その頃王都では
王都に数か月に一回の割合で呼び出される面倒極まりない仕事を遂行中に、ガイの鴉がやって来た。
ガイもクロードと同じように通信に鴉を使う。頭が良く、捕獲もされ難く、飛んでいても止まっていても大して気にされない鳥だから都合が良い。
仕方なく出席している夜会を抜ける口実が無いものかと大きな窓を見ていたら、テラス席に見慣れた鴉が止まってこちらを見ていた。
有力貴族をある意味牽制するためか、城勤めしていない領主や名代を一定期間で登城させ、王家に忠誠を尽くしている事を示させる訳だが……国境を守る辺境の地からわざわざ頻繁に呼び寄せる意味が解らない。
まさか守るのは騎士で、セルヴェスやクロードはただのお飾りだと思っているのだろうか?
(そんなに牽制するのならば、始めから領地なんて寄越さねば良いものを……)
更に良くない事に、アスカルド王国では冬から春にかけて大規模な社交の時期を迎える。
今のこの時期は、多くの貴族が王都に集まる華やかな季節なのだ。
尤も、アゼンダ辺境伯家は社交へは最低限しか参加しない。
領主が多く集まるこの時期、議会が多いのでそちらに参加が本命だ。
王家の主催であるとか、どうしてもと頼まれて無下に出来ない相手であるとか、そういった社交にしか出ないし出ている暇もない。
――暇があっても暇がない事にしているが、今年は本当に暇が無いのだ。
更には夜会に出ると、まず間違いなくあの娘の母親を見る事になる。
今日も今日とて、きらびやか過ぎる衣装に身をつつんで会場を動き回る義姉にため息が出た。
(……娘は骨ガラまで利用する節約家だというのに、正反対だな)
――いや。人か食べ物かという違いだけで、骨の髄まで利用し尽くし(娘の方は骨の髄では事足りず、骨を粉にして跡形もなく利用し尽くすのだ!)、内臓までも食い尽くす(娘の方は物理で)……という所は、ある意味流石親子という所なのだろうか。
クロードは口をへの字に曲げた。
仕方なく手紙を広げる。
流れるような美しい文字が、小さな紙にみっちりと詰まっていた。
『お忙しい所申し訳ございません。王都は如何ですか?
実は、立ち仕事も力仕事も出来ないお婆ちゃんのお仕事に、先日ちらっとお話しした針仕事をお願いしたいと思うのです。キャンベル商会に関連工房や商会で余った廃材の端布や糸等の取引をしたいので、誰か話を進められる者を寄越してほしいと手紙を出していただけないでしょうか。急を要していますのでこちらから馬を出すより早いかと思い、鴉を飛ばしました。
お兄様はお忙しいと思うので、返事は辺境伯家宛でと御記載下さいませ』
今の時期、辺境伯家から私信が来たというだけで……十中八九あの娘絡みな訳であるが。
「……あの娘は、これ以上仕事を増やして俺たちを殺す気か……!」
今アゼンダ辺境伯はとても忙しい。途轍もなく、と言った方が良い位だ。
ギルドや辺境伯家だけでなく、関連する幾つもの工房や組合、近隣農家、スラム街の面々と、関係各所はフル回転なのである。
「良く次から次へと思いつくものだ……」
腹いせに小さな手紙を指で弾く。
「……如何なさいましたか?」
珍しく貴族の正装をしたユーゴが音も無く近づいてきた。
遠くから惣領息子を見ていると、さり気なくひとりでテラスに出て行くのが気になったので、目で追っていたのだ。
……戦闘でクロードに勝てるものなどほぼ居ないだろうが、惣領家の人間を守るのは本来のギルモア騎士団の役目でもある。多勢に無勢という事も無いとは言えない。
三十を少し超えた彼は、濃褐色の髪色も相まってか、年相応に渋みのある大人の男性といった雰囲気だ。
騎士らしい厚みのある身体と、それなりに整ってはいるが甘さよりも威厳の方が強い顔立ちは、ペンより重いものを持たなそうなナヨナヨとした貴族男性が多い中で目立つ存在だ。
話してみればとっつき難そうな雰囲気とは逆に、寛容で紳士的な性質のため、実はご婦人たちの人気も高い。
そんなデュカス伯爵家の次男坊である彼も、社交界の時期という事で久々に王都に来いと、親に呼び出されたらしかった。
