アゼンダ領を知ろう
「いっくよーーーっ!!」
マグノリアは手を挙げるような恰好をすると、小走りで庭の大きな木にピョン!と飛びついてはしがみつき、うんしょうんしょと言いながら木を登り始めた。
下でハラハラしながらディーンが見上げていたが、お世話相手のお嬢様に「おいで~」と言われ、心を決めて後を追う。
子どもがふたり、庭で木登りをしているのだ。
傍から見ると微笑ましい和やかなシーンではあるが。
「ちょっ、マグノリア様!? クロード様やプラムさんに見つかったら叱られますよ!!」
貧乏男爵家の娘とはいえ、れっきとしたご令嬢であるリリーは、まさか自分の主である侯爵令嬢が木登りを始めるとは思わず目を剥く。
執務室では、窓の外の笑い声とぎゃいぎゃい騒ぐ様子を、バッチリきっかりセルヴェスとクロードが見ていた。
「マグノリアが木に登って、あんな高い所に……!! 大怪我をしたら大変ではないか!!」
この館の主人でありこの地の領主でもあるセルヴェスは、あわわわしながら窓を突き破って孫娘を助けに(?)行きかねない勢いだ。
が、しかし。出来る家令に首をむんずと掴まれ座らさせられると、ドカリと追加の書類を押し付けられる。
「大丈夫です。さぁ、セルヴェス様はこちらにサインなさって下さいませ」
言うや否や、ずずずいーーーと書類の山が幾つもセルヴェスに迫って来る。
「だが、セバスチャン! マグノリアのあの白魚の様な足では、枝から飛び降りでもしたら骨折してしまうぞ……!」
クロードは呆れながら口を開く。
……兄や自分に鬼のような稽古をつけた人間とは思えないセリフだ。
ましてや父と比べたら、どんな人間でも白魚の様な腕にも足にもなるだろう。
第一、その例えは白魚の様な指では無かったか?
「……大丈夫ですよ。マグノリアの足は存外太いですからね」
足だけでなくお腹も腕も、むちむちしている。
幼児体型真っ只中なお嬢様は、太ってはいないがとってもプニプニとしているのだ。
待遇の良くなかった実家でさえも栄養はきちんと摂取していたようで、初めて見た時からやつれている様子は微塵もなかったのは幸いだった。
「ううぅ……身体が痛いでしゅ……」
午後にディーンが勉強へ戻って行くと、マグノリアは執務室にやって来て小さな机に突っ伏した。
意識では数十年ぶりに、体感的には生まれて四年。初めて木登りをしたが、普段使っていない筋肉を使ったらしく、早速やって来た筋肉痛に悩まされていた。
小さい男の子と遊んであげるのは気分転換にはなるが、なかなか骨が折れそうである。
「…………。確か中身は兄上より年上だと言っていなかったか? 異世界は年増の女性も木登りをするのか?」
呆れた口調のクロードに、マグノリアはがばりと起き上がって眉をきゅーっと吊り上げて非難する。
「年増!? 女性にしょんな事言うなんて、クロードお兄ちゃまってばサイテーでしゅ!! 三十代は年増じゃないでしゅよ! 全世界、全異世界の三十代に謝ってくだしゃいましぇ!!」
「この世界で三十代の女性は年増だ」
「むっきーー! しょれに、わたち、お父しゃまとそんなに変わらないんでしゅからね! まちて今は可愛い幼女でしゅよ!」
人払いをした執務室でクロードとマグノリアが言い合いをしている。
叔父と姪という間柄ではあるが彼女がお兄様と呼ぶのも納得で、本当に兄妹のようだなとセルヴェスは思う。
思い起こせばクロードは、十歳年上の兄であるジェラルドには口答えなどしない子だった。
マグノリアは幼子でありながら、心持ちの余裕を感じるところがある。
しっかりしてても本当の子どもと、子どものフリをした大人の差なのか。
クロードはクロードで小さい子どもを導いているというより、揶揄って構っている様にしか見えない。
(なので、気を許して気兼ねなく軽口も言えるのだろうという気がするが。言わないでおくか)
仏頂面が通常装備の筈が、存外可愛らしいところもあるらしい義息子と、可愛い事この上ない孫娘のやり取りを見て頬を緩める。
マグノリアは居候することに決まってから切に希望していた、領地に関する知識を得られる事になった。
先日、かなり早くに暴露してしまう事になったマグノリアの秘密である『前世の記憶と知識』であるが……その真偽には半信半疑であるものの、根掘り葉掘り質問され、確かに高度な知識を有している事は証明された。
