ボタンとホックを作ろう
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お陰様で7/18に第6巻が発売されることになりました! 現在ご予約承り中です。
6巻発売を記念いたしましてSSをお送りいたします。
今回のSSは5章と6章で度々出てくる、ホック類の試作品(キャンベル商会用)を作る話です。
時は少し遡る。
王都で巻き込まれた襲撃事件も落ちつきをみせた頃、マグノリアはサイモンに話しそびれた案件――今までのお礼について話をしようかと考えていた。
……が、サイモンは常識人であり紳士であり、更には若くして商会を率いる人物である。貴族と関わる旨味も厄介さも熟知している人間だ。
マグノリアの手掛ける製品がそれなりに利益を上げている今、「既に充分ですので、そんなことはお気遣いなく」と爽やかかつ穏やかに躱されることは分かり切っていた。
よってある程度形が見えるようにしたほうがいいだろうと考えた。
更には説明をするのに仕組や形状がわかるものがあったほうがいいだろうと思い、それならばとお見本を作ることにしたのである。
「お嬢、こんな所をひとりでどうしたんすか?」
ガイは、珍しくひとりで鍛冶場のある方向へと歩くマグノリアに声をかけた。
「ちょっと、針金を少し貰おうかと思って」
勝手知ったる居候先、もとい、もう我が家と言って差し支えない辺境伯家。敷地の中ぐらい自由に歩いても差し支えなかろうと、お付きの人間が手が塞がっている場合は勝手気ままに闊歩しているマグノリアだ。
「針金なんてなんに使うんです?」
おおよそご令嬢らしからぬものに、ガイはまじまじとマグノリアを見た。
そして、おおよそご令嬢らしからぬことを言い出すときは大忙しになる前兆でもある。
(……またなにか新しいことを考えているんすかねぇ?)
警戒するガイが、主の気分を害さないように言葉を変えて口にする。
「……万が一切り口が刺さったら危ないっすよ?」
ガイの過保護な言葉に(警戒八割、心配二割であるが)、マグノリアは眉を顰めた。
「……言いたいことはわからんでもないけど、ある程度子どものうちに怪我や危険を体験しておくことも大事だと思うけどね。小さな痛みや失敗を体験して、大きな危険を回避できるよう、身をもって考えられるようになるもんだと思うけど」
どの視点で話しているんだという意見はいまさらだ。
ガイはおおよそ子どもとは思えないマグノリアの言葉に、肩をすくめた。
「相変わらず、おっかさんやおやっさんみたいな言葉っすねぇ。……そりゃ、道理はそうでしょうけど。侯爵令嬢は周囲が気遣い、常に安全に暮らすのが普通っすからねぇ」
呆れたようなもの言いに、マグノリアもいまさらながらに思い出した。
「……ああ、そうだった! 私ってば侯爵令嬢だったわ」
「……そうっすよ、まさか忘れてたんすか? 普通、使用人をアゴでこき使うのが正しい侯爵令嬢ってもんすよ?」
「……アゴでこき使うって。その認識もどうなのかと思うけどね」
この世界に漫才はないと思うが、まるで掛け合いのようなやり取りで鍛冶場に入って行く。
「針金でしたね。そんなもん、いったいなんに使うんすか?」
ガイが再びマグノリアに確認する。
「ああ、『ホック』の試作を作ろうと思うんだけど」
そう言いながら、うろ覚えの絵なのか設計図なのかをガイに見せた。
自分で作ろうと思っていたため、それほど精巧には描かれていないそれ。
「…………。なんすか、これ?」
またケッタイなものをとでも思っているのだろう。比較的単純な、しかし見慣れない曲線が描かれた紙をまじまじと見た。
「服に使う留め金みたいなものかな。実際には細くて小さいものを作りたいんだけど。あまり小さいと細工が難しそうだから、そこそこ扱い易い太さの針金でなんとなくの試作品を作ろうかと思ってね」
形そのものはそこまで混み入っていない。作り易い大きさで見本を作り、大まかな構造を確認してもらい、職人に小さく精巧に作ってもらう方がよいだろうと考えたのである。
「危ないから、あっしが代わりに作りやすよ」
怪我をさせるとセルヴェスがこの世の終わりのように焦り落ち込むことが見込まれるからであろう。ガイはもう一度設計図もどきを確認し、そそくさと針金を掴んだ。
「……そう? まあガイのほうが扱いに慣れているだろうから、それでも構わないけど」
別にマグノリアとしても、どうしてもワイヤーアートもどきをしたいわけでもない。
だけれども、と思う。
「針を使う刺繍が推奨されて、針金を使うことが禁止される理由がよく解らんわ」
