知識の根源を暴露する・前編
リリーは翌朝当然の様にやって来て、髪を梳かすと着替えを手伝ってくれた。有休を取ったらどうかと再度聞いてみたが、要らないと固辞される。
リリーの屈託のない元気な顔を見るとマグノリアも元気になれるから、素直にありがたくはある。
朝食に食堂に行くと、昨夜の事をセバスチャンに謝られた。
眠気で意識が朦朧としていたが、何やら彼は昨晩、切羽詰まった顔をしていた気がする。
「こちらこしょ、お話中に寝落ちてごめんにぇ」
残念な事に、幼児はすぐに眠くなるのだ。
日本時代、テレビのバラエティ番組の面白映像で、電池の切れたように寝落ちる映像を微笑ましくも笑って観たものだが……まさか自分がそうなろうとは。
マグノリアにも如何ともし難い。
食事中も終始その話題に関連したものだった。
「お手紙がちゃんと書けていて、何がしょんなに気になったのでしゅかね?」
マグノリアは首を傾げる。
「出来過ぎていて、セバスチャンが驚いたみたいだぞ」
セルヴェスの苦笑いに、ああ、とマグノリアは自身のやらかしを悟る。
(相手に出すものだから粗相が無いように書いたのが、四歳児としては有り得ない感じに映ったのか……)
なるほどね。こちらの配慮不足だ。
冷静に考えればそうだろう。確かに思い返せば四歳児が考える文面ではないなと思う。
(マズった……しかし面倒臭いな、四歳児)
心の中でため息をつく。
ふと顔をあげると、給仕の手伝いをするディーンと目が合う。
心配そうにハラハラとした顔でマグノリアを見ていた。『何か良くない感じ』を察知しているのだろう、健気で可愛らしい少年である。
(うーん。かと言って上手く擬態するの、私……無理そうだよねぇ)
結構がっつりと関わってくれようとしている祖父と叔父の様子に、マグノリアはどうしたものか考える。
転生の話をしたとしても、到底信じられないだろう。頭がおかしいか心を病んでるか、とてつもない大噓つきの妄想癖と思われるか。
暫く一緒に暮らすのだろうから、悪感情を持たれる事はなるべく避けたい。出来るならお互い心地よく過ごしたいものだ。
かといって、普通の幼女として上手く隠して過ごせるのかと言えば絶対無理な訳で。
ギルモア家では疑念を持っていそうなロサの前では極力勉強しない、必要な内容以外話さない、刺繍しかしないを徹底していたし、他の人達は見た目と実際のギャップに気を取られている間に煙に巻いた感じだった。
同じ事を年単位でするのは無理がある。第一寛げない。
それに、誠実に対応してくれようとしている人に対して、騙し続けるのも気が引ける――これは意外にも心の大半を占める本心だ。とはいえ、おいそれと言える内容でないところが悩ましい。
普通は隠し通した方がお互いの為だろう。
(うーーむ)
堂々巡りに悩んでいると、食事を終えお茶を飲みながら、クロードは色々とマグノリアに質問を浴びせていた。
……彼の頭の中には問題集でも入っているのか……
隙あらば問題を出してくる教育ママみたいだ。
セバスチャンの疑問から発展した、マグノリアの持ちうる知能の上限を知ろうとしているのだろう。
簡単な国語や計算の問題から、徐々に王立学院の教科書に載っているような内容に移っている。
一緒に聞いているセルヴェスも難しい顔をし始めた。
これも、昔観たバラエティ番組にあった。
数学者が解く様な数式を解いてしまう五歳児とか、英検一級を取る幼稚園児とか。
天才少女――彼等の目には多分、そんな感じに映っているだろうが……バラエティとして観るほどの土壌も余裕も無いだろうから、テレビとは違い、奇異にしか映らないだろう。
(知識の内容としては、天才なんてほど遠い、数式も英検も遠く及ばない小学生レベルの内容なんだけどねぇ……あーーー!! もう、まどろっこしい!)
