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第11話 いてくれてよかった

 無事に出られても、どんな批判を浴びるかわからない……黙っていると悪い考えが次々と浮かんで、わたしは不安に押しつぶされそうだった。


 左肩にふれているダリルの温もりが、湧きあがる恐怖を少しだけ和らげてくれた。ダリルはいつの間に、こんなに頼もしくなったのだろう。昔は私より小さいくらいだったのに、筋肉質な肩の厚みも、腕の太さも今ではわたしと全く違う。


――ひとりだったら、きっと耐えられなかった


「ここにダリルがいてくれて良かった」

 ぽつりと言葉をこぼすと、ダリルがふっと微笑んだ。


「大丈夫だ。きっとすぐに警備員の巡回がくるはずだ」

「……うん」

「もしも警備が買収されていても、リリアンの不在に気づいたら閣下やジョシュア様がすぐに探してくれるさ」

「……うん」

 巡回がこないことにダリルも気づいているのだろう。


「心配するな。大丈夫だから」

 そう言って、わたしの頭をぽんぽんっとなでた。


 その手つきがあまりに優しくて、不覚にも涙がぽろっとこぼれてしまった。

「おい。リリアン、泣くなよ……」

「騒ぎになったら、お父様やお兄様にご迷惑がかかるわ……」

 自分のせいでモンブリー公爵家の名に傷をつけることが悔しくて、ぽろぽろと涙が落ちる。


「ここまで……隙を見せずに頑張ってきたのに……ずっと我慢してきたのに……ひどい」

 一度、言葉にしたら駄目だった。せきを切ったように涙があふれて止まらない。


「リリアン……」

 ダリルがわたしの肩に腕をまわして、ぐいっと自分のほうへ引き寄せた。大きな手でわたしの頭をそっと自分の肩にのせるように抱いて、髪を優しくなでる。


――こんな風に誰かに寄りかかったことは、もう何年もなかった


 ただ黙って寄り添うダリルの優しさに、よけいに涙が止まらなくなって、わたしは心に溜まった澱を吐き出すようにぽろぽろと泣き続けた。



 ひとしきり泣いて、わたしが落ち着くまでダリルは静かに肩を抱いてくれた。


「なあ、公爵閣下は抜かりないから、何があっても対応してくれるさ」

「……うん」

「もし醜聞になっても、揉み消すくらいできるだろ」

「……う……ん」

――さすがに校内で朝まで二人でいたのを大勢の生徒に目撃されたら、揉み消すのは無理だと思う……


「それに……もし最悪の事態が起きて、どうしても収拾がつかなかったら、俺が責任をとってリリアンを嫁にもらうよ」

「……うん?」

 ダリルの発言に驚いて涙が止まった。


「お前にとっては不服かもしれないがな。ちゃんと大事にするぞ」

 ダリルの肩から顔を起こすと、いつも調子がいいことしか言わないダリルが真剣な目をしていた。


「俺と醜聞になったら殿下との婚約は解消されるだろうし、そうなったら国内の貴族との結婚は無理かもしれないだろう? 国内にいるのが嫌なら、一緒に国外に逃げてやる。どうにもならなくなったら俺を頼れ」


