そして黒屋は、もうひとつ変わった噂があると言う。それはどんな依頼でも了解してくれる確立は十分の一だと言う。それが本当かどうか定かではないのだが、その噂を聞いて私はわざわざ家から一時間もかかるこのビルに来たのだ。周りには薄汚れた安っぽい住宅と、ずっと昔からシャッターが閉まったままであろう木造家屋ばかりの中、そのビルはそこにちゃんと同化していた。
私は意を決して、噂の事務所のドアを開けた。――もし断られたって、いいのだ。この世の中じゃあ殺人なんて皆やっているし、そのくらいじゃ咎められるはずないし。どきどきと脈打つ心臓に気づかないふりをして、顔を上げた。
そこは、なにもなかった。
なにもなかった、と言うのは語弊かもしれない。私は、探偵事務所と言うと、パソコンや資料であふれ返っているイメージがあるものだから、ただの椅子とテーブルだけじゃなにもないように感じてしまうのだ。おまけに、人が居ないせいでもあるのか。……人が居ない?まさか。そんなはずないだろう。だって、入る時にちゃんと確認したはずだ。鍵だって開いていたし、もしかしたらトイレに行っているかもしれない。その可能性は多いにあるので、私は少し中で待たせてもらうことにした。
キィッと嫌な音を立てて扉が閉まる。丸で木で出来た扉のようだ。確か、随分前に祖父の家へ出かけた時も、こんな音が鳴っていた気がする。しかし、そんなことはどうでもいい。いくらなんでも、遅い。遅いのだ。もうかれこれ十分は待っているだろう。それなのに人が現れる気配は全く感じられない。もしかして、今日はやってなかったのかも、と思い店を出ようとしたのだけど、片道一時間が諦められずに最後の望みを抱いて声を張り上げた。
「すいません、依頼をしに来たんですけど――」
「はぁい、なんでしょうか!」
目の前に突然(突然と言うよりも元からそこに居たようで、けれど目では認識できない感じで)、女の人が現れた。私は驚いてしまって、思わずその場に座りこんでしまった。改めてその女の人の顔をじっくり見ると、彼女は片目が塞がれていて、丸で大きな火傷をしたみたいになっていた。
そんな女の人を見て私は、なんとなく可哀想に思えてしまったのだ。私は人を殺すことを頼みに来たのに。全く滑稽である。いまから直接的ではないにしろ、間接的に人を殺すことになるのだ――多分。
「依頼ですね!貴女はとても素晴らしい、幸運です!あなたの願いを叶えて差し上げます!」
女の人は、座り込んでいる私を立たせ、たった二脚の椅子に座らせた。なんだか、胡散臭いところに来てしまった。