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冤罪で私を切り捨てた妻と娘へ。法務部長が隠し持っていた『破滅のカード』を切る時、君たちの地獄が始まる  作者: ledled


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9/9

後日談 泥濘の底から見上げる摩天楼

ネットカフェの狭い個室は、埃とプラスチックの焦げたような臭いが充満していた。

ブースの仕切り壁にもたれかかり、私は死んだ魚のような目でモニターを見つめていた。

画面の右下には、深夜三時という時刻が表示されている。

横に置いた缶チューハイはとっくにぬるくなり、炭酸が抜けて甘ったるいシロップのようだ。


「……はぁ。マジで人生クソゲー」


私は剣崎美奈。今年で二十七歳になる。

かつては、そこそこのお嬢様女子高生だった。都内の私立高校に通い、流行りのコスメや服を買い漁り、友達とスタバでダベるのが日課だった。

将来はなんとなく大学に行って、テキトーな金持ちの男捕まえて、楽して生きるつもりだった。

それが「普通」で、私にはその権利があると思っていた。


でも、今の私はどうだ。

住所不定、無職。日雇いの倉庫作業やイベントスタッフで食いつなぎ、夜はこのネットカフェを転々とする日々。

所持金は、財布の中の三千円と、電子マネーの残高五百円だけ。

スマホの画面には、消費者金融からの督促メールが山のように溜まっている。


「全部、あの二人のせいだ」


私は唇を噛み締めた。

十年前、不倫で家庭をぶっ壊した母親の玲子。

そして、そんな母親と私を無慈悲に切り捨てた父親の壮一郎。

特に父親だ。あいつが諸悪の根源だ。

確かにママは浮気したし、間男の北村とかいうクズと一緒にパパを嵌めようとしたらしい。それは認める。

でも、私は娘だ。子供だ。関係ないじゃん。

なのに、パパは私まで「共犯者」扱いして、家から追い出した。

養育費だって最低限しか払わなかったし、二十歳になった瞬間に打ち切られた。

おかげで私は大学にも行けず、高卒で社会に放り出された。学歴もスキルもない女が、まともな職になんて就けるわけがない。


五年前までは、まだマシだった。

ママと一緒にボロアパートに住んで、ママのパート代を搾取しながら、一発逆転を夢見てVtuberとかやってた。

でも、ママが体を壊して働けなくなってからは地獄だった。

「美奈、お薬買ってきて」「お腹すいた」って、毎日ピーピーうるさいし。

介護なんてやってられるかよ。私の人生、これ以上邪魔されてたまるか。

だから私は、動けなくなったママをアパートに置き去りにして逃げた。

生活保護の手続きとか、そういうのは役所が勝手にやっただろう。死んだか生きてるか知らないけど、もう関係ない。親子の縁なんて、金がなけりゃただの鎖だ。


私はマウスを操作し、検索エンジンを開いた。

日課のエゴサーチ……じゃない、パパのサーチだ。

『マグナ・ステラ 剣崎壮一郎』

エンターキーを叩くと、大量の記事がヒットする。


『マグナ・ステラ、次期社長に剣崎壮一郎副社長が昇格へ』

『V字回復の立役者、剣崎氏が語る「コンプライアンス経営の真髄」』

『経済界注目のリーダー、再婚した妻との間に第二子誕生』


画面の中に映るパパは、六十歳近いとは思えないほど若々しかった。

白髪交じりの髪は綺麗に整えられ、仕立ての良いスーツがビシッと決まっている。その表情は自信に満ち溢れ、威厳がある。

十年前、家で疲れた顔をして発泡酒を飲んでいた「キモいオッサン」とは別人だ。


「……ふざけんなよ」


奥歯がギリギリと音を立てる。

次期社長? 再婚? 第二子?

