第23話 急襲
夜の闇を切り裂くように稲妻が走り、そのたびに大地を揺るがすような雷鳴が響いた。激しく叩きつける雨の中、黒い外套をまとった騎馬の一団がまた一組ポルトの別邸を出て行った。
ハルクは俺を連れて行くことに最後まで難色を示していたが、『この体は仮の入れ物で傷ついても問題ない』という俺の説得でようやく折れた。
実際に傷ついても問題ないかどうかは知らないんだが……行かない選択肢はない。
その場に残った十名ほどの近衛隊員はいつもの白い隊服ではなく紺色の隊服に身を包み、十名ほどのモンブリー騎士団の隊員たちとともに、屋敷のエントランスホールで出発の時を待っている。
ハルクが俺をポケットに入れた後、ポケットのフラップを閉めると言って譲らないので、穴を開けて外を覗けるようにすることを条件に譲歩した。というわけで、俺はハルクのポケットの中に入ったまま小さく開けた穴から外を覗き見ている。
ハルクから無理やり聞き出したところによると、今夜麻薬の海上取引現場を押さえる計画だという。エルス麻薬の吸引窟を潰さずに泳がせていたのは全てこの情報を手に入れる為だった。
アスワド皇子とジョシュア小公爵ひきいる隊は海上の取引現場へ向かい、輸入業者と麻薬の密売人を捕らえる。同時に先ほど出発した別動隊がポルト領内の吸引窟を一掃する計画だ。
階上に動きがあり、隊員たちが一斉にホール正面の階段に向かって姿勢を正した。
大階段の上に帝国の英雄アスワド第二皇子の姿が見えた。昼間の華やかな白い礼装と違い、アスワド皇子の印象は黒い獣のようだった。
黒い軍装、腰に帯びた反りの深い湾刀、飾り紐も胸の前で交差した革帯も剣帯も、彼の髪色と同じくすべて光を吸い込むような黒だった。一切の無駄を排除した黒い装いのなかで黄金色の瞳が強い光をたたえていた。
漆黒のマントをバサッと後ろに払い、アスワド皇子がゆったりと階段を降りてくる。右手にモンブリー小公爵、左手にはアスワド皇子の側近を従えていた。
現れただけで目を引く、アスワド皇子には圧倒的な王者の風格があった。
これから荒くれ者を相手にするというのに、まったく気負いを感じさせない、自信と経験に裏打ちされた余裕があった。
階段の中央で足を止め、皇子がぐるりとホールに集まる隊員を見渡した。
「アスワド・ライル・ムバラムだ。これから、ポルト港に移動し、俺が連れてきた部隊と合流後、共闘して麻薬の海上取引現場を押さえる。
ポルトから出航する輸入側の船をモンブリー小公爵の部隊が、エルスを運んでくる密輸船は俺の指揮で捕らえる。
黒幕につながる大事な情報源だ。できるだけ殺さずに捕らえろ。だが絶対に一人も逃がすな。わかったな!」
「「「ハッ」」」と隊員たちが応えると、アスワド皇子がゆっくりと頷き、隊員ひとりひとりと目を合わせるようにして話しはじめた。
「この作戦を始める前に、俺はモンブリー小公爵に『所属や階級に関係なく臨機応変に動ける精鋭だけを集めてくれ』と指示した。
今、この場に残ったお前たちは、小公爵が認める選りすぐりの実力者ということだ。この場に選ばれたことを、己の実力を、これまでの研鑽を誇りに思え」
――アスワド皇子の演説に目の前の騎士が背筋を伸ばしぐっと拳を握ったのが見えた
「王国の精鋭の顔は、しかと覚えたぞ。お前たちの実力を俺にもみせてくれ。
出発だ!!」
「「「ハッ!!」」」
腹の底から沸き立つような覇気のこもった返礼と、ガツッと軍靴の踵を力強く打ちならすと音が雷鳴のようにホールに響いた。
隊員たちの顔はみな己の力を認められた誇りに輝き、目には燃えるような闘志がみなぎっていた――
◇
夜半過ぎ雨脚がすこし弱まったが、空は分厚い雨雲で覆われて月明りはない。
ポルトの別邸を出て港に移動した一行は、港の端にある倉庫内に待機していた皇子の部下四名と合流した。
ムバラム兵は戦闘中に援護を担当するといい、みな背に短弓と矢筒を背負っていた。
弓兵から隊員たちへひとりずつ白い布が渡され、左腕に巻くようにと指示された。暗い船上で敵味方を見分けるためとの説明だった。
準備が整うと小さめの二艘のキャラベル船に乗り込んだ。
近衛隊員のハルクはアスワド皇子の護衛として派遣されているため、俺はハルクと一緒にアスワド皇子が指揮を執るキャラベルへ乗り込んだ。もう一艘はジョシュア殿が指揮する。
一部の見張りと操船を担う人員を甲板に残し、騎士たちは船室で待機していた。波が船体を揺らす音が聞こえる。
俺たちは麻薬を買い取る密輸船が動き出すのをじりじりとしながら待っていた。
どれくらい待っただろう。
甲板で見張りをしていた男の大声が響いた。
「アスワド殿下! 例の船が動きました」
「よし、密輸船に引き離されないように後を追うぞ。総員、出航だ!」
