3-105.服の多さ=お金持ち貴族
本日二コマ目の授業は、お馴染みの小ホール。
予約しておけば他の少人数用の教室も借りられるはずなのに、今回は生徒三人教師一人の合計四人であえてトーマスはこの小ホールを予約した。
前回ルークの契約精霊である白馬の精霊とユニコーンの精霊がやってきてテンションぶち上がったからと言うのが真相である。
今回もそうなったらいいなぁという目論見…企てというわけだ。
午後からの授業も、引き続きこの小ホールとの記載がある時間割を見て、ルークは笑った。
早々馬型の精霊が現れることなどないのだが、とてつもなく期待しているトーマスが、大人なのに可愛い人だなと思えたからだ。
ガランとした小ホールの端っこに机と椅子が準備されており、トーマスは既に座って待っていた。
机に両肘を立て顎の下に手を組んでニマニマした表情で入り口を見つめていたので、ルークたちが入室してすぐに立ち上がった。
「待ってましたよ!さあさあさあ!先週末と同じように座ってください!」
待ちきれないのか、挨拶もせずにメガネを輝かせて両手で手招きしている。
もう大人とは思えない無邪気さだ。
「トーマス先生、こんにちは」「「こんにちは」」
ルークたちは挨拶を済ませつつ、トーマスの圧に負け小走りで席に着いた。
とりあえずトーマスは教師だし。という意識からである。
トーマスの後ろにいつもはないテーブルが一つ準備されていて、コップとお茶が入ったピッチャーが乗っている。
通常授業では教師が飲み物を準備してくれることはそれほど多くない。体育の授業である程度である。
今回は長丁場になることを予想しての準備だろう。前回も管理人さんに途中で持ってきてもらったので、その管理人さんの手間を省いた可能性もある。
ピッチャーとコップは保冷盤の上に乗せられているので、ずっと冷えたまま喉を潤してくれるだろう。
「あ、すみません。ご挨拶もそこそこに。こんにちは。」
トーマスが座った三人に向けて頭を下げ、グレンに時間割を届けてもらったことに対する礼も済ませた。
まだチャイムが鳴らないので、自由時間である。
その隙にグレンはグレナに一つ質問をした。
「ねぇ、姉ちゃん?今朝なんか予定でもあったの?気が付いたら後ろからいなくなっちゃって焦ったんだけど。」
グレンとグレナはいつも二人で一コマ目の授業を受けていた。
寮からの道も同じ道を通るので、出来るだけ一緒に登下校できるように、女子寮の玄関付近までグレンが送り迎えしているそうだ。
どちらかに予定がある時は別々になるが、合同授業も出来るだけ一緒にいるようにしている。それは、スキルの暴走による泥で周囲に迷惑をかけてきて周囲から疎まれているグレナを守るため。
今日も一緒に登校していたのに、気が付けば後ろにいたはずの姉が見えなくなり、焦って周囲を探したが見つからず。授業が始まるギリギリまで捜索したがやはり見つからない。
仕方なしに一人で教師棟のトーマスの部屋へ行けば、印刷出来たばかりの新しい時間割を渡されたのだ。
「あ。ご、ごめんね。ちょっと呼びだ…えっと、道を尋ねられて?」
「いやいや。いま呼び出されたって言いかけたでしょ。なんならほとんど口に出ちゃってたから。またあの人たち?根に持ちすぎでしょ…。」
「うん。でも私が上手くスキルを使えなかったのが悪かったんだし。って、今回はちょっと趣向?が違ったんだけど…。」
「趣向が違う?」
小声でグレンとグレナが話しているが、机に座って向かい合っているのでルークとトーマスの耳にも当然届いた。
先程の話であれば、出来るだけ耳に入れないようにルークは意識を逸らした。聞いていたら余計な口を挟んでしまいそうだったからだ。
しかし、トーマスは違った。
二人の担当教師もトーマスなので今まで遭った不幸な話は伝えてあったのだ。
「また彼女たちですか?」
「あ、はい。すみません…。」
「グレナさんが謝る必要はありません。あちらの担当教師にも改善要求してあるんですが、相手が侯爵令嬢ということで、なかなか伝えにくいのも解るんですがねぇ。」
