気付きと変化
新事業の話が出た頃とは違い、今、スラム街の人間は大忙しであった。
身体が動く男手はしのごの言う暇も無く、毎朝それぞれ、四つの地区の畑に散っていく。
――貴族の気まぐれか思い付きかと思っていたのに、辺境伯一家は本気も本気だったからである。
(……俺達を本気で雇うとか、あいつら本当おかしいわ)
始めは日銭が必要だろうと気遣われ、日払いで給料を手にした。
……嘘だと思っていた金額はまさかの本当だった。
普通の日雇いの仕事より割が良くて旨い飯も出る。次の日も次の日も。そのまた次の日も。
人数が多くなったら流石に止めるだろうと思って二の足を踏んでいた奴らを大勢引きつれて行ったら、かえって喜ばれた。そして仕事も増やされた。
……有り得ない。
人手が足りないからと食事目当ての休みの騎士たちも、一緒に畑を耕し堆肥を撒く。そして再び耕す。誇り高き騎士たちが鍬を握り堆肥を撒く姿に、目を疑ったのはもうだいぶ前の事だ。今はもう慣れた。
……小さい頃から手伝っていただけあって彼等は上手いもんだ。
近くの農家の奴らも色眼鏡で見る事無く手伝ってくれたり、差し入れをしてくれたりする。
妙に居心地が良くて、かえって尻がムズムズする。
悪戯をしてやろうかと思っていたがそんな隙も無く。いつしか真面目に仕事をする内に、愛着や遣り甲斐を感じられるようになっていて。
スラム街の人間たちは、変わっていく自身の心持ちに自分で驚いていた。
(負けられない。これは自分達の仕事だ)
そう思ったが最後、彼等は格段に変わった。
質の悪い酒で深酒する体力も、悪い金儲けをする気力も無い位クタクタになり寝床に寝転んだなら。気がついたらもう朝だ。
それも妙にすがすがしい。
笑える。何だか阿呆みたいだ。自分も、辺境伯一家も。騎士も。農家の奴らもみんなみんな。
よく食べよく動き、よく寝たら体調が良くなる奴らも増えてくる。
(……そうか。本当に、出来るんだ……)
無理に肩肘を張るなんて無駄だ。やんちゃをしたり悪さをするより割が良い。
別にワルぶりたい訳じゃない。
生活にいっぱいいっぱいで、実際そんな余裕は無いのだ。
――自分や仲間を守るために悪さに手を出さざるを得なかっただけだ。良い暮らしがしたいだけ。この底なし沼から抜け出したいだけ。
真っ当に生きる当たり前を実感して。
彼等は悪くないと思っている自分を気恥ずかしくもあり、誇らしくも感じ始めていた。
子ども達や女性陣、身体が不自由な人間は、協力して食事作りや細々とした雑務、資材製作、食品等の買い取り相場の訓練を行っている。
先日はザワークラウト作りの練習をした。
食品の売り物と言う事で物を丁寧に扱うため、彼等の予想に反して無理にという作業はまるで無く、安全確実にという作業ばかりだった。
貴族から代表者が招集されたと聞いた時は、奴隷のように働かされると思ったのに。
勿論説明は事前に聞いていたが、とても信じられなかったのだ。全くもって拍子抜けである。
子どもですらも、使いっぱしりのお駄賃ではなくきちんと作業に見合った給料が出るし、女性は教会や要塞での作業のため、危険な事も無く今までよりも安心して仕事が出来る。
そして何より一番は身体の不自由な者達だ。真っ当な仕事にありつけ、きちんと給料が支払われる事が素晴らしいとすら思う。
殴られる事も蹴られる事も、言いがかりや嫌味を言われる事も無い。
これなら出来そうだと手応えを感じて、救われるような気持ちになった者がどれだけ居た事だろう。
通りかかった軍医がちょっと気になるからと身体を診てくれることもある。多分通りかかったは方便で、お嬢様が診察するように頼み込んでくれたのであろうと皆が思っている。
(有難い事だ……)
あのダンを怒鳴りつけたというお嬢様。
この事業の発案者だという小さな指揮官だ。
始めは何の冗談か、はたまたどこぞへ嫁入りのための箔付けなのかと思ったが、誰よりも小さいお嬢様が実際に指示し、やってみせ、変更しては改善されていく様子を見ていたら嘘だなんて言う事は出来なかった。
紛れもない、現実以外のなにものでもないからだ。
領主様があの『悪魔将軍』だという事はみんなが知っている。
二十年前、彼がアゼンダに来なかったらこの地はどうなっていた事か。多分取り返しのつかないような蹂躙を受け、悲惨な末路を辿っていた事だろう。
彼はアゼンダどころか、アスカルド王国でも上から数えた方が早いような偉い貴族だ。
その家のお嬢様。
本来なら自分たちの存在すら気にする事所か知る事すらなく、美しく着飾って笑っている存在なのに。
自分達と同じものを食べ、真摯に対応し。気さくに話し、当たり前に温かく笑いかける。
お嬢様も、領主様もその息子も。お付きの者達も。
それは当たり前のようで当たり前でない。
(絶対に成功させなくては! お嬢様を失望させてはならない!)
まっとうに生きる事。当たり前に生きる事。
スラム街の人間達は、いつしかそう心に誓うようになっていた。




