一筋縄
大陸には大小十個の中小国がある。
多国籍な人々が乗船する貿易船『シャンメリー号』の本拠地は、中規模国家のイグニスという国だ。
大陸の南部にあり、地図で見るとマリナーゼ帝国の南東の方に位置する事もあり、アスカルド王国とは大分離れた場所にある国。
一年中温暖な……というよりは暑い気候らしく、その特徴を活かして北部では珍しい農作物が多い為、主にそれらを他国に輸出して生計を立てているそうだ。
人懐っこい人が多いらしく、シャンメリー号以外にも多国籍の船が複数あるとの事だった。
「センジツ、オハナシシマシタ。ミンナネテル。ダイジョウブ。メンカイムリネ」
聞き取り調査と面会を申し出たが、係の者だといって出て来た人は取り付く島もなかった。
厄介ごとを避けたいが為、隠すつもりは無いのだろうが、ついつい警戒が強くなるのだろう。
ましてや、言葉は辛うじて通じてはいるが心許ない感じである。思わぬ行き違いがあって、国家間の問題になるような事にはなりたくない……という思惑が透けて見える。
「騎士団ではなく、個人では駄目でしゅか? 航海病の治療に来まちた」
「チリョウ……?」
そう言った幼女を見て、怪訝そうな表情を見せる。
完璧に疑っている顔である。無理も無いのだが。
忙しいとあしらわれ、さてどうしたものかと思う。
騎士団の聞き取りの方は結果を書けば、良くはないが取り敢えずは役目を果たしたことにはなるだろう。あくまで外国の船であるからして、無理にこじ開ける方が問題が大きくなる。
しかし治療とまでは行かないまでも、説明位はしたい。受け取って貰えるならザワークラウトを渡したい。
彼等のイグニスへの帰国までどの位かかるのかは解らないが、航海病の発症を少しでも予防する助けになるだろう。今発症している人達の具合も気になる。
先程の親子を見たからか……きっと、心細く思っているに違いないのだ。
「アレ~、コノマエノ オジョウサン。ドーシタノ?」
船着場の前で困っていると、あっけらかんとした声が聞こえて来る。
声の方を向くとにこやかな笑顔を浮かべた、クルースで一番初めに買い物をした露店の店員さんが立っていた。
「店員しゃん、この船に乗ってりゅ?」
先程対応した人間と肌の色や顔立ちの特徴が似ている為、マグノリアはダメ元で聞いてみる。
「……ウン。ソウダヨ?」
(渡りに船だ!)
マグノリアは話を聞いてくれそうな人物に行き当たり、ホッと息を吐いた。
若い男は、にこにこしながら一緒にいる五人にさり気なく目を走らせ、内心首を傾げる。
(騎士団……? 航海病の調査か?)
ただのお嬢様の護衛にしては、護衛騎士が大物過ぎる。
ギルモア騎士団西部駐屯部隊隊長ユーゴ・デュカス。かの『内戦地の英雄』の一人だ。
そしてその右腕である若き副官イーサン・ベルリオーズ。
二人とも剣の腕はアゼンダ辺境伯の折り紙付きな上、情報収集、分析力にも長けている。
沢山の国の人間が集まる西部を任される、油断ならない御仁たち。
西部で仕事をする人間で、たとえ他国の者であっても、彼等を知らない人は少ないだろう。
……一昨日、目の前の少女は辺境伯の令息であるクロード氏と一緒に、観光を楽しんでいた様子だった。
仲が良い様子から親子なのか、年の離れた兄妹なのかと思ったが、アゼンダ辺境伯家に女子はいないという報告だったので、親戚の子どもなのだろうと結論づけた。が。
(辺境伯代行の御印……)
胸元に光るペンダントを見て、微かに目を瞠った。
幼女の顔を見れば、なぜか困ったような焦ったような表情をしている。
「……ドウシタノ?」
「船員しゃんに、航海病の人がいりゅでしょう? 回復の手助けになる話をちたかったんだけど、さっき係の人に断らりぇて。もし可能なら伝えてあげて欲しいの」
「え……?」
(航海病の治療法を知っているのか!?)
