事業のこれから
想像以上。
それが大人たち全員の感想だった。
ただ、大成功の余韻に浸る暇もなければそんな悠長な事を言っている暇もなく、身体と頭を極限まで動かさなくてはならなくなったのだが。
「……うちのお嬢様はヤバイな。こりゃあ次のパプリカ使うやつも、別でやってる手芸部隊の案件もヤベェぞ」
「それな。初めは物事を大きく簡単に考え過ぎだぞ、甘ぇわ。って思っていたけど、甘いのは俺の方だったわ……」
スラム街の人々は、口々に笑いながらボヤいている。
『うちのお嬢様』
マグノリアはいつしか事業に携わる人々に、そう呼ばれるようになっていた。
かつて懸念したような、『ゴロツキ令嬢』とも『輩令嬢』とも、『ケチケチ令嬢』とも呼ばれなかった。
状況はその時々で加味して状況に応じた対応をするものの、基本的に令嬢らしくないマグノリアだ。相手に敵意や害意が無いのならばどんな人も身内のような扱いをする。
平民で更には最下層の人間である自分達が、大貴族のご令嬢を身内扱いするのも烏滸がましいと思いながら……それでも携わった人間はマグノリアに敬意と愛情を持って『うちのお嬢様』と呼んだ。
……勿論暴走令嬢だという事は、言わずもがな、皆の共通認識である。
『より良く』を信条とする彼女が一度事を構えたなら、それは出来得る限りの最上の結果を上げようと奮起する。必然的に周りを大きく巻き込んで突き進む事になるのは必須だったからだ。
本人は至って必要な事をしているだけで、巻き込んでいる気はさらさら無さそうではあるのが何とも言えない。
普通のご令嬢なら……人助けになればと、知人か医者にでも情報を伝えるだろう。
非常にアグレッシブだったとして、誰か――協力的な商人や工房、場合によっては使用人などを使ってザワークラウトを作って販売するかもしれない。
とても高位貴族の幼女本人が手を出す事とは思えなかった。
まさか病気緩和に関連する事業を立ち上げるが、それを領地の問題点と問題児を絡めてまとめて解決しながら、コストカットにもなるからと彼等のための仕事を作り、更にはエコロジーも考えましては一石三鳥!……なんて、堆肥作りからする事になるなんて誰も思わない筈だ。
現在進行形で工房で出た切れ端や虫食い葉は肥しを作るために、人や物と一緒に毎日、巡回馬車で各地区の農地に運ばれている。
何はともあれ話を聞いた時は、大半の人間が成功するはずが無いと思っていたし、途中で頓挫すると思っていたのであるからして。
*****
「……大量注文は注文書を貰う。瓶はリサイクルのためにデポジット制として、持ち込んだら返金する。後は?」
久々の会議室。
ちょっぴりやつれたようなヴィクターがマグノリアに確認を取る。ドミニクはひと言もしゃべらずに苦虫を噛み潰している。なんだか顔色がとても悪いのだ。無理もあるまい。
彼は初老と言って良い年齢にも拘らず、馬車馬のように働く羽目になっているのだ。
……大変お疲れ様な事である。
流石に百戦錬磨のギルド長たちも、こんなに当たるとは思わなかったらしい。
眉唾物の薬を売る悪徳商法は過去にあったようであるが、本当に病気が改善されたという事実に裏打ちされたものは前例がないであろうから仕方ないだろう。
「人間の恐怖や不安が元にある商売は儲かるものなのでしゅよ……だからこそ、悪用せずに安心安全、高品質かつ信用第一な訳なのでしゅが」
世の理全てを知っている風な幼女がそう言うと、長たち二人は深い深いため息をついた。
ヴィクターの赤毛も心なしか元気が無いようにペっしょりとしぼんで見える。
「注文書はフォーマット……決まった型を作りまちょう。他の事業でも使える上、管理し易いでしゅ。人や店によって記載内容や確認内容が違うと管理が大変でしゅし、万一のモレなども気づき易いでしゅ。可能ならキャベツとパプリカ、手芸部隊で紙かインクを色分け出来ると良いでしゅが」
「説明カードと一緒に発注をかけよう。大体の構想はあるのか?」
煩雑になるよりも簡単な方、ミスが無い方が良いだろうと、クロードも文句を言わなかった。
マグノリアは木札にざっと線を描き、必要と思われる記載事情を書き込んでいく。
製品の大きさ、数、期日や受け渡し日、特記事項欄など。そして注文者の名前や住所、連絡先、受けた店員名、引き渡しの際のチェック欄と名前などだ。
「こんな感じでちょうか? お兄ちゃまとギルド長、パウルも確認して下ちゃい」
渡された札を席の順番で渡しながら確認していく。必要と思われるものは書き足して、要らないと思うものは省いていく。
最後に札を渡されたパウルが感心したように何度も頷いた。
「……良いと思います。これを使って記入するのですか?」
「あい。常連しゃんには幾つか渡しておいて、書いてきてもらっても良いと思いましゅ。店員が書くよりも、可能な限りお客様に書いていただいて、受け取ったら一緒に確認してもらうとミスや勘違いが減りゅと思いましゅよ。記録とか食い違いがあった時の証拠としても取っておけましゅし」
マグノリアが少し考えてクロードに向き直る。
「木工工房に版を作ってもらって、工房で刷りましゅ?」
「いや……それは暇が出来てからで良いだろう。今は寸暇も惜しい。さして多くない出費なら外で済ませた方が良い」
……まあ、確かにである。マグノリアは頷いた。控えるディーンとリリーもほっとした顔をしていた。
これ以上余分な仕事が増えるのかとハラハラしていたようだ。
満を持したようにドミニクが口を開く。