私がこんなド底辺で泥水を啜っている間に、あいつだけ幸せの絶頂にいるなんて、許されるわけがない。

その金は、その地位は、本来なら私が享受するはずのものだったんだ。

私が社長令嬢として、インスタにブランド品をアップして、チヤホヤされる未来があったはずなんだ。

それを奪ったのはあいつだ。


「慰謝料……遺産……」


私の頭の中で、汚い計算機が弾かれる。

パパは金持ちだ。超がつくほどの金持ちだ。

なら、実の娘である私には、その金を分けてもらう権利があるはずだ。

扶養義務? いや、もう成人してるから無理か。

でも、遺留分とかあるじゃん。あいつが死んだら、私にも遺産が入ってくるはずだ。

でも、再婚した新しい妻と子供がいるってことは、取り分が減る?

いや、待てよ。今からでも関係を修復すれば、生前贈与とか、小遣い程度でも数百万くらい貰えるんじゃないか?

「過去を反省しました」「会いたいです」って泣きつけば、世間体を気にするパパなら無視できないんじゃないか?


浅はかだと分かっている。

五年前、ママが突撃して門前払いされた話も聞いている。

でも、今の私には、すがりつける藁がそれしかないのだ。

このままネットカフェで腐っていくか、一か八か、実の父親という「金脈」にアタックするか。

失うものなんて何もない。

私は残りの小銭を握りしめ、立ち上がった。


          ◇


翌日。

私は港区にある高級住宅街を歩いていた。

ネットの情報と、昔の記憶を頼りに、パパの新しい自宅を特定したのだ。

日雇いのバイト代で買った、リサイクルショップの安っぽいワンピースを着ている。

化粧も念入りにした。目の下のクマをコンシーラーで隠し、なるべく「清楚で反省している娘」に見えるように。

でも、ショーウィンドウに映る自分は、どう見ても場違いな「疲れ切った水商売崩れ」だった。

肌は荒れているし、髪もパサパサ。十年前の、ハリのある肌と輝くような瞳はもうない。


「……ここか」


目の前に現れたのは、要塞のような大豪邸だった。

高い塀に囲まれ、門扉は重厚な鉄製。防犯カメラがいくつもこちらを睨んでいる。

表札には『KENZAKI』の文字。

以前住んでいた郊外の建売住宅とは比較にならない。本物の成功者の城だ。


インターホンを押そうとして、指が震えた。

怖い。

十年前、あの日。

リビングで「お前も共犯だ」「家を出て行け」と言い放ったパパの冷たい目を思い出す。

でも、ここしか逃げ場がない。

借金取りに追われ、ネットカフェ難民として死ぬなんて嫌だ。


「……お願い、パパ。私だよ、美奈だよ」


祈るような気持ちで、インターホンのボタンを押した。

『ピンポーン』という電子音が鳴る。

数秒の沈黙の後、スピーカーから女性の声が聞こえた。


『はい、どちら様でしょうか』


上品で、落ち着いた声だ。

パパの声じゃない。再婚相手の女か?

嫉妬で腹の底が煮え繰り返りそうになるのを抑え、私は猫なで声を出した。


「あ、あの……剣崎壮一郎の娘の、美奈です。父に会いに来ました」

『……美奈様、ですか?』


相手の声に、わずかに警戒の色が混じった気がした。

少しの間が空く。


『申し訳ございませんが、主人は不在にしております。また、アポイントメントのない方の訪問はお断りするようにと言い付かっておりますので』

「待ってください! 実の娘なんです! アポとかそういう他人行儀なこと言わないでください! どうしても話したいことがあるんです! 生活が苦しくて……パパに一目会いたいんです!」


私はカメラに向かって必死に訴えた。

なりふり構っていられない。


『……少々お待ちください』


通話が切れた。

心臓がバクバクする。

中にいるのか? パパに取り次いでくれているのか?

五分ほど待たされただろうか。

再びスピーカーから声がした。今度は、冷徹な男性の声だった。


『剣崎美奈さんですね。警備会社の者です』

「えっ? パパは?」

『剣崎様より伝言を預かっております。「二度と敷地内に近づくな。次は警察に通報する」とのことです。直ちに退去してください。これ以上居座る場合、不法侵入として通報します』

「は……? 嘘でしょ?」


頭が真っ白になった。

伝言? 警察?

