武闘会
これから2話程、戦闘シーンと流血、残酷な場面がございます。
苦手な方は回避をお願いいたします。
ディーンは立っているのがやっとであった。
霞み始めた視界と口の中に感じる錆臭い匂いに、自分の状態が余り良いものでない事を感じる。
――どこで間違った?
前回の戦いでかなり体力を消耗してしまったため、早くケリをつけようと焦ったのがいけなかったのか。
相手の騎士は力で押してくるタイプの戦闘スタイルだ。
お互い帝国の騎士にかなり手こずり、やっとの事で勝ち上がってきたため、正直かなり疲れている。
だから至近距離にイッキに詰め寄り剣を合わせたのだ。
何度か激しく打ち合うと、男の表情が余裕のないものに変わる。
想像よりも強いと感じたのであろう。
男はそんな気持ちを払拭するかのように大きく剣を振りかぶり、轟、という音と共に容赦なく剣を振り下ろした。
ディーンは己の剣で受けるべく、額の前に両手で横に構えながら突き出す。
激しい金属のぶつかる音と、強く擦れる音が響く。
同時に、踏ん張るために床を踏みしめるディーンの靴底が大きく軋んで音を立てた。
――重い。
思った以上の衝撃に耐えながら、ディーンは奥歯を噛み締めた。
受け止めて安堵してしまったのか、一瞬の緩んだ空気を感じ取ったのだろう。
途端、ニィッと笑った男の重い剣が、素早い動きでディーンの左腕、左足と連続で打ち付けた。
――しまった。
痛いよりも熱いと感じたのも、一瞬の後悔も束の間。
無常にも後から湧き上がるように走った痛みに、思わずよろけて倒れかかったところを剣で再び打たれ、更に腹を踏み台に蹴られながら後ろへ大きく飛び退かれた。
退かれながら、ディーンの何倍もの重みがあるだろう男の体重が掛かった右のあばらが、今まで感じた事のない衝撃と酷くきしむ音がして。
湧き上がる喉の違和感に、思わず咳き込んだ。
――化け物みたいなクロード様よりも底が知れないラドリって何なのだ。本当にバケモノじゃないか。
心底ふたりに当たらなくて良かったと思った。
アーネスト王子……今は公爵か。彼もそうだ。
あんなに上品で優しそうなのに、めっちゃめちゃおっかない剣さばきなのだ。
だから、目の前の相手で良かったなんて思っていたのに……
結局、俺はこの程度なのか?――
剣を杖にして、ディーンはやっとの事で立ち上がる。
こんなところで終わる訳にはいかないのだ……!
だらりと下がったままの左腕が酷く重い。模擬剣を持っているのは右手の筈なのに。
まるで心臓がそこにあるかのように、ズキズキと、まるで動かない左腕全体が鼓動を刻んでいる。
セルヴェスは戦う意思の消えていないディーンの瞳を見ていたが、対戦相手が容赦なく重い剣を頭に振り下ろそうとしたところで声をかける。
――済まんな、ディーン。
「両者止め!」
このままでは命を落とす。
なかなか勢いが止まらない剣が、あわや頭を掠めるかというところで、セルヴェスの掌がそれを受け止めた。
「……止め、と言ったのが聞こえんかったか?」
くず折れそうなディーンを片手で抱えると、セルヴェスは鋭い眼光で男を睨め付けた。
「申し訳ございません……勢いがつき過ぎました……」
男は剣を自分の下へ寄せ、素直に頭を下げた。
練習や試合で、動けないものに対して危険過ぎる攻撃を加えるのはご法度。
大方、後で対戦する人間を怯ませるつもりだったのだろう。
かなりの使い手ではあるが、三人から比べれば分が悪いのは火を見るより明らかだ。
「ディーン・パルモア、戦闘不能。勝者、ダニエル・モブデス!」
まばらな歓声と大きな困惑の声が響く観客席を、マグノリアは唇を嚙み締めながら駆け下りた。
「……大丈夫っすか、ヴァイオレットさん?」
両手を口にあてたまま、呆然としているヴァイオレットにガイが声をかける。
聞かれたヴァイオレットは、やっとの事で微かに頷く。
学院では仲が良かったと聞く。
ヴァイオレットもまた、マグノリアやディーンと、幼少の頃からの付き合いなのである。その友人が目の前であんな風に倒れる様子を目にしてしまえば、その衝撃とショックは言うまでもないであろう。
