兄夫妻との食卓
「へぇ。小さいのに信じられないお嬢様だなぁ。話が本当なら商会で雇いたい位だな」
夕食の時間、久々に一緒のテーブルを囲む兄は話半分に聞いているようだった。
……無理も無いだろう。マグノリアの特異さは、実際に目にしてみなければ本当だとは思えない筈だ。
サイモン自身も実際に自分で対応していないなら、何を馬鹿な事をと思う事だろう。
「……でも、ギルモア本家で女の子が産まれたなんて話は聞いたことが無いわね……あの腹黒が余所の女性との間に子どもなんて作るかしら」
ギルモア侯爵の人となりを知るらしい義姉――コレットはブルネットの髪に縁どられた愛らしい顔を傾げた。
いつ見ても少女のような側面と、妖艶な大人の女性の側面を併せ持った稀有な女性である。
実際はうっかりしていたら全て飲み込まれているという、恐ろしい魔女のような女性なのだが。
その見た目にダマされて甘くみていたら、チャンスとばかりにこっぴどくしてやられるという人間をサイモンは如何ほど見てきた事か。
女という生き物は怖いという事を体現している人物である。
世間的には成人後、傾きかけたオルセー家をその商才によって見事立て直した立役者。
そしてオルセー男爵家の令嬢であり……ご令嬢というのには、実際の年齢はだいぶ薹が立っているが……豊かな才によって自ら女男爵の爵位を持つ女傑だ。
アスカルド王国は花の女神の加護により、肥沃な大地に恵まれている。
特段何をする事をなくとも、普通に育てていれば苦労せずとも充分な作物を収穫出来るという有難い土地なのだ。
昔、近隣国が全て深刻な不作による食料危機に陥った際も、アスカルド王国だけは豊作であったという記録が残っている位だ。平和に過ごし、普通の日常を過ごす上では一見地味な加護であるが、いざという時は生活と命に直結している事だけに大変得難い価値である。
アゼンダ公国が統合されるや否や、地の利と先見の明を活かし、彼女はいち早く港に目をつけた。
自領で取れる豊富な食品やその加工品を主に、領地の商人達と組んでは領地の特産品などを他国の人間に売る事にした。
更にはそうして得た利益で他国の商品を購入し、アスカルド王国に大きく流通させ、あっという間に大きな利益をあげる事に成功したのである。
物事を見据える力と自ら築いた財力。そして他国の文化を普及させた功績が認められる事になるのはすぐの事だった。
そうして現在アスカルド王国に二人いる、女性自ら爵位を持つ人間のひとりとなったのである。
彼女が一番得意な事は、物事を見極める目だと言われている。
そしてそんな彼女が選んだのは、大貴族のご令息ではなく、平民でありサイモンの兄であるキャンベル商会会頭のロイド・キャンベルその人だ。
善良で働き者。思いやりがあり度胸がある。一見のんびりしているが、多少の事では狼狽えない。意外に肝の据わった人物である。
「腹黒だからこそ自分に良いように人も周りも転がすのじゃなく?」
兄の言葉に、長い睫毛を伏せて、ふふふと笑った。
「本当の腹黒は、そうとは気づかせないように事を運ぶものよ? 隠し子なんて面倒な事に労力を使わないし、ましてや本妻のいる本宅で育てるなんて意味が解らないわ」
コレットの予想に寄れば、マグノリアは間違いなくギルモア侯爵夫妻の子どもであろうとの事だった。
サイモンには全くもって信じられない話だった。
(自分の実の子に、あんな対応なのか……?)
納得していなさそうなサイモンに、哀しそうに微笑んで言う。
「……実際血が繋がっている方が残酷になれる時もあるものよ。それにしてもお披露目をしないだなんて、あの腹黒らしくないわね……」
コレットは首を傾げる。
義弟の話を聞く限りでは、かなり才気煥発な少女だろう。
幼くして領地の事業の手伝い(?)をしている位だ、病弱という訳でもないのだろうし。今後、一体どう言い訳をするつもりなのだろうか。
嫌な話ではあるが、引き取って政略結婚の駒に使うというのならままある話だ。
しかしその存在を隠して育てるならば、わざわざ揉め事の種でしかない存在を引き取る意味が解らない。
本当の母親に何かあったから?……それならそのまま放っておくか、誰かに託す筈だ。
国の中枢へ入り込む意思が無いジェラルドの動きは特段追っていないが、アゼンダ辺境伯領は肝心の港を持ち、かつ隣の領地のため、何か動きがあればそれなりに押さえている。
悪魔将軍に孫娘がいるなんて話は聞いたことが無い。
少女の移領は、極々最近の事なのだろう。
どうやら腹黒ことジェラルドが王家と距離を取りたいらしい事は常日頃の様子から察せられるが……次王の妃にさせたくないからといって、完璧に悪手だろうと思う。
あれだけの大貴族だ。子どもがお披露目されれば間違いなく片田舎の貴族にすらも噂が届くはずだ。
よって対外的には、ギルモア家の子どもは以前にお披露目された男児のみ、という事になっているだろう。
(そんな事が解らない人間じゃないだろうに……まさか……)
「完全に存在を、隠して追いやろうとしてた……?」
小さな疑念を呟く。
コレットは思い当たった考えに、母親として寒気がした。
「……コレット?」
夫――ロイドが、急に顔色を悪くした妻を見て心配そうに名を呼ぶ。
その隣で、サイモンは三歳になる甥っ子に聞く。ロイドとコレットの愛息子だ。
子どもらしくのびのび育っており、恥ずかしがり屋で、だけどもやんちゃな所がある普通の三歳児だ。
オルセー男爵家には跡取りとしてコレットの弟がいるため、コレット自身が男爵家の次代をあれこれ考える必要は無い。
貴族とはいえ男爵家は低位貴族。平民の豪商に嫁ぐご令嬢もいない訳ではない。
ひとえに彼女自身が王国でも珍しい自らが爵位を持つ人間だから少々厄介なだけで、男爵令嬢と平民の組み合わせはままある事。
いつ公表するか、諸事情の考慮とタイミングを見計らっている所なのだ。
彼女的にはいつでも構わないのだが、主にコレットの父が何やらかんやらと煩いのだ。
そんなコレットだが、有難い事にちゃんとキャンベル家の跡取りを産んでくれたのである。
……色々と面倒な事や混乱を避けるため、極限られた人間しか知らない事実であるが。
世間に婚姻の公表を待ってから子どもをと思っていたロイドだが、産める時に産んでおかないとと彼女の年齢も考慮され、敢行されたのだった。
下にもう一人、一歳の女の子もいる。今はミルクをしこたま飲んで、部屋でおねんね中だ。
サイモンとしては、確実にコレットが外堀を埋めに行っている気がしてならないが。
女男爵の爵位は一代限りのため、お披露目はせずにキャンベル家の子どもとして育てている。
既に理解ある司祭を抱き込んで婚姻も結んでおり、現実にはコレット・オルセーではなくコレット・キャンベルなのである。
……ちゃんと教会には届けられ、受理されている。恐ろしい事である……色々と。
そんな用意周到な母を持つ甥っ子に、サイモンは問いかける。
「……なあ。字、書けるか?」
モグモグとスプーンを口に運びながら、叔父の言葉に瞳を輝かせる。
「うん! I と O 書ける!!」
「…………。そうだよな。凄いな」
無邪気な甥っ子の頭を撫でた。
彼と一歳違いのマグノリアに渡された領収書と、流れるような美しいサインを思い出して、ある意味義姉より怖い存在かもしれないなと思い、サイモンは困ったように頭を掻いた。