困った顔のトーマスに、ルークはついつい声をかけてしまう。
「そう言うものなんですか?」
「ええ。ルーク君のところのような貴族ばかりではありませんからね。他国ほどではありませんが、爵位を鼻にかけて下位貴族に圧力をかける高位貴族は一定数おりますね。」
ルークが入学してからそれほど経過していないが、おかしな貴族や宮廷役員、店員に絡まれる事があった。
絡まれた数と期間を考えて、これが一定数というならば、次の期間にも、来年にも似たような状況になる可能性があると言うことになる。
(げー。都会怖い。)
こんな状況下で、ルークの大切な双子が暮らしていくのかと思うとルークは胃が痛くなってくる。
自分が矢面に立つのは気にしないので別に構わないのだがのだが、家族が同じ目に遭うのは別だ。
可能性はできる限りゼロに近付けておきたい。
教師の地位が低いから高位貴族に注意ができないと言うのは大問題である。
学ばせてもらう場で、ご教授してもらっているという立ち位置を理解して入学してきてもらわねば、こういう問題も起きるのだ。
「ふむ。学校内では皆平等が行き渡ってないからか?学校外でも皆平等が理想なんだけど…。」
ルークは自分の思考へダイブしていく。
それを暖かな目で見つめる三人は、今日グレナの身に起きた事について話し合う。
今朝、ルークが学校裏に作った池を見つめニコニコしながら歩くグレンの後ろに付いて、グレナは登校していたという。
学校に差し掛かったところで、腕を強く引っ張られあれよあれよと教師棟の一番奥に連れ込まれた。相手がいつもの三人組だとわかっていたので、あえて声を出さなかったグレナ。
今は迷惑極まりないあの三人組も最初はそれなりに親切なところもあったらしい。
グレナのスキルが生える前、その頃は私服登校でグレナも沢山持たされた私服があったことで周囲からはお金持ちの貴族だと勘違いされていたらしい。
三人組は自分たちのステータスとして、お金持ちであること、高位貴族であることを鼻にかけていたので、毎日毎日違う服を着て登校してくるグレナは仲間だと思われてしまったとのこと。
実際は、いつスキルが生えて泥だらけになっても良いように、泥が落ちなかった服は着なくても済むように、乾かなかった服とは別の服にすぐに着替えられるように、グレナの両親が自分たちの食費すらおさえ、大枚叩いて購入してくれた服だったのだが。
三人組の思惑など知らなかったグレナは、よく話しかけてきてくれる三人と仲良くなるのに時間は掛からなかった。
しかし、その時はやってくる。
四人でおしゃべりをしながら一緒に登校していた時、グレナのスキルが突然生え、先日のグレンと同じく頭から泥が湧き出てきてあっという間に泥だらけ。
一緒に行動していた三人の服も体もその泥の被害に遭ったという。
その後は言わずともわかると言うもの。
三人は服を汚された、体を汚された、持ち物を汚された、弁償しろと泥が収まらないグレナに詰め寄ったのだ。
泥も止められない、弁償もできないグレナは泣くしかなく、そんなグレナを三人はさらに責めたてた。
ベイラマールといえば現在貴族なのは北のベイラマール侯爵。
弁償出来ないことはないはずなのになぜできないのかと。
そんな中、南側の没落したベイラマール一族の蛮行を授業で受けてしまった。
そうしてグレナの家が没落したベイラマール伯爵家だったと知られてしまい、嘘つきだと罵られ始めてしまったのだ。
グレナは嘘を吐いたわけではない。聞かれなかったので言わなかったのだ。
自分が没落した貴族の一族であることを。
ずっと友達が欲しかったから。故郷では誰からも悪口を言われ、石を投げられることもあった。
友達なんてできたことがなかったのだ。
それを責められたのだ。嘘つきだと。騙されたのだと。
亀裂の入ったグレナと三人組は、事あるごとに文句を言われる、謝りに行っても口も聞いてもらえない。
