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自傷癖  作者: 北川瑞山
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第一章

貴子は実に嫉妬深い。その嫉妬深さは、まるで男のそれである。それもそのはず、貴子の幸福観は男性的、というよりもはや男であると言っていい。「負けず嫌い」の一言で済ませられるものでは到底ない。勝つ事にしか価値を見出せない。故に評価の基準が曖昧であるもの、例えば芸術と言われるものは全てその代表格であろうが、幸不幸という類いのもの、美醜、あるいは善悪というもの、そういったものにはおおよそ興味がない。あくまで定量的な評価の出来るものにしか関心を向ける事が出来ないのである。貴子の嫉妬深さは、客観的に勝敗を判断できる価値を追求したが故のことであろう。そういう思考の持ち主であったから、その思考が極めて論理的であった事は言うまでもない。貴子の半生を一言で言い表すとすれば、「無機質」という言葉が最も適当ではないかと思われる。おおよそ「理性的」という言葉では収まりきらないほどの面白みのなさである。それは例えば貴子の恋愛観に如実に表れている。貴子の恋愛観とは

「女の役割は優秀な遺伝子を遺すことである」

という一言に尽きる。女の犯す罪悪の中で、下らぬ男を立てることほど悪辣なものはないと考えているのである。そういう徹底した理性が全身から滲み出ていたせいか、男は皆貴子に近寄らなかった。それほどに、男というものは女の理性を恐れているのである。そんな理性に否定されてしまったら、男は自分の存在価値のなさを証明されてしまうからである。もっともこれも貴子の計算の内で、男はある程度の年齢に達するまではその真価が分からないものであるから、若いうちに恋愛などしても仕方がないという思いが働いていた。そういう訳で、貴子は大学を卒業するまで、恋愛というものをしたことがなかった。貴子は東京大学の医学部を出て、すぐに智彦という大学の同級生と結婚した。智彦の家系は代々医師の家系であり、彼はその一家が経営する私立病院の跡取り息子であった。その後、智彦と貴子の間には男の子が生まれた。淳一と名付けた。意外にも、貴子は子供が生まれると良妻賢母となり、温かな家庭を築いた。

 仕事も家庭も順調で、順風満帆と言って良い貴子の人生であったが、貴子には悩みがあった。これがそれまでの半生を通して貴子を悩ませたものであった。それは全身の皮膚の痒みである。不定期に全身に湿疹が起こり、突如激しい痒みが貴子を襲うのである。しかも原因不明である。貴子の専門は皮膚科であったが、その貴子ですら全く原因が分からない。薬を塗ったり飲んだりしても効果がなかったし、血液検査をしてもアレルギー体質といったものは検出できなかった。その強烈な痒みが初めて貴子を襲ったのは、大学に入学した春であった。それまでも度々発症してはいたが、それまでとは比べ物にならないほどの痒みを覚え、全身から血を流すまでに至った。どんな治療にも効果がないので、掻くしかない。痒い所を掻く事ほどの快楽はなく、無心に掻き続ける。そうして全身が引っ掻き傷にまみれてそれ以上掻けなくなると、貴子は全身に熱湯を浴びた。その間は痒みなど忘れられた。いや、痒みなどない普通の状態以上に快適であった。悩みなどと言う憂鬱な感情は胸奥から吹き飛び、心が躁状態にまで駆け上がるほどの快感であった。もっとも、その代償は高くつく。その行為が終わるや否や、再び全身を鞭打つ様な痒みが貴子を襲うのである。全身に虫が這う様な感覚に貴子は夜も眠れず、皮膚を傷つけ、熱湯をかぶりを繰り返していた。

 それが急に治まったのは、大学生活に慣れて来た五月頃の事であった。それまでの痒みが嘘の様にピタリと治まり、滑らかな素肌が貴子に戻った。それ以来大学を卒業するまで貴子の肌は平穏を保った。

 だが、貴子が大学を卒業し、智彦と結婚すると、また同じ様な痒みが貴子の全身を駆け巡った。智彦は頭脳、容姿、家柄などどこを取っても非の打ち所のない男であったし、そういう男と結婚できた貴子も幸福の絶頂であった。だがその痒みは貴子をそこから引きずり降ろした。頭皮からつま先に至るまで全身という全身が貴子をその幸福から引き剥がしたのである。二人の新婚生活はこのお陰で惨憺たるものに終わった。そしてようやく貴子の痒みが治まった頃には、二人の夫婦仲は既に冷めきっており、とても結婚当初の様な甘い感情を抱けない有様であった。

 また、貴子と智彦の間に淳一が生まれると、貴子は息子を溺愛する様になった。というのも、その頃この一家には貴子を排除する空気が流れていたのである。原因は智彦の母親であった。嫁姑の争いとは良くある事だが、この一家でもそれは如実に現れていた。智彦の母親は何かにつけて貴子の一挙手一投足をあげつらい、非難する。ところが貴子は持ち前の論理性から悉くこれを論破してしまう。気に入らない母親は、智彦を始め、一家のあらゆる人間に貴子の素行の悪さを吹聴して回った。こうして貴子は四面楚歌の状況に陥った。智彦は家の外では優秀な人間であったが、家族や親類の前では飼い猫の様に無力であり、こうした状況の貴子を救う事は出来なかった。こうした中で、貴子にとって唯一の希望は淳一ただ一人であった。貴子が教育熱心で優しい母親であったのはこうした背景によるものである。しかし、淳一が生まれてからすぐ、貴子に例の痒みが再び訪れた。そのためこのようやく得た淳一という頼みの綱に、貴子は母乳を与える事が出来なかったし、満足に抱いてやる事も出来なかった。抱けば痒みがその威力を増し、針の筵の様に全身を突き刺すのである。そしてそれが治まったのは淳一がもう一人で歩ける様になった頃の事であったから、この痒みは殊更長く続いたという事になろう。

