それぞれの王子(アーネストと小さな王)
「叔父上は、アスカルドへ行ってしまわれるのですか?」
無理しすぎないように割り振られた勉強と執務を抜け出してきたのだろうか。国王となった甥っ子が、剣の鍛錬を終えたらしいアーネストを見上げて悲しそうに聞いてきた。
執務と執務の間に、毎日欠かさずに鍛錬を続けている。
正直時間が足りないと焦る心もあるが、やらなければならない事は山積しているのだ。
周りの人間は国を治める力があるアーネストの思惑を慮るように、同時に探るように慎重であるが……王子時代、時間があれば遊び相手になってくれるアーネストに彼は懐いていた。
また、ほんの数年前に起こった惨劇でも、本来は自分を守るために持っていたのだろう魔道具を、躊躇なく自分たちに渡してくれた事もしっかりと覚えている。
あの時にあの魔道具を持たされなければ、きっと自分も殺されていただろうと確信をしてもいる。
命の恩人であり、今現在も自分の代わりに国政の大半を熟してくれている叔父が、アスカルドの端にある領地、アゼンダ辺境伯領で開かれる武闘会に出ると言い出したのだ。
余りにも真剣な顔を向けられ、咄嗟の事に、アーネストは言葉が出ず唇を微かに動かすのみで……
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アーネストの異母兄であった第二王子のしでかした出来事のために、イグニス国は大きな窮地に立たされた。もう数年前の事になる。
ガタついた国を、文字通り立て直したのがアーネストである。
王として立ったのがまだ幼児といってもいいような、異母兄の息子であった。
国王と王太子揃っての崩御。
その異母兄の残した子どもを排し、それまで日の目を見なかった第三王子が王として立つのではないか。
そう思われたが、当のアーネストは新王の母である王太子妃を摂政に就けて、自らは裏方へ回り、慣例通り甥を国王にしたのであった。
だが、政に携わった事のない義姉と幼い甥が出来る事は少なく、少しずつ学びながら覚えてこなしていくという状態である。
宰相とアーネストの二人三脚で国を立て直したというのが本当のところだ。
相変わらず国王側の大人はアーネストを煙たく思っているのだろうが。同時に、今彼に倒れられる訳にも抜けられる訳にもいかず……とりあえず命を狙われる危険は無くなったのは幸いだ。
「マグノリア嬢をイグニスにお迎えする事は出来ないのでしょうか?」
「陛下……」
引く様子がない甥っ子に、アーネストはしゃがみ込んで膝をつくと、小さい手を優しくとった。
柔らかい手。
剣の練習も形ばかりなのだろう。
甥と同じ年には命を狙われる事もあったアーネストは、この頃は既に、剣を握るためのタコが出来ていたと思う。
彼女と会ったのは、まだ彼女がほんの小さな子供の頃である。アーネストもまた、少年であった。
始めは自分と似た境遇である事と、見た目にはそぐわない知識と能力に興味を持った。
小さい頃は、それこそ甥や姪を見るのと同じ気持ちであった。
年の離れた妹を見るような感覚。
それがいつしか、会う度に惹かれている事は確かだ。
家族に恵まれなかったアーネストは、結婚や恋愛に正直、それ程興味が持てない。
透けて見える本人とその背後の思惑や、裏切りと偽りを見てしまえば、とても手を伸ばす気にはなれなかった。
自分の立場上婚姻が必要だが、それは国のためのものである。
反面、実力的にも年齢的にも王位が見えるためか、周囲が非常に警戒しているのだ。
……その証拠に、年齢が年齢にもかかわらず結婚話は持ち上がってこない。
大きな勢力と手を組んで、王位奪取に動くのを懸念しているのだろう。
これ幸いとばかりに、アーネストも婚姻についての沈黙を貫いたのだった。
だが唯一、自らその手を伸ばしたのがマグノリアだ。
「多分、私はこちらに戻る事になるでしょう。御心配には及びません」
「勝って、連れていらっしゃるという事ですか!?」
頼りにしている叔父が、用が済み次第帰国すると知って喜びを露わにした。
アーネストは苦笑いをし、首を振る。
「いえ。多分……私の許にはいらっしゃいません」
途端、小さな王が顔を曇らせる。
臣下に表情を露わにし過ぎるのもどうかと思うが、叔父と思って心を許しているのだろうと思い、微笑んだ。
「非常に沢山のライバルがいるのですよ。強くて手強いライバルがね」
「……叔父上より強い方などいるのですか?」
自らの盾となり鉾となってくれる叔父は、小さな王にとって誰よりも強い。
実際、小さな頃から身を守るためと、海での荒事で鍛えられた剣技はかなりの腕前である。
「いますよ、沢山」
「そうなのですか……信じられません……」
しょげた甥っ子に、アーネストは微笑んで頭を撫でた。
「世界は広いのですよ、陛下」
世界は広い。
見た事もないものや、聞いた事もない事が何と多い事か。
この小さな国王はそれを見る事が叶うのだろうかと思い、胸に苦い何かが広がる。
「それでも参加されるのですか? 怪我をするのではないですか?」
――駄目と解っていて、なぜ?
