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虐待と躾

作者: P4rn0s
掲載日:2025/12/07

最近の人間は、躾と虐待を一括りにしすぎているのではないか。

そんなことを考える瞬間が増えた。


怒鳴りつけるわけでもない。殴る蹴るなんて当然論外だ。

だけど、悪いことをしたときに「謝りなさい」と言わせることすら、

なぜか“強制”だの“虐待”だのと言われるようになった。

おしりを軽く叩く程度の注意まで、同じ枠に押し込められてしまう。


本当にそれでいいのだろうか、と私は思う。

人間は、痛みを知らなければ境界線が分からない。

してはいけないことの重さも、自分が誰かを傷つけた事実の大きさも、

言葉だけでは伝わらないときがある。

だから昔の大人たちは、言葉で分からなければ少しだけ力を使った。

それは“傷つけるための力”ではなく、

“ここから先は踏み越えるな”という線を教えるための力だった。


もちろん、力に逃げる大人もいた。

正しさではなく苛立ちで手を上げた者もいた。

だからこそ、暴力は悪だと言う人の気持ちも分かる。

分かるけれど、何もかも同じ箱に放り込んでしまうのは違うと思う。


若者が思い上がって見える瞬間がある。

自分の非を認めず、注意をすれば逆ギレし、

大人の言葉を軽く見て、礼儀の意味さえ笑う。

彼らが生まれた世界には、“分からせる”という行為が欠けていたのかもしれない。

傷つけないことが絶対の正義になり、

誰かを叱ることすら罪のように扱われた。


その結果、

「自分は何をしても許される」

「大人なんて大したことない」

そんな空気を纏った若者が増えたのだと思う。


私は彼らを憎みたいわけじゃない。

ただ、彼らの背中に“線”が刻まれていないことが、どれだけ歪みを生むかを知っているだけだ。

境界線を教えられなかった子供は、

自分の立つ場所を見失う。

そしていつか、自分自身を律することすらできなくなる。


大人を舐める若者が増えた。

けれどそれは、若者の傲慢というよりも、

大人が“叱ることの責任”を恐れ、後ろへ下がってしまった結果なのかもしれない。


本当に悪いのは誰なのか。

そして、どこまでが躾で、どこからが暴力なのか。

線を引く大人が減った世界で、

若者だけを責めるのは、少し違う気がするのだ。


その考えが正しいのかどうかは分からない。

けれど私は、境界線を教えるという行為だけは、

決して悪ではないと信じている。

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