 このように、貴子は度々原因不明の痒みに襲われて来たが、それはその度に貴子の幸福を嘲笑うかの様に貴子を地獄に突き落とし、その幸福を奪って来た。貴子はこの奇妙な体質を恨んだ。しかし恨んだところでどうにもならない。気持ちの切り替えの速い貴子は、自分が幸福になれないのなら、それを息子に託すまで、という考えに切り替えた。貴子は教育熱心で、また淳一の自主性を重んじ、常に淳一の第一の理解者足り得る様に努めた。時折智彦の母親が淳一の教育方針について口を出して来たが、貴子はそれに一切耳を傾けなかった。自分でさえ一家の伝統を重んじる事を強要され窮屈な思いをしているのに、増してそれを子供に押し付けたらどれほどの強迫観念を植え付ける事になろうか。そう考え、貴子は淳一の気持ちを尊重し、それでいて身につけるべき教養や論理構築力などの普遍的能力を養えるよう、淳一がまだ幼い頃から徹底的に鍛え上げた。そうした教育の成果もあり、淳一は聡明な子に育った。子供の聡明さとは、教育に当たる人間の気持ちの強さから生まれるのであろう。曖昧な教育方針しか持ち得ない者が結局は自由放任主義の愚に陥り、事実上の教育放棄をしてしまう様に、教育者によほど一本筋の通った哲学がなければ、教育は方向性を失ってしまうものである。教育とはおおよそそういう哲学を教える事であるらしい。その意味で、貴子は良き教育者であったと言って良いであろう。自身の生き方が既に初志貫徹しているのであるから、それを教える事に何の無理もなかった。苦労した事と言えば、自分の教育方針に不純物が混ざらぬよう、一家の誰にも口出しをさせなかった事である。父親である智彦にすら、一切の口出しをさせなかった。貴子にとって、智彦は今や弱い男であった。どれだけ優秀であろうとも、自分の家族を守れない男など取るに足らない男であると、貴子は考えていた。これは結婚前には思いもよらなかった貴子の誤算であった。もっとも貴子にとって男など良き精子の提供者であればそれで良く、その役割を果たした今となっては既に用済みであったから、そんな事には気にもしなかった。ともかく貴子の意識は淳一に集中し、そんな淳一は母親思いの真面目で聡明な人間に育っていったのである。

 そんな淳一も、小学校に入学し集団生活を送る様になった。教育に不純物が混ざらぬよう注意を払って来た貴子だったが、とは言え淳一を学校に行かせない訳にも行かず、比較的質の高い教師と児童がいるであろう私立の小学校に通わせた。この国においては比類のないほどの名門校であったので、学科試験、体力測定はもとより面接で家柄や家庭の収入まで問われる厳しい入学試験が行われたが、淳一は難なくこれを通過した。そんな名門小学校の中でも淳一の成績はトップクラスであり、将来を嘱望される存在であった。淳一は何よりも負ける事が嫌いで、負けると必ず自分より優れた者を嫉妬した。それが故に淳一は自らを律し、勝つための努力をすることに余念がなかった。貴子の教育の賜物であろう。貴子はそんな淳一が誇らしく、唯一の生き甲斐となっていた。自らの分身とも言える淳一さえいれば、貴子は幸福を感じる事が出来たのである。

 が、貴子の教育が実を結び始めた頃、また例の痒みが襲って来た。神出鬼没のこの痒みが、またしても貴子の幸福を奪おうとしていた。全身の皮膚という皮膚、眼球の奥、耳の鼓膜、乳房の裏側、肛門の中まで痒い。貴子は暫くの間この痒みに絶叫し、悶絶した。こうした常軌を逸した様子のために、貴子は増々一家において孤立した存在となった。

 ここまで来れば、貴子も薄々は気付き始めていた。世に言う幸福という状態になるほど、体が痒くなるのだと。思えば、貴子が痒みを癒すために行っていた、引っ掻く、熱湯を浴びるといった所謂自傷行為は、物質的幸福を代償に精神的幸福を得る行為である。医学的には全く説明がつかないものの、物質的幸福を求めすぎたが故に、このような体質になってしまったのかも知れない。と貴子は考えた。もっとも、貴子はそれまで幸不幸などという概念に興味はなかったが、自分の求めて来た物が恐らくは物質的幸福という事になり、それと釣り合う精神的幸福を得んが為に全身が痒みを発しているのではないかという推論に辿り着いた。だがそうだとすれば、この痒みを発しているものの正体とは何なのか?そこまで来ると貴子にはとんと答えが出なかった。

 その推論を裏付けるかの様に、次の不幸が訪れると貴子の痒みは潮が引く様に消えていった。恐らく、この不幸は貴子の人生で最も悲惨な事件だったに違いない。


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