第2話 水泳部女子の僕っ子
俺が寿司に誘った(ことになっている)のは前の席の体育会系女子、赤穂紗由美だ。
後ろ結びの短めの髪に小麦色の肌。
分け隔てなく教室の寝たふりしている男子にも話しかけることのできる性格と彼女の僕っ娘属性は一部の男子に非常に好評だ。
俺はそんな彼女にどんな言い訳をしようか、早朝の教室で考えていた。
昨日歌苗によって送られたメッセージに既読はついていない、状況としては最悪だ。
メッセージアプリで送信済みのメッセージの削除はできなかった、いや今となってはそれも無意味かもしれない。
一晩立って未読ということは通知見て即ブロックが濃厚…早く誤解を解かなければあらぬ噂を流されて今後の学校生活も死人同然になってしまう。
そんな絶望をどこ吹く風と、教室に差し込む美しい朝日は俺の心に平穏をもたらそうとしていた。
「八海くん…」
平穏ははるか彼方へと遠ざかった。
背後で声が聞こえ背中に緊張が走る、嘘だろ、早すぎる。
なぜ俺が今日早めの登校に至ったのか、それは心の準備のためだった。
小心者の俺には誰もいない教室で赤穂さんに話しかける際のシチュエーション、動線、周りの視線を最小限に抑えるための自然な動き等を夢想する時間が必要だった。
そのために早朝の誰もいない教室に身を置く必要があったが、そこに一つの誤算があった。
彼女の所属している水泳部には朝練があったのだ。
故に、赤穂さんが早朝の教室に来る可能性があったことは容易に予測できたことだった。
何故その可能性を見逃していたのか、昨日のトラブル由来の精神的不調による寝不足が原因なのか、はたまたリカバリーを急いだがための失態か。
いやまだ背後にいるのが赤穂さんだと確定したわけではない。
恐る恐る、俺は振り向く。
「えーと、おはよう?」
振り向くとそこには赤穂さんがいた、確定した。
濡れた髪に汗をかいた額、肩に羽織った上着の下には水着が見える。
「赤穂さん…?」
誰もいない教室に水着の女の子という取り合わせは言いようのない危険な香りを放っていた。
なんで水着なんだ、普通朝練が終わったら更衣室で制服に着替えてから教室に向かうはずだ。
そんな恰好で早朝校内闊歩なんてまさか痴女なのか、いやそんな噂は聞いたことがない、俺が校内痴女情報を聞き逃すわけがない。
硬直した体とは裏腹に思考は加速していく…
「スマホ、取りに来たの」
そう言い彼女は俺の横を通り抜け、自分の席からスマホを取り出した。
「昨日スマホ忘れちゃって…朝練中だったんだけど休憩に入ったから取りに来ちゃった」
「あ、ああ…そうだったんだ」
先ほどまで漆黒だった俺の脳内に一筋の光が見えた。
一晩たっても未読だったのはそもそもスマホが手元になかったから。
つまり彼女はまだあのメッセージを見ていない、本当の意味での未読。
「あー、やっぱり充電切れてる。僕のスマホ古いやつだからすぐ充電なくなっちゃうんだよね」
電源ボタンを何回か押し込みながら彼女はそう言った。
これは好機だ。
「赤穂さん!俺モバイルバッテリー持ってるから良かったら使わない?」
俺は赤色のモバイルバッテリーを彼女に差し出した。
「本当!?助かる~!これ放課後まで借りちゃっていいかな」
「全然いいよ!」
起死回生の一手が決まった。
この一手はごく単純な貸し借りの話に見えるが実はそうではない。
まずこのモバイルバッテリーについて説明しよう。
このバッテリーは市販されていない、歌苗の特別製だ。
GPS機能、盗聴機能、繋いだスマホへの強制的なアクセス機能等々FBIも驚愕の極悪使用だ。
なぜ俺がそんなものを持っているのか、答えは簡単で俺はあのバッテリーを介してスマホを充電することを義務付けられていた(もちろん守っていないが)。
つまりは歌苗による監視行動の一環として俺に与えられた首輪の一つだったというわけだ。
そんなものを赤穂紗由美に渡してどうするのか、目的はメッセージの改ざんだ。
すでに送られたメッセージのデータはアプリ会社のサーバーの中、さすがに企業サーバーへの不正アクセスは俺や歌苗の権限を逸脱した行為に該当してしまう。
だが彼女のスマホの画面に表示される文字を改ざんしてしまえば無問題、すべてが丸く収まるという訳だ。
なぜ歌苗にこんな技術があるのか、なぜ俺が彼女に監視されているのかについては複雑な事情があるため割愛させてもらう。
「ありがとう八海くん!絶対返すから!」
そういって彼女は朝練に戻っていった。
このモバイルバッテリーを貸すという行為には必ず返してもらうというイベントもセットになっている、一粒で二度お得な一手だったという訳だ。
さて…問題は彼女の朝練が終わるまでの数十分間にある。
あのバッテリーを使用した場合、繋いで数分で電源がつくまでは充電がされるだろう。
重要なのはその後だ、スマホに電源が入る状態かつ朝練が終わり赤穂紗由美がスマホを操作できる状況に至るまでにメッセージを改ざんしなければならない。
俺は赤穂紗由美の後ろ姿が見えなくなったのを確認したと同時に歌苗に電話をかける。
『…緊急?』
「緊急だ、モバイルバッテリーに接続されたスマホのメッセージを改ざんしてほしい」
『…?あぁ、あの赤穂とかいう昨日ラブコール送った…』
あれのどこがラブコールなんだ。
寿司発祥の地でそんな文化が無い以上、こいつが異世界から来たという可能性が出てきた。
「今朝偶然会ってな、どうやら彼女はまだメッセージを見ていないようだ。午前八時までにあの駄文をどうにかすれば昨日のはチャラにしてやる」
『えー、それが人に物を頼む態度かなぁ』
こいつはいつもそうだ、窮地に立たされた俺がどうあがくかを安全圏から楽しんでやがる。
しかし背に腹は代えられない。
「…お願いします、何とかしてください」
『よく言えました、お姉ちゃんに任せなさい。あれをクソつまらない文章に改ざんしとけばいいんでしょ?』
「…できれば挨拶程度の文章にしておいてくれ」
『りょーかい!あ、それと帰りにビール買ってきてね!』
「俺は未成年だ!」
何はともあれ、これで問題は解決した。
しかしこのひと悶着があの事件の原因になるなんてことは、俺はこの時知る由もなかった。