西部駐屯部隊
数時間程前。ギルモア騎士団・西部駐屯部隊に辺境伯家から早馬がやって来た。
今朝方報告したクルースの航海病に関する返事か指示だろうと思いながら、異様にくたびれた風の伝令を務めた騎士を怪訝そうに見て、部隊長が書状を受け取った。
「……なんだって?」
副官のイーサンが部隊の決算書類にサインをしながら、器用に片眉を上げて淡々と聞く。
イーサンの上司であるこの部隊の隊長、ユーゴ・デュカスが届いた書状に見落としが無いか確認しながら口を開く。
「航海病について解りそうな人間を送って下さるそうだ……侍女と従僕と、計三名。夕方位には着くらしい。西部には不慣れなのでサポートを、との事だ」
「へぇ。医者なのかな?」
ユーゴとイーサンが伝令の騎士を見る。
「……いえ。領主家のお方かと……」
伝令の護衛騎士は、自分がうっかりあれこれ話してしまって、万一にも受け入れ拒否をされたら不味いと思い視線を上の方にずらしながら、奥歯に物が挟まった様な言い方しか出来なかった。
……まさか四歳の幼女が名代で来ると言ったら、一笑にされるか馬鹿にするなと怒鳴られるか、どちらかしか想像が出来ない。
「ふーん?」
(領主家と言う事はクロード様か、名代でセバスチャンか……)
しかしクロードならばクルースの町が不慣れと言う事は無いだろう。クロードの字で記されているのにその名前が書かれていないと言う事は、解りそうな者は別人なのだろうとユーゴは推測する。
そうなると切れ者と噂のセバスチャンが、ガイか何かに有効な方法でも何処かで聞いたのかもしれないな、と思って了解の旨を伝令係に伝えた。
そそくさと帰って行く伝令を見て妙な引っ掛かりを覚えたが。穏健派で知られる部隊長は、濃褐色の短い髪を掻きながら、特に何も言わずにそのまま見送ったのだった。
そして今。
目の前にはクロードどころかセバスチャンの姿もなく。護衛なのだろう、先程の伝令係と侍女らしき若い女がひとり、そして幼児がふたり立っていた。
誰に挨拶をすれば良いのか解らず、ユーゴは鳶色の瞳を瞬かせる。
後ろに控える二十人程の、要塞にいたので出迎えに立った騎士達も、微妙な空気で見守っていた。
空気を察したマグノリアが、礼を取る。
「マグノリア・ギルモアと申しましゅ。お忙ちいところお出迎え感謝いたちます……大変急で申ち訳ないのでしゅが、クルースの町に詳ちい騎士しゃんを二名お借り出来ましゅでちょうか? 出来れば荷馬車か馬も貸ちて頂けるとありがたいでしゅ。治療に必要なもにょを急いで買いに行かせたいのでしゅ」
今の時期は日が暮れるのも早い。もうじき夕方になるだろう、空は茜色に色づき始めている。夕闇に包まれるのはあっという間だ。
「はぁ……ジャン、クレメント!」
「「はい!」」
呼ばれると、二名が前に出る。マグノリアは二人に黙礼する。
「しょれでは、リリーは塩とハーブ、保存瓶か蓋の出来る入れ物、酒精の強いお酒、清潔な布と石鹸を幾ちゅかお願い。ディーンは果物をなるべく沢山の種類を。オレンジと林檎、この前食べたキウイの三種類は多めに買って来て」
「「かしこまりました」」
「慣れにゃい土地なので、くれぐれも騎士しゃんから離れない様に。荷物が重いので気を付けて。騎士のおふた方、どうぞよろちくお願い致ちましゅ」
前半はリリーとディーンに。後半は二人の護衛兼案内をしてくれる騎士に伝える。
そして一日をたっぷりこき使われた護衛騎士に向き直る。
「今日は長い時間拘束してちまい申し訳ありませんでちた。館へ戻り、無事着いた旨お兄ちゃまに伝えた後、ゆっくり休んでくだちゃい」
「……お嬢様もくれぐれも無茶をなさらず、お気をつけ下さいませ」
騎士は馬車に繋いできた馬を一頭外すと、そう言って騎士の礼をし、今日何往復目かの元来た道を、気遣わし気に振り返りながら戻って行った。
大変お疲れ様である。
「しゃて。申ち訳ないのでしゅが、馬車の中の荷物を調理場へ運んで頂けましゅか? 治療に使いましゅ。そして航海病にちゅいて詳ちくお話を聞かせて下ちゃい」
赤ちゃん言葉で喋る一番小さい幼女が、テキパキと指示を始める。
(航海病に詳しい人って、まさかこの子どもか……?)
