智慧の女神を称える
季節は初夏。
まだまだ肌寒さを感じる事もあるが、つやつやとしたパプリカが畑のあちらこちらに実っていた。
今年の初摘みだ。
「しゃあ! 大きくなったパプリカを収穫しゅるよ! その前に農家の先生にお話を聞きまちょう!」
「「「「「「はーい!」」」」」」
マグノリアは元気に声を張り上げると、スラム街と農地と孤児院の子ども達に頷く。子ども達が大きな声で返事をした。
スラム街の子ども達と孤児院の子ども達には、色々な仕事を体験させることにしている。将来の仕事の選択肢を広げるためだ。
各自の状況が許すのならばそれは農民の子ども達も同じだ。
……ただ親の仕事を継ぐことが多い世界ではあるので、家業がある人間に他を勧めるのはなかなか難しいが。
とにかく自分がやりたいと思う仕事に就く事が、きっと一番仕事への定着率も技量をあげる事にもなるだろうと思うのだ。
先々は商会になるだろう今の場所に居るでも良いし、農民になっても、高じて庭師などの選択もありだろう。漁師になるのも良い。料理人になっても、職人になっても。
接客業に興味があるのならば、別の商会で働いたって全然構わない。
勿論領地と国を護る騎士になっても良い。
例えば、ギルモア騎士団は試験さえ通れば平民へも門戸を開いている。
色々制約もあれば現実的には難しい事もあるだろう。でも選択肢は目の前のそれだけではないと知ってほしいと思う。やってみたら意外に才があったなんて事だって、無きにしも非ずだ。
マグノリアだけでなく、セルヴェスもクロードも同じように考えている。
農家の人にも手伝ってもらい、子ども達に簡単な今までの種まきから始まる一連の作業の数々を説明してもらう。その手間暇と途方もない時間に、子ども達の瞳は真剣さを増していく。
「――という訳で、今目の前にありゅのは皆で作った大切なパプリカでしゅ。丁寧に摘み取って大切に扱いまちょう! そちて、教えてくれた先生にお礼を言いまちょう。ありがとうございまちた!」
「「「「「「ありがとうございました!」」」」」」
農家のおじさんは照れたような恐縮したような表情で、子ども達に頑張れと声をかけてくれた。
そして今目の前で子ども達は楽しそうに、時に注意しあいながらパプリカを摘んでいる。
ディーンとリリー、ガイはそれぞれ離れた場所で子ども達の様子を見ながら、自らも手を動かしていた。
「……本当に、お嬢様ありがとうよ」
「ダン……?」
ため息交じりにそう言うと、ボリボリと頭を掻いた。
「正直、あいつらが羨ましいな! 俺ももっと若い頃だったら、人生変わってたかなぁって思うよ」
何気なく言われた言葉には、色々な気持ちと感情が混じっているのだろう。
……苦い。
何を言っても慰めになんてならないし、時間は戻ってこないから。
「……しょうだねぇ。時間は巻き戻りゃないからね……」
「……ああ」
「前にお医者しゃんが言ってりゅの聞いたんだけど、お爺ちゃんになっても毎日成長は出来りゅんだって」
「……うん?」
ダンは、意味が解らないとばかりに首を傾げた。
「身体の成長なんてちないち、ガタも来るけど。頭の中に脳みその『細胞』っていうもにょがありゅんだけど、加齢やら生活やらで駄目にもなっていくんだけど、でも何歳になっても増やせるらちいよ。成長出来りゅんだって」
いわゆるニューロン細胞の事だが、小難しい事を説明してもこの世界の人にはおとぎ話のようなものだろう。
……だから何なのだ、と言われてしまえばそうなのだが。可能性は自分が思うだけではなく、実は拡がっているのだと言いたいではないか。
『若さ』も『成長』も、いわば可能性。チャンスだ。
可能性が狭められた事が悔しく、チャンスが減ってしまった事を嘆いているのだ。あったかもしれない成長が損なわれたことが哀しいのだ。
時間は有限だ。目に見えないからこそ焦る。
諦めるには若い。けど、彼等と同じ位置にはいられない。
――先の長さなんて、目には見えないのに。
当然のようにあって然るべきと思い込んでいる。
「……手芸部隊のババアの年でも?」
「もちろん。手や身体を動かすと増え易いらちいよ。手を毎日動かちてるから、お婆しゃん増えまくりかもね!」
適度な運動をするとニューロン細胞が増えやすいと言われていた。
手指を動かすと脳に良いというのもよく言われている事だった筈。
マグノリアのご令嬢らしくないニヤリとした顔を見て、ダンはクククと喉の奥で笑った。
「そりゃあいいぜ!」
「……だから、幾つになっても大丈夫。遅くても、悔しくても、戻ってこなくても仕方にゃいけど。だけど、変わりたい時・変われりゅ時に変わりぇばいい」
たとえ予想とは違っていたとしても、それが予想よりも悪いだなんて誰が決めた?