グレナは侯爵令嬢だなんて嘘は、一度だって言ったことはないのに。勝手に勘違いしたのはあちらなのに。
そんな日が続けば少女の心はボロボロになる。
幸いだったのは、気が付いた当時の担当教師らが、校内でかち合わないように教室と時間割を工夫してくれたし、寮母はグレナの部屋をお風呂場に近い場所に変更してくれた。
食事も寮内の食堂ではなく、寮母が部屋に持ち込んでくれたそうだ。時には寮母さんが一緒に食べてくれたそうだが、食事中にスキルが暴走してせっかくの料理を泥だらけにしてしまった事があってからは、寮母に遠慮してグレナは一人部屋で食べるようになった。
しかし、いい大人ばかりではない。
教師の中にも、授業中に突然スキルを暴走させて大切な資料を泥だらけにされたからと、次からボイコットする様な者、南側の没落したベイラマールの一族だと知って最初から授業をしたくないという教師もいたし、学年が上がるたびに一定数いたようだ。
グレナが今回進級できなくなったのは、教師たちにも問題があったのだ。
この件に関して怒ったのは学校長。
教育は平等であるべきだと、グレナに対して理不尽な事をした教師には罰を与えたのだ。
それに文句のある者は辞めてもらって良いと、王様からの言質も取ったとか。
数名はグレナに謝罪し学校に残ったが、歴史の教師数人は謝る事なく辞職したそうだ。
歴史家だからこそ歴史として残っていたグレナの一族である南のベイラマール伯爵家の没落理由、遠縁である北側のベイラマール領への侵略を許せなかったのだろう。
そのお陰で歴史に詳しいトーマスが教師に抜擢されたわけだが。
本当の歴史は全く異なると先週分かったばかり。
今後本当の歴史が知れ渡ったときに、辞職した歴史家たちはグレナを迫害したことを必ず後悔するだろう。
知らなかったとはいえ、やっていい事と悪い事がある。
まともな精神の王国民であれば、謝罪したいと申し出てくるかもしれないが、やられた側は謝罪を受ける必要も、受け入れる必要も、許す必要もない。
と言う事を現在残っている南のベイラマールの民に伝えねばなるまい。
許すことだけが正しいことではない。
許さなければ己を見つめてもらう時間が増える。
そうして自分がどういう人間で、どういう思考を持っていて、こういう時に嫉妬が出てくるなど、己を知っていける。己を知ることで己を改善出来て、初めて魂が成長していくのだ。
許されないという枷が必要な人間もいるのが現状である。
今後のベイラマールの民のためにも、一刻も早く本来の歴史に教科書を書き換える必要がある。
しかしながら、現在まだ正義だと思われている詐欺を行った北のベイラマールの子孫は貴族であり、来年貴族学校に入学してくる子供がいる。
グレンとグレナに罪がないように、北のベイラマールの子孫であるその子供にも罪はない。
今現在辛い思いをしている南側のベイラマールの民の子孫を助けるためだけに動けば、今度入ってくるその子が全く逆の立場になる可能性は大いに高い。
子供を大切にするこの王国の判断は、何をどう判断して公表するのか。
大人たちは大いに悩むだろう。
この星の民は、正義の名の下に一方的に人を傷つけるやり方をするような民族ではなかったはずなのに、一体どうしてこうなったのか。
(やっぱりそういう攻撃的な魂を持った人間は全て他の星から入ってきた魂なのだろうか。
そうであってもなくても、もっと余裕をもって落ち着いて、自分に意識を向けてほしい。
そして一秒でも早く成長して、周囲に愛をもって生活してもらいたいとルークは願った。
「トーマス先生。その問題の三人のうち二人って、個別に問題を起こしていたりするんですか?」
「え?魚の糞のことですか?」
「え?」
「「魚の糞って…。」」
魚の糞とは、金魚の糞的な言葉である。この星には金魚がいないので魚の糞と言われている。
切れが悪くていつまでも肛門にくっついている様を比喩して、人間関係において自立心がなく、常に他人に依存して行動する人を指す例のやつだ。
