出発
パルモア家では、末息子がクルースに行くと言い出し、両親と祖母はその説得をしている真っ最中であった。
クルースの港町で船員が航海病を発症したらしく、今朝方館に早馬があった。
運悪く昨日クロード様とお嬢様がクルースに行かれた為、万が一に備え、昨日から本日にかけて接触が多かった者を安全の為に一日隔離したいとパルモア家に使いが来たのは、つい二時間ほど前のことであった。
それが一転、何がどうなってクルースへ行くなどと言い出したものなのかと、両親と祖母は眉を顰めたが、ディーンは必死に執務室での出来事を語って聞かせたのだった。
「……そりゃ、お嬢様が正しいよ。お前はここに残るべきだ」
「第一、何も解らないディーンが行って何が出来るの? 逆にお邪魔になるのじゃないの?」
父と母は戸惑いと心配をごちゃ混ぜにした顔で言う。しかし末息子は頑として聞かなかった。
随分とこの数日で変わったものだと思う。
三人の息子の内二人が騎士を目指している為、一人くらいは内向きの仕事が良いだろうと大人たちは常々思っていた。
末息子のディーンは上の子達に比べて気が利くところがあるし、性格的にも穏やかで控えめなところがある。我が子ながら見目も良いので、騎士よりも従僕として向いているのではないかと思ったのだ。
しかし、やはりアゼンダに暮らす男の子。兄二人と同じように、本人は騎士になりたがっていた。
悪魔将軍の治める領地だ。男の子であれば騎士に憧れるであろう。
そんなところへ、ちょうどタイミングが良いと言っては失礼になってしまうが、王都からお嬢様がやっていらしたのだ。ある意味、無理矢理に就職先として道筋を付けたが、親に言われて嫌々熟していることが丸わかりの様子であった。
しかし。態度も勉強もどこか御座なりであった筈が、ここ数日の変化には目を瞠るものがある。
黙って聞いていたプラムが、重々しく口を開く。
「手伝うって言うけど、何を手伝うんだい? どんな風に? 口ではどうとでも言えるけど、実際に動けるとは限らないじゃないか」
頭ごなしに強く言われると、ディーンはいつも黙ってしまったり泣いたりしてしまう。
まだ小さいので上手く気持ちを説明することも出来なければ、心も柔らかく傷を負いやすいから仕方ないとも言える。
ところが、今日のディーンはしっかりとプラムに向き直り、落ち着いた口調で説明をしたのだった。
「正直できる事は少ないと思う。でも、言われた事はきちんと熟すつもりです。小間使いの仕事でも、子どもでも出来る作業でも、何でも。それがないのならせめて、マグノリアの心が軽くなる様に、力づけたい」
いつになく真剣な瞳だった。
ああ、幼いながらに仕える人を決めたのだと、その場にいた大人達は思った。
止めるべきだろう。しかし、臣下としては?
友人というのは烏滸がましいが、心を許し始めた人間としては?
幼い主の役に立つのであろうか?
ディーン本人の、気づきへの一歩になるのだろうか?
