閑話 おめでとうが言いたくて
新年らしい話をと思っていましたが切れ目が……
ここしか差し込めなそうなので、ひと息、閑話を。
異世界の、だけどもどこか地球と似たアスカルド王国。
そしてその端っこにあるアゼンダ辺境伯領。
かつて地球に住んでいたマグノリアは、記憶が戻って(?)初めての冬を過ごしていた。
地球のヨーロッパ諸国のように年明けはそれ程重要視されないのかと思いきや、意外な事に年末年始を重視するお国柄のようで、辺境伯家でも極々身内のささやかなパーティが行われるという。
どうしてささやかかと言えば、帰る所がある人は全て帰省させているから。
辺境伯一家以外で館に残っている人たちは帰る所が無い、身寄りがいない人ばかりだからだ。
セルヴェスとガイは朝から狩りに行き、鳥を沢山仕留めさくさくと捌いていた。
……流石に現代っ子のマグノリアには、そのさまを直視する勇気はない。
それを副料理長がお腹に詰め物をしては、次々と丸焼きにしている。
その横で、マグノリアはオードブルを作ったり、クッキーを焼いたり、クレープ生地を焼いたりしている。
下働きのおばちゃんはいつも通り洗濯や掃除をこなしていた。
心配して様子を見に来たプラムとディーンに大丈夫だと言っては丸鶏を一匹押し付ける。
まあまあ近くに住む使用人達が、順番に辺境伯家を心配してはやって来て、丸鶏を押し付けられるというのを繰り返していた。
「毎年の光景なのでしゅね?」
副料理長に聞くと、苦笑いしながら最後の鳥をオーブンにセットした。
「そうですね……でも、今年はいつもより多いですね。みんなお嬢様が心配なのでしょう」
マグノリアはほんのりと微笑んで、大切にされている事を確信してはくすぐったく思った。
……昨年までの自分はどうしていたのだろうか。
元々のマグノリアの記憶は曖昧だ。どこかボーっとした本来のマグノリアは、余り物事を詳しく記憶していない。
……それはあえて記憶しないようにしていたのか、それとも本来の性質なのかは、今となっては解らない。
きっとあの堅く重い樫扉の部屋で、新年なのかどうかも解らず、知ろうともせず。ひとりいつも通りの食事をしていたのだろうと思う。
焼きあがった丸鶏を一つ残すと、残りを馬車に積んで教会へ持ち込んだ。スラム街に住まう人だけでなく、裏口の戸を叩いた人すべてに配られる事になる。
あたたかなスープと共に、ちょっとの安らぎになればと思うばかりだ。
初めて過ごす冬の領都は年末にもかかわらず、沢山の人でごった返していた。
露店が並び威勢のいい声が飛び交う。笑い声と、さざめきと。
食べ物の香りと冬の冷たい空気独特の匂い。そしてグリューワインのスパイシーな香りと。
すれ違いざまの道行く人々の楽しそうな顔に、マグノリアの頬も自然に緩む。
(平和で穏やかな幸福に満ちた日々を皆が過ごせますように)
蝋燭の炎が揺れる礼拝堂でこの世界の神々に祈る。
全能の大神を中心に、その国を象徴する女神を信仰するのが主らしいが、自分の仕事に関係がある女神を信仰する人も居るらしく、意外に自由度が高いらしかった。
アゼンダは色々な国の支配の下に歩んだ歴史から、その時々で信仰する女神が変わる事が多かったらしい。
アスカルド王国の一部となった今、領民は基本花の女神を信仰しているらしい。が、本来アゼンダ公国が信仰していた智慧の女神を信仰する事を辺境伯家は止める事はせず、むしろ推奨しているらしかった。
ふと、周囲の騒めきが大きくなり、マグノリアは不思議に思って朱鷺色の瞳を開いた。
「……?……」
目の前の空間一杯に、小さな光の粒が舞っていた。
白のような金色のような、不思議な淡い光。
所々水色や緑、赤などの柔らかな色合いが混ざり合っている。
そう思ったら一瞬の内に。
礼拝堂の空気が混ざりあって渦のように光の氾流が大きく旋回したかと思うと、花火がはじけるように四方八方に飛び散り、ちらちらと空間一杯に降り注いだ。
綺麗……だけど。
(雪虫……?)
