それぞれの王子(アーノルドとマーガレット)
アスカルド男爵領は王都に程近い農村地帯だ。
爵位の割に広い領地は、畑が多い。
今まで治めていた代官に替わり新しい領主が治める事になったと聞かされたものの、領民に大差はないらしくのんびりといつも通りに暮している。
『新領主にアーノルド・ヴァージル・サムソン・アスカルド男爵が赴任する事になる』
そう告示したものの、領民の反応は薄いものであった。
一般的な平民にとっては貴族というだけで要注意人物であり、敬わなければならない対象であり、自分には関係のない世界に住まう人だ。
王家直轄地という事もあり、今まで直接的に治めていたのは役人である。
新しい男爵様が配属されたとして、せいぜい税金が高くならなければ良いと思うぐらいのもので……
低位貴族であるにもかかわらずミドルネームがある事も、姓が『アスカルド』である事も、全く気にされなかったのであった。
これが商業都市・工業都市であったり、他の貴族が幅を利かせている土地だったら違う反応だったことであろう。
もしかすると、その辺の気質も考えられての分割だったのかもしれないと思うが、どうでもいい事だ。
今までに比べてだいぶ飾りの少ないジュストコールを着たアーノルドは、書類から顔をあげて簡素な庭を見た。
……マーガレットは大丈夫だろうか。
家に送るための護衛がついてはいったが、どちらかと言えば逃げ出さないための見張りの意味の方が強いだろう。
……家に帰ったとして、元々居場所がない屋敷は、更に針の筵であろう。
過去アスカルド王室では、王位継承権を放棄した者が三人いた。
王太子だった者もいれば、第二・第三王子だったものとまちまちだ。なので継承権と言っても度合いも順位もそれぞれである。
ひとりは公爵位を賜り、その後国政に携わった。
もう一人は相手が外国の姫だったため、他国の王配となった。
もう一人は国内の有力貴族に婿入りし、宰相になった。
だから、どこかタカを括っていたのかもしれない。
まさか唯一の王子である自分が男爵まで落とされ、二年間も蟄居生活を余儀なくされるとは思わなかったのだ。
限りなく可能性は低いとしても……あわよくば自分の意見が通り、マーガレットを王妃にすることも叶うかもしれないとすら思っていた。
諸外国では、平民すら側妃にする事が可能な国があるのだ。
廃嫡になり王にはならずとも、それにより権利や立場が多少変わろうとも。ここまで変わるとは思わなかった。
――時代や状況が違う事に加え、ガーディニアとの婚姻の重要性もあるのだろう。引き起こした騒ぎ……醜聞とは自分は思わないが、周りはそうではないのだろう。
現に、今回の件の意見は半々だ。
『玉座を懸けた恋』と持て囃す者と、『愚王子』と嘲る者と。
あの時の父の嘆かわしいと言わんばかりの表情が、網膜に焼き付いて離れない。
部屋に戻った時に、取り乱して責め立てた母の声が鼓膜に絡み付いて消えない。
……自分なら何を言われても構わない。
マーガレットが辛い思いをしていないか、酷い事を言われていないかばかりを心配している。
蟄居生活は外部との交流が許されていない。
教育を施すという名の見張りが付き、王家やその意を汲んだ人間が訪れるばかりだ。
当たり障りのない返事と、会って無事を確かめられない歯がゆさから、アーノルドは気付けばマーガレットの事ばかり考えている。
*****
「学院は辞めてもらう」
「!!」
無慈悲に言葉が投げられる。
「これ以上恥を晒す訳にもいかない。修道院に行くか、遠隔地の貴族に嫁ぐか決めなさい」
恥。人を愛する事は、恥ずかしい事なの?
