9.地図と知られざる事実
昨日、寝る時間になってもハリネズミ執事は起きなかった。
ハリネズミの活動時間って21時から3時とかだったっけ。
考えてみたら、起きているハリネズミ執事の顔を見たのって、生まれた時だけだったり?
いやいや、誕生日の時には起きていた気がする。多分。
執事だからか、体の針を気にしてか、他の子よりも距離が遠く、抱きついてくることはない。
思い出せないな。顔。
こうなると、別のハリネズミ型の精霊が紛れ込んで来ても、俺、気がつけないんじゃ…。
もしくは既に何人か交代で現れている可能性も捨てきれない。
微妙な色の違いでわかるかな?全員白いだろうけど。白って二百色あるらしいし?見分けられる?
まぁ、それでも良いか。
可愛いし。
朝見つけたところと同じ場所に寝かせたら、体がだらんと伸びて、お腹が曝け出された。
お腹!
触りたいけど、無断で急所かもしれない場所に触れるのはちょっとなと思い、ちょんと手にだけ触れてから昨夜は寝たのだ。
翌朝、部屋がノックされる音で目覚めた。
「ルーク?起きてる?もう朝ごはんの時間になるけど、何かあった?大丈夫?」
え!もうそんな時間?
慌てて窓を見ると、窓から伸びる影がいつもより少し短くなっているのに気がつく。
昨夜はハリネズミ執事が実は沢山いるのではないかという想像を膨らませすぎて、夜更かししてしまったようだ。
この世界には時計がない。月もないので夜の時間は特に分かりにくいのだ。
そんな世界なのに、加護の強いこの王国でも時間がわかりにくいのに、今はもう隣国の属国となったスライ王国は、太陽が出ない、曇天&大雨で、夜と昼の時間をどうやって刻んでいたのだろう。なにか技術開発でもされていたのかな。時計があるなら輸入してもらいたい。
無いならアーサーに言って作り出してもらおうか。
など考えてこんでいたらアイリスが慌てて扉を開けて入ってきてしまった。
ごめん母さん。返事し忘れた。
「あぁ、起きていたのね。良かったわ。熱はないわね?だるくはない?ほら口を開けて?」
と、触診が始まってしまった!
本当、心配かけてごめん!
「おはよう。母さん。大丈夫。なんともないよ。昨夜夜更かししちゃったんだ。ハリネズミ執事が全く起きないから、観察しちゃった。」
「まぁ、それは楽しそうね。観察日記をつけたら良いんじゃないかしら?つけた日記はもちろん見せてね。ノートならいくらでもあるから、持って行きなさいね。」
研究者の顔がのぞく。
心配させすぎるより、この方がよっぽど良い。
「うん。それも良いかも。精霊観察日記とか。」
「そうね!字を書く練習にもなるものね。」
とは言え、五歳の俺は読み書きは既に履修を終えている。家の敷地から出ることが少ないので、勉強が捗る捗る。という現実!
……。
ちょっと悲しいので、視点を変えてみよう。
外遊びが出来る場所を作る方法を考えてみよう。
この王都の地図くらいなら手に入るに違いない。
早めに着手するとして、場所が出来た時ルークはいくつになっているだろう。
うん。子孫のためと思おう。まだ見ぬ息子、娘よ。君たちのために力を尽くすよ。うん。
一人息子の勉強がどこまで進んでいるのか、全て把握していないアイリスは、
「じゃあ、今日の午後はお仕事休んで文字勉強をしましょうね!」
と、久々の愛息子との時間を思い一人ウキウキしながら、ルークの顔を絞った布巾で拭い綺麗に拭けたかを確認し終わると、耳にイヤーカフをつける。今日は四歳の時の誕生日プレゼントのイヤーカフだ。
文字の勉強…もうそれは随分前に理解し終えてるよ。母さん。
でも、時間をとってもらえるなら有り難い。
普段聞けないことをあれこれ聞く時間にしてしまおう!
