小さな従僕とお嬢様
気になるところは、基幹産業が農業なら灌漑と、輸送の為の幹線道路の整備。
そして一番の関心は災害への備えがどうなっているかだ。
特に災害への備えは重要だ。人の命に関わる。
過去のアゼンダの記録や、新聞を捲っても調べられるここ二、三百年程は津波も山火事もなければ、山林を大きく切り崩してもいないので甚大な土砂崩れも無く、短い川には湖か海がセットになっており大きな水害になることも無いようだった。
セルヴェスの話では備蓄もそれなりに揃えられている。
(……一番の災害は人災なのか……)
緩衝国として、時には様々な国の属国になった歴史もあり、アゼンダの人々は比較的粘り強く、その時々の状況を受け入れる柔軟性も持ち合わせている国民性らしい。
長い長い大戦では、色々と窮地に立たされて来ただろう。
最終的に今はアスカルド王国の一部となってしまったものの、無理強いをしないアゼンダ辺境伯領としての生活を、彼等は疎んではいない様子との事だ。
使用人達の話なので、何処まで信ぴょう性があるとするかは個人の解釈によるが……
慣れない事をずっと考えていたからか、眉間の奥が鉛を詰めたように重い。
疲れた瞳を休める為に、マグノリアはお茶を飲むことにした。
「リリーも休憩ちたらいいよ」
窓の外を眺めながらしばらくまったりお茶を飲んでいるところに、萎れたディーンが入室してくる。
……またプラムさんにこってり絞られた様子だ。
自分の孫というところで期待値が高いのだろう。会話を聞いていると習熟度に対し進行も早いしちょっと難しいし、鞭と飴ならぬ鞭と鞭だから幼児には辛そうだ。
「ディーンも良かったらお茶にしよう。お菓子もあるよ?」
マグノリアは手招きすると、向かいの席に座るよう促す。
遠慮がちにしているものの、お菓子と聞いてソワソワする様子が何とも可愛い。
お茶を飲みお菓子を二つ食べたところで、彼はため息をついた。
「……俺、勉強に向いてないんだ、です……」
慣れない敬語に苦戦はしているものの、話している様子から知能が劣るという感じはしない。
実際の作業――従僕の仕事の雑務をお手伝いしているらしいが、それは問題無いらしい。それところか、手際が良いと褒められるそうだ。
愛想も良いので、使用人達にも大層可愛がられているように思う。
数字もある程度まで数えられる。文字もたどたどしいがそれなりに書ける。
勉強を始めたばかりだ。勉強開始後二年経ったブライアンと比べても、同じ頃にはディーンの方が出来るようになっている筈だ。間違いない。
(多分、少しすれば簡単な計算も出来るようになるし、読み書きも大丈夫そうだけどなぁ)
ただ、叱られるしやりたくないから、余計に身が入らないといった様に見える。
有り体に言えば、嫌々やってる。
「しょうねぇ、文字表を貸ちてあげりゅから、毎日五個じゅつとか無理でない範囲を決めて、練習したりゃ良いよ。基礎は大事よ。後、重要な事なんだけど」
マグノリアはディーンの青に墨を混ぜたような色合いの瞳を覗き込んで、続ける。
「ディーン、従僕よりも、やりたい事があるんじゃないにょ?」
ディーンは大きな瞳を見開いて、身体を強張らせた。
彼が自分の口から語ってくれるまで、黙って返事を待つ。
少しばかり逡巡して、重い口を開いた。
「……うん。俺、本当は騎士になりたい!」
やっぱし。
マグノリアとリリーは顔を見合わせた。
人間、嫌な事を無理矢理やらされても飲み込みが悪い。小さい子なら確実に機嫌もやる気も左右する。
……勿論、人間好きな事ばかりは出来ないし、騎士だって読み書きは必要だろう。
好きな職業を選ばせてあげたいが、それそこはパルモア家の方針や考えもある。
聞くところによれば、上の二人の兄は騎士を目指しているらしい。強くてカッコいいものに憧れるお年頃だ。駄目だと言われれば尚更それがやりたいのだろう。
一方で、パルモア家の考えも解る。
終戦を迎えたとはいえ万一再び開戦した場合、間違いなくギルモア騎士団は戦場に出る。数多くの国境と接してもいるから、アゼンダ領が戦場になる可能性も高いだろう。
そうなった時、家を存続させるためには騎士以外の仕事の子どもをキープしておきたいと思う筈だ。
ここの社会の風潮として、子どもの意志よりも大人の考えが通り易いのだ。
ある種、親の決定は絶対とも言える。
ましてそこに年の近いお嬢様がやって来た。お世話係にと思う気持ちも解るし、本心から年の近い(物理は)お嬢様が退屈しない様に、遊び相手をして差し上げてはという配慮もあるのだろう。