北海道に大量発生するという虫を思い出し、手のひらを広げる。
所が何も触れた感覚はなく、すうーっと小さな光は手のひらに吸い込まれて消えた。
「……神々の祝福だな」
同じく周囲の声に瞳を開いたセルヴェスが静かに言う。マグノリアは首を傾げて繰り返した。
「神々の祝福?」
「そう。時折あるのだ。気まぐれに神々が祝福を授け、その光を降らせることが」
「へぇ、しょうなのでしゅね……」
流石異世界である。魔法の国でなくともそんな不思議現象があるのだなぁと感心する。
……わかってなさそうなマグノリアの様子をみてセルヴェスは苦笑いをした。
礼拝堂を去り際に、視線を感じて後ろを振り返る。シャロン司祭が優しい瞳で帰る人々を見守っていた。
目と目が合って、マグノリアは軽く頭を下げる。
揺れる蝋燭の炎がステンドグラスが光を反射させ、神々の姿を浮かび上がらせるように光っている。まるで遠い神話か表象の世界が目の前に現れたかのような感覚に、マグノリアはきゅっと拳を握った。
かつての世界では感じたことが無いような感覚。
見下ろされるような神々の姿に、マグノリアは心細くなり縋る腕を探した。
礼拝堂の中はいつまでも騒めきが収まらないでいた。
館に帰ってくると、出がけに用意していた御馳走を食べ、語らい、笑った。
色とりどりのカナッペ、領都で食べたロールサンドもどき、ブルスケッタにカプレーゼ、そして大きな丸鶏。デザートは色とりどりな果物を乗せたフルーツタルト。
身分や立場も無く同じテーブルにつき、館に居るみんなで過ごす。
教会での突然の祝福の話も出る。
セルヴェスは時折と言っていたが非常に珍しい事らしく、ガイも副料理長も下働きのおばちゃんも興奮気味に話していた。
そして午前零時に教会の鐘が鳴り響く。国中の教会の鐘が一斉に鳴るらしい。
音は違えど日本の除夜の鐘のようで、何だかマグノリアは可笑しくて笑えた。
幼女は流石に寝る時間だとベッドに追いやられる。
これから大人たちは羽目を外して飲み明かすのだろうか。
(セバスチャンもプラムも居ないから、たまにはどんちゃん騒ぎもアリだよね)
そう心の中で思う。
かつて大人だった自分は、気の置けない仲間たちと飲み語らう楽しさを知らない訳ではないのだ。たまには良かろう。
おやすみなさいの挨拶をして、ひとりベッドに座って夜のしじまに響く鐘の音を聞いていた。
コツコツ、と窓ガラスを小さく叩く音がする。
始めは空耳かと思ったが、よくよく瞳を凝らすと、カラスがこちらを見ながらくちばしで窓を叩いていた。
裸足でベッドを降り急いで窓を開けると、冷たい空気と粉雪と共に、カラスがひと鳴きして入ってくる。遅いとでも言わんばかりだ。
「ゴメンゴメン。雪の中どうちたの?」
マグノリアの問いかけを聞くと後ろを向き、背中の小さな荷物を見せる。
促されるようにそれを開けると、小さなカードと更に小さなケースが入っていた。
それを開くと、教会で見たような淡い色合いの、色とりどりの小さな花の砂糖漬けが入っていた。
『新年おめでとう』
そうひと言、流麗な文字で書かれたカードはクロードからであった。
マグノリアは素っ気ないのか思い遣りに満ちているのか解らないそれを手に取り、薄く笑った。リスと小花があしらわれた愛らしいケースを見て、あの無愛想な顔でこんな可愛らしいものを選んだのかと思うと余計に笑える。
皆の話では王都では夜通し新年の宴が開かれていると言う。今頃、煌びやかな王宮でメヌエットやワルツでも踊っているのだろうか?