目の前の露店店員……まだ十代半ばだろう。少年といった方が良さそうな男の子は急に雰囲気を変えた。
マグノリア達は瞳を瞬かせる。
「その話、係の者には?」
取り繕いをかなぐり捨てて、少年は流暢なアスカルド語で話す。今度はマグノリアが目を瞠る。
「……伝えたけど、取り合って貰えなかったの」
「それは申し訳ない事を致しました。私で良ければ伺いますが、万が一にも皆さんに感染してしまってはいけないので船に入っていただくのは難しいでしょう」
「多分感染はちないと思いましゅ」
「……そうですね、経験上私もその可能性は薄いと思います。ですが、他に病気を併発してる恐れもありますので、ご遠慮いただいた方が両国の為かと」
国を出して来られると、従わざるを得ない。
マグノリアはユーゴに視線を送ると、小さく頷かれた。
「解りました。どうちましょう?」
「では詰所に参りましょう。宜しいか?」
「はい。申し遅れました、私はイグニス国シャンメリー商会のアーネスト・シャンメリーと申します」
露店でのフランクな雰囲気とは打って変わり、綺麗な礼をする。
イグニス国についてよく知らないものの、身のこなしは付け焼刃ではなく、長年使い続けられしっかりと身についているものである事が察せられた。
騎士団の詰所に行くと、微妙な臭いが漂っていた。
――香りでも匂いでも無く『臭い』。
「……なんだ、この臭いは」
ユーゴとイーサンが顔を顰める。
(あ~……ドリアンの香りかぁ……)
一昨日の暴漢達が被ったドリアン溶液は、詰所の至る所にくっついたのか……がっつりとその残り香を残していた。
マグノリアがちらりと露店店員――アーネスト・シャンメリーを見ると、視線に気が付いて悪戯っぽく唇を上げた。
後から入って来たリリーは急いで手で鼻と口を覆い、ディーンはびっくりした顔をして叫んだ。
「くっさ!」
詰所の騎士は虚ろな目をしながら説明する。
「部隊長……一昨日、刃傷沙汰の乱闘を止めるのにドリアンって臭ぇ果物を投げやがった奴が居たんですよ……」
これでも拭きまくり空気を入れ替えてはマシになったのだと、騎士は大きくため息をついた。
マグノリアは何気なく、すいっと視線を逸らすと、何故かジト目のユーゴと目が合った。
(おおぅ……)
詰所の奥にある応接室に入ると、アーネストとマグノリア、ユーゴが椅子に座った。
イーサンはユーゴの後ろに立ち、ディーンも視線を左右に揺らしながらマグノリアの後ろに立つ。リリーはお茶の用意をすると壁に控えた。
「私はギルモア騎士団西部駐屯部隊隊長のユーゴ・デュカスと申します。出来ましたら航海病患者の状況をお聞かせ願いたく」
アーネストは頷き、イグニス国の商会の船団である事、ひと季節程航海をしている事。罹患者はアゼンダ辺境伯領のパウル、マリナーゼ帝国出身者二名、イグニス出身者三名の計六名である事を説明した。
「パウルの話では、同じ様な症状の方が多く、一名だけ重い症状の方がいらっしゃるとの事でしたが」
「はい。一週間程前に症状が出始め、停泊していた船に隔離する事に致しました……パウルに関しては本人とご家族の希望で帰宅し、念のため外へは出ず家に居るよう約束を致しました」
マグノリアは小首を傾げるが、ユーゴもイーサンも特に何も言わない為、極普通の対応なのだろう。
「もう数日様子を見て伝染しない事が確定した時点で、騎士団にご報告する予定でおりました。お知らせが遅れまして大変失礼いたしました」
アーネストは頭を下げる。
「……解りました。ご協力ありがとうございます。何か変化や問題がございましたら、遠慮なく騎士団へご連絡下さい」
そう言うと、ユーゴはマグノリアに話のバトンを渡す。
「改めまちて、マグノリア・ギルモアと申します。早速でしゅが、航海病に有効と思われりゅ食事療法にちゅいてお話ち致します」
みんな改まった話し方の為、マグノリアもそれに倣う。
幼女が大人の様な口調で語り始めたので、リリーとディーン以外は目を瞬かせた。
今迄と同じように病気の原因と思われる食事の事、改善するために必要であろうと予測される事、素材の調理方法。
アーネストは口を挟まずに、ひとつひとつを吟味するように聞いていた。