あまり美しくない言葉なので口に出す人は少ないが、心の中で思っている人は少なくない。
グレンとグレナも聞いて良いの?その表現良いの?といった表情だ。
「言葉が美しくないですが、その糞的な令嬢のことです。」
「糞的な令嬢…。」「ルーク様まで…。」
「糞令嬢二人は今のところ大きな問題は、起こしてないことになってますね。」
「「糞令嬢…。」」
グレンとグレナの表情が真顔になってしまったが、二人は止まらない。
どんどん省略され、ついにう〇こまみれの令嬢みたいなニックネームに落ち着いてしまった。
「糞令嬢も何かやらかしてるんですね…それはグレナさんに対してですか?」
「糞令嬢たちは、グレナさん相手ではないですね。でも、一緒にいて太鼓持ちをしていたのですから、自分的には黒ですけどね。」
「糞令嬢は、黒と。」
「はい。真っ黒な糞です。」
「黒糞ですか。」
ついには令嬢ですらなくなった。
グレナは途中で耳をふさいで前かがみになってしまっていたが、グレンは面白くなったのか含み笑いをどうにか抑えて震えていた。
「ふむ。三人とも侯爵家の黒糞ってことでよろしいですか?」候
候爵家に黒い糞は落ちたりしていないだろうが、もうそういうことになってしまった。
周囲にいた小さな精霊たちが、「これはルーク様が願っておられるに違いない!」と判断し、精霊ネットワークに上げ始める。
誰も気が付いていないが、この後精霊たちによって黒っぽい馬の糞が大量に集められて、三人の侯爵令嬢の実家の玄関に積み上げられる。
「そうです。侯爵家の黒糞たちです。」
「解りました!なら王様に連絡しておきます。注意してくれって。」
「「「え?王様に?」」」
「あ、はい。王様と王妃様はうちの温泉施設の常連さんで、仲良くさせてもらっているんです。」
新王都に出てくるまで祖父母と暮らしていた時に、週一でやってきていた王族のトップ二人。
何かと絡んできて少々迷惑だったが、あの時の迷惑料を払ってもらうことにしただけだ。
「立場的な奴で仲良くしてるんじゃなく?」
「王位継承権持っていたら仲良くできるってわけじゃないんじゃ…?」
グレンとグレナに尋ねられたが、全くそれは関係ないので全力で否定した。
あちらがどう思っているのかは…誕生会の時に知ったけれど…こちらの気持ちとは関係がない。
「おもてなしする側と客…。」「ルーク様と王族の皆様が…。」
グレンとグレナはその事実を呑み込めずにいるようだが、トーマスだけは笑顔だった。
宮廷で働いているので、王様たちの本来のフランクさを多少知っているのだろうか。
「爵位が上だから爵位の下の者を虐げるような黒糞ですからね。それより立場が上の者に注意されれば自粛するんじゃないですか?」
「「確かに…。」」
「俺の知っている人間の中で侯爵家よりも上で、この王都にいる人間となれば、王族しか知りませんからね。」
「確かに王都にいるという条件が付いた時点で、王様しかいませんね。」
「ですよねー。」
侯爵の上は辺境伯、公爵、王族と続く。
現在辺境伯と公爵の現当主は、ホーネスト王国の北にある領地を守っていてくれている。
安心君の使用であれば距離関係なく短時間で注意をしてもらえるだろうが、正式な文書での注意の方が効果がある。
辺境伯領と公爵領から新王都まではかなりの日数がかかってしまって、今日、さっきの出来事に対する注意をしたいという点で物足りない。最短時間で注意してもらいたいのだ。焦ってもらってしっかり叱ってもらいたい。
ルークはさっさと安心君で王様とキースに向けて、今日のあらましの要点をかいつまんで連絡をする。
ついでに少し厳しめに注意してもらいたい旨も付け加える。
「勝手に婚約者にされたこちらとしては、うちからも抗議させてもらいますけどね。ふっふっふ。」
「へ?」「ルーク君結婚するんですか?」
「しませんよ!冗談じゃないです。あの黒糞と結婚しなくちゃならないなら死んじゃいたいです!」
ルークは会ったことも話したこともない、例の伯爵令息の気持ちが痛いほどわかったのだった。