船が動き出した後、ハルクと共に甲板へあがると雨は糸のように細くなり、同時に風も弱まっていた。
沖合にちらちらと瞬く小さな灯りが見える。夜間の航海では衝突を避けるために航海灯をともす。漆黒の闇の中、こちらの船は極力明かりを落として、静かにその船の灯りを追っていく。
漆黒の海に別の航海灯が見えて密輸船は速度をおとした。ふたつの船は合流すると、ゆっくりと寄り添うように船体を並べた。
――海上取引
騎士たちに緊張が走る。情報のとおりだった。通常の商船ならば、こんな港のすぐ沖合いで船同士を寄せる必要などない。
アスワド皇子の部下が、小型の弓を背負ってするするとマストに登っていく。
皇子がジョシュア殿にランプの光で合図を送ると、我々の船は沖合に停泊していた商船に向かって動き始めた。ジョシュア殿の船は港から追跡してきたキャラベルに向かっていく。
帆をたたんで停泊していたのは二本のマストを持つブリック船だった。大小の旋回砲が設置されているのが見えるが雨の中では使えないだろう。
甲板につめていた騎士たちが一斉に雨除けのマントをばさりと脱ぐと片腕に白い布がひるがえった。
密輸船の甲板に立っていた見張りが突然ギャッと短い声をあげ倒れた。見張りの首元には矢が刺さっていた。ふり仰ぐと、先ほどマストに上がった男が商船に向かって矢を射かけていた。
それを合図に騎士たちが一斉にかぎ縄を使って船に乗り移る。マストの男が頭上から弓で援護してくれるのが心強い。
甲板に足を踏み入れるやいなや、悲鳴を聞きつけた商船の船員たちが怒号とともに船室から飛び出してきた。
ハルクは俺のいるポケットを上からぽんっと一度叩くと、スラリと剣を抜き、襲い掛かる敵を切り伏せながらアスワド皇子の側についた。皇子は鈍く光る湾刀を手に船員たちを次々に斬りつけている。皇子はその場の誰よりも勇猛だった。
俺はポケットの中から見ているだけだ。俺は剣術の訓練を受けてはいるが実際に人を斬ったことはない。これが俺にとっては初めて見る命をかけた戦闘だった。ハルクの激しい動きに揺さぶられ、怒号と血の匂いもあいまって吐き気がする。アスワド皇子と比べて軟弱な自分が心底情けなかった。
鋭い刃が光り、叫び声と金属音が夜の空気を切り裂く。暗い甲板の上で左腕の白い布がひらめく。その後ろから斬りかかろうと刀を振り上げる敵がみえた。あぶないと思った瞬間、敵は矢をうけて倒れた。いつの間にかブリック船のマストの上でも腕に白い布を巻いた男が弓を構えていた。弓兵は揺れる船上をものともせずに正確な狙いで矢を放った。
――わが国の重装騎兵たちは戦闘で短弓を使わない。短弓から放たれる矢は金属の鎧で防ぐことが可能だからだ。
だが、鎧を用いない海上での戦闘で、ムバラムの弓は効果的だった。弓兵による援護を受けて、軽装の鎧をまとうムバラムの男たちは大きな湾刀でどんどん敵を薙ぎ払った。
一歩間違えば彼らと戦争になる。戦いに慣れた彼らの働きに背筋が寒くなった。
たかが密輸船の船員が、訓練に明け暮れる騎士や兵士たちに敵うなずもない。船員たちは一人また一人と倒れていった。
激しい戦闘の末、ついに甲板を支配下に置いた皇子が叫ぶ。
「生きているものは捕縛しろ! 内部を制圧するぞ。中の奴はできるだけ殺すな。行くぞ!」
騎士たちは息を整える間もなく船内を捜索し、隠れていた男を捕らえて甲板に引きずり出した。捕縛された男は身なりからして明らかに戦闘員ではない。
男を見て、アスワド皇子が指示をとばす。
「こいつの尋問は俺がやる。ユスフ、お前もこい。他の者たちは船内の麻薬を捜索してくれ」
ユスフと呼ばれた男が弓を手にして前に出た。あの男は、ポルトにきてから常にアスワド皇子と共にいる皇子の側近だ。
ユスフと呼ばれた男はアスワド皇子となにかを話した後、神妙に頷くと、空に向かって立て続けに2本の矢を放った。
ヒョウゥゥゥ
ヒョウゥゥゥ
と風を切る矢音が立て続けに鳴る。
初めて目にしたがあれは鏑矢だ。ムバラムでは矢の音で暗号文を伝えられると聞いたことがある。隣の船で戦っているものたちへ伝令を送ったのだろう……
アスワド皇子と配下たちは、流れるように場を支配していく。敵を制圧することに慣れた者たちの動きだった。
甲板に部下を集めてハルクが捜索場所の指示を出すのを俺はポケットの中から眺めていると、隣の船からも先ほどと同じような矢音がなった。
見えづらいが、隣に停泊している密輸船のほうも、ジョシュア殿によって制圧されたようだった。
ほっと肩の力を抜いたところに、突然、近くから悲壮な声が響いた。
「おい、いや、待てっ! 何をする。やめろー!」
ハルクが反応して向きを変えた瞬間、見えたのは、捕らえた男の腕を持つアスワド皇子の部下と、大きな湾刀を振り上げるアスワド皇子の姿だった。




