これからのこと
「マグノリア、疲れていないなら後で執務室に来なさい」
クロードがクラバットを緩めながら急ぎ足で歩いて行く。
約一週間留守にしていたのだ、仕事が溜まっているのだろう。お疲れ様な事である。
なおセルヴェスは邪悪な顔をしたセバスチャンに首根っこ引っ掴まれて、問答無用で引きずられて行った。……お疲れ様デス。
騎士らしく大股で歩いて行く叔父を見送ると、侍女らしいおばあちゃんがにこにこして話し掛けて来る。
「お嬢様、初めまして。侍女頭のプラムと申します」
「マグノリアでしゅ。よろちくお願いちましゅ」
「リリーと申します! 宜しくお願い致します!!」
新しく上司になる人の登場に、リリーは緊張した顔で元気に挨拶する。
「それではお部屋へ案内いたしましょう。リリーさんは後ほど使用人用のお部屋へ案内しましょうね」
屋敷の中は落ち着いた雰囲気で、古くからある邸宅と言った感じだ。
アイボリーの壁に、木目が美しい濃い飴色の腰板。使い込まれた絨毯。木の額に飾られた風景画の数々。
ちゃんと生活感を漂わせる館。
(領主邸はアゼンダの王宮って訳じゃないんだ。敗戦国だから打ち壊しにでもあって、もう無いのかな……?)
ピカピカに磨き込まれた階段を登りながら考える。
幾ら小国とはいえ、王宮や宮殿はここの比ではないであろう。
綺麗に手入れをされてはいるが、どうみても普通……城に住む本当の領主から小領地を与えられた地方の雇われ領主の館といった雰囲気のものだ。
別にお城に住みたい訳ではないが、三日ほど駆け抜けた馬車の中から見た他の地の領主邸とは、だいぶ趣が違うように感じられた。
ともかく。せっかく善意から世話になるのだ。少しは領地の為になる事をしたい。
(それには色々調べないとだよねぇ……)
道すがら観察した領地の様子を反芻しながら、調べる事を考える。
案内された部屋は、日当たりの良いフランス窓が印象的な広い部屋だった。
「こちらは生前、大奥様、アゼリア様が使っていらしたお部屋なのですよ」
「しょうなのでしゅね。因みに、おばあちゃまは……?」
曾祖母はともかく、祖母は屋敷のどこかに居るのではないかと思い確認すると、プラムはへにょっと眉を下げる。
「ルナリア様も数年前にお亡くなりです」
「……しょうなんでしゅか。残念でしゅ」
(お婆ちゃんは『ルナリア』って言うのか。誰かに聞いて、その内お墓にお参りに行こう)
しんみりした空気を振り払うように、プラムは笑顔で続ける。
「クロード様がこちらに来たときは、もう大きかったので子ども用の家具をお使いにならなくて。お知らせを受けて急拵えで揃えたので、落ち着きましたらお嬢様のお好みの家具を注文いたしましょうね」
ご令嬢なら当たり前の心遣いがこそばゆい。
「いえ、急がせてちまって ごめんにぇ。お借りちてる人に返すのでないにゃら、このままちゅかわせて 貰いたいのだけど」
「でも、お嬢様が使うには……」
確かに部屋に備え付けられている家具類は、飾り気の少ない物のようでお嬢様が使うにはいささか簡素過ぎるものだ。急に小さい子供が来るというので、急いで探してくれたのであろう。
「大丈夫でしゅ。前は大人にょ家具を、踏み台でちゅかってたんでしゅもん。しょれに比べたりゃ ちゅかい易いでしゅよ」
プラムはリリーに視線を向けると、辛そうに一つ頷いて、部屋の隅に置かれた荷物をみる。
「お荷物はあちらですか?」
「しょうでしゅ。リリー、申し訳にゃいけど、クローゼットに服を入りぇておいてくれりゅ?」
二つ返事で動き出すリリーの作業を目で追って、プラムは息を飲む。
家具の話といい手持ちの服といい、実家での暮らしぶりを察せられたのだろう。
「しょれより執務室に行かにゃいと」
「お疲れではありませんか? 馬車にずっと揺られて……無理せずとも、クロード様も疲れていなければと仰ってましたし、お疲れならお伝えして参りますよ?」
「大丈夫でしゅ。お話ちちておきたい事もありましゅし」
プラムは心配そうに執務室までマグノリアを連れて行くと、リリーと連れ立って行った。
これからリリーは色々案内や説明を受けるのだろう。
(頑張れ、リリー!)