行きやしょう、そう小さく声をかけると、ディーンが運ばれるであろう控室の方へと、ゆっくり誘った。
*******
「治癒師殿、治療をお願いする!」
セルヴェスが急を要すと思ったのだろう。邪魔にならない場所にディーンを横たえると、険しい声で治癒師を呼んだ。
横にされたディーンから、ヒューヒューという空気の漏れる音がして、こぽりと口から鮮血が流れ出る。
治癒師達が折れているのだろう左腕と左足に急いでポーションを掛け、別の治癒師が治癒魔法を掛けている。ポーションを飲ませるために口の血をぬぐったが、直ぐに溢れ出てしまう。
別の治癒師が胸の辺りに手をかざし、表情を曇らせた。
「あばらが折れてます……それが、肺に刺さっているようです」
「治りそうですか?」
走って近づいてきたクロードが尋ねた。
「一応全力を尽くしますが……ここがモンテリオーナ聖国ならまだしもなのですが」
聖国を出てしまうと、魔力は大きく削られる。
それゆえに、シリウスはもしもに備え、六名も派遣してくれたのであろう。
「ディーン!!」
そのまま観客席の柵を飛び越えて走ってきたマグノリアが、怒ったように呼び掛けた。
ディーンはうっすらと瞳を開けると、力なく笑った。
「はは。……ごめ……ん。みっ……もない、とこ……」
「大丈夫だから、話さないで!」
「……ド、ジ……った……」
「~~~~~~っ!!」
――ラドリ! ディーンがヤバい!!
もう一面ある隣の試合場では、ラドリとアーネストが今も戦っている最中であった。
こちらはこちらで、非常に激しい打ち合いになっていた。
けたたましい程の剣戟の音と、目にも止まらぬ剣さばき。時に力での押し合い。
ギリギリと剣が嫌な音をたてたところで同時に床を蹴り、空気抵抗を感じない様子で左右に分かれると、優雅に着地した。
再び間合いを詰めたところで何かを確認するような素振りをしたラドリがいきなり剣を下げ、反対の手でアーネストの剣先を軽く押しやる。
『ごめん、アーネスト。マグノリアが呼んでるから、僕、行かなきゃ』
「え……?」
アーネストは毒気を抜かれたように声を発した。
『まぁ、君も意外に強いから。僕の替わりに戦うでもいいよねぇ』
そう言ってにっこり笑うと、審判をしているユーゴに軽い感じで伝える。
『ユーゴ、僕の負けで』
ユーゴは飄々としたラドリの真意を確認するように暫しみつめたが、ややあってはっきりと口を開いた。
「……勝者、アーネスト・シャンメリー」
結果を聞くでもなく、既にラドリは小さな人だかりの出来ている場所へ走っていっていた。
アーネストとユーゴも、厳しい表情で後を追う。
『ありゃりゃ。ディーンってばやらかしたねぇ』
「…………」
意識が朦朧としているディーンにそう声掛けすると、静かに膝をついて全身の様子を見る。
自分を責めているのだろうマグノリアを見ては、優し気な顔で頷いた。
『せっかくだから、治癒師のみんなにも頑張ってもらおうかな』
「は……?」
困惑する治癒師達を見ながら、指示を出していく。
ディーンの様子を確認していた、一番年長らしい治癒師に声をかける。
『僕が刺さった骨を抜くから、おじさんは止血と組織再生してね☆』
「お、おじ……っ!?」
『なんだか色々長い人は足の骨治して? 太っちょは腕の骨ね』
「……解りました」
『ちびっこい人はろっ骨をくっつけて? 禿げてる人は血管ねぇ』
はげと言われた治癒師が、ローブで見えない筈の頭を慌てて押さえ、確かめるように手を動かす。
『特徴無い人は全身の回復を。僕は命に関わる所しか治せないからねぇ』
全員が戸惑いながらも、治癒魔法を掛ける。ほのかな光がすぐさま、ディーンの身体を包み込んだ。柔らかく優しい光だ。きっと彼らの魔力なのだろう。
ラドリは、見とれてしまう程綺麗な手でディーンの肺の辺りを何度か上下に動かすと、ふっと微笑んだ。
『ハゲ、慎重にね?』
何かを感じたのだろう。治癒師達が目を瞠る。
