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第14話 王妃様からの呼び出し

 お茶会の開催日が招待状を受け取った翌日だなんて、本来ならありえない――


 王妃様から届いたその手紙は、体裁はお茶会への招待状だが、実際は断ることのできない呼び出し状だった。


 学園で広まっている噂の件を問い詰めたいのか、それとも閉じ込め騒ぎが起こることを知っていて、発覚するタイミングにあわせて送ったのか……

 いずれにせよ、お茶会で王妃様の叱責を受けるのは間違いないわ……



 閉じ込め事件の翌日、学園から帰宅した私は王宮に向かうための着替えを急いでいた。


 着替えが終わり侍女がアクセサリーを取りにいった隙をみて、私はなんとか殿下を説得しようとしていた。


「殿下はお留守番していても良いのですよ」

「なぜそんなに俺を置いていこうとする」


 そう言われても、逆にどうして殿下がついていきたいのかわからない。

 王妃様とのお茶会にまで一緒にいく必要があるのだろうか。できることなら、置いていきたい。


「ドレスには殿下を隠せるようなポケットがないからですよ」

「今日、グレイシャス侯爵令嬢からポーチを貰っただろう……」

「…………」

 そう、確かにもらった。


 ビビが昨日の約束通り『お守り人形用を持ち運べるように』と素敵なポーチを贈ってくれたのだ。

 一輪の大きなバラのコサージュのようなそのポーチは、バラの両端から繊細な金細工のチェーンベルトが三重になっているアクセサリーのような品だった。しかも殿下を入れて持ち運ぶにはちょうど良いサイズだった。