小さな王は唇を引き結んだ。
「……なぜでしょうか」
なぜこんなに目が離せないのか解らない。
いつも冷静なアーネストが、こんなに感情を抑えられない事は初めてだから。
「任せるに相応しい方に無事に辿り着けるよう、見守りたいのかもしれませんね」
「その方の、幸せを守りたいという事ですか……?」
なかなか聡い甥っ子の言葉を小さく口の中で繰り返して、頷く。
「そうかもしれませんね。勿論辿り着く先が、自分であればという気持ちもありますが」
「本当に大切に想う方なのですね……」
「…………」
「とってもお綺麗な方ですもんね!」
小さな王は、得意気に頷いた。
……部屋に置かれているミニアチュールを見たのであろう。いつの間に忍び込んだのか。
アーネストはため息をついた。
「そうですね。会ったら陛下も恋に落ちてしまうかもしれません……以前ですが、マホロバ国の二の王子も一目ぼれなさってましたからね」
かつてマグノリアやセルヴェス達と一緒に行った、マホロバ国での事を思い出す。
コメ……弾け麦をみつける旅も楽しかったが、なんと言ってもその前の海賊との戦いとクラーケンとの格闘であろう。
「それは怖いですね……」
叔父や友好国の王子と想い人を同じにするのは恐ろしいという意味で言ったのだが、アーネストは笑って続けた。
「はい。大変お綺麗ですが、ゴロツキや海賊を怒鳴りつければ、槌鉾を振り回し。大きなクラーケンをむしゃむしゃと召し上がっては、敵に爆弾を投げて島を爆破されるご令嬢ですからね」
小さな王は、まあるい瞳を瞬かせた。
男性なのか女性なのか解らないような厳つい女性騎士を連想しては、同時に童話でみた船よりも大きいというクラーケンに齧りつくご令嬢?
同時に細密画のたおやかな見目を思い出してみては、全く結びつかずに首を傾げる。
「ず、随分勇ましいご令嬢なのですね……?」
「非常に。大きな山のような大男の悪魔将軍と、非常に賢くて強い黒獅子、そして腕利きの暗殺者をいつも従えておりますよ。真っ白な神鳥を使い魔として使っておりますし、屈強な騎士達が彼女を崇拝しております」
「…………」
魔法の国と呼ばれるモンテリオーナ聖国のお隣にある国。
モンテリオーナ聖国は唯一、この大陸で魔獣が生息する国である。
時折魔物が近隣国にも出現するらしく、アゼンダやアスカルドも例外ではない。
魔族の将軍!……見た事もない黒い獅子は魔獣なのだろうか。
その上恐ろしい魔人の暗殺者を従えて、なぜか神鳥を使い魔にしてしまうご令嬢を連想しては。
小さな国王は震えた。
――それは本当に令嬢なのだろうか?
アゼンダの懐かしい面々を思い出しながら、アーネストは笑って立ち上がると、小さな王の手を引いた。
「さあ、そろそろ侍女たちが心配いたします。部屋へ戻りましょう」
繋がれた大きな手を見遣り。
聡い小さな王は、何かを呑み込んだような顔で大好きな叔父を見上げた。
「……頑張ってください、叔父上。僕は叔父上を応援しております!」
――叔父上の好む相手が、たとえ魔王だとしても。
むんっ!
鼻息荒い甥っ子を見て、アーネストは心から微笑んだ。
そして手を繋いだまま、くすくすと笑みをもらす。
甥っ子の顔と、興味あるものを目にして鼻を膨らますマグノリアの顔が重なったからだ。
「はい。悔いの無いよう、しっかり励みます」
金色の瞳を細めながら。
王家の色である同じ金色の瞳の、小さな王に向かって礼をとった。