「予想よりもかなり大きな商売になりそうですので、商会化されたら如何ですか?」
「工房のままでは駄目なのでしゅか?」
「……マグノリア様の事業は生産や卸だけでなく販売もされていますし、食品だけでなく服飾関係もなさるのですよね? 商会にしたほうが宜しいかと思うのですが」
ドミニクの言葉にマグノリアはクロードを仰ぎ見る。クロードは考えるように顎を指で摘まむと、ギルド長二人とマグノリアを見る。
「マグノリアはどう思う?」
「……そうでしゅね……元々、ある程度軌道に乗ったりゃ正式な工房か商会かに変えた方が良いとは思っていまちたが、もう少し経験を積んでかりゃが良いかと思っていましゅ」
彼等はずぶの素人の集団だ。
いきなりあれやこれやと作業と同時進行で商会や工房の決まり事や運営を熟すのは、難しいと思うのだ。
「きっと、今行っている作業をするだけで精一杯だと思うのでしゅ。同時に商会を経営するのは難しいのではないでちょうか」
マグノリアの言葉に、ドミニクが頷く。
「そうでしょうな。具体的な内容は考えていらっしゃるのですか?」
「あい。今取り纏めている人達に各部門の代表者になってもらって、共同経営が良いと思ってましゅ。本来は投票などで決めたら良いと思いましゅが、今時点で行っても同じ結果になりゅと思いましゅし。生活困窮者の支援や自立のための事業でしゅから、彼等が中心になって運営していくのが本来の……というか、思い描いていた形でしゅ」
パウル以外の人間が、吟味するように小さく頷く。
商業関連という事から、ドミニクが気になっている事を確認していくように口を開く。
「とはいえ、辺境伯家が商会頭になるのですよね?」
「……既に初期費用は補填出来まちたし、皆も真面目に働いていましゅ。これからは辺境伯家の手を離れて工房か商会を立ち上げる方向で行くと良いと思うのでしゅ」
「……えっ!」
ドミニクへのマグノリアの回答を聞いて、パウルがぎょっとし小さく叫び声を声をあげた。
「そんな……! お嬢様が会頭ではないのですか!?」
焦ったようなパウルに、マグノリアは優しく微笑みかける。
「違うよ。万一辺境伯家の誰かが会頭になるとちても、わたちじゃないよ」
「……マグノリアの功績を奪う訳ではないが、書面上、子どもが会頭というのは難しいと思う。それに……マグノリアの身を守るためでもある」
「……身を守る……?」
納得していなさそうなパウルであったが、クロードの不穏な言葉に首を傾げる。
「危険過ぎるんだよ、マグノリアちゃんだけの功績にすると。国内の貴族の中でも、辺境伯家は実はかなり上位の貴族なんだ」
ヴィクターがパウルに向き合って説明をする。
「マグノリアちゃんは辺境伯家で育っているけど、元々はギルモア侯爵家のご令嬢だ。そちらも侯爵家の中でかなり上位の家柄だ。いわば超名家二つの家を持つマグノリアちゃんは、例えばこの国の王妃様になってもおかしくはないんだよ」
「……王妃様……」
普段、廃棄品をいかに有効利用するかばかりを考えて、骨やら余りものやらを使った料理を頬張っている姿や、堆肥を作ったりザワークラウトを作ったり、果てはゴロツキ相手に啖呵を切るマグノリアにすっかり慣れていたパウルは、瞳をパチパチと瞬かせた。
「それが、ずっと原因不明だった病気を治すわ。事業をドッカンドッカン成功させるわしたら、他の国からもお輿入れ要請がごまんと来ちゃう訳よ。まして、物凄く見た目は可愛らしいと来たもんだ」
ヴィクターのセリフに若干の引っ掛かりを感じるマグノリアだが、面倒な事は極力避けたいと思い口を噤んだ。
「……では、なんでも工房からは手を引かれてしまうのですか?」
パウルが哀しそうにマグノリアをみつめた。
「いや? 引かないでしゅよ? 発案者でしゅのでこれからも関わりましゅ。色々始めたばかりなのにここで引いたりゃ、無責任でちょう」
「へっ?」
びっくりしたように返すマグノリアに、パウルもびっくりしていた。
王家や外国王室との婚姻は避け、目立たずひっそりと暮らしたいので……極力名前は出さない形で参加して、事業には関わる事。必要な時はアイディア出しも手助けもするつもりな事。
辺境伯家で出した資金は投資とした、それが回収出来たので領主家からは切り離して、経営自体は出来れば違う者に任せたい事。
その方が働く人々が潤うため、皆の生活水準を上げる事になるだろうと思う事。
なあなあにならないよう働いた分……アイディア料だけは少し貰うつもりな事。
偏見の原因になっているスラム街自体をなくしたいので、住んでいる人々の了解があれば行く行くは新しい地区にしたい事。
――例えば公共工事として街並みを綺麗にし、店や工房を建て上に住まいを作るなどにして、住民の住居を確保したりとしたい事を説明する。
「……目立たないって、無理じゃないか?」
ヴィクターが呆れ気味に呟くと、マグノリア以外のその場にいた全員が大きく頷いた。
「取り敢えず、ドミニクの分も含めて全て意見として聞いておくが。父上が戻ってきたら再度詰める事になるだろう……取り急ぎ目下の目標はパプリカピクルスの販売とザワークラウトの併売を軌道に乗せる事だ。夏場はパプリカ一本になるだろうが、あっという間に秋採れキャベツの時期になる筈だ。今まで以上の忙しさになる。皆よろしく頼む」
「……はい」
クロードの今まで以上の忙しさという言葉に、その場に居た者全員が戦慄を覚えた。
……ヴィクターの頭を見ると、いつもは元気な赤毛がしんなりしていた。




