未来へ向かって
それから三日間程マグノリア一行はゆっくり過ごした。
疲れた身体を休める為にたっぷりと昼寝をし、夜使う人が居なくなった調理場と食堂で完成時期を少しずつずらす為、毎日大瓶をひとつずつザワークラウトを作り。ディーンに勉強を教え、リリーと二人でパッチワークをする。リリーは大分腕を上げたようで、すいすい縫っては仕上げて行く。流石内職で鍛えた腕は伊達では無いようである。
その間、パウルからもシャンメリー号からも知らせは無かったので、劇的な変化が無いか様子をみているかなのだろうと判断した。
――昔調べた時には、意外に早く改善の様子が現れると書かれていたと思うが、如何せん調べたのはだいぶ前の事だ。ましてや薬もなく完璧に食べ物の栄養頼み。
全快まではある程度の日数が掛かるであろうことは予想がつく。
(ネットがあったら凄い楽なのになぁ……)
詮無いことだが、ついつい思ってはため息をつく。
あんまりにも暇なので、三人で部屋をピカピカにする。
寮母さんに雑巾を借り、窓ふき競争をしたり、部屋の隅に転がる綿埃の大きさを比べたりして憂さ晴らしをする。一番大きいのは小箱に入れ、『この部屋にあった一番大きい埃で賞』と書いた紙を挟んで、飾り棚に飾っておく。
……イーサンへのちょっとした意趣返しだ。
気を使ったユーゴが観光に案内すると提案してくれたが、今回はあくまで治療で来ている為と断った。リリーとディーンには折角なので行って来てはと言ってみたが、マグノリアの気持ちを汲んでか、イーサンの今までの様子に鑑みてか、やはり断っていた。
途中でクロードから伝書鳩ならぬ伝書鴉がやって来た。
訓練中ユーゴの腕にとまり、騎士達が訓練する横で自主練をしていたマグノリアとディーンへ歩み寄ると、手紙を外して渡してくれた。
(おじい様の到着確認がやけに早いと思ったら、これかぁ)
了承した旨と、解り次第知らせるが、事を日に日に大きくしない様にと書かれていた。
何故か大きなため息が聞こえる様だが、こちらとて面倒は起こしたくないのだ。手紙を読んでマグノリアが口を尖らせると、ディーンとユーゴが苦笑いをしていた。
ユーゴは小さいお嬢様に感心を通り越して感嘆をしていた。
あの後報告書を読んだが、知る事が少ない為か推測が書かれていた。
――存在を秘され、挙句祖父に引き取られると言う事は、実家ではあまり良い扱いを受けていなかったのだろうと言う事だった。
驚いた事に、本当に辺境伯家でもつい最近まで、不思議な幼女の存在を知らなかったらしい。
たまたま隠密を得意とするガイが見つけ、存在を報告したそうだ。その事からも、存在を厳重に秘されていたことが解る。
つい先日四歳になったとの事だが、話した様子からきちんと自分の置かれた現状を理解している事に驚き、それでも挫けないというかめげないというか……明るさと強さに驚かされる。
流石にイーサンも、辺境伯家の人間から言い含められて西部に来たという認識を改めた様子だった。
お嬢様の言動を見る限り、操られてここに居るとは思えないという考えに至ったのだろう。
――果たして操れる人間はいるのか。
本人は一応周りの状況や考え等を汲んだ上での行動なのだろうが、こうと思ったが最後、周りを巻き込んだ上で爆走して行きそうである。流石はギルモア家の人間である。良い意味でも悪い意味でも。
話している時の言葉の幼さを除けば、まるで大人と話している気がして仕方がない。
昨日は部下の事でひと悶着あり、ため息を飲み込んだ所を見られたようで、同情の様な憐れんだ様な、はたまた共感の様な視線を向けられた。
次の食事の時に、寮母から『お嬢様から部隊長にだよ』と言ってうさぎさんリンゴという、飾り切りのリンゴがつけられた。
(うさぎ?……に見えなくもないが……)
厳ついオッサンと可愛らしいリンゴという組み合わせが、深読みすると悪意を感じるような気もするのは気のせいなのか。
……なかなかどうして。可愛い見た目に似合わず、パンチが利いたお嬢様なのだ……
