【1巻発売SS】 ダフニー夫人の憂鬱
遂に明日1巻発売です!
発売を記念いたしましてSSをお送りいたします。
1章の終わり頃、侍女たちがダフニー夫人に移領を知らせる1コマです。
とある日、いつものようにブライアンの授業が終わって帰宅しようとしたところを、ギルモア家の侍女から呼び止められた。
ギルモア家の隠された姫であるマグノリアが急遽屋敷を出て、彼女の祖父が治めるアゼンダ辺境伯領へ移領したのだと聞かされて……あまりの急展開さに水縹色の瞳を瞬かせる。
「それはセルヴェス様の館に身をお寄せになられたの? それとも正式に?」
「それが……」
かつてマグノリアの世話をしていた侍女ふたり。
一瞬顔を見合わせたあと、赤い髪の侍女――デイジーが言い難そうに口を開く。
両親とも兄とも上手く行っていなさそう……というよりも、存在を隠されるように、まるで存在しないかのように扱われていた幼い少女。
やっと屋敷の中を歩くことができるようになったのであろう彼女を、目の前に現れてからの短い間、ダフニー夫人はそっと見守ってきたのだが……
あまりの対応に、幼女の父君であるジェラルドに彼女の話をしたことが原因なのか。ある時期から再びその姿を見ることが叶わなくなってしまった。
屋敷の奥の奥、固く重い扉の中に閉じ込められた侯爵令嬢。
(……話したのは失敗だったかしら……)
老婆心ながら、侯爵に差し出口をしたのがいけなかったのかと自問自答する日々だった。
実はダフニー夫人自身も、ジェラルドの父であるセルヴェスに状況を進言すべきかと考えたことがある。
ただ、他家の事情に余計な口出しをするのも憚られるわけで……
ましてや祖父であるセルヴェスが様子を見ているのであろう状況で、一介の家庭教師に過ぎない自分が口を挟んでよいものかと悩んでいた矢先のことであった。
流石に見逃せないと大陸の英雄である祖父に救い出されたのか。それとも両親が押し付けたのか。もしくは養子であるクロードにではなく、本家の嫡出子であるマグノリアに辺境伯家に入ってもらうことにするのかとアタリをつけていると、とんでもない言葉が降ってきた。
まず、セルヴェスもクロードも、全くもって先日までマグノリアの存在を知らなかったと聞き、ダフニー夫人は絶句する。
……確かに身内の不遇を放置するなど、セルヴェスらしくないと思ってはいたが。
まさか祖父と叔父……言い換えればジェラルドは己の父と弟にまで、娘の存在を秘していたということだ。
(ジェラルド様は本気だったのですね……)
何がそこまでジェラルドを掻き立てたのか、ダフニー夫人には与り知らぬことであるが。
そして更には、実家とすっぱり縁を切るため、マグノリアは自らを孤児として買い取って出て行ったということであった。
そんなことを当のジェラルドが許すのかと信じられなかったが、食費や被服費などの経費書類を叩きつけた挙句、『こんな状態なら要らない子どもだろう』と捲し立て……全員が呆気に取られている間にクロードに借金をして。そのままジェラルドに買い取り料として握らせては、小さな手荷物ひとつで颯爽と辺境伯領へ旅立っていったと聞き、夫人は自分の耳を疑った。
全く以って色々なことがいちいちおかしいのだが……そう思いながら、ダフニー夫人はため息を呑み込んだ。
「まあ、マグノリア様らしいと言えばマグノリア様らしいのかしらね……」
(わずか四歳になったばかりの幼女がすることなのかどうかは置いておいて)
「それにしても、借金って……」
ダフニー夫人は言った側から、何ともいえない気持ちを持て余した。
そんな気持ちを察してか、侍女……デイジーとライラは苦笑いをした。
「ええ。クロード様に少額とはいえ『下さい』と申し上げて渋られたり、孤児としての所有権がどうこうと言われると面倒臭いので、借りたのだそうです」
「…………。クロード様はそんなことを仰らないのでは?」
クロードは自らに厳しく、その上冷静な口調と怜悧な程に整った見た目に誤解されがちではあるが、実際はとても家族想いな青年である。
初見の姪であるとはいえ、幼女に対し『自分の買った孤児だ』と突きつけるような真似はしないであろうと思う。
それよりも、目の前でそんなおかしなやり取りが行われているのに黙っていたのも珍しいというもの。
常識人であり冷静沈着な彼すらも、呆気にとられる程の出来事だったのであろうか。
「その辺もマグノリア様らしいと言えばらしいのですが……クロード様のお人柄をご存じないので、万が一にもと考えてのことなのかと思います。それにすぐさま返す当てがあると仰ってました」
万が一にも肩身の狭いことがないよう侍女たちが立替えると申し出たが、家を出てすぐに洋品店で製品を売り返済金を作る予定だと説明されたそうだ。
実はマグノリアはだいぶ以前から家を出ることを考えており、その資金を作るために手芸の手習いに精を出していたのだと説明されたそうである。
更に、元々製品を売る予定でいたが、事態が急遽早まったので手持ちとして用意できていないのだと言ったそうだ。
……年齢に全くもってそぐわない用意周到さに、再度ため息がもれる。
「リリーという侍女が移領についていったのですが、その者を使って既に色々なお品物を売り、材料費と製作材料を得ていたようで……拝見させていただいたのですが、とても見事な袋小物をお作りになっていらっしゃいました。そちらを売ってお金を作るそうです」
「お金を作るって……手習いを始めたばかりでしょう?」
リリーという者が替わりに作ったものなのかと思い首を傾げていると、一枚のハンカチを手渡された。
ライラは淋し気な微笑みを浮かべながら言った。
「お嬢様より、夫人宛に今までのお礼と、ご挨拶なく移領することへのお詫びと共にお預かりしておりましたものです」
上等なハンカチに刺された刺繍は沈丁花の花。対極、向かい合うように紫の花の枝と、白い花の枝の計四つの枝が刺されていた。
その丁寧な手あとを見ては、思わず唸り声をあげそうになる。
「……これをマグノリア様が……?」
「はい」
「……何というか……」
丁寧なこともさることながら、かなり上手な刺繍だ。
とても幼女が刺したものとは思えない出来栄えに、これまた規格外さを思い知る。
(御礼だなんて……何もして差し上げられなかったというのに……)
刺繍を見つめていた視界が潤んだことを自覚して、夫人は慌てて眉間に力を込めた。
「……本当に、何でもお出来になるのねぇ」
「はい」
デイジーは全くだと言わんばかりに力強く頷いた。
(行動に、容易に突けそうな綻びがあるが……)
混乱に乗じて力技で話を進めたのはジェラルドもセルヴェスとクロードも、当の本人であるマグノリアも承知の上であろう。冷静に詰めていけば論破することも揚げ足を取ることもできたであろうに。
多分ジェラルドは敢えてそこを突かず、考えがあってマグノリアを手放したのであろう。
(本当に閉じ込めておく気なら、外へなど出さないでしょうからね)
のらりくらりと、特に悟らせもせずに相手を煙に巻くのはジェラルドの得意とするところなのだから。
真意は見えないが、確かに何かしらの意図があってのことなのだろうと夫人は結論付ける。
「辺境伯領で、のびのびと育ってくださればよいですが」
「そうですね」
ダフニー夫人と侍女たちはそう言ったものの、顔を見合わせて苦笑する。
……言ってから、ダフニー夫人は少し考えて、不安そうに小さく呟く。
「……のびのびし過ぎも危険かしらね……」