「……マグノリア『様』だ」
父親が渋い顔で言い直す。母親は未だ困った様な顔をしている。
心配なのだろう。既に王都の学院に通う二人の息子に比べると、当たり前と言え末息子はとても小さく見えるのだ。
プラムは厳しい侍女頭の声で言う。
「ではそこまで言うのであれば、きちんとお勤めして来なさい。従僕のディーン・パルモアとして」
「はい!」
ディーンは大きな声で返事をし、三人に深々と頭を下げた。
*****
リリーはずっしりとした革袋をクロードから渡され、未だかつて持ったことが無いほどの大金に戦々恐々と慄いた。軍資金らしい。
先程から不自然に隠しポケットの辺りに手をやっては、青い顔でガクブルしている。
マグノリアとクロード、そしてセバスチャンも、ガイの不在を嘆いた。
居てくれたら、さぞかし使い勝手が良く、嬉々として仕事をしてくれたであろうと思う。
セルヴェスとクロードは、マグノリアの麗しすぎる見目と信じられない行動力から、危なっかしいお嬢様にお目付け役兼護衛として彼を付けるつもりでの、今回の引継ぎであるが……まさか、こんなに早く必要になるとは思ってもみなかった。
(近隣国との関係よりも、こっちの方がとんでもない事になりそうだ……早々に引き上げさせてくっつけておかないと、全くもって安心出来ないな)
クロードは眉間と唇にきゅっと力を込めた。
父が帰って来たら、すぐさまガイを戻す算段を取った方が良いであろう。
セバスチャンはセバスチャンで、まさか、主人達が連れて来た小さな幼女がこんなにも破天荒なお嬢様だとは思わなかった。
幼児としても貴族のご令嬢としても規格外過ぎて、常識人のセバスチャンには全然理解不能である。
(こういう方には彼奴が良かろう。早く帰って来ないものか……)
まだ何かをやらかすつもりのお嬢様に付き合っていては、己の心臓が持ちそうも無いと思っていた。
片眼鏡を外し、丁寧に布で拭いては波立った心を落ち着かせる。
マグノリアとリリーは少ない荷物を馬車に詰め込んでいた。もうじき終わると言うところでディーンの一家がやって来て、マグノリアに礼を取った。
彼等の顔を見て、ディーンが説得を勝ち取った事を悟った。
……危険は無いと思うが、幼子を背負い込む責任に胃が縮こまる思いがする。かと言って、せっかくやる気になり始めたところなのである。頑張る幼児のやる気を削ぎたくも、へし折りたくもない。
マグノリアは複雑な表情をして、ディーンの両親とプラムを見て頭を下げた。
「心配をお掛けしゅる事になり、しゅみましぇん。ご子息は必じゅ無事にお返ち致ちましゅので……ご心配をちないでといった所で無理かと思いましゅが、数日ご子息をお借りいたちます」
ディーンの両親は、息子の二歳下であるお嬢様が有り得ない位しっかりしていることに度肝を抜かれ、黙って首を横に振っていた。
「……お嬢様。使用人に頭を下げてはなりません」
プラムは更に続ける。
「ディーンはお嬢様の従僕です。いざとなればこの子を盾にして頂かなくてはなりません。私共の事はお気になさらず、ご自分のなさる事をなさって下さいませ。ディーンがお役に立つのでしたら幸いでございます」
「あい。ありがとう……」
マグノリアは困った顔で笑うと頷いた。
(盾って……こんなちっこい六歳の子どもをそんな事に、オバちゃん出来ませんよ!)
とほほほ……
そして同じように、泣きそうな顔の護衛騎士が馬車の前に立っていた。
西部に早馬を走らせ、帰って来たと思ったら、マグノリアの護衛で再び西部へ行く事になったらしかった。
「……お兄ちゃま、帰って来たばかりで可哀想でしゅから、他の騎士しゃんに代えて差ち上げた方が良いのではないでしゅか?」
マグノリアが気遣って進言すると、クロードはいつもの仏頂面で騎士に問う。
「……無理そうか?」
「イエ、ダイジョウブデス……」
騎士は泣きそうな顔でそう答えていた。圧力を感じたのだろう。クロード本人にそのつもりは無いのだが、難儀な事である。
(仏頂面はデフォルトだから、思い切ってNOと言えば良いのに……)
そうして心配そうな面々に見送られ、クルースへ向けて四人を乗せた馬車は再び走り出した。
「騎士しゃん、これ。特別手当だから取っておいて」
マグノリアはクロードから預かった皮袋から、大銀貨を一枚手渡す。
護衛騎士はびっくりして目を剥き、慌てて両手を音がするのではという勢いでふり続ける。
「こ、こんなの頂けませんよ……っ!!」
「大丈夫。おじいしゃまが万一お手当忘れりゃれると申し訳ないから、前払いで」
「私からは胃薬を!」
お嬢様からは大銀貨を、リリーには薬を差し出され、騎士は複雑そうな顔をしていた。
*****
馬車の窓から畑を、何かを探すように見続けているマグノリアに、リリーは不思議そうに尋ねる。
「何か気になるのですか?」
「うん……パプリカが無いかにゃって」
地球では温室栽培もあれば輸入品もあり、更には冷凍技術も発達していたので、大概のものがいつだって手に入るのが普通だったのだ。
パプリカはピーマンの仲間だから、暖かい時期の野菜だったと思う。
日本ではビタミンCの多いものを『レモン〇個分』で表す事が多いが、意外にレモンよりもビタミンCが多い食品は多数あるのだ。
パプリカはここでも手に入り易い野菜だ。そして地球ではビタミンCの含有量が多かった筈だ。
果物にしても、ビタミンCと言えば柑橘類を連想しがちだが(勿論、柑橘類も有用な食品である事は変わりない)、可食部を計測したときに含有量が多いものが幾つもあった。
家庭科で、地球の栄養成分表を確認した限りではあるが……
「パプリカは夏の野菜ですね……遅くまで実っているものもありますが、流石にもう無いと思います」
「……そうだよねぇ」
地球の知識に則って、取り敢えずはキャベツで行こうではないか。後は確かカリフラワー類。
パプリカはまた暖かくなったら考えれば良い。
クルースの町で材料を購入するか迷ったが、幾らかかるか解らないのだ。農家から直接買った方が安いだろうと、ポテト芋とブロッコリー、カリフラワー、キャベツ、唐辛子を購入する。彼等が食べる分までを買わない様、幾つかの農家を巡る。
農家の庭に柿がないかも確認するが、見当たらない。マグノリアは首を捻る。
(柿ってヨーロッパには無いのかな? もしやアジア原産? あれ、なら何でキウイはあるんだろう。あれもアジア原産だよね?)