尖った耳らしき皮と、白い体の部分をまじまじと見て、まるで毛を刈り取られた後みたいだなと思い、苦笑いしながら齧る。
シャクっとした歯触りと、爽やかなリンゴの匂いに思わず顔が緩むのを感じた。
食堂が一杯でない限りは、マグノリアはリリーとディーンと三人で、端っこの方で食べる事にしている。
片付けの問題もあるのだが、イーサンが見張り易いだろうという配慮と駐屯部隊の騎士の様子を見る為である。
何処にだって不満や文句はつきもの。
それは上が頑張ろうが下が頑張ろうが、他人が寄せ集まっている限り不満が無くなる事は無いのだ。改善可能なものは、小さい内に摘み取って対応した方が楽に早く解決する。
モグモグと小さい口を動かしながら食べていると、色々と囁き声が聞こえて来るものだ。
……とはいえ、上手く運営されているらしい。西部駐屯部隊はとぼけたふりの苦労人である部隊長が、なんだかんだときちんと掌握しているらしかった。
そして端の方で食べていると、同じくらいの子どもがいるのだろう騎士達が、入れ替わり立ち替わりでお菓子などを持って来ては差し入れてくれる。こちらはお礼と笑顔を添えておく。
スマイル零円だ。
ある時は年を聞かれたので四歳、と言いながら指を折ってみせる。お上手ですね!と褒められ苦笑いすると、離れた場所でこちらをうかがっていたらしいユーゴとイーサンも苦笑いをしていた。彼等にはすっかり幼女の皮は脱げているので、幼子扱いされる様子が面白いのだろう。
そんなこんなで、西部に来て五日目の昼食の時だった。
来客があり希望の日時を聞いていると騎士が伝えに来た。相手が良ければこれからでもと伝え、了承を得られれば、空いている会議室の様な場所があれば案内をしておいてほしいと伝える。本来は応接室へ迎えるべきであろうが、間借りしている身だ。
ユーゴとイーサンに瞳を向けると、あちらも頷いている。
急いで食事を済ませるべく、猛然と口に入れて咀嚼していると、早々と食べ終わった二人が呆れたような顔をして隣に座る。
「……お嬢様なんですから、ゆっくり食べたら良いですよ。ほっぺたがパンパンじゃないですか」
「お残しは許されにゃいのでしゅ!」
「何の格言なんですか……」
某忍者アニメの。そう言いそうになり、パンと一緒にごっくんする。
「我々が先に行ってお相手していますから。ゆっくり身支度してから来てください」
仮にも侯爵令嬢なんだから、という声が見え隠れする。
(すんませんねぇ……)
リリーとディーンも追従すべくペースを速めるが、彼等は歴とした貴族で、マグノリアは気分は平民である。圧倒的速さで食べ終わると、お茶を飲んで寮母さんに挨拶をしに行き、再び二人のもとに戻る。
「ゆっくり食べて良いかりゃ、終わったら作ったザワークラウトを持ち出せるように確認ちておいてね?後、見本用の小瓶とお皿、フォーク数組を持って来て欲ちいの」
そう言い、丁度会議室の場所を伝えに来た騎士と一緒について行く。
リリーとディーンはモグモグしながら頷いた。
みんなお行儀が悪いと、プラムとセバスチャンとクロードの苦虫を潰した顔が浮かんだが、取り急ぎ無視をした。
マグノリアが部屋に入ると、パウルと母親、そしてアーネストと係のおじさんの四人が居た。
顔や手の出血痕は無くなり、まだ痩せてはいるが顔色の良くなったパウルを見てマグノリアは心底ほっとした。
「お嬢様! この度は本当にありがとうございました」
部屋に入るなり、立ち上がって礼を取ったパウルと母親に、小走りで駆け寄る。
「良かった! かなり良くなったのね!」
「はい。教えていただいた翌日から少しずつ回復しまして、驚きました……もっと早くお知らせすべきか迷ったのですが、ある程度回復をし、症状が戻らない事を確認してからの方がお手を煩わせないと思いまして本日となりました。御無礼をお許しいただくと共に、命を救っていただき、重ねてお礼申し上げます。本当に、ありがとうございました」
パウルと母親は深く頭を下げる。
マグノリアは深い安堵と喜びが入り混じり、なんと答えて良いものか言葉が出て来なかった。