「午後ね、約束だよ!母さん!」
そうして身支度を終えると連れ立ってリビングに向かった。
いつものようにダイニングテーブルに着く前にアーサーに朝の挨拶をする。
「おはよう!父さん。」
「おはよう。ルーク。今日の精霊さんは誰かな?どこにいるのかな?」
とウキウキ顔で確認されて、椅子に座ったところで初めて気がつく。
通常、目覚めからリビングに到着するまでの間に現れる精霊を、今日は見かけていないのだ。
「ほ、本当だ。見落としちゃったのかも!」
慌てて椅子から降りようとすると、微かな声が聞こえた。
「ここだよ!ここ!」
「え?どこ?」
俺にしか聞こえない声に返事をしたので、両親が動きを止めた。小さな精霊さんの場合、足元にいたら踏んでしまうこともあるかもだし、テーブルにいたらお皿の下敷きにしてしまうこともあるからだ。
キョロキョロと視線を彷徨わす両親。見えないけど敬意を持って、接しているのだ。
俺も動きを止めて足元を確認するために頭を下げようとすると
「うわぁ!落ちちゃうよ!動かないでぇー!」
と悲鳴に近い声が頭の上から聞こえてきた。
頭を下げるのをやめ、そっと元に戻すと両手のひらを上に向けておでこに、手首を添わす。
頭にいるなら手のひらにどうぞというわけだ。
微かな衝撃と水分を感じた左手を、右手と一緒にそっと下げて確認すると、そこには小指の指先サイズほどの白いカエルが片手を上げて挨拶をしていた。
「おはよう!ルーク。今日は部屋の洗面器の水で遊んで待ってたの。なかなか起きないからボケっとしていたら、気がついてもらえないうえ、絞る布巾に巻き込まれそうになるし、大波が起きて溺れそうになるし、置いていかれそうになるし、慌てて頭に飛び乗ったのにやっぱり気がついてもらえないしぃ。」
と、両手を使って身振り手振り説明してくれる。めちゃくちゃ可愛い。でも老眼だったら絶対に見えないなこりゃ。
朝からちょっとした(小さなカエルにとっては大きな)ハプニングがあったようだ。
「それは大変な目に合わせちゃったみたいで本当にごめんね!でも無事で良かったよ。おはよう。白カエルちゃん」
そう手のひらに向かって頭を下げて謝ると、両親から説明を求められた。今朝の出来事を白カエルちゃん目線で説明すると、アイリスはとても悲しそうな表情に変わり、ルークの右手に向かって頭を下げた。
「白カエルちゃん、ごめんなさい。布巾で絞り殺すところだったのかも。溺れはしないかもだけど、怖い思いをさせてしまったわ。声をかけたらよかったわね。」
それが左手に向かっていたらどんなに良かったか。
まぁ、精霊さんたちは自分たちが見えていないことはよく理解してくれているので、良いよ良いよと気にしていない。白カエルちゃんも例外ではなく、笑顔で答えてくれた。
「大丈夫よ。こちらこそ、あんなところで遊んじゃってごめんね。でもおしっこはしてないから大丈夫よ。」
と、ちょっぴりドキッとすることを言った。
おしっこしてたら、知らずにそれで顔を洗っていたってことか。
それは今後も控えてね。と心で呟き、アイリスには大丈夫だってと伝えた。
テーブル上の空の小さなお皿を引き寄せ、右手でコップの中の水を数滴だけ慎重に垂らし入れて、そこに白カエルちゃんに入ってもらった。
「もう少しお水を増やしてくれる?」
再び慎重に数滴水を垂らして、様子をみて、満足そうなので、布巾で手を拭いてから朝ごはんにした。
「白カエルちゃんか。久しぶりじゃないか?少しは大きくなったりしたのかい?」
「ううん。相変わらず俺の小指の先くらいのサイズだよ。間違って踏んだら一貫の終わりだね。」