マグノリア・ギルモアと名乗った幼女。
……『ギルモア』と言うからには、どちらかの領主家の人間なのだろう。伝令の、さっきまでは目の前の幼女の護衛騎士を務めていた騎士の言葉を思い出す。
(……辺境伯家にもギルモア家にも、女の子が誕生したなんて聞いたことが無いが)
胸には辺境伯代行の御印。クロードからの書状が偽造でないのなら、本気でこの子が名代なのだろう。
……そして今ではギルモア家にしか生まれないであろうピンク色の髪に朱鷺色の瞳。偽装のしようがない。
(…………。セルヴェス様かジェラルド様の隠し子か?)
「……どなたか、宿の手配をお願いする事は可能でしゅか?」
一向に動かない、名乗りもしない騎士達に痺れを切らしマグノリアが訊ねる。
後ろで見守っていたイーサンが前に出る。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。私は部隊長付き副官のイーサン・ベルリオーズと申します。こちらはギルモア騎士団西部駐屯部隊隊長ユーゴ・デュカスです」
「いっ……!」
ユーゴはこっそりとイーサンに脛を蹴られ、我に返り急いで頭を下げる。
よく解らない状態のまま考えに没頭してしまい、ユーゴは自分から名乗るべきである挨拶を忘れていた。
……如何せん目線がかなり下だ。マグノリアはばっちりとその華麗な蹴りを見ていたのだが。
「これから宿と申しますと、お連れ様とご一緒の宿屋は難しいかもしれません。もし差し支えない様でしたら要塞の客間をご用意致しますが」
言いながら僅かに首を傾ける副官に、マグノリアは微笑んで頷く。
「ありがとうございましゅ。助かりまちゅ。お手数をおかけちますがよろちくお願い致ちましゅ」
イーサンはふたつ返事のお嬢様に一瞬目を瞠ったが、含んだように笑うと、了承を返した。
******
マグノリアは食堂で二十分程待たされると、その後客間に案内された。
待つ間に詳しい話をと言ったら、「大人が来たら」と返された。
お茶を出され、見張りらしい護衛騎士をひとり案内係に置いて行くと、隊長と副官は忙しいと執務室に引っ込んで行ったのだった。
(ははーん。信用してない訳ねぇ)
案内された部屋は普段使わないのだろう、申し訳程度に掃除をした埃臭い部屋だった。
一応男爵家の、歴としたお嬢様とお坊ちゃまの二人はこんな部屋でも大丈夫だろうかと心配になる。
まあ、彼等の懸念も無理も無いだろう。
騎士団の彼等がどの程度航海病について考えているのか解らないが、いきなり小さい子どもがやって来て、色んな意味で信じられないのだろう。真面目に取り組んでいる方がより腹が立つかもしれない。
こちらは揶揄うつもりもふざけるつもりもなく、至って大真面目なのだけど。
(……まあ良いけどね。治せれば良い訳だから、言った事を手伝ってくれて、邪魔をしないでくれたら御の字だ)
木札に念のため、煮沸消毒の仕方と作業の注意点、簡単なレシピを書いておく。特に手と道具の消毒は大切だ。せっかく病気を治すために作ったものが、使えなくなっては意味が無い。
一時間程して、ディーンが護衛騎士と共に帰って来た。
沢山のフルーツを買い込んで来てくれ、騎士と一緒に運んでくれた。礼を言って労う。
お腹が減ったであろうから、寮母さんにお願いし残っていた食事を温めて貰うことにする。
寮母さん――そう、寄宿舎には騎士のお世話をする寮母さんがいたのだ。
果物を運ぶついでに調理場にいた恰幅の良い寮母さんに事情を話し、空いている時間や場所を使って作業をして構わないかの確認をした。
すると、クルースの出身者だったようで、初めはびっくりしていたが大層有難がってくれ、自由にして構わないと了承してくれた。
なんとなくアウェイな雰囲気の中、有難い事である。
それから更に一時間程して、リリーと護衛騎士が帰って来る。陽がとっぷりと暮れ、もう夜だ。
ディーンと一緒に荷馬車まで行き、幼児ふたり、淑女ひとり、騎士もひとりで協力し荷物を運びこむ。
「ごめんね、リリー。大変だったでちょう? 騎士しゃんも遅くまでしゅみまちぇんでちた」
温め直して貰った食事を一緒に取り、クルースの様子を聞く。
特に混乱した様子も無く、町は活気のある様子だと聞いて安堵する。
本当はマグノリアも買い物に行ければ良かったのだが、幼児が行くと却って効率が悪そうなので、取り敢えず揃えるものは早く揃えてしまう為に遠慮したのだった。