――いつまでもフラフラせずに、早く結婚相手を探すようにせっつかれたのだ。
そして、言わずと知られた『アゼンダの黒獅子』と呼ばれるクロード。
整い過ぎた小さな顔を、黒い髪と黒い礼服が際立たせている。ユーゴと並ぶ剣豪であるクロードだが、長身で着やせする彼は一見するとほっそりとしてすら見える。
この春に二十になる彼は、普段は沈着冷静な性格のためにもう少し上に見られることが多いが、流石にユーゴと並ぶと何処か少年めいた雰囲気が感じられた。
「……マグノリアの奴だ。また仕事を増やすつもりらしい」
手紙……一見メモに見える小さな紙切れを振って見せると、ため息とともに微かに眉を顰めた。
それを受けるユーゴは上官のご機嫌麗しくない様子に、困ったように笑みを浮かべる。
「…………。お嬢様は小さいのに良く身体が持ちますね」
「あいつは時間があればすぐに寝る。この前も移動中の馬車に乗ったら三秒で寝たのだ!」
指を三本立て、強調する。
クロードが頭の中でどうしたものかと込み入った会議の内容を反芻している横で、座った途端、込み入ることになった原因の張本人が気持ち良さそうに眠っていた。
どういう神経をしているのか、クロードには全く分からない。あんなに荒れた会議の後だというのに。
――あの娘の心臓には太い毛が生えているに違いない。それもかなりの剛毛だ。
何故か腹が立ったので、こっそり寝顔にデコピンをお見舞いしてやったが……煩そうに首を左右に動かしただけで、大口を開けて眠っていたのだ。
「……まあ、まだ幼女ですからね。お昼寝が必要なお年頃ですし」
「更に、骨も内臓も全て喰らい尽くす」
「…………。好き嫌い無いのは良い事ですが、見た目と違って案外獰猛ですね」
高位貴族ではあるが数多ある伯爵家出身であり、更には部隊長という立場からか、中間管理職的な様相が普段にも染みついているようである。
ユーゴは当たり障りないような言葉と相槌をくり返しながら、普段は冷静沈着な青年を振り回す――今は領地を振り回している小さいお嬢様を思い浮かべては、緩く瞳を細めた。
「……そんな笑っている場合じゃないぞ。取引が始まれば舞台は西部に移るんだ。振り回されるのは確定しているぞ」
「……そうでしょうね」
振り回している自覚が無さそうなお嬢様は、何をしでかすのか目が離せないなと、ユーゴは笑みを深めた。
――そんなこんなを話し込む二人を、ご令嬢方が熱い視線で見つめている。
「……はぁ。眼福ですわ……」
「本当に。一体何をお話しされているのかしら……」
クロードに聞かせたら『骨と内臓を喰らう幼女の話だ』というおどろおどろしい答えが返ってきそうであるが。
そんな事など一切合切与り知らぬご婦人方は、どこ吹く風で頬を紅潮させ瞳を潤ませた。
「絵になりますわねぇ」
「お二人とも浮いた噂がございませんけど、心に決めた御方がいらっしゃるのかしら……」
「……あら、お噂をご存じ無いの?」
ヒートアップするご令嬢同士の話に、別のご令嬢が口を挟む。
意味ありげに扇で口を覆い、左右にゆっくりと視線を動かす。
他のご令嬢も、同様に口を隠した。
「お二人とも、女性を愛せない性質だそうですのよ」
「「まぁぁぁ!!」」
「「ウソォォ!!」」
「「きゃぁー!!」」
小声で囁かれた言葉に、興奮したような答えが返ってくる。
夜会の騒めきは大きく、多少声を荒らげた所で周りは気付かない。が。
「ちょっと、その話詳しくっ!」
通りすがりのご婦人が凄い勢いで顔を振り向かせ、詰め寄ってくる。
すかさず別のご令嬢も参加する。
「私はユーゴ様とイーサン様の……」
「「「いや~ん!!」」」
「「やっぱりそうなのっ!?」」
「お似合いよねぇ……」
……ほう。
ご令嬢方は熱いため息をついた。
……ありもしない噂ととんでもない濡れ衣に、三人が聞いたら白目を剝きそうである。
こちらはこちらで、二人が別の意味でため息をつきながらフロアに戻ると、熱っぽい視線でじっとりと眺められ。一種異様な様相を呈しているご婦人方に、クロードとユーゴは背筋にゾッと悪寒が走った。




