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第15話 兄様とハルク従兄様

 王妃様とのお茶会を終え、公爵家の馬車に乗り込んだわたしは一言も口をきかなかった。殿下と目を合わせることもしたくなかった。


 重苦しい空気のまま、馬車が公爵邸にたどり着いた頃にはすでにとっぷりと日が暮れていた。


 公爵邸の玄関ポーチにはいくつもの灯りがともり、別の馬車が止まっているのが見えた。使用人たちに囲まれて、ジョシュアお兄様の姿が見えた。


 先に停車している馬車の後ろに、わたしと殿下を乗せた馬車が停車する。馬車の扉が開くと、兄様が出迎えてくださった。


「おかえり、リリィ」

「お兄様! 今日は早かったのですね」

「俺もたった今戻ってきたところだよ」

 手をとって馬車を降りると、ジョシュア兄様にぎゅっと抱きしめられた。このところ多忙なお兄様とは顔を合わせる機会がなかった。

 久しぶりに会えて嬉しい……わたしも兄様の背中に手をまわして、ぎゅっとハグを返した。


「昨日の話は聞いたよ。大変な目にあったな」

 私はふるふると頭を振る。

「大丈夫。ダリルがたくさん助けになってくれたわ」

「お前には苦労をかけてばかりだな。何かあったら兄様に言うんだぞ」と兄様はわたしの頭に優しくキスをした。わたしも兄様の頬にキスを返す。


 すると、兄様の後ろから近衛隊の制服を着た大男が現れた。


「俺にはないのか。お姫様」

「ハルクお従兄様(にいさま)!」


 ハルク兄様はダリルの兄で実際は母方の従兄にあたるのだが、幼い頃から親しく過ごしているため、本当の兄のような存在だ。むしろ実の兄のジョシュアお兄様よりも私を甘やかしているかもしれない。

 中肉中背のダリルと違って、ハルク兄様は筋骨隆々とした大男だ。


「きゃあ」

 突然、ハルク兄様がいつものように私を軽々と抱えあげ、子どものように縦抱きした。

 兄様の顔を見下ろす形になった私は親愛の情を込めて「おかえりなさいお兄様」と兄様の頬にちゅっと挨拶した。仕事を終えた兄様からは男くさい汗のにおいがした。


「ハルク兄様に会えて嬉しいわ」

「久しぶりだな。リリアン」

 ハルク兄様が太陽みたいに笑った。わたしは強くて優しいハルク兄様が小さいころから大好きだ。


「ジョッシュ、俺はお姫様を部屋に送ってから向かうよ。いいだろ」


 お兄様が頷くと、ハルク兄様はわたしを抱えたまま颯爽と公爵邸のなかへ入っていく。体格の良いハルク兄様に抱えられると、まるで小さな子供になったようだった。


 兄様は安定した足どりで階段をのぼりながら、心配そうにわたしの目をじっと見る。


「それで……どうして俺のお姫様はそんな顔をしているんだ? 昨日の事件のことか?」

「違うわ。あ、昨日の事件はダリルのせいではないのだから、ダリルを責めたりしないでね」

「はっ。それは無理な話だな。ダリルがうかつだったんだ。出口のない部屋に二人で同時に入るなど罠にはまりにいくようなものだ。今頃、親父に鍛えなおされているだろうさ」

「ええっ」

 ダリルの申し訳ない気持ちで眉を下げると、兄様は当然のように言う。


「ダリル自身が望んでいることだ。武のバシュレ家の男なら大事な人くらい守れなくてはな」

 ダリルが望んでいるなら私からは何も言えないけれど……叔父様じきじきの特訓だなんてダリルは大丈夫かしら……


 鞄を持ってついてきたメイドが私の部屋の扉を開いてくれた。ハルク兄様はためらいなく室内に入り、私をソファに降ろすと、わたしの目の前にひざまずいた。


「……王妃様の茶会で何があったんだ?」

 ハルク兄様は近衛隊に所属しているから、王妃様がわたしを嫌っていることを知っている……


 優しい兄様にすがりついて、子どものように泣いてしまいたかった。でも、お茶会の席で投げかけられた侮辱的な言葉を兄様に知られたくない。


 わたしが「何もないわ……」と小さく頭を振ると、ハルク兄様がわたしの両手をとった。


「リリアン。いいか。よく聞け。我慢強いのはお前の美徳だが、お前ひとりが家門のために犠牲になる必要はない。ひとりで抱えこまずに何か困ったことがあったら俺に言え。絶対に助けてやるからな」


 じわっと浮かんだ涙を見せないよう俯いて「ありがとう、兄様」と呟くと、兄様はわたしの手をさらに力強くぎゅっと握って言った。


「いつも言っているように、何があっても、どんなことでもだ。お前が望むなら、お前をここから連れて逃げてもいい」


 ――兄様は何があっても私の味方だ

 じわっと心が温かくなって、私は兄様の首にぎゅっと抱きついた。


「ありがとうハルク兄様。兄様が王宮にいてくれるから心強いわ。大丈夫、わたしはまだ頑張れるわ……でも、ふふふ、やっぱり兄弟なのね。ダリルも同じことを言ってくれたのよ」