マーガレットはそう言いたかったが、父の言う事も解らなくもない。
使用人との子どもであるマーガレットは、恥の存在である。
また、短い貴族生活で知ったのは、貴族は家のために生きているという事だ。駒になるのは何も女性だけではない。結局男性も同じなのだ。
アーノルドやその側近たちが卒業し、自分もこんな状態になって、学院に居場所はないであろう。
マーガレットは自分から貴族になりたかった訳ではない。
学院へ行きたいと言ったのも屋敷に居場所がない事と、友人が出来ればと思っての事だ。
一生懸命勉強したのは、成績が良ければ辞めろと言われないだろうという考えからで。
色々あってマナーを学んだのも、自分を受け入れてくれたアーノルド達が何かを言われないよう、一緒に居ても差し支えない立ち居振る舞いを身につけたかっただけだ。
「……私の、養子縁組を解消していただけますか?」
「は?」
厳しい顔をしていた父と、その後ろで汚らわしいと言わんばかりの表情の養母とに頭を下げる。
「修道院へ参りますのも、勘当して家から放逐するのも変わりませんよね? 遠隔地に嫁ぐにしても、持参金が必要になるでしょう……」
貴族の婚姻は家と家の結びつき。
だけども彼らにとっては曰く付きの娘を放り出すのだ。そこから彼らのためになると考えるものを受け取れるのかどうかも解らない。
……ポルタ家の人間はそこまで頭の回る人間でもなければ悪党でもない。
金でマーガレットを売りつけるような算段を取っての発言とも思えなかった。
王家と周囲へ、不躾な娘に罰を与えたという名目が欲しいのだろう。
義両親も異母兄弟達も、マーガレットを信じられないような者を見るような目で見ていた。
低位貴族とはいえ生まれながらの貴族である彼らには、家を追われるという事が途轍もない事のように思えるのだろう。
それにそこまで裕福でないポルタ家が、いつ回収できるか解らない権利や利権よりも、目の前の安くない持参金の方に心が動く事も解ってもいる。
「これ以上ご迷惑にならないよう、解消してくださいませ」
「……もう二度と貴族には戻れないのだぞ?」
「構いません」
真意を確認するかのように尋ねるポルタ男爵に、マーガレットは真っ直ぐに答えた。
――彼に会えないのなら、貴族である必要もない。
「不徳のために勘当し、追放したとどうぞおっしゃってくださいませ」
追放。貴族の娘の追放は死と同義だ。
生活力のない、世間知らずの彼女達が放り出されては生きてはいけないだろう。悪い奴らの餌食になるかもしれない。
父も養母も、息を呑んでマーガレットを見ていた。
マーガレットは自分の部屋で、かつて持ってきたものだけを鞄に詰めた。
母の小さな肖像画と、母に縫ってもらったハンカチ数枚。困った時に売るようにと言われていた母の形見の髪飾り。
流石に貰われてきた時の服は着れないため、今着ている服だけは貰っていく事になるが。
「マーガレット……意地を張らずに父上の言う通りに……」
開け放たれていたドアから、異母兄弟達が説得に来た。
困ったような顔を見て、マーガレットは穏やかに笑う。
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です……小さい頃から母とふたり生きて参りましたので……」
「しかし……」
「今後一切、家名を出す事はございません。ポルタ男爵家の名誉が、これ以上汚される事はございませんわ」
廊下を最小限の荷物をもって歩いていく。
玄関には厳しい顔の父と、表情のない養母が立っていた。
養母が小さな革袋を差し出す。
「当座の生活費です」
「…………」
確かに金は必要だ。生活が綺麗事でない事は、彼女よりもマーガレットの方が何倍も知っている。
……貰ってしまいたい。
あれがあれば、数日の宿代ぐらいにはなるであるだろう。
だが、マーガレットは手を伸ばさなかった。
意地だ。身を切られるようだが、母の形見を手放してでも、施しは受けないと決めたのだ。
「ご心配ありがとうございます。ですが大丈夫です、お気遣いありがとうございます。ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませんでした。皆様どうぞお身体にお気をつけて……ご機嫌よう」
マーガレットは今まで習った事を全て出し切るように、優雅に礼を取った。
どうしたら良いものなのか困ったように混乱したままのポルタ家の面々に、天使のような微笑みを向け、マーガレットは静かに扉を閉めた。
なぜか涙が溢れるが、泣いちゃだめだ!