いつもの如く図書室に入り浸って知識を得ようとしていたが、目を離すと何をしでかすか解らない、何処へ転がって明後日の方向へ飛んで行くか解らない事もあり、執務の傍ら説明しようとクロードが決めた。
一応執務やら騎士団の訓練やらで忙しくしている保護者達を気遣ってか、一緒の部屋で書類や書籍から一次的な知識を得る心積もりでいるらしい。
集中してそれらを読み込んでいる様子を、セルヴェスは不思議そうに、クロードは興味深そうに見ていた。
元々は他国の侵略に晒されていた国の為、その緊張感を示すかのように、高い城壁で囲まれた土地である。
大陸の内陸部にあるアスカルド王国の一領地となってからは、唯一海に面しており、港がある領地となった。
(他国とのやり取りはどうなっているのかな……上手く活かせたらかなりのアドバンテージになりうるのに)
森林と湖が多く、自然に恵まれた土地。それらが殆ど手つかずのまま残っていると言っても良い。
……風光明媚とも言えるし、絶景の大自然とも言えるが、ド田舎とも言える。
田舎が悪いわけではないが、それでも領民の為の開発が悪と言う訳でもないと思うのだが。
「……基幹事業もしくは産業は何なのでしゅか?」
「農業だな。後は、港があるので造船。関連して木工と金属加工か」
「ふんふん……人口の分布やそれぞれの年齢人口等は解りましゅか?」
「大まかには解るが、きちんとした統計としては無い。領民の内訳は元アゼンダ公国の者が八割程だと思う」
「なりゅほど」
(実際見てみないと詳しくは解らないよねぇ……視察って言っても、子どもが何をって感じだよね)
それに、見たからといって行政のスキルがある訳でも無い。
教科書で読んだ範囲と、現代社会で耳にしたり、テレビ等で見たものを何となく取り入れる位しか出来ないだろう。
木札に『港』『事業』『城壁と要塞』『騎士団』『領民』『疫病・災害』と書き、その下の空白に聞いた事や思いついた事、読んだ事等をつらつらと記入して行く。
「……それは何をやっているんだ?」
クロードが興味津々といった風で覗き込む。
「これでしゅか? KJ法……またはカード分類比較法という方法の、亜流でしゅね」
本来は付箋などのつけ外しが簡単な紙一枚にひとつ、思いついた事を書いて行く。
ある程度出切ったら、同じようなものや似たもの、関係しあうもの……と分類したり纏めたり、グループ分けをしたりして、アイディアを纏めたり絞り込みする。
そうやって全体を俯瞰し把握する方法である。が。
「考えを纏めたり付け加えたりしゅるのに便利なんでしゅけど。紙が余り無いので、思いつく度書き込んでるんで。元にしてるとはいえ、本来のやり方とはだいぶ違うので亜流でしゅ」
「ふむ」
クロードはそう呟くと並べてある全体を暫くみつめていたが、今度は木札を一枚一枚精査しているようだった。
暫くするとクロードは騎士団の練習に、セルヴェスは来客があると言う事で、木札を持って図書室に移動する。
「……騎士しゃん達は何処に住んでいりゅか知ってりゅ?」
「今ギルモア騎士団は辺境を守っているので、城壁の近くにある要塞が寄宿舎になっているみたいですね。希望すれば街中にも住めるみたいですが、寄宿舎の方が断然お得に住めるので、利用者が多いみたいですよ」
リリーはワゴンを押しながら、答える。
海を除く全てを城壁に囲まれている。守られてはいるのだろうが、多分膨大になるであろう維持費はどうなっているのだろう。
「アゼンダの人は昔から城壁に守られて来たという気持ちが強いみたいで、ヒビや欠損があると自主的に直すのが、昔からの習わしみたいです。カバーしきれなかったり内側の修繕などは、簡単なものなら騎士団で直すみたいですよ?」
「騎士しゃまなのに?」
マグノリアの疑問に、リリーは苦笑いする。
「……まあ、団長がセルヴェス様ですからね。元々ギルモア騎士団は戦闘こそ厳しいですが、普段の気風は余り細かい事を気にしない方々が多いみたいですよ?」
……そうすると、城壁と要塞はそれなりに手入れされ、有効活用もされているのか……
「今迄の他国の統治者に比べて、アゼンダの風習や価値観を否定せずに寄り添ってくれると言われているみたいですからね。セルヴェス様達が領民を思い遣る様に、領民も領主様方をお慕いしているのではないでしょうか」
「しょっか……」
(そう言われちゃうと、後から来て日も浅い分際でいたずらに口出しも憚られるな。もう少し色々確認する必要がありそうだね)