そう伝えると、アーサーからは白カエルちゃんのいる小皿の水が飛び跳ねているのが見えたらしく
「そ、そんな怖いこと言うもんじゃないぞ、ルーク!白カエルちゃんだってびっくりしちゃうだろ?」
「お互い気をつけなきゃってことだよ。」
と、当然のことを言う俺を両親は戦々恐々としている。精霊はこのくらいのことでは怒りませんよ。
でもこの王国では、信仰対象になりつつあるみたいだし、不敬に思ったのかも。
「大丈夫。精霊さんたちは理から外れなきゃ怒らないって言ってたよ」
と伝えてみた。
「そ、そう。五歳に理がわかるのか。」
「我が子ながら恐ろしわ。」
何か呟いているけど聞こえないので、耳にしなくても良いことなのだろう。
今日の食後のデザートは枇杷のようなオレンジ色のフルーツだ。これは白カエルちゃんも好きだったはずなので、早く朝食を食べ終えて一緒に食べたいのだ。
味わいながら少し急足しで食べていると、アーサーが思い出したように
「そうそう。親父と連絡がついたんだ。いつからでも、いつまでもいて良いってさ。」
と、笑うが、横のアイリスをその顔のまま見れるのだろうか。父さん。
ルークと離れたくないアイリスとしたら、『いつまでもいて良い』は禁句の一つなんじゃないだろうか。
あれはちょっと怒ってるように見えるぞ。
「ちょっと、アーサー?快諾したんじゃないでしょうね?」
怒っているけど冷静だ。帰って怖いよ母さん。
でもこれは、言葉をオブラートに包まなかった点、事前に伝えてなかった点、それらを踏まえてアーサーが良くなかった。
なにが?と言う顔をして妻アイリスを見つめる
夫アーサー。鈍感がすぎるでしょ。
しっかり話し合ってもらおう。午後まで響かないようにだけ気をつけてもらいたい。午後から母さんとの“勉強”の時間なのだ。
「あら、午後はずっとお勉強?」
白カエルちゃんに聞かれたので、そうなるはずと伝えると、なら今日はフルーツ貰ったらお暇するわ。と白カエルちゃんにしては珍しくちょっと早めの帰るコール。いつもは後もう何時間か一緒にいるのに。
「え?忙しいの?」
「え?だって、何日かしたらデイジーの家(母方の祖母)に行くんでしょ?ならそこで会えるし。
え?どう言うこと?と聞くと
「あら言ってなかったかしら?あの湖、私たちの棲家なの。」
「うっそ。知らなかったよ!」
びっくりしすぎて大きな声が出ちゃった。
両親もびっくりして少し飛び上がっていた。
「ど、どうかしたの?ルーク」
「え、えっと、二人に伝えても大丈夫だから話してくれたんだよね?」
白カエルちゃんは皿の上の少ない水を背中に感じたかったのか、ひっくり返っていた。
この感じ好きかも〜。と呟く白カエルちゃん。
お腹を見せてだらりと脱力するその姿は、なかなか見ない姿ではあったけど。
白カエルちゃんは返事として、そのままの姿勢で右手を挙げてサムズアップした。
白カエルちゃんは小さいので、身振り手振りを大きくする事で存在をアピールしてくれるのだ。
聞き入れてもらったようなので、二人に話す。
「白カエルちゃんたちの棲家、じいちゃんの家の後ろの湖なんだって!」
「「ええ!!」」
驚きで固まる二人。アーサーなんて、口から豆が出ちゃってるし。
大人なんだから、気をつけてよね。
固まる二人を見てルークは笑う。
さてさて、二人より先に食後のフルーツをいただきましょう。
やっぱりこれが一番好きかも〜!と喜ぶ白カエルちゃんと枇杷を味わい終わっても、両親は固まったままだった。
そりゃそうか。精霊の棲家なんて、この王国では、知られてないもんね。
「水場は結構多いわよ。」
更なる爆弾発言を投げつけた。