お嬢様の日常
月日はあっという間に流れる。
瑞々しい樹々の新緑と蒼と碧の湖が淡い陽の光に揺れている。季節は春を迎えた。
生活困窮者と航海病患者を助けるために始められたザワークラウトとパプリカピクルスの製造販売事業はあれよあれよと一年を迎え、途中工房から商会に名前が変わった。
……大人たちが思っていたよりずっと大きな規模の事業となった事から、要らぬ横やりが入らぬよう、きちんとした商会にした方が良いという商業ギルド長の助言もあって、商会を作る事になった訳だが。
ついでにと見た目的にも衛生的にも安全的にも問題があったスラム街を区画整理する事になり、そこへ公営(領営と言うべきか?)の住宅と店舗・工房を作る事になったのだった。
騎士から見習い工、はたまたご隠居した筈の元親方らの協力もあり、急ピッチで新しい地区は出来上がっていった。
次の冬頃には全て完成し、教会や要塞を間借りして行われていた工房の全てが移動する事になる。
メイン通りから数本入った場所は、商売をする立地として良くも無ければ悪くもないと言った所だろう。
元はスラム街だが、イメージアップにもなるだろうと、若い人や開業資金を節約したい人向けにも幾つか店舗を作った。すぐに借り手が現れるかは解らないが、新しい地区へと生まれ変わっていけたら良いだろうとみんな思っている。
ちなみに地区の名前だが、マグノリアの推していた(?)『旧スラム街』は領外の人からの反応が良くないだろうという事で、『ニュータウン』という、ある意味大変解り易い名前に落ち着いた。
『マグノリア地区』とか『ザワークラウトタウン』などというふざけた名称も出ていたので、そんな名称になるぐらいなら『ニュータウン』万々歳! と思うマグノリアであった。
そんなこんなで、まだまだ手探りでの事業の為気が抜けない事が多いものの、二度目の季節とあってか商会のみんなは落ち着いたものだ。
実際に販売する商品の基本の作り方を商品と一緒につけるという、商売としては一見暴挙とも言える行動に出たマグノリアであったが、それが逆に多くの船乗りたちの信頼を勝ち取る決定打となった。
『アゼンダのザワークラウト』は絶大な支持を受け、それはもう爆発的に売れに売れた。
某要塞では、余りに焦ってキャベツを揉み込む様子と減らないキャベツの山を見て……見るに見かねた心優しき騎士達が、休憩時間にみんなでキャベツ揉みをしたくらいには売れたのだった。
同じ効果が見込めるであろうパプリカピクルスも売れた。アホのように売れた。
『焼き』と『生』という二つの食感の違いから試し買いをする人も多く、またザワークラウトの有効性を目の当たりにした事から、同じかそれ以上と言われてよく売れたのである。
病気への対応の仕方も一通り解った所で、売れなくなるだろうと思った今春だが。意外にもさほど販売に落ち込みは無かった。
――急激にキャベツの生産を落とさなくて良かった、と思った。
商会として運営していくにあたって次の商品をと思っていたマグノリアだったが、これ以上増やしてくれるなとストップがかかったぐらいだった。
……先は長いのである。無理のない会社運営を心掛けた方が良いであろう。
次作は今後に取っておこうと、レシピをそっとしまっておくことにした。
「マグノリア様、西部が魚の件でご確認したいらしく……至急知恵を貸して頂きたいと伝言が来ておりますが」
ディーンとふたり、この地の領主でありマグノリアの祖父でもあるセルヴェスの音楽のレッスンを受けていると、出来る家令のセバスチャンが伝言を伝えにやって来た。
ちなみにクロードは王都へ出張中である。
辺境伯家という家柄のため、領地の緊急事項はプライベートよりも優先される。
勝手知ったるディーンとセルヴェスは頷いて片づけを始めた。
「……魚で確認したい事って一体何だろうね?」
幼女のくせに何でも知っていると誤解されている感が拭えないが……漁業に関する知識なんてこれっぽっちも無いのだが。