「……頭を上げて下しゃい。元気になった顔を見しぇて? もう辛い所は無いでしゅか?」
「はい……!」
パウルも感無量なのだろう。若干涙声だ。
「では、完全に不調が消えりゅまでは今の食事療法を続けて下しゃい。直ぐに止めりゅとまた不調になりゅかもちれましぇん。余程多く食べない限りは不要な分は自然に体外に排出さりぇる筈なので、暫くは摂取を心がけりゅと良いと思いましゅ」
マグノリアは注意点を述べ、パウルと母親の手を取って労った。
「本当に、回復して良かったです。船内で治療をしている者達も、パウルと同じようにだいぶ回復して来ました。ギルモア嬢のお陰です」
穏やかな声のアーネストに向き直る。
「そりぇは良かったでしゅ。状態を見りゅ事が出来にゃいので心配をちていまちた……一番症状が重い方は如何ですか?」
「幸い彼も回復を見せ、他の者の初期症状と同じ位にまで回復しました。なので直ぐに元の状態に戻るかと思います」
それを聞いて胸を撫で下ろす。どの位酷いのか解らないので、同じ対応で良いものか気が気でなかった。
「そりょそりょ初めにお渡ちちたザワークラウトが食べらりぇるようになるかと思うので、様子を伺おうか使いを出しょうと思っていまちた。あの後に作った分がありましゅので、必要な分をお持ち帰りになりましゅか?」
マグノリアが言うと、アーネストは笑って頷いた。
「大変助かります。先日の分と本日分を合わせて支払いをお願いできますか?」
「あい。初めにお渡ちちたものと同じ大きさの大瓶が三本ありましゅが、幾つお持ちになりましゅか?」
「可能であれば全て引き取りたいと思いますが……」
「解りまちた」
クロードからは、まだ正式に商品化していないのでマグノリアの好きに値段をつけて構わないが、儲けが狙いでないならば余り高くせずに様子を見てはどうかと書かれていた。試作やお見本、お試しといった感じだ。
買い物をした時に受け取って来て貰った領収書を真似て作った請求書を見せる。
「今回は正式な商品としての販売ではないので、こちりゃで」
かかった材料費と渡した野菜と果物分の料金を書いた料金を見ると、アーネストは眉を顰め、困ったような顔をしたが、お付きの男性に何かを言うと自分のペンを取り出し、零を一つ書き加えた。
「!」
「今回は、とても貴重な情報を頂いたのです。本当なら、これでも足りない位です」
「でも、まだ正式な商品じゃありましぇんち……」
「だからこそです。誰も知らない商品と言う事ですよね? それも航海病の。これ以上高くは買い取れますが、安くは買い取れません」
そう言うと、重そうな革袋がジャリッと音を立てテーブルに置かれた。
どうしたものかマグノリアが困っている時、リリーとディーンの二人が入室して来る。
「今回最初にお渡ちちたものと同じ日に作ったものでしゅ。このように中のキャベツが黄色っぽくなり、漬け汁が少し白く濁って乳酸発酵ちていたりゃ完成でしゅ。常温ではなく冷暗所に保管ちて下しゃい。長期保管すりゅなら消毒ちた綺麗な瓶と器具で小分けにちて、使うまで空気に触れないようにちておくと雑菌が入りにくいかと思いましゅ」
説明をしながら瓶を開けて皿に少しずつ小分けにし、部屋にいるみんなに手渡す。
「よろちかったら食べてみて下しゃい。このように、適度な酸味がありぇば出来上がりでしゅ。茶色くなり過ぎたり変な匂いや味がちたら、それは傷んでちまっていりゅので食べられましぇん。肉料理や腸詰、魚料理等の付け合わしぇや、サラダなどに混ぜていただいたりと、生のまま食べりゅとビタミンCが壊れにくいかと思いましゅ。スープなどの具材にする事もあったようですが、その場合は短時間で火を通しゅようにしゅると、栄養素が壊れにくいかと思いましゅ」
それぞれが口に運び、匂いを確認したり味を確かめている。
「なるほど……このままでも美味しいですが、色々とアレンジできそうですね」
「酒のつまみにも良さそうですね」