実の娘に対して、それかよ。

鬼かよ、悪魔かよ。


「ふざけんな! パパを出せよ! 隠れてないで出てこいよ! 私を見捨てるのかよ! 自分の子供だろ! 金持ってるくせに、娘が野垂れ死にしてもいいのかよ!」


私は門扉にしがみつき、カメラに向かって喚き散らした。

もう「清楚な娘」の演技なんてどうでもいい。

本性が剥き出しになる。

その時、門の向こう側、広い庭の方から車のエンジン音が聞こえた。

ガレージのシャッターが開き、高級外車が滑り出てくる。

後部座席の窓ガラスはスモークがかかっているが、私は必死に中を覗き込んだ。


車が門に近づく。

一瞬、後部座席の窓が開いた。

そこには、パパがいた。

そしてその隣には、三十代くらいの美しい女性と、五歳くらいの男の子が座っていた。

男の子はパパの膝に乗り、キャッキャと笑っている。

パパは、その子供に、見たこともないほど柔らかな、慈愛に満ちた笑顔を向けていた。


「パパ……!」


私は叫んだ。

パパが視線をこちらに向けた。

十年前と同じ。

いや、それ以上に冷たく、無機質な目。

そこには怒りすらなく、ただ「汚い風景」を見るような無関心だけがあった。

彼はすぐに窓を閉め、車は加速して走り去っていった。


「待って! パパ! 待ってよぉ!」


私は車を追いかけた。

でも、ヒールの踵が折れ、無様に転んだ。

アスファルトに膝を打ちつけ、ストッキングが破れる。

遠ざかっていく赤いテールランプ。

それは、私にとっての最後の希望の光が消える瞬間だった。


「なんで……なんでよ……」


私は路上で泣き崩れた。

あの車の中には、私が欲しかった全てがあった。

優雅な生活、優しい家族、あたたかい笑顔。

全部、あの見知らぬ女と子供のものになっていた。

私が座るはずだった席。私が受け取るはずだった愛情。

それを奪われた。

いや、違う。

私が捨てたんだ。

十年前、「パパキモい」「金づる」「学校行けない」と罵倒して、自分から切り捨てたんだ。

その結果がこれだ。


「……退去してください。警察が来ますよ」


いつの間にか、警備会社の車が到着し、制服を着た男たちが私を取り囲んでいた。

私はボロ雑巾のように立ち上がり、よろよろと歩き出した。


          ◇


とぼとぼと駅まで歩く道すがら、街頭ビジョンにニュースが流れていた。

『速報です。大手商社マグナ・ステラの剣崎壮一郎氏が、正式に社長に就任することが決定しました』

画面には、記者会見でフラッシュを浴びるパパの姿。

『コンプライアンスの徹底と、家族的な経営を掲げ……』


家族的?

笑わせるな。実の娘を門前払いして警察を呼ぶ男が、家族的だと?

どの口が言うんだ。

私は画面に向かって唾を吐きたかったが、喉が渇ききっていて、咳き込むことしかできなかった。


駅前のベンチに座り込み、スマホを取り出す。

SNSを開くと、高校時代の同級生たちの投稿がタイムラインに流れてくる。


『結婚しました! 幸せになります♡』

『マイホーム完成! 遊びに来てね』

『子供が生まれました! パパ似かな?』


みんな、当たり前のように幸せを手に入れている。

大学に行き、就職し、恋をして、結婚して、子供を産んで。

「普通」の人生を歩んでいる。

私だって、あの中にいるはずだった。

パパが冤罪で捕まらなければ。ママが浮気しなければ。

いや、私がパパを信じていれば。

もし、あの時、「パパ大丈夫?」って声をかけていれば。

もし、ママと一緒に家を出ずに、パパについてもごうとしていれば。


「……あ」


スマホの画面に、一通のメッセージ通知が来た。

消費者金融からではない。

知らないアカウントからだ。

開いてみると、一枚の写真が添付されていた。


それは、十年前の私のアカウントのスクショだった。

『親父が痴漢で捕まったwww マジウケる』

『慰謝料で焼肉行きたいー』

『学校だるい、親父のせいでハブられたらマジ殺す』


メッセージには一言だけ。

『社長就任おめでとうございます。このスクショ、今の剣崎社長が見たらどう思うでしょうね? あなたが娘だとバレたら、またパパの足かせになりますよ? おとなしく消えた方がいいんじゃないですか?』


