キャンベル商会のサイモン、アゼンダ辺境伯領へ行く
役目は果たしただろうと、気味の悪い視線を避け早々に夜会を辞した。
マグノリアにどういうつもりか聞いた所で止まるような娘でもないので、ガイに注意をしておくしかないであろう。一応リリー宛てにも併せて記載しておく。
……ストッパーになるのかならないのかは解らないが、一応数は多いに越した事は無いだろう。
馬車に乗り、荷物の中に入れてある筆記具を取り出して走り書きすると鴉の足につけ、再び夜の空に放った。
「おや、クロード様。お早いお帰りでございますね」
タウンハウスの家令であるトマスが、口ではそう言いながら当然のように出迎えた。
辺境伯領の館の家令であるセバスチャンと全く同じ口調、同じ仕草でマントを受け取る。
なんなら顔もよく似ている――彼等は兄弟だからだが。
「……野暮用が入ったのだ」
執務室へ足を向けるクロードに、おやおやと相槌をうつ。
「お嬢様でございますか?」
トマスは柔らかく微笑んでクロードの顔を見た。
……少し前に一晩だけやって来た本家のお嬢様。先々代の奥様であるアゼリア様によく似た面差しのお可愛らしい女の子だったが。
色々な者から話を伝え聞くに、なかなか豪胆なお嬢様だと聞く。
(ウィリアム様もアゼリア様に振り回されては、よく困ったようなお顔をされていたが……)
セルヴェスに至っては母親にも孫娘にも振り回されている様子だ。
厳つい姿に似合わず、実は優しい心根のセルヴェスは、一人息子ということも相まってか、なんだかんだと周りを元気に飛び跳ねていた母親に弱い所があった。
(妖精はいつの世も天真爛漫ですからなぁ……)
ふむふむ。
老家令はにこにこと頷きながら、ため息をつきながらも何処か楽しそうでもある若き主人に、お茶を淹れる事にした。
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辺境伯家の家紋の入った手紙を受け取り、サイモンは瞳を瞬かせた。
どうもギルモア家のお嬢様が、また何かを思いつかれたようだ。
作られた洋服は急がなくても構わないとの事だったので、まだ手元にある。社交界の始まる前だったというのもあるが、移領して間もない幼子をすぐさま訪問するのも憚られ……もう少し慣れてからの方が良いか考えあぐねていた所だった。
送付先が遠方の場合、本来なら幾つかの領間を回っている商会の馬車に載せて届け、支店の者に委ねるのがいつも通りだが……母親との不和をこの目で見ていた事もあり、祖父の下で元気に暮らしている姿を見ておきたい気がしていた。
自分の腹にも届かぬ背丈の小さな子どもが、あからさまに冷たくあしらわれる様子は見ていて忍びないにも程があった。胸糞悪いにも程がある。
今後、キャンベル商会でギルモア本家の仕事を請け負う事はないだろう。
元々ギルモア侯爵夫人には愛用する老舗の商会がある。
先日も初めて取引があったのだ。話のタネに新しい商会を使ってみたのだろうし、万一注文が来たら、スケジュールが合わないためにと断れば良い。
ともかく。
王都からアゼンダ辺境伯領まで、急いでも片道三日。
往復すると一週間を見た方が良いだろう。
まだ社交の季節は始まったばかり。
……誰かを行かせた方が良いのだろうが。先日の見事なドレス型の巾着といい、彼女との取引は目新しい事が飛び出しそうで、人に任せるのが果たして良いのか難しい所だ。
何と言うか、多分こちらが考え付かないような案を出してくる予感しかしないのだが。
予測がつかなすぎる内容なだけに、幼女の話に素直に飛びついて良いものか常識がストップをかけるのだ。
(廃材の端布と半端糸……袋いっぱいに詰めた所で、幾らにもならないな)
なんなら、欲しいといわれたら差し上げるのもやぶさかではないようなものであって、取引するようなものでもない。
更には王都中の工房と商会のそれらを集めた所で、大した金額にはならないだろう。
一瞬、もっとちゃんとした布なのかとも思ったが、『廃材』というニュアンスから過去に納めたハンカチ用の半端布よりも、もっと切れっぱしの、普通なら売り物にはならないようなものの事だろうと思い直す。
(関連工房や商会でといったら、かなりの量になるが……殆どごみみたいなもので何をするつもりなんだ?)
