閑話 ネルルの見た夢
これは二人にも語れなかった、水路で見た夢。
ずっと昔の大事な記憶から始まる、自身の生き方を見つめ直すキッカケとなった出来事。
「――ネルル、起きなさい。授業中ですよ?」
「ハッ!?」
ふとこんな呼び声に気付いて驚き、つい勢いよく立ち上がります。
すると視界には懐かしい風景が広がっていました。
黒板の前で教鞭を手にする院長と、わたくしを囲む当時の懐かしい兄妹たち。
皆わたくしを見てクスクスと笑っています。
これは孤児院で受けていた子どもの頃の授業の光景、でしょうか。
「もうネルルったらヨダレまで垂らしちゃって。よほど夜更かししたのね?」
そう言われてハッとし、つい口元を腕で拭います。
だいぶ気持ちよく眠ってしまっていたみたい。
そのままふと手元を見ると子どもの小さな掌が見えました。
おかしいですね、今までワーキトンとして街中を走り回っていたはずなのですが。
いえ、それ以前に聖女の頃すら戻り越えてしまっていますね。
「あの、これは一体?」
「おやおや、授業中ってことも忘れちゃったのかしら?」
「あ、いえ……」
そうたしなめられ、唖然としながらも席に着きます。
授業もそれに合わせて淡々と進み始めました。国の歴史の授業だったようです。
授業の内容は子ども向けの簡易的なもの。
わたくしの子ども時代に受けていた内容に相違ないのでしょう。
ならなぜ未来の記憶があるの?
もしかして今までのは全部、夢だったのでしょうか?
……そうですね、きっとそうなのでしょう。
聖女も、神様も、魔物への転生も全部夢だったのです。
全て孤児のわたくしが思い描いた夢物語で、見果てぬ願いだったのでしょう。
「いいえそれは違いますよネルル。これは夢ではありません」
「――え?」
でも途端に院長が姿勢を正してこちらへ向き、妙なことを言い始めました。
周りの兄妹たちも同様、一同にしてわたくしへ向いています。
「厳密に言えば、あなたの夢ではないのですよ。これは、私たちの夢です」
「院長、何を言って……」
「あなたが聖女として死んだ時に放った光。あの輝きは多くの人の命を奪いました。それは当然ながら私達も同様にして」
え、え?
「大人ともなれば疚しい心は誰にだって産まれ得ます。故にあなたと一緒に育った兄妹たちもまたあの光に飲まれてしまったのですよ?」
「わ、わたくしが、みんなを……!?」
……そうです。
あの滅びの光はわたくしの意思で制御できるものではありませんでした。
邪な心を持つ者を見境なく焼き払う浄滅の輝きでした。
でも、だからって何故わたくしを責めたてるように仰るのですか。
院長ももしかしてわたくしのことを恨んで……?
「でもねネルル、私たちは貴方を恨んではいませんよ」
「えっ?」
「むしろ感謝しています。それは聖女ではなく貴方自身の心を一瞬でも感じさせてくれたから。そしてその苦しみを心から共有することが出来たから。聖女としての役目と使命、とてもお辛かったのでしょう?」
「院長……」
院長は優しく微笑んでくださいました。兄妹たちもそう。
とても恨みなんて感じるような雰囲気ではありません。
「では、最後の授業を始めるといたしましょう」
次第に背景が掠れていきます。
残されたわたくしや院長たちだけが白くなる風景に残されていました。
それもまるで空中にふわりと漂うようにして。
「あの輝きには貴方の心の叫びが投射されていたのでしょう。それともう一つ、迎合する一部の魂が光に巻き込まれることで、貴方の魂の中へ溶け込むという特徴も」
「……だから院長が、皆がここにいるのですね」
「ええそうよネルル。だから私たちは決して夢や幻ではないのです」
そうだったのですね。
皆ずっとわたくしのことを見守ってくれていたんだ……。
「だからこそ辛いのもわかりますとも。でも私たちはそれでも諦めて欲しいとは思いません」
ええ、そうですね。院長ならきっとそう言います。
諦めずに生き続ければきっと良いことがあるって。
いつもいつも耳にタコが出来るくらい聞かされましたから。
「たとえ裏切られても、魔物になっても、貴方は貴方です。貴方がいつも孤児院の子どもたちを心配してくれていたのと同じように、私たちもまた私たちの分まで生きて欲しいと願っています。どうかそのことを忘れないでください」
「はい、院長……!」
気付けばわたくしの掌はもう肉球に変わっていました。
院長たちの姿もぼやけていき、もう顔もロクにわかりません。
でも寂しくはありません。
皆はいつも一緒にいる。一緒にわたくしの中で生きている。
故にこの魂の記憶を消したくはない。
たとえ魔物として生きることになろうとも皆の意思と共に生きていきたい。
……そう思うと、今までに積んだ心の痞えが嘘のように消えてなくなりました。
きっと今までずっと決心がつかなかったのかもしれませんね。
「皆、教えてくれてありがとう! おかげで生きる希望が出来たよーーーっ!」
だけどもう大丈夫です。
わたくしは頑張って生きていきますから。
だから見ていてくださいね、皆。
そうして皆の姿が完全に消え、わたくしの意識も薄らいでいきました。
最後の授業が終わりを迎えたのです。
もしかしたら目を覚ませば全て忘れているかもしれない。
だけど院長たちの願いだけは絶対に忘れないでしょう。
だってその願いは、わたくしの心に元からあった信条と同じなのですから。
そう認識できたからこそ、わたくしは自信を持って新たな人生の一歩を踏みしめられたのです。