同時に気を引き締めるように身じろぎすると、再び集中した。
「……承知しました!」
ハゲと呼びかけられているにもかかわらず、彼は額に汗を滲ませながら真剣な顔で集中していた。
見えない何かを見ているのだろう。肺のある辺りから目を離さずに、両手をかざしている。
ヒューヒューという音漏れが静かになる頃、ディーンがかくりと力なく顔を横へ向けた。
「ディーン!?」
マグノリアの叫ぶような声。茶色の瞳を細めたセルヴェスが、短く答える。
「大丈夫だ。気絶した方が楽だから、気を失っただけだ」
もう血が零れなくなった口を開けさせると、ポーション瓶の蓋を開けて、クロードがゆっくりと嚥下させた。
未だ青白いディーンの顔を見ては、治癒師達が大きく息を吐き出した。
「……命の危機は脱しました。大怪我でしたので回復するまでに多少の時間はかかりましょうが、これで大丈夫です」
治癒魔法はその人の持てる回復力を、無理に引っ張り出すのと同じものだ。
よって大怪我や命に関わるような病気が治ったとしても、すぐさま元気になる訳ではない。
受けたダメージが大きければ大きい程、回復にも時間がかかる。
「良かった……」
無意識に心の内がもれた。
様子を見守っていた人間全員が、安堵に大きく息を吐き、身体のこわばりを解く。
休ませる為に担架で控室に運ばれるディーンは、まるで蠟人形のように生気が感じられなかった。
「……はじめまして、マグノリア嬢。ご挨拶を」
大人しく様子を見守っていたケツ顎が、安堵に緩んだ空気を察してか、マグノリアに挨拶の了承を求めてきた。
その場にいた人間が、ダニエルに視線を向ける。
一方のマグノリアは、ありとあらゆる罵詈雑言が口を突いて出そうで、顔を合わせぬまま強く唇を噛み締めた。
口に出してしまえば、女はすぐ感情に流されるとこれみよがしに言うのであろう。
女にはわからない男の世界があるのだとか、男のする事に口を出すべきでないとか。一体いつの時代なんだというような言葉を投げつけられるのかもしれない。
何より、ディーンの行動を否定してしまうようで……
抓るように強く握り合わされた手に、気遣わし気なクロードの大きな手が重ねられた。
「大丈夫だ。仇は取る」
静かな瞳でそう言うと、剣を握り静かに歩き出す。
ダニエルは小さく鼻を鳴らすと、同じく剣を握り後へ続いた。
******
ふたりはいきなり切り結んだ。
音と共に火花が散り、大きく弧を描きながら力で押し合う。
互いに弾けるように後ろへ飛び退くと。
クロードは着地する足でそのまま床を蹴り、一瞬で間合いを詰めた。
余りの速さに男――ダニエルは瞠目し、打ち付けられる剣を左右にいなしながら顔を歪ませた。攻撃を受けながら、体勢を整える事に苦心しているのだ。
同時に、全く表情を変えずに次々に剣を打ち付けてくるクロードの様子を見て、ダニエルの背中に冷たい汗が伝い落ちる。
目で追うのがやっとの攻撃に、遂にダニエルの模擬剣が折れた。大きく零れた刀が空を舞い音をたてて床に落ちては、光を反射しながら回転する。
戦闘不能でクロードの勝利かと思えば、何を思ったか、クロードは己の剣を投げ捨てた。
「……めっちゃくちゃ怒ってるじゃないっすか……」
ディーンとヴァイオレットを馬車に乗せたガイが、競技場に戻ってきた。彼はギルモア騎士団の騎士たちに厳重に護衛され、安静にするため、実家へ送り届けられた。
ふたりの戦いを見守る人々の中に混じり、静かに怒りを滲ませるクロードを見遣ってそう言った。
……騎士とはいえ、何も剣ばかりが得意な訳ではない。
戦う時に武器が無ければ、素手で戦う事も往々にしてある訳で。
勢いよく突っ込んでくる男。
身長は同じぐらいであるが、横幅はかなりの体格差がある。体格差で見るならば、圧倒的にクロードが不利であろう。
ダニエルが大きく腕を振り上げ、唸る風と共にクロードの左頬に向かって拳を突き出した。
クロードは小首を曲げるようにしてそれを避けると、お返しとばかりに鋭い動きで拳を打ち込んでいく。それと同時に足払いを掛ける。