後姿にエールを送る。
知人が誰も居ない場所での新しい環境は、きっと心細い事も沢山あるだろう。
(なるべく沢山、話を聞いてあげよう)
扉をノックをすると直ぐに返事がある。断って入室すると、セルヴェスとクロードが執務机に、そして小さい男の子がソファに座っていた。
「参りまちた。わじゃわじゃ家具を手配ちて下さって、ありがとうございましゅ」
「おお、マグノリア! 疲れてはいないか?」
しおしおと萎れていたセルヴェスが、孫娘を見た途端元気になる。
クロードは呆れながらもため息を飲み込んでマグノリアと少年を見た。
「家具は間に合わせだから、後ほど好きなものを選ぶと良い。マグノリア、こちらはディーン・パルモアだ。君の遊び相手兼従僕……取り敢えずは小間使いと言ったところだな」
言われるや否や、ソファから勢いよく立ち上がり、直立不動で気をつけする。
「ディーン・パルモアです! パルモア男爵家三男、侍女頭プラムの孫で、六歳です! 宜しくお願いします!!」
緊張しているのか、言い含められてきたのか。やや頬を紅潮させとっても元気なご挨拶にほっこりする。
ディーン少年は、亜麻色の髪がクルクルと巻き毛になっていて、青に墨を混ぜたような色合いの瞳をした愛らしい少年だ。
……何気に周りの人間の顔面偏差値が高くて驚く。彼も将来は大変有望そうな見た目である。
「マグノリア・ギルモアでしゅ。先じちゅ、四しゃいになりまちた。よろちくね」
「はい!」
ディーン以外の三人は、初々しい男の子の様子にうんうんと頷く。
「えーと。お時間がよろちければ、いくちゅかお話がありゅのでしゅが」
「構わんよ」
セルヴェスは仕事をサボれるのが嬉しいのか、それとも孫娘との語らいが嬉しいのか。食い気味に返事を返す。
「ディーンは用事があったり、プラムしゃんやご両親に帰って来りゅよう言わりぇてるなら退室ちても大丈夫よ?」
「……えーと?」
困ったように視線を彷徨わせている。
「もし用事が無いならディーンもここに居なさい。これからマグノリアに振り回される一員になるんだ。心構えの為にも聞いておくと良い」
何気にクロードが酷い。マグノリアは眉を寄せる。
「わたくち、何もちてましぇんよね?」
「無自覚なのだな」
無表情ですっぱりと言い捨てられた。酷い。
それは取り敢えず置いておいて、指を折りながらあげて行く。
「まず、家具はあのままでお願いしましゅ。で、一つ目は叔父ちゃまの呼び方。二つ目は叔父ちゃまの婚姻について、三つ目はわたしの処遇について、四つ目……」
「待て待て待て! 情報が多い!」
クロードが頭が痛そうに仏頂面をする。
セルヴェスとディーンはそれぞれ瞳をパチパチと瞬かせている。
「まず順番にだ。家具は本人が良ければ何でも構わん。……俺の呼び名とは何だ?」
「叔父ちゃまがどうしても叔父ちゃまの方が良けりぇばしょうがないんでしゅけど、差し支えなけりぇば『クロードお兄ちゃま』って呼んでも良いでしゅか?」
セルヴェスは息子を揶揄うようににやぁっとする。
クロードは一瞬口をもごっとさせたが、不思議そうに確認する。
「好きに呼んで構わんが、何でだ?」
「だって、まだ十九歳の少年を叔父って。……居た堪れないのでしゅ」
「「「…………」」」
アスカルド王国の成人は十八だから、世間的には大人なんだろうけど。
……中身三十三歳なのに、青年と言うよりまだ少年な男の子を『おじさん』って呼ぶって、何の罰ゲームなの。