実際にあった事しか解らないのだ。ゴールが先なのだとしたら、途中にどんな大番狂わせがあるかもわからないではないか。
甘言? そうだろうか?
常識や理屈は解るが、囚われすぎて自分で可能性を狭めてはいないか?
決めつけてはいないか?
マグノリアは心の中で、自身にも問いかける。
ダンは暫し黙ったまま、畑の先にある地平線を見つめていた。
「……お嬢様、あんたスゲェな。幼女にしておくのが勿体ねぇわ」
「おぅ!」
困ったように笑うダンに、心の中で、中身アラサーだからな。と呟いた。
*****
無事に収穫され綺麗に洗われたパプリカは、生のまま切って消毒された瓶に入れ、調味液を浸して瓶ごとお湯で火を通す。もう一つはオーブンで程よく焼いたパプリカを消毒された瓶に詰め、調味液を浸し、やはり瓶ごとお湯で火を通す。温度計や砂時計を使って、正確に、同じように加熱する。
脱気殺菌・気密正立殺菌法の真似事だ。
幸いパプリカのビタミンCは熱に強かった筈なので、多少過熱してもそう壊れはしないだろう。
加熱可能な食品のため、きちんと殺菌出来て有難い。
……とは言え蓋が現代に比べ心許ないので、密閉性には限界があるだろう。コルク栓を使用しているが、蝋封もした方が良いのか迷い所だ。
生と焼きと二種類作ったのは食感と甘さの違いだ。それぞれに美味しいが、より好みのものが選べる。
健康食品作成部隊にやけどをしないように注意し、手袋をして蓋を締める所までを説明する。
「必ず手袋をつけて、慎重に作業ちて下しゃいましぇ!」
時間が出来たら是非ともジャム瓶……ツイストキャップかスクリューキャップを作りたい所だ。保存性が大きく改善されるだろう。
商品を作ると同時に、オーバーテクノロジーにならなそうなものや、仮になったとしても差し支えないだろうもののみを採用しなくてはならないとマグノリアは常々考えている。
マグノリアの頭の中に大層な知識は無いものの、危ないものやヤバいシロモノの概要位はあったりするのだ。
この世界にある野菜でザワークラウトを作る事はそこまで大した問題にならないが(本来発明する筈だった人の利権はともかく……)、爆弾を作るのはいただけないと考えている。
……ビタミンが、とかいう説明は若干グレーな気がしないでもないが……
例えば武器や戦術、麻薬はものによっては麻酔に利用するなどの価値や利点はあるが、利用しない方が良いと考えている。
自分ではよく解らなくても、その分野に精通している人や頭の良い人に説明していけば、未来にある筈のものやこの世界には生まれない筈だったものが生まれてしまうかもしれない。
それが、人を傷つけてしまったら? 再び戦火の渦に巻き込んでしまったら?
