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第17話 真摯な謝罪


 公爵邸の窓から夕焼けに染まる空が見えた。殿下が小さくなってから五日目。何の進展もないまま、今日も日が暮れていく。


 昨日の王妃様のお茶会以降、殿下の態度が変わった。いつもわたしに見せていた尊大な態度はなりをひそめ、口調が柔らかくなった。


 今日は朝からダリルと一緒に王宮に行くという話だったが、ダリルだけでは王宮内を歩き回ることはできないはずだ。何をどうやって調べているのだろうか……ダリルに迷惑がかからなければ良いのだけれど……

 わたしは殿下とダリルのことが気になって、今日はまったく授業に集中できなかった。


 しばらくすると、バシュレイ家の家紋入りの馬車が公爵邸に入ってくるのが見えた。


 迎えに出ると、なぜかハルク兄様が一緒だった。

 ハルク兄様とダリルにあいさつして、殿下を受け取る。兄様に秘密を明かしたようだけれど、問題ないのかしら……


 部屋に戻ると殿下から『夜に話したいことがある』と告げられた。王宮で何か収穫があったのかもしれない……



 夕食後、私が身支度を整えて待っていると、石鹸の香りをふわりとまとってお風呂上がりの殿下が開け放した浴室から出てきた。

 二日目のあの日以降、殿下はお風呂の手伝いを拒んでいる……たしかに、あれは少しはしゃぎ過ぎたと自分でも思っているけれど……


 私は殿下をそっと手のひらにのせて、テーブルの上へ移した。テーブルにはドールハウスから移動した小さな椅子を置き、ソファに座る私と向き合えるようにしてある。

 殿下はとてとてと椅子に近づいたが、座らずにかたわらに立った。

 そして私を見上げて、ひと呼吸すると、殿下は唐突に片膝をついた――


 はっと目を見開く私に、殿下は跪いたまま、頭こうべを垂れる。


 私の喉がごくりと鳴ると同時に、殿下の声が力強く響いた。


「リリアンナ・モンブリー公爵令嬢、私の母が君にした事、君の尊厳を傷つけた言葉の数々を心から謝罪する。

 私は貴方を不遇な立場に置き、守ることも庇うこともせず、何年も辛い時間を過ごさせた。婚約者にあるまじき愚かな振る舞いだった。これまでの私自身の態度について深く謝罪する」


 殿下の心からの真摯な謝罪だった。

 目の前で起きていることに理解が及ばない。いや、理解できているけれど……


――喉の奥がぎゅっと詰まったように苦しくて、何を言えばよいかわからなかった。


 何かを言わなければと口を開くが、どうしても言葉にならない……


「私の姿が元に戻ったら、母上が君に無礼な態度をとることを絶対に許さない。

 母上の茶会に呼ばれたら次は必ず一緒に参加する。君を理不尽な悪意から守ると誓おう。

 私との婚約を破棄したいと願うのも当然だ。だが、もし許されるなら愚かな私に一度だけ君に向き合う機会をもらえないだろうか」

 殿下は臣下である私に跪いて頭を下げ続けた。


「殿下……」

 なんとか喉の奥から絞り出した言葉はそれだけだった。


 ゆっくりと心の中で硬く凝り固まっていた何かが解けていくのを感じた。

 わたしは胸の前でぎゅっと両手を握り、震える声で口を開いた。


「――謝罪を、受け入れます。殿下」


 殿下は顔をあげると、くしゃっと少し泣きそうな顔で目尻を下げた。


「ありがとう、リリアンナ。感謝する。このとおりだ」

 仰々しく心臓の上に右手をあてて、殿下は再び深々とこうべを垂れた。殿下の金色の髪がさらさらと流れた。


――ああ、殿下は己の非を認めて謝れる人なのだ。王妃様の態度は殿下のあずかり知らぬことだったのに……


「……あの、殿下。椅子に座ってくださいませんか」


 何故かこちらも丁寧な口調になる。だが、殿下は顔を上げたが動かなかった。


「話しづらいので座って頂けると嬉しいです」

 きっぱり告げると、今度は素直に腰を上げて人形用の椅子にちょこんと座ってくれた。


 いったい何から話せばいいのだろう――

 わたしは視線を落として、膝の上で組んだ指をもぞもぞと組み替えた。


「君は――」

と殿下が静かに話しはじめた。


「君は、私とふたりのお茶会でも……」

「殿下、いつもの調子で話してくださってかまいません」


 こほん――

 殿下がかわいい咳払いをして言葉を続けた。



「リリアンナ、君は俺とのお茶会でも堅い態度を崩したことはなかっただろう。あれも母上の指示なのか?」

「指示とは、違います。ただ、お茶会にはいつも王妃様の命を受けたメイドや護衛がついていました。何を話しても揚げ足をとられて後から叱責されるので、極力会話をしないようにしていました」