ブツブツと文句を言いながら、マグノリアはノコギリと、その辺に落ちている小枝を手に取る。
「……ちょ、今度はなにをするんすか!」
ガイが呆れたようにツッコミを入れる。
椅子の上に小枝を置き足で踏み挟み、ギコギコと切り出したマグノリア。
「なにって、木を切っ……」
「……なにをしているんだ?」
耳のいいクロードが、ギャイギャイと掛け合いをするふたりの声を聞きつけて鍛冶場へ顔を出した。
……なんのことはない、ふたりきりにしておくとノリノリで歯止めが利かなくなり、おかしなことをしでかすことがあるからである。……以前も洗濯をする器具を作ると言って、ふたりしてそこいら中を泡だらけにした前科があるのだ。
そんな懸念を抱いたクロードが鍛冶場を覗けば、令嬢であるはずの姪がドレス姿でノコギリを挽いていた。もちろん切り易いよう、ご丁寧にも足で小枝を押さえつけている。
「…………」
「…………」
今はもう、マグノリアに対してそれほど行儀に関して小言も言わなくなったクロードであるが、ご令嬢からは程遠すぎる姿に眉間に皺を寄せ、左手でこめかみを押えていた。
「……なにをしている?」
そして絶対零度の顔と声で、再びマグノリアに問うた。
「え……と? 廉価版のボタンの、試作品を作ろうと……?(汗)」
黙って手を差し出したクロードに、これまた黙ってノコギリを差し出したマグノリアであった。
******
「こんなもんでいいっすかね?」
「ふんふん。この、みょんってしているヤツを、こう曲げてほしい」
ホックの鉤部分――『ホック』または『オス』と呼ばれる部分を指差し、そのまま手全体をカギのように曲げ、なんとなくの形を伝える。
元の絵とマグノリアの手の動きを見て大まかに伝わったのか、ひとつ頷いてはガイが作業に戻る。
マグノリアが作ろうとしているのは、スプリングホックと呼ばれる細い金属で出来たホックである。大きさや用途によって『襟ホック』や『トンビホック』と呼ばれるものもあったと記憶しているが、仕組は似ているのでスプリングホックと統一して呼んでいる。
当初はカギホックを考えていたが、そちらは金属を薄く延ばす加工が必要なため需要があれば追々……と考え、針金で巨大見本を作れそう、かつ金属の使用量が少なそうなスプリングホックを試作することに決めたのであった。
「こっちはどうするんだ?」
シャツを雑に腕まくりしたクロードが、丸い小枝の切れ端に穴を開けながら聞く。
二つ穴と四つ穴の二種類を作ってもらう。こちらは素朴な木製のボタンである。
「布や糸が引っ掛からないよう、全体を軽く研磨してほしいです。……片方は縁に溝をつけたほうがいいかなぁ」
「わかった」
返事をしながらクロードは、慣れた手つきでヤスリをかける。
クロードはクロードで、丁寧に小さな円盤状の木切れにヤスリがけしながら、工房に忙しくなる旨伝えたほうがよいのかと思案していた。
「しかし、木の目立たないボタンなんて売れるんすかね?」
ガイが疑問を口にする。
彼らの暮らす世界で、ボタンは装飾品の一種である。珍しい素材や手の込んだ装飾を施したそれらはアクセサリーの一種であり、服飾を際立たせると共に権力や財力を表すものでもあった。
「用途が別というか、装飾のボタンとは違って、もっと実用的なものだからね。毎日毎回、何本も紐を結んだり針で止めたりするよりも、早い・簡単・安全だもの」
ボタンの歴史自体は古いものだ。元々は石や骨、貝がらや木を使っていたはずである……地球は、という但し書きがつくが。
(その頃も装飾品の役割が大きかったは大きかったんだろうけどね)
汎用品として大量に普及するようになったのは、後世、技術の発展により一度に多く作れるようになったことと、安価な素材が手に入るようになったこと、両方の理由からであろう。
「別に、木じゃなくても構わないんだけど。……手っ取り早いし、加工が比較的楽そうだから見本にするだけで」
木に囲まれたようなアゼンダ辺境伯領なので、材料は幾らでも入手できると言っていい。逆に適度に間引かなければならない程であるので、森林破壊が――という心配は杞憂だ。
そして、コレットやサイモンの暮らすアスカルド王国も花の女神の加護を持つ国であるので似たり寄ったりであるはずだ。
試作の試作……のためすぐに加工したが、時間がかかるところといえば、本来は木を乾かして使う必要があるくらいだろうか。
見た目は華美である必要はない。安価に材料を入手でき、加工や細工が容易で、用途や場所に応じて大きさや形を選択でき、かつ目立たなく、それでいてしっかり留めておくという役割を熟すものが欲しいのだ。