そう、何を隠そうマグノリアは転生者である。
外身は現在五歳の幼女であるが、中身は三十三歳の成人女性だ。
三歳の時に朝起きたら、転生していたというか、日本の記憶(?)と呼べるものが蘇ったというか……
自身のパーソナルデータは日本人で女性、三十三歳というしょうもない内容しか思い出せなかったのだが。よって自分がかつて何と呼ばれ、どのような仕事をしていたのかは覚えていない。朧げな生活の断片と、学んだ知識があるだけであった。
では、三歳の時三十三歳なら今は三十五歳なのか、と思うであろう。
ところがどっこい、物理年齢が小さすぎて、ちっとも成長している気がしないのである。一応多少の波のある出来事もあったにはあったのだが、精神年齢が成長する程の出来事ではなかったようで。
いまだ彼女の心持ちとしては、『幾つか』と尋ねられたら『三十三です』と答える感じなのである。
まあ、その日本での知識や記憶を辿って日々の問題解決に対応している訳であるが。問題解決と言ってもこれまた特に特別な知識や技術がある訳でもなく……至って普通の人間の持てる知識の範疇なのだった。
あれよあれよという間に着替えさせられ、侍女のリリーと従僕のディーンを従えて執務室に向かう。
「失礼します」
「ああ、お入り」
ドスは利いているが優しい口調のセルヴェスの声がする。
執務室に入ると、使いの騎士とセルヴェスが椅子に座っており、セルヴェスの後ろには隠密兼暗殺者兼、今はマグノリアの護衛であるガイが控えていた。
「お久しぶりです、お嬢様」
「お久しぶり……今日も?」
座っていたのは、且つて臨時の護衛を務めてくれた本部の騎士だった。
たまたまマグノリアの護衛を務めた事から、西部と領都(&領主館)を何度も往復する羽目になった不憫な騎士である。
「本部から西部への伝令がありたまたま参ったのですが……たまたま西部の伝令も頼まれまして……」
「そう……」
いつもながら巡り合わせが良いというか悪いというか。
そう思っていると、セルヴェスが読んだであろう伝令の内容をかいつまんでマグノリアに伝える。
「大型の魚に追い立てられ……魚が陸に大量にあがったそうだ。このままでは腐って悪臭を放つであろう。焼却処分で良いか、それとも有効活用出来るかとの確認のようだ」
今までなら確認せずに焼却処分なのだろう。
セルヴェスがマグノリアに教えられた骨からの肥料作りで、退職後、羽目を外して困窮してしまった元騎士達の事業を立ち上げたため、一応確認という所だろうか。
「本当に毒や病気ではないのですか? ……一応試薬など、試せるものは試してみるのと、海の色が変わってないか確認してほしいと鴉を飛ばしてくれる? あと、出来たら打ち上げられた魚を大至急保管してほしいと伝えて」
「わかりやした」
ガイは席を離れて伝書鳩ならぬ伝書鴉を放ちに向かう。
「行くのか?」
「はい。大丈夫なようなら保存食を作って参ります」
「儂も行こう」
セルヴェスが勢いよく立ち上がる。同時に指示を待つ騎士に言う。
「君は本部へ伝令完了の報告と、この顛末の説明をしてくれ」
「畏まりました。御前失礼いたします」
騎士は礼を執ると、いそいそと退室していった。
(良かった。今日は再往復じゃなかった!)
マグノリアはホッとしながら、貧乏くじを引きがちな騎士の後ろ姿を見送った。
久しぶりのクルースの海。
海岸は結構な数の魚が打ち上がっていた。
「お越しいただきありがとうございます」
詰所の騎士がびっくりしたようにセルヴェスへ礼を取る。
……セルヴェスと一緒に乗った馬は、恐ろしく速かった。
速すぎて馬車はまだ道の途中であろう。リリーとディーンが追走している筈だ。
「試薬の結果はすべて反応無しでした。海水の変色もありません。数時間程前に大きな魚影を見たものが複数おります」
浜辺では領民が魚を見繕っている。
春もまだ浅く、曇りがちなために傷みもそうなさそうであるのが幸いだ。
(これは、小型のマグロかな……?)