……よって、自分に扱いきれないようなものは止めておいた方が良いと思っている。
それらはこの世界の進歩や発見に任せるべきだ。
生活用品や、簡単な食べ物。前世での一般的な小学生の自由研究レベルのもの。
それこそ百円ショップで買えるような商品や、家庭料理、簡単な理科の実験の範疇がマグノリアには一杯一杯だ。
この世界の成熟速度は基本は変えない。ちょっとだけ生活を便利にして、美味しいものや楽に暮らすもののみを採用していく――と考えている。一応。
縄張りは必要以上に荒らさない。郷に入っては郷に従え。
異世界転生者としてマグノリアが思っている事だ。
*****
「お嬢、クルースに行ったらびっくりするかもしれやせんよ?」
荷物を多く運ぶためだと言って、マグノリアは御者台にちんまりと座っている。
途中農地を通る時に工房の人々や知り合いを見かけた時に挨拶しやすいし、何より頬を撫でる初夏の風が気持ち良いからだ。
初めは自分が座ると言っていたディーンだが、マグノリアのたっての希望と解るや否や、仕方ないとばかりに不本意ながら馬車の中に納まっている。
主が御者台で従者と侍女が馬車の中とは、これ如何にと思うが……相手はマグノリアのため、言った所で仕方が無いだろうと思うばかりだ。
「びっくり?」
いつもながらのニヤニヤ顔に首を傾げるが、笑うばかりの護衛に言うつもりが無い事を察すると、まあ行けば解るのだろうと追及を止める事にした。
「……びっくりと言えばこの前聞いたんだけど、アスカルドは肥料とか無ちでもバンバン植物が育つって本当?」
先日久し振りに会ったキャンベル商会のサイモンに、リサイクルの話ついでに生ごみの野菜を使って肥料を作っている事を話したら、アスカルドでは肥料は使わないと聞いてしこたま驚いたのだ。
大して世話をしなくても農作物が採れ放題(?)って、凄い事だ。
「そうっすよ? 花の女神の加護ですねぇ」
「えーっ!? 大盤振る舞い過ぎじゃないの! 一応アゼンダでも信仰ちてる筈なのに、その差はなんなの!」
そうっすよ、って!!
……環境のためにはなっているとは言え、余計な労働をせねばならぬことに異議を唱えたい。
「加護ってそんなもんすけどね? まあいいじゃないですか。お嬢の残飯堆肥と骨肥しのお陰で、アゼンダも豊作続きですからねぇ」
「残飯堆肥……じゃあアゼンダは何の加護があるのかちらね?」
不貞腐れながら言うと、ガイはクククと喉の奥で笑った。
「智慧の女神ですからね、悟りですかねぇ?」
「悟りねぇ……」
「まあ、受け入れる事の何たるやは他の国の人間より知っている人々っすよね」
「うーん?」
「知恵と智慧は別モンとは言え、賢い人が多いのも本当みたいっすよ。クロード様もですが、王立学院の教師が多いらしいですし。能力を買われて占領時にはその時々の本国に迎え入れられている人間も多数いますからね。他の小国と違い滅亡しなかったのも、そのお陰と言われていやすよ」
「へーえ」
話半分なマグノリアの態度に、グフフと変な笑い声をあげながら、ガイは馬に鞭を入れる。
「お嬢は知らねぇと思いやすが、最近アゼンダは智慧の女神の加護が篤いって専らの噂なんすよ」
「しょうなの? 最近何か変わった事あったっけか??」
クルースの町を中心に、アゼンダには小さな智慧の女神が舞い降りたと専らの噂だ。
春の走りからのザワークラウトの販売によって、航海病は劇的な減少をした。盛りの今、確実に減少の一途を辿っている。
勿論販売だけでなく、マグノリアは事業と並行して近隣の医師へ情報の提供を行った。
初めは半信半疑だった医師たちも、例のスケッチと実際の治癒患者への聞き取りからすぐに本腰を入れ始めた。
そして新たに入港した船で判明した航海病患者の治療を確認したいといわば無理矢理(?)手伝わせてもらう内、現在医師たちは本物だと確信を持って治療と予防に取り入れている。
ザワークラウトの販売を始めてまだ数か月だが、航海をする諸外国の者の間で確実に存在の噂が広まってきている。
辺境伯家が関わっている事と、どうも発案者は女性らしいという噂が錯綜している。色々探る動きもあるようだが、クロードの話を聞いたパウルによって、工房の者達を始め農地の者も港町の者も、マグノリアの正体を隠匿している状態だ。
ただただ、智慧の女神が降臨されたのだと言い、病を無くすための活動と仕事を皆で一丸となって行っているのであった。