マグノリアは瞳を逸らさずに見つめたまま、ゆっくり言う。
「ディーン、本当に騎士になりたいにゃら、騎士ににゃればいいよ」
「でも、みんな駄目だって……!」
うっすらと涙が浮かんでいる瞳を見て、うん、と頷く。
「……しょうだね。だかりゃ、今は勉強やお手伝いをしゅる。怒りゃれないように、ちゃんとしゅる。騎士も勉強は大事よ」
「…………」
「本当にやりたいにゃら、頑張って自分がやりゃなきゃいけない事をきちんとやりゅ。それから、騎士になりゅ為の練習や勉強もすりゅ」
ちょっと大変ではあるが、幼児期の練習だ。それ程大変な内容では無いだろう……と思う。多分。
「そりぇにね、従僕になりたい人だっていりゅのよ。ディーンが嫌々すりゅより、本当になりたい人がなった方がいい」
ディーンがはっとして、焦ったように言い募る。焦って呼び捨てになっているのはご愛敬だ。
「俺、別にマグノリアの従僕が嫌なんじゃない……! ただ!」
「うん。知ってりゅ。でも、ちゃんとちないのは違う。お仕事と好き嫌いは別。自分がやりたい事をしゅるのには、努力がいりゅ。頑張れりゅ?」
「……うん!」
元気なお返事だ。
マグノリアは打って変わった様子に、内心苦笑いをする。
「じゃあ、数字と文字、毎日少しずちゅ頑張って。そりぇがスラスラ出来りゅようになったら、計算と言葉や文。解った?」
ディーンは大きく頷いた。
三人で部屋に戻り、ディーンに渡すために、久し振りにダフニー夫人の文字表を見返した。
(まだ少ししか経ってないのに……何か懐かしいなぁ)
水縹色した瞳の、厳しいが、さり気ない優しさの夫人を想う。
じっと手元をみつめるマグノリアを見て、ディーンが困ったように口を開く。
「……それ、マグノリア様の大切なものじゃないの? 借りても良いの?」
不安そうな顔に向かって、にっこり笑って頷く。
「うん。凄く大切なもにょ。だかりゃ『友達』のディーンに貸しゅよ。大切に使って、ちゃんと覚えたら返ちてね?」
「うん。解った!」
一瞬、ディーンは虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに決意とやる気に満ちた表情になり、リリーもマグノリアも頬を緩めた。
……やる気が出てきたら、冷めない内に軌道をつけてしまわねば。
鉄は熱いうちに打てだ。
夕食の時にセルヴェスとクロードに談判する。
「万一にしょなえて、武術の練習をちたいのでしゅ。従僕になる予定のディーンも一緒に教えて下ちゃいましぇ!」
ふたりは微妙な顔をしたまま、マグノリアを見る。
何故だかふたりには、目の前の幼女が物凄く張り切っている様に見える。
(これは良くない兆候だ……)
クロードは眉間と唇にきゅっと力を込めて警戒した。
マグノリアとしては是非ともここで、ディーンの為にオーケーを貰わねば! そう、意気込んでいるだけなのだが。
……先だってのジャイアントアントへの打ち込みを見て、マグノリアには余り武術の適性があるようには思えなかった。
だがしかし、否定の言葉を吐いたら最後、騎士団に突進する姿しか見えない。
本人は否定するだろうが、如何せん今までの行動が物語っている。
危ない事になる前に、適度に教え適度に鍛えて意識を逸らすのが良いだろうという暗黙の会話を、視線と視線で行うセルヴェスとクロードだった。
「……ああ、マグノリアは切り裂きライラに教わっていたんだったか……まあそうだなぁ。何があるかわからんし多少は覚えておいても良いだろう」
「無いとは思うが、マグノリアだからな……悪漢に絡まれた時、ディーンも対応出来る方が良いだろう」
ふたりは上っ面をなぞる様に言うと、顔を見合わせて頷き合う。
(やったね! これで取り敢えず基礎的なものは覚えられる筈)
……しかし、何となくまたディスってるよね? そうマグノリアは思い、何処か納得がいかない。
ムスッとしながらも、こっそり給仕の手伝いをするディーンを見遣ると、頬を紅潮させて手を握りしめていた。
嬉しそうで何よりである。
しかし。バケモノ並みのふたりに教わるのも嫌だし、忙しい様だから気も引ける。
(出来れば新人騎士さんとかに教えて貰える感じだと良いのだけど……)
「明日から、朝の訓練に参加するといい」
「……ありがとうごじゃいましゅ」
……始めは走り込みとかだろうか?
さてさて、どうなる事やら。
取り敢えず明日に備え、今日は早く眠らなくては……と思うマグノリアだった。