「……確かに。男所帯なので果物や野菜はどうしても後回しになりますね。特に果物は売り物を積んでいますので、売ろうとは思っても食べようとは思っていなかったと思います……」
「さっき仰ったように、他の病気も併発ちている可能性もありましゅが、気になる点はありましゅか?」
アーネストはマグノリアに問われ、船員の状態を慎重に吟味しているらしく、瞳を伏せて暫し考えていた。
「……いえ……航海病には幾つか種類があるようで、酷く浮腫む者や肌の尋常じゃない荒れなどが起こる事があります。今回は発疹や出血の多い航海病の様だと同行している医師は言っていました」
「なるほど……」
やはり脚気やペラグラも発症した過去があるらしかった。
「しょうでしゅか……それりゃも多分、他の栄養素が欠乏ちて発症ちたものだと思いましゅ。まんべんなくバランスの良い食事を摂っていりぇば、航海病という病気の発生は少なくなる筈でしゅ」
アーネストはほっとしたように小さく息を吐くと、マグノリアに改めて礼を言う。
「貴重な情報を感謝致します。他に何か気をつけた方が良い事はありますか?」
「しょうでしゅね、やはり衛生管理に心がけりゅと他の病気も罹り難くなりゅかと思いましゅ。今回航海病を発症ちている方々も、食事だけでなく清潔を心がけりゅと良いかと思いましゅ。それと、先程の食品以外に、リンゴを積極的に摂っていただくと良いかと思いましゅ」
「リンゴ……?」
リンゴ自体にビタミンCはあまり含まれていないが、リンゴポリフェノールがビタミンCの吸収を格段に増幅する効果があるのだと、美容マニアであり製薬会社に勤めていた友人が言っていた。
変色の原因物質であるポリフェノール酸化酵素は、空気に触れることでポリフェノール酸化酵素が作用し、酸素とタンニンと結びつけて化学反応を起こす。
……それが酸化なのだが。
友人に言わせると(マグノリアにはよく解らなかったが)、ポリフェノールにはビタミンCの吸収効果をかなり高める効果があるそうなのだ。
暑い国という事なので多分リンゴは生産していないだろうから、念の為に伝えておく方が良いだろう。
「後、桃や皮ごと食べらりぇるようなブドウがあったりゃ、それも良いかもちれましぇん」
ポリフェノールは沢山の種類がある。有名どころでは赤ワインに多く含まれると言われているが、皮に多く入っているのだろうと推測出来る。
現代の地球には、種も無く皮ごと食べられるブドウが沢山あるが……この世界にはどうだろうか?
「しょれと、ザワークラウトの作り方なんでしゅが……」
「それは聞くのは止めておきましょう」
アーネストは首を振りマグノリアの話を遮った。
「今まで伺った情報で充分です。航海病は沢山の国と人間が解決したいと思っている病気のひとつです。貴重な情報を持つのですから、それは貴女が有効に活用すべきです」
「……でも、命が……」
「だからこそです。ここまでの対応や話の様子から、多分何かしら領政なりに活かす方法をお考えですよね?」
「まあ……」
アゼンダ辺境伯の農作物の活用と、スラム街の人々の生活向上を一緒に解決しようと画策はしている。
(この子、まだ若いのにすげぇな……どこでそんなの察する会話があった?)
マグノリアは愛想笑いを浮かべながら、目の前の少年の底の知れなさに警戒を強める。アーネストは人の良さそうな微笑みを浮かべる。
「では、一日も早く取り組まれる事を願っております。今回、作り方は教えていただきませんが、現物は購入させていただきたいと思います。今後もこちらに寄りました際は、購入をお約束いたします」
そうして、数日後にザワークラウトの引き渡しと、罹患者の様子を再度報告を受ける事を約束して、不思議で得体のしれない少年との話は終わりを告げた。
「……どうちて、片言で話ちていたのでしゅか?」
最後にと言って、マグノリアは疑問をぶつける。
ユーゴとイーサンも聞き耳を立てているのが解る。
「ああ。話せると知れると、色々厄介ごとが増えるのですよ……言葉が解らないフリをした方が、都合が良いのです。トラブル回避ですよ」
困ったように笑って肩を竦める様子は、年相応の男の子に見えた。