マーガレットは鞄を持ち直すと、そこまで広くない屋敷の敷地を出ては、涙をぬぐって歩き出した。
******
「……あら、あの子……」
馬車の外を何気なしに見れば、マーガレット・ポルタが厳しい顔で道を歩いていた。
コレットは手持ちのカバンとひとりで歩く少女の表情を見て、随分と決断が早い事、と呟く。
「ちょっと止めて頂戴」
前方で馬車が止まり、年齢不詳の美しい女性が顔をのぞかせた。
「あなた、どちらまで行くの?」
「……アスカルド男爵領までですが……」
いかにも貴族であろう女性を見て、警戒しながら口を開く。
コレットは優雅に、だけど獲物を見定めた猛禽類のような瞳で微笑んだ。
「あら、奇遇ね? 私も向かうところなの……宜しかったら乗って行かれませんこと?」
「…………。いえ、大丈夫でございます」
コレットは、あらまあ、と思いながら笑みを深めた。
いつものおかしな格好で、嬉しい♡ と満面の笑みを浮かべるかと思えば……
「ご遠慮なさらないで。マーガレット様」
「!」
「私はコレット・オルセーですわ。オルセー女男爵、と申しました方が解りやすいかしら?」
マーガレットは瞳を丸くして、目の前の若く見えるが悠久の時を生きているようにも見える女性をみつめた。
「近いとはいえ徒歩では日が暮れましてよ? 意地を張らずにお乗りになって?」
男爵家の人間が学院で必ずと言っていいほど引き合いに出される、低位貴族の期待の星。
同時に、手ごわくて頼りになる、だけども油断ならない女狐と呼ばれる女性。
マーガレットは息を詰めて頷いた。
「学院をお休みになっているとか……謹慎中ですの?」
「いえ、学院は辞めました」
馬車に乗った途端、コレットが根掘り葉掘り聞いてくる。
単刀直入。遠慮も何もあったもんではない。
「ふぅん。家出? 出奔?」
「本日養子縁組を解いて頂きました」
多分、彼女に誤魔化しは効かないと思い、マーガレットは正直に答える事にした。
手ごわいが実直で、不正の類はしないと聞く。
きっと、社交界で面白おかしく囃し立てるような事はしないであろう。
「なるほどねぇ」
さしずめ、修道院か、難ありの老人に嫁ぐようにとでも言われたのだろう。元々平民だったマーガレットは身分が戻る事に忌避感はない訳で。
そんなくらいなら平民に戻り、せめて想い人の近くで暮したいとでも思ったのだろうか……
「これから暮らしていく当てはあるの?」
「住み込みのお仕事を見つけるつもりです」
「王子のところに身は寄せないの?」
コレットの言葉に、初めて顔を険しくさせた。気に障ったらしい。
「……これ以上、ご迷惑をかけるつもりはございません。まして私は平民です」
「ふぅん」
男爵と平民女性の婚姻は、意外によくある話だが。
ただ平民女性が豪商の娘だったりする事が多いし、男爵家は貧乏男爵家だったりするのだが。
男爵とはいえ片や王族であり、片や何も持たない平民である。
もしかすると、王子と男爵令嬢よりも難易度が上がったのかもしれないなとコレットは思った。
「王子は二年間の蟄居。行っても基本、会う事は出来ないわ」
コレットの言葉に、マーガレットはスカートを強く握りしめた。
コレットはその様子をつぶさに観察する。
「王子が男爵領を賜って、領主として生きていく事は知っているのよね?」
「はい。新聞で読みました……」
「私の知人が、王子の領主としての教育係をしているの。ついでに、農業だけでは厳しいので、新しい事業を展開するつもりなの」
「そうなのですか……」
コレットが指導する時間を捻出できないため、知人に替わってもらっているのだが。
元々分割するなら、王子にとってあの土地が良いであろう事を進言したのもコレットだし、農業だけでは厳しい反面、王都からも近い為、ガーディニアの事業と提携して、新しい事業をするのに打ってつけだと思い、水面下で動いているのもコレットである。
「あなた、その新事業を手伝ってみない?」
「……え……?」
思ってもみない提案に、マーガレットは萌黄色の瞳を瞬かせた。
「わたしが、ですか?」
「そう。若いし綺麗だし、ピッタリよ。今回は失敗しちゃったんだろうけど、本来低位貴族ながら上位クラスに在籍出来るだけの頭もある。もちろんお給料はちゃんとお出しするし、住む場所も提供するわ」
コレットはガーディニアの考えた化粧品を使い、自然の多い場所に、贅沢な美容主体のリゾートサロンのようなものを作ろうと計画中なのである。
