23.サブレはうまい
しばらくすると、左頬を腫らしたアーサーが出来上がった保冷盤を持ってキッチンまで戻ってきた。
頬がかなり腫れて下瞼を押し上げていて痛々しい。
えっと、左目開いてる?
頬がちょっと、血、滲んでいる気がする。
それなのに、めっちゃ笑顔でウキウキしている。
何があったんだ?
なんかこっちのテンションが下がるぅー。
後で聞いた話だが、アーサーはノックもせずに部屋に飛び込んでアイリスを叩き起し、まだ瞼が開いていない状態でスキルを使わせたらしい。
温度の話をしなかったので、保冷盤に乗せた状態の温度をそのまま保つという、逆に優れものに加工したが、
「えぇー?これじゃないでしょ。温度はマイナス二度から二度にしてよ!」
なんて言ったもんだから、おかんむりに。
誰のせいでこんなに苦しむことになったのか、謝りもしなければ、苦しんでいるのにお見舞いにも来ない、叩き起こされ作業させられ叱られる。
起きたばかりで頭も回らずイライラに任せてビンタを喰らわせた。寝る前に指輪を外していなかったので、指輪で頬に傷がついたようだ。
ルークは、そんなに怒るアイリスを見たことがないので、今頃めちゃくちゃ反省しているかも知れないと少し心配するが、今回は確実にアーサーが悪い。
新品の保冷盤にジェラートの入ったカップを乗せ、おやつの時間までノート片手に観察していたアーサーを見る。
優秀なのだけど、鈍感というか、少し頼りないというか、情けないというか。
もうちょっと頑張ってほしいものだ。
父方の祖父キースは炭酸水をアイリスに届けて帰ってきた。晴れた頬から血を流してニヤニヤと観察しているアーサーを目の当たりにして微妙な顔をしていた。
父方の祖母ハンナは一心不乱に生地を作り、フィナンシェとマドレーヌの生地をオーブンに入れ
「ジェラート!」
と目を爛々とさせてルークに顔を合わせてきた。
うん。さっき話した以上の情報はありません!
食べる専門だったのだ。
フィナンシェ同様、ハンナばあちゃんの前世の記憶から引き出してください!
よろしくお願いします!
次は何が良いかなぁ。立派なオーブンがあるのでシュークリームとか良いかも。生クリームとカスタードクリームのダブルが好きだ。キャラメルのクリームも捨てがたい。
冷蔵盤も出来てることだし。生菓子、良いよね!
そんな感じで、ハンナばあちゃんは、
フィナンシェ、マドレーヌ、ボックスサブレ型違いが三種類
ジェイクじいちゃんは、
イチゴのゼリー→イチゴミルクのジェラート、オレンジのゼリーのニ種作った。
ハンナばあちゃんは、ドライフルーツてんこ盛りのパウンドケーキも作る予定だったそうだが、ジェラートに興奮しすぎて作る時間がなくなってしまったという。
十分じゃないでしょうか!
ルークとアーサーは、出来たスイーツたちを詰めたカゴを、ジェイクじいちゃんは取り皿やコップの入ったカゴを持った。
じいちゃんの先導でガゼボに向かう。
ハンナばあちゃんは飲み物を準備して、アイリスを誘ってみてからガゼボに向かうそうだ。
ジェイクじいちゃんが炭酸水を渡してから(体感として)一時間半くらい経っているので少し復活してると良いな。
玄関から外に出た。昨夜馬車で到着した玄関ポーチを横目に家の東側に周る。
家の東側はあまり高い木のない林だった。そこの一箇所が少し開けていて、小道ができていた。
その小道の両脇に咲く色とりどりの花が咲いている。自然に芽が出てきた花たちだと言う。
林の奥には点々とマグノリアに似た花を咲かせる木が見える。
その奥に、立派な角を持った牡鹿精霊と部屋で挨拶をしたバンビ精霊がこちらを見て立っているのが見えた。家族かな?