捌きにくい大きい魚が残されたらしく、領民の姿はまばらになっていた。
「ではお魚を運んでください」
……トロの部分は後程お刺身で食べてみたいが、鮮度が保たれているうちに急いで調理だ。
人だかりにパウルの姿が見える。
「パウル! 申し訳ないのだけど、油とニンニク、唐辛子、ローリエと、ハーブを数種類、要塞に届けるように伝えて下さい」
「承知いたしました!」
――トラブルの陰にマグノリアあり。
町に何か異変があったのかと、様子を見に来ていたパウルがマグノリアを見つけた。
船乗りだったパウルは二年程前に航海病になってしまった。そんな時マグノリアに食事療法で助けられ、その後ザワークラウトの事業に携わる事を選んだのだった。
今ではアゼンダ商会の販売部門の代表者であり、クルースの町で店舗を構え、ザワークラウトとパプリカピクルスを販売している。
商会になるにあたって、海の家のような店舗から町の中にある空き店舗に移動する事になったのは三か月程前の事である。
ともかく隠れ元締め幼女に出会い頭にそう頼まれ、パウルは急いで店屋へと走っていった。
セルヴェスが左肩の定位置に座っているマグノリアに聞く。
「何を作るんだ?」
「……ツナを作ろうかと」
「ツナ?」
にっこり笑って頷いた。
マグノリアは日本時代、そこそこ料理が出来る人間であった。一人暮らし歴もそこそこならば、誰でも出来る範囲のものだが。
しかしそれは『お洒落メニュー』でも『素敵レシピ』でもない。
どちらかと言うと『男の料理』や『節約料理』に近い……余り物やその辺にあるものを使った適当・ズボラ料理である。
……特売の冷凍マグロ柵を買ったものの……冷蔵庫で解凍していたが、仕事でうっかり遅くなり、食べそびれてしまった時に作ったシロモノの再現である。
調理場の寮母さんと漁師組(漁師の息子)の騎士達が、大急ぎでマグロを捌いていく。
念のために匂いや色を確認したが、問題無いようだ。
多分何人もの目撃通り、大きな魚に追い立てられてしまったのだろうと結論づける。
マグロもどきの切身や柵が出来上がったそばから、マグノリアがまんべんなく塩を振っていく。
時間を置き余分な水分を拭いたら鍋へ入れる。ニンニクやローリエ、ハーブを入れた油をひたひたに入れ、二十分程煮る。
胡椒も入れたいが……大変高価なため、割愛する。
油の代わりに野菜スープにしても良い。そこへ白ワインを追加すれば、一気にオシャレ感が増すかもしれない。
出来上がったそれを冷まし、消毒した瓶に詰め……そのままでも良いが、日持ちさせるなら再度殺菌・脱気をした方が良いだろう。瓶ごとお湯を張った鍋に入れよく煮る。
作業をくり返し続けながら、今回も興味津々な寮母さんに説明する。
そうして大量の手作りツナ瓶が出来上がった。
「氷室に入れておけば二週間ぐらいはいけると思うんですけど……」
缶詰が無い事が悔やまれる。
地球で販売されていたツナ缶は、二年は保存が可能であろう。
しかし缶詰を作る機械を製作する知識は、流石にマグノリアにはないのである……
沢山出た骨を肥料事業所へ運んで、騒動はお終いとなった。一件落着である。
館に帰って、早速冷蔵の魔道具で保管したマグロの大トロをミソーユの汁……醤油もどきにつけて食べる。
(うっっっまぁぁっ!!)
口の中に入れた途端、とろける。魚の持つ旨味と脂の甘味が口いっぱいに広がって……ほわぁぁぁぁぁぁ!
(ご飯! ご飯が食べたい……っ! 鉄火丼に握り寿司! 手巻きィ!!)
心の中で米を切望する。
ヨーロッパにもパエリアもあれば、茹でてサラダにふりかけたりしていた筈なのに。何故この世界では米が見つからないのだろうか。切なすぎる……
仕方ないので粗みじんに叩いてもらい、微塵切りの玉ねぎ、アボカドと合わせてマグロのタルタルにしてガーリックトーストに載せてもらう。セルヴェスの酒の肴にも持ってこいであろう。
幾つか持ち帰ったツナは、そのままで良し、ツナマヨにしても良し、サラダに入れても良し。如何ようにも使い道があるだろう。味の移った油も調理に使える筈だ。
(ツナマヨサンド、食べよう……)
義理の叔父であるクロードに『食いしん坊』と呼ばれるマグノリアは、小さな口をモグモグと動かしながら、明日マヨネーズを作らねばと心に決めるのであった。