考えてみた所で解る筈もなく、どうしたものか頭を悩ませた。
「……そんなに悩んでいるなら、さっさと行ってきた方が良いですよ」
珍しく頭を抱えて考え込んでいる会頭の姿を見て、呆れた様子の針子頭に言われる。
崩れた姿で椅子に座り、頬杖をついて手紙を睨んではため息をついた。
(確かにな。悩んでいてもどうにもならんのだから、さっさと確認してしまった方が早いだろう)
見当違いならそれはそれ。
いまだ二回程のやり取りとはいえ、幼女とは思えないようなやり取りをする子どもだ。いたずらにままごとに使う端切れが欲しかったのだとか、焚き付けに使うのだとかと言って、わざわざ王都の人間を辺境伯領に呼びつけるような事は無い筈だ(……と思う)。
……無理そうな話ならばきちんと説明すれば解ってくれるだろうと思い、自ら出掛ける事に決めた。
念の為、辺境伯家のタウンハウスへ使いを送る。
いきなり行く訳にもいかないので、先方へ伺う日程を確認するためだが……直ぐに返事が来た。
日程はこちらに任せるが出来れば早い方が良いとの事で、更にはタウンハウスよりあちらに知らせを送るので、日程が解り次第知らせてくれとの事だった。早馬か軍用鳩でも使うのだろう。
サイモンは思ったよりも相手が急いでいる事を悟ると、取り急ぎ近隣の工房からかき集めた廃材と念のための半端売りの端布、出来上がったワンピース一式を持って馬車に飛び乗ったのだった。
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「こんな感じでイイかね?」
お婆ちゃんの手つきは見事のひと言だった。平民は安い布を買って自分で縫い上げる事も多いとの事で、針仕事はお手の物といった様子であった。
偶然とはいえ、思わぬ収穫である。
「目も見え難いのに、凄い上手!」
「なーに、長年の慣れじゃよ」
リリーも縫い目をまじまじと見ている。隣で前歯が数本抜けた婆様が、かかかと笑う。
「お婆ちゃま、シュラムの女の人はみんなこんにゃに上手にゃの?」
「うーん、多少の上手い下手はあるだろうけど、ボロ布を繕ってばかりいるからねぇ。自然と縫物は上手くなるさね?」
不思議そうに首を傾げる婆様に頷きながら、ヴィクターとドミニクに視線を向けた。
「……既にいる人で、針仕事でもザワークラウト作りでも臨機応変に対応可能な方には特別手当をつけまちょう。忙しさの度合いにより、対応ちてもらえりぇばこちらはとても助かりましゅ。勿論都度希望は確認するのと、女性だけでなく男性でも希望があれば可能でしゅ」
ふたりは頷く。
「了解。早々に聞いておくね!」
「服飾組合の件は明日の午後で宜しいですかな?」
この数週間で、すっかり幼子扱いは止めたらしいドミニクが予定表を見ながらマグノリアに確認をする。
マグノリアはキャンベル商会会頭である黒髪の紳士を思い出して、薄く微笑んだ。
「あい。キャンベル商会の馬車が入領次第、東部駐屯部隊から連絡が来る予定でしゅ。大きく変わる場合は、事前に連絡ちましゅのでよろちくお願いしましゅ」
「わかりました」
ドミニクは難しそうな顔をして、何やら予定表に書き込んでいた。
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アゼンダ辺境伯領に隣接する土地に、オルセーという街がある。
隣の領地の端っこにある小さな街で、地方代官であるオルセー男爵家が代々管理している土地だ。
キャンベル商会の本店はこちらのオルセーの街にある。服飾専門という訳ではなく、食品も雑貨も扱う何でも屋だ。
アゼンダ領に近い事もあり、最近は専ら外国の雑貨や食品を買い付けて他領に流通させたり、国内の様々なものを外国船向けに売ったりしている。
アゼンダ辺境伯家は武家の名門であり大貴族のせいか、余り商売っ気がある方ではないらしい。
折角の海があるのに勿体ないとキャンベル商会本店では常々思っているが、そのお陰でそれなりに儲けさせてもらっているので有難くはある。
商会はサイモンの兄が継いでおり、兼ねてより服飾に興味があった弟は田舎より王都の方が良いだろうと、数年前に支店である洋品店を王都にオープンさせたのだった。
「まだ社交界のはしりだっていうのに、珍しいな」
会頭自ら腕まくりをして荷降ろしをしていたが、久々に会う弟に笑みを零した。
――まるで色合いを逆さにしたような兄弟だ。兄は茶色い髪に黒い瞳。弟は黒髪に茶色い瞳。
「ちょっと気になる事があってね」
「ふーん。新しい商売のことかい?」
兄は茶目っ気のある表情で弟をみつめた。深い意味は無かったのだが、サイモンはやや難しい顔をして首を傾げる。
「……うーん、まあ。そうとも言えるけど、どちらかというとご機嫌伺いかな?」
「うん?」
珍しく弟の煮え切らない態度と、何ともいえない回答に兄も首を捻るが。まあいいかと自分に言い聞かせた。
「わざわざお前が来たという事は、どこかに納入があるんだろう? 休んでいくか? お茶でもどうだ」
「いや、取り敢えず先方に引き渡してから戻ってくるよ……義姉さんもいた方が良いかもしれないからね」
「そうか。解った。じゃあ夕飯の用意をしておくよ」
先方と食事の約束があるかもしれないので、昼食は避けておく。
店舗間の移動物や手紙など、引き渡すものを置いて、サイモンは再び馬車に乗り込んだ。
「気をつけて行けよー!」
気の良い兄が笑顔で手を挙げたので、サイモンも顔を出して手を挙げる。
アゼンダ辺境伯領はもうすぐ目の前だ。
城壁を抜けて暫く馬車を走らせると、領主館が見えてきた。
軍部の最高峰とも言える人物が構える屋敷としてはかなり質素なものであり、ゴツイ肉体からは考えられないような可愛らしい館だった。
薄茶色の壁に伝う蔦の葉と薄い色合いの小花。庭先のリンゴとどんぐりの木。
(確か辺境伯は『騎士侯爵と妖精姫』の息子だったんだな……『悪魔将軍』が住む家には見えないが、『妖精姫』が住んでいた家と言われればしっくり来る)
童話の中に迷い込んでしまったかのような気になるが、相手は大貴族。寛容ではあるようだが、粗相は許されない。
そう思い、サイモンは気を引き締めた。