これだけ広い林なら、精霊も楽しいだろうな。
確信は何もないがなんとなくそう思えた。
そんな小道は、緩やかな坂道を上がったり下がっりしながら、果実園まで繋がっている。
花と木々の香りを楽しみながら歩いていくと小道が終わりに近づいたのか、果実園が見え始めた。
小道と林を背にすると地面は木の代わりに芝生が生え、薄いオレンジ色と薄いピンクを混ぜたような淡いアプリコットの空が抜けて見えた。そこはキラキラと光る広々とした場所だった。
「うわぁー!小道も素敵だったけど、ここも素敵だぁ!」
喜ぶルークを見ながらジェイクじいちゃんが言う
「良い場所だろ?俺も好きな場所だから、ガゼボを作っちゃったんだよ。」
そう言って、ここから北方向を指差した。
そこには、木製で手作り感の全くない、白く輝く立派なガゼボが建っていた。その周囲には低木のバラの木が整然と配置されている。
バラは空色よりも少し濃い色を中心に選んだらしい。
白いガゼボ、緑の芝生、アプリコットの空、そしてトーンの揃えられたさまざまな色のバラ。
さながらおしゃれな庭園の結婚式場のようだ。
これだけバラがあれば、バラで色々作れちゃうなぁ。さっきのローズヒップティーも自家製なのだろう。
床は一段高いウッドデッキで、その先の四隅には太めの通し柱が配置され、勾配のある屋根?を支えている。デッキと柱は独立していた。
雨は避けられそうにないタイプの屋根だ。
垂木の上は何も乗っていないので、風も光もよく通る。ジェイクじいちゃん曰く、カビるのは嫌だ。長く楽しみたい。とのこと。
筋交は見当たらないので強度だけがちょっと心配だが、間柱が何本かあるし、ジェイクじいちゃんが作ったのなら大丈夫なのだろう。
ガゼボの真ん中には大きめのテーブルが、背もたれとクッション付きの長椅子がテーブルを三面囲っていた。
十人くらいなら余裕で座れそうだ。
「すごいよ!すごいよじいちゃん!さすがだよ!もう、俺ここに住みたい!」
ガゼボのテーブルに、スイーツの入っているカゴを置いていたジェイクは、
「そうかー。ならもう帰らずに一緒に住んじゃうかー。俺の部屋に近い客間をルークの部屋にしようかー?シーツを好きな色に染めてやろう!」
と、ちょっと本気モードの孫デレ。
カゴからスイーツを出していたアーサーが驚いて、なら俺もここに住む!とか真面目な顔して言い出した。
ここなら大きな研究棟があって個別の研究室もあるし、良いかもしれないよね。
ただ、周囲には何もない。果実園と温泉、湖があるけど、街の中でも村の中のわけでもなく、森の中の開けた場所に、ひっそり建っているのが、祖父母の家なのだ。
一番近い街まで行くのに、ここから北へ朝一番に出発しておやつの時間に到着する距離なので、そこで一泊して翌日帰ってくる感じらしい。
ルーク的には何の問題もない。
「えー?お前は王都に帰れよー。ルークだけいたら良いから。」
「なんでだよ!俺も一緒にいいだろ?」
とかあっちで聞こえる。
どの場所へもさらっと行ける距離ではないので、買い物に行くのはひと月に一度あるかないか程度。
季節としての冬がないので、精霊の加護がある限り人の住む場に雪は降らない。加護から外れた土地では雪は降るらしい。
雪が降らないので、移動するための足さえあればいつでもどこにでも行けると言えば、行くことができる。
また年に四回程度、商人がたずねてくるので、傷まないもの、長持ちするものはそこで買う。
欲しいものを頼んでおくと次回来る時に持ってきてもらうこともできる。
王城からは、時々様子見の一行が来るらしい。その時に珍しいお土産がもらえることがあるらしく、それがないなら来なくて良いのにとか不敬なことをじいちゃん二人が言っているのを耳にしたことがある。
不敬罪?何それ。気に入らないから処分?どれだけ傲慢なの?とか言っているので、王族との関わり合いが、前世の俺の知識からはズレているのかもしれない。
例の属国の“精霊の鍛錬所送り“もそ「ほんとにあるんだね。」と知ったくらい稀なのだそうだ。ニュース速報があるわけじゃないし、知らないだけかもしれないけど。
「無理だろ、まだ勤めてるんだから。」
「じゃあ、仕事辞めるから!」
「えー?無職のいい歳した息子とか嫌なんだけど。」
「ひどい!養って!」
「お前は一人で王都の家に帰れよ」
「嫌だ!一人じゃ死んじゃうっ!寂し過ぎるっ!」
とか、漫才かな。
仕事を辞めても“盤“の収入があるので、問題無さそうだけど。
まあ、そんなわけで、時々王城に呼ばれる両親がここに住むのは現実的ではないのだ。
ガゼボの椅子に座って質問する。
「ねぇ、そういえば、王家預かりとか王宮勤めとか、宮廷とか、王城に呼ばれるとか、王様のとこってどんなとこ?違いがわからないのだけど。」
勝手に色々思ってきたが、そこに勤めてきた人の話をきちんと聞いて、この際覚えてしまいたいのだ。
「「そんな感じで良いよ。」」
との返事。なにその適当…
良い加減すぎない?
王城は王様の住んでる場所、王宮もそれ。宮廷は王様をトップにした会社と同じイメージなので、王家預かりでも、王宮勤めでも、宮廷勤めでも、どうでも良いと言う。
王城を王宮とか呼ぶ人もいるが、「好きによんで良いよ。細かいこと気にしてたら禿げる。」と王様自身も言ってるって。
木造平屋だから?
おいおいおい。ゆるいな。
ゆるい民族性なんだったっけ。
王様たち一家と懇意にしているらしい四人は、王族が後ろ盾になっちゃった(!?)から王家預かりに。王宮に勤めているから王宮勤めで、王宮が後ろ盾になっちゃた(!?)から王宮預かりとなるらしい。
「どう言ってもなにも変わらん」
ジェイクじいちゃんはカゴから自分の取り皿にサブレを丸型と細長い形、花の形の 三つを取り出し、丸型をつまみ食いしながら嫌そうな顔をする。
なんでそんなに嫌そうな顔するのさ。
王様、良い人なんでしょ?
サブレは美味しかったらしく、
「今日のも美味い!さすがハンナ!」