 朝一番でポーチを受け取った時に殿下も見ていたので言い訳もできない……


「ポーチの中は窮屈だと思うのですが良いのですか」

「あのなあ、俺は今日も一日中、窮屈なところに押し込められていたんだぞ。いまさらだろう」

「一日と言いますが、今日はずっとダリルとどこかに消えていたじゃないですか」

「――それはまあ、いろいろ調査をしないわけにはいかないだろう」


 今日の殿下は一限目の授業はポケットで受けたものの、一限目の休み時間にダリルと落ち合い、殿下とダリルは二人で調べ物があるといったきり、放課後まで戻ってこなかった。


 私はダミーのくまちゃんをポケットに入れたまま、今日一日を過ごしたのだ。


――ガチャッと衣裳室の扉がなり、侍女が戻ってきた。


 私は殿下を置いていくことをあきらめて、侍女に聞こえないように、こそっと殿下に囁いた。

「仕方ありません。では、お茶会では何があっても動かず喋らずでお願いしますね」

 急いで支度を終えた私はひとり(小さい殿下をポーチにしまったまま)王宮へと向かったのだった。





 午後の日差しが和らぐころ、馬車は公爵邸を出て王宮へと急いでいた。馬車の窓から流れる景色を眺めながら、わたしの気持ちはどんどん沈んでいく。


 どんなに急いでもアフタヌーンティーの時間には間に合わないわ。これでまた嫌味を言われるわね……


 王妃様のお茶会が楽しかったことは一度もない。

 私が王太子殿下の婚約者に内定したときから、なぜか王妃様には目の敵にされているのだ。

 幼い頃は、私に至らない点があるから叱責を受けるのだと思っていた。王妃様とのお茶会の帰り道、馬車の中でどれだけ涙を流したか数えきれないほどだ。


 あの頃は、必死に努力して王妃様のお眼鏡にかなう能力を身につければ、認めてもらえるはずだと純粋に信じていた。


 けれども、どれほど頑張っても、周りから優秀な令嬢だと評価されるようになっても、小さな瑕疵を見つけては叱責されるのだ。


 成長するにつれて私にもわかった。王妃様がわたしを嫌うのは王妃様の問題であって、わたし自身の問題ではないのだ。


――私はこの嵐が過ぎるのをじっと耐えることしかできない




 遅れて会場に入ってきたわたしに参加者全員の冷ややかな視線が注がれた。

 夕刻に始まったお茶会には十名ほどの貴婦人が招かれていた。全員が王妃様の派閥で、この場には王妃様に異を唱えるようなものは一人もいない。


 遅くなったことをお詫びして王妃様に礼をとると、王妃様は鷹揚に頷き扇を振って空いた座席を示した。


――またこの嫌味なお二方だわ


 同じテーブルを囲んでいたのはイザベラ嬢の母であるタルブ伯爵夫人とグレイス子爵婦人だ。


「王妃陛下のお茶会に遅れて参加するなんて、あなたはご自分が公爵家だからと王妃様を下にみているのかしら」

「公爵家のご令嬢がこれほど礼儀知らずとは驚きですわね」


 茶番だわ。絶対に間に合わない時間にお茶会を設定したのは王妃様なのに……


 今回の呼び出しも、学園から公爵邸に戻ってお茶会にふさわしい服装に着替えたら絶対に間に合わない時間設定だった。もし、わたしが時間を優先して制服で参加したならば、最低限の品位がないと責められるのだ。


 私はテーブルの下で重ねた手をぎゅっと握ってできるだけ弱弱しく答える。

「大変申し訳ございません」

 言い訳などすれば十倍になって返ってくるのがわかっている……


「貴方を呼んだのは聞きたいことがあったからです」

 言われた私は姿勢を正して王妃様に向き合った。


「学園でおかしな噂が流れているようですね。貴方には秘密の恋人がいるとか……?」


 ああ、やっぱりこの話題なのね……内心うんざりしながら表情を崩さずに答える。


「わたくしに恋人などおりません。ただの噂話でございます」


「貴方がお相手の男性とすでに深い仲になっているとの話も出ているのよ」

「事実無根の噂話です。王妃様のお心を煩わせるような事実はありません」


 何の感情ものせずにオウムのように繰り返す。

 王妃様がパチンと扇を鳴らした。これは王妃様が不機嫌なときの癖だ。


「リリアンナ。火のないところに煙は立たないといいます。噂話がでるだけで問題なのです。パール家の夜会に貴方が煽情的なドレスで現れたというのも話題になっていましたよ」


 またこれだわ。少しでも肌の露出があるとこうやって難癖をつけてくるのだ。そもそも、今は肩を大きく開いてデコルテをみせるのが流行りなのに……


「あのドレスは父が贈ってくれたものです。今の流行に合わせてマダムクリエに作って頂いたものです。煽情的だなんて……ドレスを選んでくれた父になんと言えば……」私はわざと困惑したように言葉をにごした。


「まあ、マダムクリエですって」

「一年先まで予約で埋まっているのよ」

「侯爵夫人ですらお断りされたのに」


 まわりのテーブルのご婦人方が扇子で口元を隠してざわめいた。

 公爵である父とマダムクリエの名を出せば、王妃様とて強く言えないだろうと思ったのだが、もしかしたら逆効果だったかもしれない。


 誰もが熱望するマダムクリエのドレスは、王妃様とて簡単に手に入るものではないのだろう。王妃様の頬がぴくぴくっと引きつった。


「流行のデザインだとしても! 殿方の視線を不用意に集めるような装いは王太子妃としてふさわしいものではありません。王太子がいない場で華やかに装って恋人との逢瀬を楽しんでいたともっぱらの噂ですよ」

「そのような事実はございません」

 きっぱりと否定すると、王妃様がもう一度パチンと扇を鳴らし、目を細めてゆっくりと言った。


「――バシュレイ子爵家の次男とは随分仲が良いようね」

 これは、昨日の事件を知っているのかしら……やはり王妃様の差し金だったのか……


「我が公爵家はバシュレイ子爵家の寄親にあたりますので、幼い頃からバシュレイの兄弟とは家族同然に育っております。エルネスト殿下とイザベラ嬢のような関係ですわ」


 わたしとダリルの関係に問題があるなら、イザベラ嬢の殿下に対する態度にはもっと問題がある。言外にそう告げてタルブ伯爵夫人に視線を送った。


 幼い頃ならともかく、イザベラ嬢は十六にもなって婚約者がいる王太子殿下に腕を絡ませたり甘えた声でまとわりついている。派閥の外での彼女の評判は最低だ。


 不貞の話題の中で娘であるイザベラ嬢の名を出したことでタルブ夫人が悔し気に閉じた扇をギリリと握った。


 王妃様が再び口を開く。

「そもそも、あなたが婚約者としてエルネストとの関係を築いていないのが問題なのです! いずれ王になるあの子には心を癒してくれる存在が必要よ。イザベラのような愛嬌のある女性が。