「どうちても普段の食事で不足ちがちな成分でもありましゅから、航海病の予防だけでなく、普段から召ち上がっていただいても健康の手助けになりゅかと思いましゅ」
アーネストだけでなく、お付きの人もユーゴやイーサンも感心している。
マグノリアはリリーとディーン、二人と瞳を合わせてにっこり笑う。
「こんなに美味しくいただいて、航海病の予防や治療になるなんて……今後は船員の食生活にも野菜や果物を取り入れようと思います」
「しょうでしゅね。鮮度にも左右されりゅかと思いましゅので、途中寄港しゃれる際に、都度お求めになりゅと良いかと思いましゅ」
「本当に今回は数々の貴重なお話をありがとうございました」
アーネストは再び挨拶をすると、綺麗な礼を取った。お付きの男性も後ろでアーネストと共に頭を下げる。
「デュカス卿とベルリオーズ卿も、こちらの事情を汲んでいただいてのご対応、感謝いたします」
ユーゴとイーサンも騎士の礼を返す。
その後、ザワークラウトを引き渡し、多いの多くないのとやり取りをしながら馬車まで見送りに立つ。
「もう受け取れませんので、今後の商いにご活用ください」
「……しょれでは、お気持ちをいただく事にいたちましゅ……」
マグノリアが仕方なく折れる形に収まった。
「実は、本国の商会から帰還命令が出ておりまして。お会いするのは暫くないかと思いご挨拶に参りました」
「まあ、しょうなんでしゅか……」
「はい。航海病が出た為に帰国を遅らせていたのです。回復の目途がついたので、報告も兼ねて先に帰国する予定です」
「先に?」
アーネストが頷く。
「はい。発症した者は症状が改善するまでこちらに留まる予定です。回復の様子をギルモア嬢と騎士団にもご報告するように申し伝えてあります。何か私に連絡を取りたい事がございましたら、停泊中のシャンメリー号にご連絡いただけましたら、日数は少しかかるかと思いますが、受け取れるように手配してあります」
まだ若いのにしっかりとした対応だ。
マグノリアは感心しながらアーネストを見送る。
「それでは、ギルモア嬢、皆様。大変お世話になりありがとうございました。またお会いできる日を楽しみに、お気をつけてお過ごしください」
「アーネストしゃんも商会の皆しゃまも、お帰りの航海お気をちゅけて。またお会い出来る日を楽ちみにちておりましゅ」
アーネストは馬車に乗り込むと、笑顔で去って行った。
「……帰還命令か……」
馬車を見送りながら、ユーゴが呟く。
「何か気になりましゅか?」
「いえ。シャンメリー商会は、イグニスにある大きな商会で間違いは無いですが、彼が本当に商会の人間かは怪しいですね」
「身のこなしや言葉でしゅか」
マグノリアの言葉にユーゴは頷く。
「まあ、言葉は各国を渡り歩く仕事なので、長けた者だったらおかしくはないのですが……身のこなしや仕草は一朝一夕には身につきませんからね」
「貴族なのでしょうね。そりぇも、身分の高い」
「でしょうね。元々イグニスは階級格差が大国に比べて緩いですからね」
「……外交は面倒臭いでしゅね」
心底嫌そうな言い方に、ユーゴは低く笑う。
「でも、担う立場でしょう」
「いいえ」
マグノリアは朱鷺色の瞳を、遥か頭上にあるユーゴを見上げる。
「わたちは、ただのマグノリアでしゅ」
何も言わない鳶色の瞳を見つめて、笑う。
「その予定なりゃ、わたちはここには居ないでしゅ。幸い辺境伯家の跡取りはクロードお兄ちゃまでしゅし。ギルモア家はブライアンお兄ちゃまでしゅ。王妃候補の筆頭はガーディニアしゃまでしゅ! わたちは自由なのでしゅ!」
ユーゴは困ったような顔で、ディーンとリリーと早歩きして……いや、走って行くお嬢様の背中をみつめた。
「さー! 立ち上げ、やっるぞー!!」
「「おおーーー!!」」
枯葉が舞い散る秋の空の下、拳を突き上げた小さなお嬢様と小さな従僕と、若い侍女の声が大きくこだましていた。
(…………。おいおい、何をやる気なんだ……!?)
一瞬だけ、アンニュイな気分に浸っていた苦労人な部隊長は、張り切って何やら物騒な事を口にした三人組を問い詰めに、大股で追いかけた。