「ふん。半人前のくせになまいきな奴だな」

 兄様はニカッと真っ白な歯をみせて笑うと、私の目尻をそっと指で拭って部屋を出て行った。



――その日、王妃様のお茶会から帰宅した夜、殿下とわたしは一言も口を聞かなかった



 ◆ ◆ ◆


 朝、人の気配で俺は目を覚ました。メイドが窓を開けリリアンナに朝のあいさつをしている声が聞こえる。

 開け放たれた窓から眩しい陽の光とともに清々しい風が入ってきた。


――呪いの発動から五日目の朝だ


 リリアンナが支度を終えてメイドが部屋を出ていくまで、俺はドールハウスのベッドに横になったまま考えをめぐらせていた。


 昨日の母上の茶会……

 茶会の後からリリアンナとはまともに会話を交わしていない……

 リリアンナは明らかに俺を避けていたし、俺も何を言えばいいのか、何を言っても違うような気がして、考える時間が欲しかった。


 ――だからこそ、今日の予定は都合が良かった。

 昨日は登校後、すぐにダリルと合流して学園の図書館を調べた。だが魔道具や呪術に関する本は何も見つからず学園でできることは何もなかった。そこで、ダリルの助けを借りて今日は王宮の書庫へ忍び込む計画なのだ。


 メイドが出ていった後、リリアンナと顔を合わせたが、まるで以前の彼女に戻ったように感情を感じさせない淑女の顔であいさつを受けた。


 ここ数日は俺に対しても素の表情を見せてくれていたのに……リリアンナの心が再び閉じてしまったのを感じて、俺は腹の底がざわざわした。




 朝食後、リリアンナと一緒に学園へ向かう。学園でダリルと合流して、リリアンナと別れ、俺たちは学園を休んで馬車で王宮へと向かった。


 ダリルが乗ってきたのは古い小型の馬車で、ガタガタと揺れが大きい。

 当初の計画では書庫の鍵を盗んで忍び込もうと考えていたのだが、昨夜ダリルの兄とリリアンナの会話を聞いたことで、俺は考えを改めた。


「ダリル、計画を変更することにした。お前の兄、ハルク゠バシュレイに協力してもらおうと思っている。王宮に着いたら、兄を呼び出してもらえるか」


「ええっ、兄貴に秘密を明かしていいんですか」ダリルが驚いた顔をする。

「ああ、昨日ハルク卿がリリアンナと話す様子をみた。あの男ならリリアンナの害になることはしないだろう」

「あ~なるほど。兄貴はリリアンを溺愛してますからね。リリアンの婚約者の殿下が失脚するようなことは絶対しないでしょうね」


 解呪方法を調べるためにも、王宮の内部で動ける人間が欲しい。ハルクは近衛隊に所属していて都合が良いのだ。あいつならリリアンナのために、俺の解呪に協力してくれるはずだ。



 いままで俺の周りにいた者たちは、側近候補も護衛もメイドもすべて誰かの意向で俺に付けられた者達だ。俺が自分で選んだ者は誰もいない。


 彼らは俺に忠誠を誓っているのではなく、俺以外の誰かの顔色を見て動いている。

 呪術が発動したことで俺はようやく気づいたのだ。何があっても俺を助けてくれると信じられる人間が、俺にはいないのだと……





 王宮に到着した俺たちは、まっすぐに騎士団の詰所に向かった。

 目と鼻の先に王族の住まう宮が見える。この姿では自室に近づくことすらできない……いつになったら戻ることができるのだろうか……


 騎士団の詰め所でダリルが訓練中の兄を呼び出した。面談室に移動して人払いを済ませ、俺はおもむろにハルク゠バシュレイの前に姿を現した。


 ダリルの手の平に立ち、胸をはって名乗った。

「訓練中に呼び出してすまないな。俺はエルネスト゠ベルファスだ」


 ハルクは俺を見るなりぎょっとして固まり、名乗りを聞くと慌てて片膝をついた。


「ほ、本当に、エルネスト殿下、なのですか?」

 半信半疑のまま頭を下げ続けている。


「ああ。第一王子のエルネストだ。顔をあげてよく見てみろ」

 王族の警護をする近衛隊員とは顔をあわせる機会が多い。ハルクとも初対面ではない。姿が小さくなったとはいえ顔を見れば俺だとわかるはずだ……


「エルネスト殿下……そんな……本当に……」


 混乱するハルクにソファに座るよう命じて、ダリルと一緒に向かい側に腰を降ろした。

 これまでの経緯をざっと説明すると、聞き終わったハルクは俺の姿をまじまじと眺め信じられないというように呟いた。


「本当に、そんなお伽噺のような魔道具が実在するのですね……」

「ああ。その魔道具の解呪方法を探しているんだ。書庫に入る手伝いをしてくれないか。何かあったら責任は俺がとる」


 ハルクは困ったような顔をした。


「殿下……陛下はこの件をご存知なのでしょうか……」

「ああ、魔道具が発動して小さくなったことは知っている。解呪については何かを知っていて俺には隠しているようだったがな」

「陛下が話さないと決めたことを勝手に探って良いのですか」

「ああ、むしろ父上は俺の出方を見ているんじゃないかと思う。どうせ、俺のこの動きだって知っているはずだ」

 そもそも、王家の秘密と言いながらモンブリー公爵も何かを知っている様子だった。わざとらしく口止めされたが、ずっと違和感があったのだ。


 父上は俺を試しているんじゃないだろうか……



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