仏頂面でご令嬢の手を取るクロードを連想して再び笑う。
寒い中律儀に飛んできたカラスに、誕生日に貰った干し肉と、昼間に作ったクッキーのかけら。そして水差しの水を振舞う。
そして小さな菓子をひとつ細い指で摘まむと、口へ運んではゆっくりとその香りを楽しんだ。
「新年おめでとうごじゃいましゅ、お兄ちゃま」
そして、みんなみんな。おめでとう。
良い年でありますように……
年末年始の王都では、あちこちで舞踏会や夜会が開かれる。
どうしても行かねばならないものに絞るとはいえ連日の宴で、ため息しか出ない。
……面倒この上ない。
馬車の外をふと見ると、洋菓子店が目に入った。
(……そういえば、あの娘は年明けに食べる花菓子を食べたことがあるのだろうか)
館に残った面々を思い起こして、誰も教えなさそうだと思い至る。
肉と酒と肉しか出なさそうなメンツである。
……場合によっては副料理長辺りが気を利かせて作るかもしれないが、多分当日の用意に追われてそこまで手が回らなそうなのがありありと浮かんでしまうではないか。
大陸、特に花の国と冠しているアスカルド王国では、年明けに縁起物として花菓子という花の砂糖漬けを食べる習慣がある。
年明け以外にもお祝い事に良く用いられるものだが、『新年と言えば花菓子』と言われるほど定番の食べ物だ。
愛らしい外観の店の扉を開くと、甘い香りが店内を満たしていた。
幼い子どもの手を引く人や恋人同士が多く目に入り、若干の居心地の悪さを感じながら花菓子の一角に進んで行く。
この時期、花菓子を入れるために様々な入れ物が選べるようになっている。
露店売りでもない限り、入れ物は洋菓子店によって様々に取り揃えられている事が多い。
定番の花柄は名前にちなんで選べるようにメジャーな物が幾つもあるし、小さな紙袋に紙箱、籠、豪華な木彫りの箱。そして宝飾店で売られている豪華なアクセサリーケースのような一点物まで様々だ。
存外可愛いものが好きそうな姪っ子に、リスの装飾がされた小さなケースを選ぶ。
銀地にリスが彫られ、小さな花は細かくカットされた宝石が埋め込まれて描かれている。遠乗りでも見つけて喜んでいたし、ほっぺたに詰め込んで食べる姿はリスそのものだろう。
「恋人への贈り物ですか?」
店員に聞かれ、はっとして顔をあげる。
にっこりと笑う店員は間違いなくクロードを見ていた。
居心地悪そうに周りを見ると、小さく答える。
「……いえ、家族に」
「まあまあ。妹様かお姉様ですか? それともお母様?……そんなに豪勢で素敵なケースで頂いたら、とても喜ばれますね!」
――確かに。
幼児に渡すのには少々値が張るかもと思うが、まあよかろうと思い直す。あの娘ならば小さな子どものように失くす事も、その辺にほったらかす事もないであろう。
「……そちらに、小さな花菓子を見繕って入れてほしい」
「はい、承知いたしました。お色は如何致しますか? 一色にされるか、何色か混ぜますか?」
食い意地が張った顔を思い出し、色々と香りが楽しめた方が良いだろうと幾つかを混ぜてもらう事にする。
「カードもご一緒に付けておきますので、メッセージを添えるのにお使いくださいませ。良い年を!」
最後まで笑顔の店員に小さく会釈する。
寒い中申し訳ないが、鴉に頑張って飛んでもらうとしよう。
……年が明ける頃には届くだろうか?
小さいのか年上なのか全くもって解らない姪っ子が、甘い花菓子を頬張る姿を想像しては穏やかに表情を緩めた。
ほてった頬を冷ますため、大ホールの人いきれを避けるように静かに外へ出た。
新年を祝う夜会は、まだまだこれからのようだ。
肌を刺すような冷たい夜の空気を震わせるように、国中の教会の鐘がその音色を響かせている。
満天の星を見上げながら、新しい年が、全ての者に幸多からん事を祈った。