ダニエルはそれをステップを踏むかのように避け、あるいは掌で受け。
その早さに再び肝を冷やしながらも、耐えられる程度の突きである事に安心しながら、再び大きく腕を引いた。
掌と拳のぶつかる、乾いたような音が響く。
ダニエル渾身の拳を片手で受けると、クロードは大きな手を開き、その拳を力を込めて握り込んだ。
「……!? ぎゃぁぁぁぁ……っ!」
ダニエルの叫び声にかき消されながらも、固い何かが砕ける音が不気味に響く。骨だ。
ダニエルの拳が握りつぶされたのだ。
競技場にいる人間の大半が息を呑む。
拳を砕かれたダニエルは、右手首を左手で強く握る。そして断末魔のような声を上げながら痛みに両腕を震わせた。
「片手が折れた程度だ。帝国の騎士を倒した程の人間なら、まだ戦えるだろう?」
「…………」
「過分な痛みを受けるという意味を解らせてやろう。……なに、大丈夫だ。勿論命に別状はない」
「ひっ!」
そう言うと、ゆっくりと近づいていく。
――本気だ。
嘘やハッタリ、誇張ではない。
恐怖にひきつるダニエルの片腕を取り、ゆっくりと捩じって反対に引き上げては肩を拳で打って、おかしな方向に曲げた。
「ぃ、うあぁぁっ!」
「次は反対を」
「…………!!」
恐怖と痛みで声が出せないダニエルは、ひきつった顔で首を横に振る。止めてくれ……! 声なき声で頼み込むが、クロードは微かに首を傾げた。
そして、だらりと伸びたままの両腕。
咽び泣きながら、少しでもクロードから距離を取ろうと身体全体を使って、床を摺っていく。
容赦なくクロードが両足を掴み双方の股関節を同時に外すと、ダニエルは顔をぐちゃぐちゃにしながら喉から引き絞るような声を上げ失神した。
ここでセルヴェスの声が響く。
「ダニエル・モブデス戦闘不能。勝者、クロード・アレン・ギルモア」
会場は、水を打ったような静けさに包まれていた。
「……え、四肢を折った……?」
ケツ顎に対する怒りが霧散する程にドン引きながら、マグノリアが誰にともなく問う。
……そりゃあ、動けない人間の頭をかち割ろうとしたり、内臓を損傷するよりかはマシかもしれないけど……
「いや。関節を外しただけっすよ」
右手は粉砕してやすけど、と付け加える。
「リンゴを握りつぶす人は見た事あるけど、拳って握り潰せるんだ……?」
「普通は潰せないっすよ?」
『クロード馬鹿力。ゴリラ・ゴリラ♪』
ラドリは楽しそうに、何故知っているのか、地球の『ニシゴリラ』の学名で呼ぶ。
クロードはムッとしながらも、粉砕したダニエルの右手にポーションを惜しみなく掛けると、治癒師に治癒魔法をかけるように促す。
治癒師達もドン引きながら、そそくさと癒しをかけた。
「関節を入れやしょうかね?」
ガイが意識のないダニエルの肩を、大きな整復音と共に元の位置にはめ込む。
ダニエルは痛みに目を覚ますと、再び叫び声をあげた。
「はい、次っすよ~」
「や、止めてくれ……!」
「えぇ? はめ込まないとずっと痛いっすよ~? まあ、内臓に骨が貫通するよりは、痛くないっすけどねぇ」
そう言うと、容赦なく怯える男の腕を取る。嵌めては治癒魔法&ポーション……を繰り返し、ダニエルの身体はすっかり元通りになった。
元々関節が外れただけで、痛みはあるが大きな怪我ではない。
脱臼は癖になる事もあるが、治癒魔法とポーションで回復させたため、その心配も皆無と言ってよいだろう。
普通なら、脱臼程度で貴重な治癒魔法もポーションも使用したりしない。
「治療直後ですので違和感はあるでしょうが、直ぐ元に戻るでしょう」
治癒師がダニエルに説明をする。
拳の骨折も、剣を握る職業であるため、念入りに治したと説明される。
ダニエルは恨みがましい瞳で周りを見た。
「……不服なら再戦を致しましょうか?……今度は本気で受けて立ちますよ」
クロードが、暗にあれは本気でないと仄めかすと。ダニエルは顔を真っ青にして、逃げるように立ち去ったのであった。
実際は脱臼を自分で入れるのは危険です……