替わりに先に話を詰めてしまおうと思っていたが、お相手にその気が無いようで、全くもって進まなかったのは誤算だが。
「マグノリア様ったら、こんな時間までお食事をなさらないだなんて……」
「しょれよりも、やらなきゃなりゃない事を片付けよう?」
リリーの口から文句が出そうだったので、にっこり笑って首を振る。
食べている間に、大鍋で瓶の煮沸消毒をする。
そして、時間が経ったら取り出して乾かしている間にお話合いだ。
*****
「どう思う?」
「うん?随分しっかりしたお嬢様だな。うちの甥っ子よりしっかりしてると思うぞ」
ユーゴとイーサンは、もう一度辺境伯家からやって来た書状を見てため息をついた。
「お前んとこの甥って、十一歳だろう? それはマズいんじゃないのか?」
呆れるイーサンにユーゴは苦笑いをする。
イーサンは顎を撫でながら意味深に呟いた。
「しかし良く躾けられたお嬢様だな」
「……そう言うんじゃないだろう。あいさつ程度ならまだしも、あの年で全てを暗記して対応するのは無理だ。それにそんな事をする意味も無い」
ユーゴの言葉に確かにと思いながらも、イーサンは何かが引っ掛かっていた。
「お前の陰湿なイビリにも何も言わなかったんだろう? ……って言うか相手は侯爵令嬢だ。余り変な事をしない方がいいぞ?」
本来ならピカピカに磨き上げなくてはならない客間を、殆ど掃除せず引き渡した。部屋の隅の綿埃を目で追っていたが、表情を変えずに礼を言っていたと見張りの騎士が言っていたのである。
食事もお付きの者が戻ったら一緒に頂くと言って、ごねるでも我儘を言うのでもなく、静かに書き物をしていたそうだ。
話し合いも断ったが、忙しいならとあっさりと引き下がっていた。文句は一切出なかった。
急な来訪に対応するこちらもバタバタするが、辺境伯家からわざわざ人を送って貰って(それも当日中に)、この対応は文句のひとつやふたつ言われてもしょうがない態度だろう。
「我儘性悪娘って訳でもなさそうだなぁ。何やらこっちの事を調査をするにしたって無理だろう? 何しに来たのか……」
「案外本当に治療に来たのかもしれんぞ」
ユーゴの言葉に、イーサンが苦笑した。
「本当にそう思うの? あんな小さい幼児が? まあ、執務室には入れない方が良いよ。特に侍女さんね?」
実際に動くのなら手練れの筈の大人であろう。天真爛漫そうな侍女にそんな様子は見受けられなかったが、用心に越した事はないというのがイーサンの考えらしい。
探られたところで腹は痛くもないのだし。執務室には帰らないのか帰れないのか、ユーゴが住んでいるに等しい。
普段有能であるものの、頭の固いところがある疑り深い副官を、ユーゴはため息をついて見遣った。
*****
「これが概要です。アゼンダ出身者が一名、こちらは軽度の様子だとの事です。他国者は五名と聞いていますが詳しくは確認がとれておりません。船内にて治療中とのことです。詳しい事は解りません」
執務室の扉の前で、紙っぺらを渡されて立ったまま口頭で説明を受ける。
――主にリリーに向かって話される。
実際に対応するのは大人のリリーだと思っているのだろう。
疲れたであろうディーンは食堂に残って休んで貰っているので、後ろに控えてるのはリリーだけだが、イーサンのあまりの対応に、口も瞳も大きく開けている。
「……しょうでしゅか。では明日、どなたかに案内を頼んでも良いでちょうか?この後治療に使う為の準備に食堂と調理場を使わせて貰いましゅ。寮母しゃんに了解は取れておりまちゅ」
「解りました」
にこやかなイーサンは大変胡散臭い。マグノリアも胡散臭い笑顔で返しておく。
(……関わるだけ時間の無駄だ。協力した方が上手く運ぶのに、勝手に疑っていればいい)
「では、明日宜ちくお願い致ちましゅ」
リリーが余計な事を言い出す前に撤退だ。イーサンの返事も聞く必要が無い。
マグノリアは踵を返す。
「なんなのですか、あれ!」
しばらくして我に返った後、ぷりぷりと怒っているリリーに苦笑いをする。
感染の恐れが全く無いとは断言できない中、無理を押して来た者への態度なのかと憤るリリーの気持ちも良く解る。
「子どもが来てビックリちちゃったんだよ。違う事勘ぐっちゃってりゅんだろうね。放っときゃあいい」
若干言葉が元に戻っているのはご愛敬だ。
ぽんぽん、とリリーの腕を優しく叩き、にっこり笑う。
「しゃあ。疲れてりゅだろうけど、もうひと頑張りよ!」
「はい!」