「見えないところにもお洒落したい人はそれなりのものを使えばいいし。材質も貝殻や石、金属にすれば、耐久性も様々だし」
どれもボタンの素材として地球で使われていた素材だ。きっとこの異世界でも使われているものもあるだろう。
「確かに、宝石や貴金属は言うまでもなく……貝は磨けば装飾品になりそうだな」
クロードは磨くと真珠層の美しい貝殻を思い浮かべているのだろう。
マグノリアもクロードの言葉を聞いて、かつて日本で見た虹色に光る螺鈿細工の美しい装飾品の数々を思い起こしていた。
「使い道は素材によってまちまちということか。貝素材はパッチワーク製品に使うのか?」
タペストリーやカバーなどの一枚布のような製品から、鍋掴みのような小物まで幅広い。レースを使った繊細なパッチワークのポーチの装飾や留め具として使うのであれば、素材の清楚な雰囲気と淡く光る真珠色した小さなそれはよく合うであろうと思われた。
「う~ん、それはコレット様とサイモンさんによりますかね。サイモンさんには昔からお世話になっていますし、王都に行く際はコレット様にいろいろ調べていただいたりしたので、御礼になるものをとずっと考えていたのですよ」
王都で起こった事件により延び延びになっていたが、落ち着いたため、見本品を作ってみることにしたと説明をする。
「なるほど。キャンベル家への貢ぎ物ってわけっすね」
訳知り顔のガイが出来上がった巨大ホックを器用に指先で回しながら言う。
「一応お礼だけどね?」
これからもよしなにという気持ちが全く含まれていないとは言わないが、あくまでも感謝の気持ちが大部分である。それゆえ形式的なものではなく、本当に役立つもの……花や菓子よりも、商売に使えるもののほうが喜ばれるだろうといマグノリアなりの配慮(?)だったりするのだ。
「だから服飾に関するものなのか」
合点が行ったのだろうクロードが、磨き終えたボタンをマグノリアに手渡した。
つるりとしたそれを見れば、性格を示すように丁寧に削り磨かれており、不自然に指にあたるところがない。綺麗に研磨されたボタンを矯めつ眇めつ確認する。
「ピカピカですね! さすが! ……とはいえ、職人さんもたくさん研磨するのは大変かも」
「手でヤスリ掛けしなくても、機械ですればいいだろう?」
クロードの言葉に、マグノリアは顔を上げた。
「研磨機、あるんですか?」
「木材用で意図するものがあるのかはわからんが……なければ宝石用を改良すればいいんじゃないか?」
宝石用ならば、細かく繊細に磨く機材もあるだろうとクロードが言った。
「そこまで大仰なもんじゃなくても角が取れりゃいいんすよね? 硬いもんや細かいもんと一緒に入れて、しばらくブン回せばいいんじゃないっすかね」
「ほうほう?」
ガイの言葉に、マグノリアは遠い地球で見聞きした記憶を掘り起こす。
(……それこそ貝ボタンをつくるのに、砂と水、研磨していない貝ボタンを入れて回し、角を取るような装置があったな……)
化車と呼ばれる機械だ。そしてその工程を『化車かけ』と呼ぶ。
それ以外にも、艶や手触りを良くするために、蝋をつけた籾や小麦と一緒にやはり化車にかける工程がある。
(事前に大きなバリなんかは削る必要はあるだろうけどなぁ)
なにか思い至ったらしいマグノリアの様子を見て、クロードが口を開く。
「まあ、その辺りはキャンベル商会が詳しいだろうし、調整するだろう」
……多分、そう続いた言葉にやや力がなかったのは、発言とは裏腹に、場合によってはアゼンダにも忙しさが波及する可能性があることを考えたのであろう。
「…………」
「…………」
ガイとマグノリアも無言で顔を見合わせた。
説明はサイモンとコレット両者同席で行なわれた。
ふたりへのお礼であるので全く問題ないのではあるが……コレットの強すぎる圧……いや、本気度合いに、サイモンとマグノリアはタジタジとなるばかりであった。
もちろん、好機を見逃すはずのないコレットにより、スプリングホックだけでなくカギホックも作ることになり、ボタンも各種製造されることとなる。
そして、それはすぐさま海外にも販路を伸ばすこととなった。
当初の予想通り、コレットや近隣の工房だけで賄えるはずはなく……
鍛冶場で過った三人の予想通り、もれなくアゼンダも忙しくなるのは必至であったことをつけ加えておこう。
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