宿屋とは一線を画した高級ホテルと、地のものを使った身体に良くておいしい食事。リラックスした空間を提供するのだ。
利益や自分が携わってきた仕事が別の形で役に立つ事もさることながら、ふたりの行く末を心配したガーディニアは、ふたつ返事で了承したのである。
「王子の領地でするのだから、巡り巡って彼の役にもたつわ」
「……もう少し、詳しくお伺いしてからでも宜しいですか?」
話が旨すぎる……
本当に彼女がオルセー女男爵なのか、陥れようとして何かを企んでいるのじゃないか確認する必要がある。
警戒したままの瞳に、コレットは優雅に微笑んだ。
「勿論。幾らでも、納得するまで」
それから二時間ほど馬車に揺られ、ふたりはアスカルド男爵領に着いた。
思ったより小さな離宮に馬車が止まり、周りの長閑な風景を見つめるマーガレットに、前方を差し示した。
むしゃくしゃした気持ちを解消するため、剣の稽古でもしていたのだろう。
簡素な服を着たアーノルドが、離れた場所で信じられないものを見るかのように呆然と立っていた。
「……マーガレット……?」
「アーノルド様……っ!」
マーガレットの手から、小さなカバンが落ちた。
同時に、ふたりは走り出して、どちらともなく固く抱きしめた。
「いいんですか。未だ蟄居中ですよ」
古い知人がため息交じりに言った。
コレットの実家であるオルセー家の執事の息子で、コレットの元従者だった男だ。
まだ若かった頃、家を立て直すために共に戦った戦友でもある。
「仕方ないじゃない? 彼女、行くところが無くなっちゃったんだもの」
世間知らずではないものの、貧すれば鈍する。
窮地に陥れば、その身を深く落とす事にもなりかねない。
「ふーん。困りましたねぇ」
ちっとも困ってないように男は言った。コレットはおどけて肩をあげた。
「恋愛脳は頂けないけど、時に凄い力を発揮したりするものよ?」
「ヴィクター様のようにですか?」
ふたりは苦笑いをする。
「……そうねぇ。上手く使えるように、周りが道筋をつけてあげればいいわ」
その内、最適解をみつけるだろうし。
あの時彼女は、アーノルドを支えると言ったのだ。今更身を引くよりも、存分に支え合ってもらおうというもの。
「みつけられなければ、コントロールし続ければ良いと?」
「まぁ、相変わらず怖いのねぇ」
「貴女程ではありませんよ」
呆れたように旧友は顔を歪めた。
コントロールではなく、導いてあげるのだ。
コレットは旧友の言う事など碌に聞きもせずに、ふたりの方に歩き出した。
「いいですか、これは特別ですよ? アーノルド様は蟄居中の身」
涙にくれるマーガレットを慰めるように、背中を撫でていた手を止めてアーノルドが顔をあげた。
「……ですが、課題をこなすことが出来ましたら。一週間に一度、逢瀬の時間を捻出いたしましょう」
勿論ナイショで。
そういって人差し指を赤い唇にあて、怪しく笑うコレットは、誰よりも蠱惑的な表情をしていた。
決意に満ちた表情のふたりを見て、指南役の男はため息をついた。
――若者よ、狡猾な女狐に踊らされるのはこれからなのだよ。
後悔してももう遅い。しかし、悪いようにはしないであろう。
きっと頑張る若者に、それ以上の実力と成功、そしてミラクルを……途轍もなく辛いだろうが。
こうして、領地経営と新規事業という二大柱を中心にした、コレットのコレットによる、育成ブートキャンプが開幕するのである。
夕焼けに照らされる薬草畑を前に、アーノルドは満ち足りた表情で眺めていた。
隣には、マーガレットがいる。
「もう王子ではなくて済まないな」
困ったように笑うアーノルドに、マーガレットは首を振った。
「王子様だからお慕いした訳ではありません」
「一緒に……これからも、年を重ねてくれるだろうか?」
マーガレットは涙を零さないように我慢しながら、何度も何度も頷いた。
仲睦まじく寄り添う姿が、夕陽に照らされて長く影となって伸びていく。
今後、男爵領が国内外に知れ渡る程の一大保養地となるのだが、そこに辿り着くまでには、長く大きな苦労と努力がある訳である。
当たり前のことながらアーノルドは何度も何度も叫び。マーガレットはマーガレットで何百となく、ほっぺにグーでウルウルする事になるのであるが。
その背後には例の怖い女達の会の面々と王太子妃……後の若き王妃含むが暗躍している事も、当事者ふたりの多大な努力があった事も。
はたまたふたりと同じぐらいに振り回された人間達がいた事も、合わせて記しておく事にしよう。