 わたしは私自身の態度を思い起こして、胸にざらりとした感触が残った。わたしは間違っていた……


「そうか――そんな昔から母上は……」

 殿下が深く傷ついたような顔をして、ふたたび謝罪の言葉を口にする。

「そうとも知らず、茶会で君に失礼な態度ばかりとってすまなかった……」


「謝罪はもう必要ありません。殿下は意図して私を貶めようとはしていません。わたしの態度が悪かったのです。あのような態度では殿下に嫌われても仕方ありませんでした」


 そう言って下唇を噛んだ。


 わたしは自分を守るためと言い訳をして、殿下を拒絶しつづけていた……わたしの態度に殿下も傷ついていたのだろうか……


「俺は、君が入学してからも二人きりになるのを避けていた。学園に入ればメイドも護衛も外れたのに……わかりあうきっかけになったかもしれなかったのに……な」

 殿下がぎゅっと眉を寄せて肩を落とした。


「君には嫌われていると思っていたし、母上から君の話を色々と聞かされて君のことを誤解していたんだ。もっと君とふたりだけで直接話せば良かった……」

 小さい殿下があまりにしょんぼりしているので、気の毒になってきた。


「殿下……、わたしは王妃様に対して思うところはありますが、殿下を嫌ってはいません。正直、殿下のことをあまり知らなかったですし……備品室で助けて頂いたことも、こうして真摯に謝罪して頂いたことも、予想外で……わたしこそ殿下を誤解していたのだと思います」


 紫の瞳がまっすぐに私に向いている。

 本当は殿下が悪いのではないと心の底ではわかっていた。幼い頃は殿下から歩み寄ろうとしてくれた時期も確かにあったのだ……


 誤解され、すれ違い、傷ついて、いつしかわたしは頑なに心を閉ざした。


 彼は悪い人ではないが、素直で人を信じやすく、王妃様を疑うことはない。与えられるものを受け入れ、みずから疑い調べることなどない。


 決して私を信じてくれることはないと……諦めたのだ……


 それからは頑なに意地を張っていた。

 わかりあえないと勝手に決めつけて、距離をおいた。

 弱みを見せないことだけを考えて、淑女の仮面で自分を守っていたつもりだったけれど、わたしは殿下には何をしても良いと考えていたのかしら……


 わたしのほうこそ、ひとりよがりで傲慢だったわ……


 わたしはすっとソファから立ち上がり、床に両ひざをついた。両手を胸にあてて殿下に対して深く頭をさげる。


「殿下、わたしは殿下ご自身のことを知ろうともせずに、自分の保身のために貴方に失礼な態度を取り続けました。

 殿下が歩み寄ろうと手を差し伸べてくださっても、頑なに心を開かず、何度も貴方を失望させました。

 長い間至らない婚約者であったと理解しています。わたくしのこれまでの非礼を心より謝罪いたします」


――――私と殿下の間に沈黙が落ちた


 私は頭を下げたまま、これまでの自分の過ちを思い返した。私たちは出会った頃、まだ10歳前後の子供だった。


 わたしが傷ついたように、彼もまた婚約者の冷たい態度に幾度も傷ついたのかもしれない……


 しばらくして、長年の葛藤を飲み込むようにして殿下が口を開いた。

「――謝罪を受け入れる。座ってくれリリアンナ」


 ソファに腰を下ろしゆっくりと目線をあげると、殿下がまっすぐにわたしを見つめていた。

 胸がいっぱいで、何かをこらえるような顔だった。


 きっと、私たちは同じような顔をしている――


 泣き笑いのような顔で殿下に笑みを向けると、殿下が照れたような顔をして優しく微笑んだ。


 ふふっ

 やっぱり小さい殿下は可愛いわ


 なんだか晴れやかな気分になって、わたしは殿下にひとつ提案をした。


「殿下。これからは、もっとお互いに話をするようにしませんか?」

「そうだな。俺も君ともっと話したい。姿が戻ったら君が周りを気にしないで話せる状況を作るよ」

「はい、お待ちしております……」


 約束の言葉に胸が熱くなったと同時に、お腹の底でざわざわとどす黒い感情が動くのを感じた。王妃様さえいなければ、こんなに拗れることはなかったのに……


 それに……姿が戻らなかったらどうなるのだろう……




 黙り込んだわたしに、しばらくして殿下が声をかけた。


「リリアンナ」

 顔をあげてみると、それまで神妙な顔をしていた殿下が、軽く眉根をよせてなぜか拗ねたような顔をしていた。


「……ずっと気になっていたんだが……俺の名前は『殿下』じゃないって知っているか?」



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