おっちゃん的な『オジサン』と親戚の『叔父さん』は意味が違うとはいえ、物凄く言い難いのだ。
「……構わん。二つ目の俺の婚姻とは何だ」
「婚約者はいらっしゃいましゅか? 近々婚姻の予定は?」
げんなりした顔で答える。
「居ない。予定も無い。何故だ」
「いや、結婚しゅる家に小姑が、それも小しゃい子どもがいりゅって、相手にちたら嫌でしょう?」
何処かでふたりで暮らすなら良いが、多分後継ぎという立場から、お相手は否応なくこの家にお嫁入りだろう。
……ただでさえ筋肉マッチョ過ぎる舅がいるのに、よく解らない幼女まで居るって何それの世界である。
更にこの先何年一緒に住むか解らないとか、絶対ノーサンキューだ。
「もち決まったら、しゅぐ教えてくだちゃい。家を探しゅので」
彼は十九歳。年齢的にも家柄的にも、アスカルド王国的にはすぐの案件であろうからして。
「色々言いたい事はあるが、まあ良い。三つめは?」
「わたちって、平民とちて暮らしゅ事は可能でちょうか?」
「……。基本無理だな。何故だ」
おおう。何か面倒そうに言い捨てられた。
「……曾祖母ちゃま関連の問題にゃら、おじいしゃまやクロードお兄ちゃまの目が届く、領地の片隅で大人しく地味に暮りゃすなりゃ危険はにゃいと思うんでしゅけど?」
「ここに居るのが嫌なのか?」
セルヴェスが確認するように聞く。
「嫌ではないのでしゅ。でしゅが、何というか……自分が社交界で上手く生きて行く自信もありまちぇんし、余り目立ちたくもありましぇん。そして貴族として生きて行かないなら、お披露目問題や面倒な噂も出ないでしょうし、平民として住居を変えれば先の小姑問題が一気に片ぢゅくと思うのでしゅけどねぇ」
セルヴェスとクロードが顔を見合わせる。
……ディーンは出来るだけ小さくなり、遠い目をして我関せずを決め込んでいる。
「……マグノリア。お前はとても賢い。だから色々考えてしまうんだろうが」
セルヴェスが優しい声で続ける。
「この数日の様子を見るに、社交界でも充分立派にやって行けるだろうと思う。だが好きでない、目立ちたくないなら最低限にすればいいし、なによりまだまだ先の話だ。お披露目に関してはジェラルドが適当に火消をするし、噂なんぞ適当に丸めておけば良い。小姑問題は、そもそもクロードに相手が出来てから考える。なんなら領地全部を一切合切綺麗さっぱり全て引継いでクロードに任せるから、マグノリアは儂と一緒に好きな事をすれば良いと思う。幾らしっかりしていても、小さい子供は特別な事情が無い限りは、家族と一緒に住むものだと思うよ」
「おじいしゃま……」
家族らしい言葉に(一部微妙なところはあったが)、なんだか申し訳なさが募る。
賢くなんて無いのだ……大人の記憶や知識があるからそう見えるだけで、全然。
クロードが尋ねる。
「四つ目はなんだ」
「……何だ、と否定しかないのでしゅ。取り敢えじゅ、今はいいでしゅ」
マグノリアは小さく口を尖らせて答えると、ふっと小さく笑われた。
「で、どうだ?」
クロードがディーンに確認すると、大層困ったような、それでいて絶望の表情を浮かべた男の子が居た。
「……俺に、務まるでしょうか……?」
(え、何かしたっけ? 何もしてないし、ただ話しただけだよね???)
本当に失礼な奴らである。
そうマグノリアは思って盛大に眉を顰めた。