確かにヨーロッパ風の風景よりも、日本家屋の庭先の方が似合うが……マグノリアが知る限りで、ヨーロッパの映像で柿が実っている風景を見た記憶が無い事に気づく。
クルースの町にあれば良いがと思う。柿もビタミンCが多いのだ。
(この前はみかけなかったけど、アセロラが手に入ると良いんだけどな……)
そして、マグノリアが知る中でビタミンCと言えばアセロラだ。多分断トツの含有量の筈。
(果物と、塩。そして保存瓶みたいな入れ物、アルコール度数の強いお酒、清潔な布……)
遥か昔に捲った栄養成分表を頭の中で思い浮かべながら、考えを巡らす。
(あくまで地球基準だから、栄養が全く違う事も考えられる……その場合は手詰まりだな)
地球との相違を知る為に、色々試した。
じゃが芋であるポテト芋を包丁で切らして貰った時にでんぷんの様なものが付き、すりおろして集め、水に溶かして煮てみたらとろみがついたので、同じ性質である事は解った。
しかし栄養的に同じであるのかは立証できない。
(まあ、やってみるしかないんだけどね)
なるべく確実性が欲しくて、諦め悪く記憶をさらう。
ビタミンCの計測方法を記憶から掘り起こすが、試薬やキットを使ったものしか思い浮かばない。流石に試薬の作り方なんて解る訳が無い。
一般人の知識で確認出来る事は無いものか考えを巡らせる。
(ビタミンC……アスコルビン酸、だっけ?……食品添加物。酸化防止……ん?)
ビタミンCは、『ビタミンC』と表記されたり『アスコルビン酸』と書かれたりしていた。抗酸化作用がある為、酸化防止剤として使われていたのだ。
何気なくお茶のペットボトルに書かれていたので気になって調べた時、そう読んだ記憶がある。
(お弁当のリンゴ……変色防止に塩水かレモン汁に浸さなかったっけ? レモン汁を使うのは抗酸化作用を利用してる? 野菜や果物のしぼり汁を垂らして確認すると、含有量が多いか解る……? いや、そうだとしても塩水も防止するから何とも言えないか……果糖とかクエン酸とか、別の物質に反応するかもしれないから、一概に言えない?)
「お嬢様、間もなく騎士団の駐屯部隊がおります要塞に着きます」
考えに集中していたマグノリアを気遣ってか、小さな声で護衛騎士が告げた。
てっきり詰所に行くとばかり考えていたが、領主名代としての来訪なら部隊の本拠地である、要塞になるだろうと納得する。
「解りまちた」
要塞の前に、多くの騎士が並んでいるのが見える。
近づいて行く馬車の中で、気合を入れる為にマグノリアは両手で頬を張った。
マグノリアの様子に、三人は驚いて顔を見合わせる。
(さあ、マグノリア。待ったなしだ! いくぞ!)
しばらくして馬車が停まり、ゆっくりと扉が開く。
護衛騎士によって降ろされたのは、小さい女の子だった。