 後ろ盾の役目しかない貴方ではエルネストの癒しになれないわ。あなたには婚約者として一番大事なものが欠けているの――――」


 また始まったわ。くどくどと暗記するほど聞かされた話を王妃様がくり返す。


 私が王太子妃教育をなんなく終えて、優秀な令嬢との呼び声が高くなると、王妃様は殿下との不仲を責めるようになった。いまではもう、それしか私をおとしめる理由がないのだろう……


「エルネストが不憫でならないわ。あの子には心を癒してくれるような愛らしい娘と幸せになって欲しかったのに、こんな娘と生涯を共にしなければならないなんて……」


 私は心を無にして王妃様の首の皺を数えながらやり過ごした。


「リリアンナ、聞いているのですか! 貴方がエルネストの関心を得られないのは、貴方のその無関心な態度が問題なのです! 公爵家の権威がなければあの子が王になれないと思い上がっているのでしょう。本当に忌々しいわ!」


「そのようなことは思っておりません」

 わたしは神妙な顔をして答える。

 実際、公爵家が後ろ盾にならなくても殿下は王位につくだろう。だが、王弟派や側妃様が産んだ第二王子派と三つ巴の権力争いからは逃れられない。エルネスト殿下の治世で国の舵取りが難しくなるだけだ。


 王妃様はいったいなぜ私を排除して自分の息子が苦境に陥るようなことをするのだろう。私にはまったく理解ができなかった。


「エルネストの寵愛を得られないのは、あなたに女性としての魅力がないからでしょう。そのような関係で世継ぎに恵まれるとでも思っているのですか。世継ぎも産めないようなものは王太子妃にはふさわしくないのです――」


 周囲の円卓からクスクスと笑う声が聞こえる。ご婦人たちは私の体をじろじろと見ながら、わざと聞こえるように侮蔑的な言葉をひそひそと囁きあっていた。


「殿下はイザベラ嬢のような華奢で可愛らしいご令嬢がお好みでしょう。リリアンナ様ではねぇ」

「あら、あの体を使えば色仕掛けくらいできるのでは」「男を誘うような卑猥な体つきをしていますものね」「まあ、その言いようではまるで娼婦のようですわ」「恋人と深い関係と噂ですもの。そういうことでしょう」「まあ、なんてはしたない」


 既婚の婦人たちの明け透けな辱めの言葉に私はぐっと唇を噛んだ。胸が大きいのは私のせいではないし、それをあえて強調するような衣裳をつけたことなどない。


 私の顎がかすかに震えたのを見て、王妃様はふふふっと機嫌よく笑みをこぼして周囲のものをたしなめた。


「あなたたち、本人が噂と言うのですから、勝手な憶測で話をひろめてはいけませんよ」

 そうは言っても噂話はご婦人たちによって社交界にまで広がるのだろう。王妃様のお茶会で聞いた話なら真実かもしれないと尾ひれをつけて……


 私は正面を向いたまま、両ひざをぐっと締め、周囲の雑音など何も聞こえていないふりをする。何とか表情に出さないように、テーブルの下で重ねた手をぎゅっと力いっぱい握った。


 こんな屈辱的な言葉で私自身を辱められていることを誰にも知られたくなかった。


 それなのに――

 腰につけたポーチの中で殿下がもぞっと動いた。



 逃げ出したい気持ちを必死に抑えて、わたしはその場に留まった。いつもの仮面を張り付けて、背筋を伸ばして、嵐に耐える木のように……ただただ時間が経つのを願った。



 王妃様のお茶会がお開きになった頃には夕闇が迫っていた。頭上には薄暗い雲が低く垂れこめ、今にも沈みそうな夕陽が雲の下側を赤く染めていた。


 私は口を一文字に結んで、ひと気のない王宮の回廊を足早に歩いた。


「リリアンナ……」

 殿下がおずおずと声をかけてきたが、話すことなどなにもない。

「こんな場所で話しかけないでください」

 ピシャリと殿下に告げて、わたしは無言のまま馬車に乗り込んだ。


 馬車が走り出した後も、わたしは口を堅く閉ざしたまま、窓の外を眺め続けた――





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