誰だか知らない。

パパの信者か、あるいは私の昔の悪行を知る同級生か。

過去は消えない。

デジタルタトゥーとなって、一生私に付きまとう。

私はパパにとって、もはや「娘」ではなく「リスク」でしかないのだ。

接触しようとすればするほど、パパは徹底的に私を排除するだろう。あの法務のスペシャリストとしての手腕を使って。


「……詰んだ」


口から乾いた音が漏れた。

完全に、詰んだ。

金もない。家もない。頼れる人もいない。

そして、唯一の希望だった「金持ちのパパ」への道も、永遠に閉ざされた。

私に残されているのは、この薄汚れた体と、膨らみ続ける借金と、惨めな記憶だけ。


駅前のロータリーで、幸せそうな親子連れが通り過ぎる。

「パパ、抱っこー」

「よしよし、高い高いー」

幼い女の子が父親に抱き上げられ、声を上げて笑っている。


十年前、いや、もっと前。

私にもあんな時期があったはずだ。

パパの膝に乗って、頭を撫でられて、「美奈は可愛いな」と言われていた日々が。

いつからだろう。パパを「財布」としか見なくなったのは。

「臭い」「汚い」と避けるようになったのは。

ママの悪口に同調して、パパを馬鹿にするようになったのは。


「……う、うぅ……」


涙が溢れてきた。

悔し涙ではない。

取り返しのつかない喪失感と、どうしようもない後悔の涙だ。

失って初めて気づくなんて、ありきたりな言葉じゃ足りない。

私は、自分の人生の土台を、自分でハンマーで叩き壊したのだ。


「パパ……ごめんなさい……」


小さな声で呟いた。

でも、その声は誰にも届かない。

雑踏の喧騒にかき消され、風に流されていく。


お腹が鳴った。

昨日の夜から何も食べていない。

リサイクルショップで買ったワンピースは汗で張り付き、膝の傷がズキズキと痛む。

これからどうしよう。

今夜泊まる金もない。

ネットカフェに戻る金もない。

公園のベンチで野宿か? それとも、体を売って小銭を稼ぐか?

どちらにしても、待っているのは地獄だ。


ふと、駅ビルのガラスに映る自分を見た。

そこに映っていたのは、二十七歳とは思えないほど老け込み、眉間に深い皺を刻んだ、醜い女の姿だった。

かつての母、玲子にそっくりだった。


「……ははっ」


乾いた笑いが漏れた。

血は争えないってことか。

私はママの娘だ。どうあがいても、あの強欲で愚かな女のコピーだったんだ。

パパが私を捨てたのは正解だった。

私の中に流れる「玲子の血」を見抜いて、癌細胞を切除するように切り捨てたんだ。


私はよろよろと立ち上がった。

行く当てはない。

でも、ここにいても仕方がない。

摩天楼のようにそびえ立つパパの会社の本社ビルが、遠くに見える。

夕陽を浴びて輝くそのビルは、泥濘の底にいる私を嘲笑っているようだった。


私は背を向け、暗い路地裏へと歩き出した。

光の当たる場所は、もう私の居場所ではない。

一生、日陰のドブネズミとして這いずり回る。それが、親を捨て、裏切った娘の末路なのだ。


冷たい風が吹き抜け、私の破れたストッキングを揺らした。

夜が来る。

長く、寒く、孤独な夜が。

そして私の夜明けは、もう二度と訪れない。

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