 ダリルは本気だった。

 本気で責任をとると言っている……


 ダリルの決意と優しさがじわじわと胸に染みる。ダリルにはなんの落ち度もないのに。

 なんだか胸が熱くなった私は、ぐいっと涙を拭ってダリルに憎まれ口をたたいた。


「国外に行って、どうやって生活するつもりなのよ」

「おっ、元気がでてきたじゃないか」ダリルは眉をあげると明るい声で続けた。


「そうだな。じゃあ……どうにもならなかったら国外に逃げるとして……」


 少し考えるようなしぐさをした後、いたずらっぽく笑って意外なことを言う。


「実は俺、外国に行くのが夢なんだ。だから語学の授業は頑張った。帝国語と大陸共通語は何とかなるし、剣がまあまあ使えるから護衛なり傭兵なりできるんじゃないか?」

 ダリルが外国に行きたいなんて初耳だった。


「ダリルは騎士になるんじゃないの?」

「なりたくはないな……」

「どうして? 子供の頃から騎士になりたいって、あんなに頑張ってたのに……」

「理由は……かっこ悪いから言いたくない」と拗ねたような顔をした。


 私が目をパチクリしていると、ダリルは声を張って両手で膝を打つと

「やりたくない事じゃなくて、やりたい事の話をしようぜ!」と仕切り直した。


「リリアンは、もし自由に選べるなら何をしたいんだ?」

「何をしたいかなんて、考えたこともないわ……」


 だって貴族の子女として家の為に嫁ぐことは決まっていた。殿下との婚約も公爵家の娘の責務だと粛々と受け入れてここまできたのだ。

 それ以外の未来があるなんて想像したこともなかった。


「時間はあるだろ。考えてみろよ。もし、何にでもなれるなら何になりたいのか、どんな事をしたいのか」

 真っ暗だった未来の道にぽっと明かりが灯ったような気がした。


 けれど……いざ考えてみると、なりたいものが思いつかない。

 したいことなら……あるかしら。ふと、ドールハウスと人形の服が頭に浮かんだ。


「何でもいいなら……自分で選んだ好きな服を着たいわ」

「公爵家の令嬢なんだから、いまだって好きな服くらい着れるだろ?」ダリルが意外そうに言う。

「色々あるのよ……」

 ダリルは腑に落ちない顔をしながら、続きをうながした。

「じゃあ、どんな服が着たいんだよ」


 本当はわたしの服なんて興味がないはずなのに……

 わたしの不安を和らげようとして、明るい話をしてくれている、その配慮が嬉しかった。


「ええと……堅苦しい重たいドレスじゃない服……」

 ダリルが呆れたような顔をする。

「あのな。俺はやりたくない事じゃなくて、やりたい事を聞いてんの」

「…………」


 わたしは、ただ、王宮から贈られてくる嫌がらせのような古臭いドレスを着たくなかった。誰かの意見を押しつけられて自分が変えられていくのが嫌だった。でも具体的に何が欲しいなんて……


「リリアン、『わがまま』と『希望を語ること』は別物なんだぞ。欲しいものや好きなものは声にだして言っていいんだ。実際に手に入るかどうかは別の話だ。好きなものを我慢し続けたら、そのうち自分の気持ちがわからなくなるぞ」


 心臓がどくんと鳴った。


「お前は我慢しすぎだ。お前のことを大事にしている人間は、お前が何を好きなのか知りたいはずだぞ。さぼってないで伝える努力をしろ」


 私は頑張って呑み込んでいたつもりなのに、さぼっていたの……?


「ほら、よく考えて、言ってみろ」背中をぽんっと叩かれた。


 背中を押されて、ずっと心のなかに眠っていた幼い頃の思い出がよみがえってきた。公爵令嬢にはふさわしくないけれど……


「……ずっと覚えている服があるの……小さい頃、花祭りの会場を馬車で通り過ぎたとき、みかけたの……若い女性たちが髪にお花を飾って、すこし襟が開いた白いブラウスにパステルカラーのスカートとエプロンで……女の子たちがみんな笑顔できらきらしてた……お花畑みたいだった」


 ――若い恋人たちが手を繋いで笑っていた。

 堅苦しいドレスを着て、王太子妃教育のために王宮へ向かうわたしにとって、幸福の象徴みたいな風景だった。


 公爵令嬢にはふさわしくない装いだけれど……あんなふうに……


 そこで突然、ひらめいた。

「あ、私! 針仕事はできるの、可愛らしい服を作る仕事ならできるかもしれないわ」

 わたしの声がすこし明るくなったことに気づいたのだろう。ダリルがにやっと口角をあげた。


「花祭りの衣裳なら傭兵の稼ぎでも買えるだろ。俺が好きなやつを買ってやる。やりたい仕事を考えてみろよ」


――好きな仕事なんて想像したことがないわ

 叶えられない夢を見てもむなしくなるので、今まで考えないようにしていたのかもしれない。


 ダリルに促されて自分にできそうな事を考えてみる。


「うーん。商売にはあまり興味がないわ。語学を活かして翻訳の仕事とか? 好きな小説を翻訳して売るの。 あぁ、でもせっかく努力して身につけた教養を生かすとしたら……領地経営の補佐官とか? 女性が活躍している国でなら採用されるかもしれない。お針子よりはバリバリお金を稼げそうな気がするわね……」


「おいおい、それじゃあ俺より稼ぎがよさそうだな」とダリル。


「あら、わたしがこれまでの人生でどれだけ努力してきたと思うの。うだつのあがらない傭兵よりは稼ぐつもりよ。そうなったらダリルを養ってあげるわ!」

「ははは。それでこそリリアンだよ」ダリルが快活に笑った。


 状況はなにひとつ変わっていないけれど、この世の終わりのような絶望的な気持ちが、いつの間にか消えていた。


「ダリルと結婚する人は幸せになるわね……」

 わたしがぽつりとこぼすと、ダリルがさも当然のように言った。


「嫁さんを幸せにするのは当たり前だろ。自分の家族を幸せにできないやつは男じゃないって親父がいつも口うるさく言ってるしな」

「バシュレイおじ様は、ああみえて愛妻家だものね」

「まわりからは、手負いの巨大な熊みたいに思われてるけどな」

 巨漢で髭もじゃで『鬼のバシュレイ』と呼ばれるおじ様だけれど、おば様には頭があがらない姿を思い出して、わたしはくすくす笑った。


 夕方のオレンジ色の光が次第に弱まり、室内の暗さがじわじわと増してきた。地べたに座っているせいで床からひたひたと冷気が忍びよってくる。


もうすぐ、夜がくる――

 このあと訪れる暗闇と、明日以降に社交界を駆け巡る醜聞を想像するとわたしは背筋が寒くなった。


「リリアン、寒いのか。真っ青だぞ」ダリルが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


 ダリルはじっと動きを止めて何かを考えているようだったが……

 彼は、床に座った姿勢のまま足を軽く開くと、両手を大きく広げて、なんでもないように言った。

 なんでもなく聞こえるように言ったのかもしれない。


「なあ、寒いならここに来るか?」


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