何より、うじうじと悩む自分自身が疎ましい。
そう。丁寧には丁寧を。誠実には誠実を返すしかないのだ。
結果、例え相手が自分を拒否をしたとしても。
「おじいしゃま、クロードお兄ちゃま。場所を移りまちょう。執務室がよろちいでしゅか? しょれとも談話室?」
マグノリアの雰囲気がガラリと変わったのを見て、二人は一瞬目を瞠った。
人払いがし易いので、結局執務室に移動する事にする。
セルヴェスと手を繋ぎ、キョロキョロとよそ見をしながら廊下を歩く姿はただの幼子にしか見えないのに……
(……何が飛び出すのか、きっとまたとんでもない事に違いない)
クロードは警戒を強め、きゅっと眉間と唇に力を込めた。
セルヴェスにソファに座らせて貰うと、マグノリアは姿勢を正した。
「しゃて。誰に、どうやって学んだかでちたね」
保護者二人はマグノリアの前に腰を降ろすと、小さく頷いた。
マグノリアは実家での事――五か月前に自分の置かれている状況を見遣り、疎まれているのではないかと考え、不利な状況を打破する為にまずは貴族や平民の常識を知る事を始めたのだと説明する。
同時にマナーを侍女から教えて貰い、ブライアンの家庭教師であったダフニー夫人の授業に潜り込み、知識を得る為文字や数字を覚えた事を端から端まで話す。
更にそれから後は図書室に入り浸り、偶然見つけた学院の教科書――多分ジェラルドのもの――を読み参考書を読み込んで、貴族として必要な最低ラインの知識を、実家に居られる内に学ぶように心がけた事を。
「なので、知識とちては王立学院卒業相当だと思いましゅ」
その後余りの実家の対応の悪さから、自身の行く先を察し危惧する。
修道院に送られる前に市井で生きて行く決心をし、取り敢えず裁縫の腕を磨き、手っ取り早く資金と手に職をつけようとしていた事などを洗いざらいぶちまけた。
話し終わって、ふとマグノリアが前を見ると。
セルヴェスは目を閉じて腕組みし、クロードは頭が痛いと言う顔をして、こめかみを左手で揉んでいた。
セルヴェスとクロードは、つい先日ガイから受けた報告を頭の中で反芻していた。
――五か月前。ガイが色々な使用人に聞いた、マグノリアが大きく変化したと言う報告の時期と合致する。
確かにそこで、彼女の意識と行動は何か変化があったことに間違いないのだろう。
ただ、語られた内容が荒唐無稽過ぎる。
三歳児や四歳児が考える様な内容でも無ければ。
……たとえ考えたところで、実現可能とは到底思えない。なのに実際に行えてしまっていた高い能力と技術力、なによりその行動力に恐れ入る。
思いつきで行動して勉強が出来るようになるのならば、この世は天才で溢れかえっている筈だ。
本文をただ瞳に写したところで、理解するための能力や学力が無ければ、到底理解出来る筈が無い。
セルヴェスは躊躇いがちに呟く。
「いや……、覚えようと思って覚えられるものなのか? 五か月だろう……?」
「不可能でしょう。前期後期両方ですよ? 六年分を五か月なんて、素養があるか――元々その分野の知識がなければ無理です」
「そうでしゅね。全く無垢な状態で全て覚えることは不可能だと思いましゅよ」
言い切るクロードに、マグノリアは心を決めにっこり笑いかける。
(そうだよねぇ。あっさり納得なんて、出来ないよね?)
……その先も、やっぱり説明が必要だよね。第一、稀代の天才と呼ばれるクロードを誤魔化せるとは思えない。絶対に綻ぶ。すぐさま綻ぶ。
(もう、言っちゃうしかないよね……)
「だけど、わたちにその知識があったとちたら。可能だと思いましぇんか?」




