ドミニクの勇退
数日後、ギルド棟に行くと壁はすっかり直されていた。
そして。遂にこの時が来たかという感じで、商業ギルドの応接室に通される。
そこには緊張気味のダンとパウル、スッキリした表情の商業ギルド長、ドミニクが揃っていた。
「お忙しいところお呼びたてをして申し訳ありません」
ドミニクに着席を促され、素直に座っては、周囲をぐるりと見渡す。
やや遅れてやって来たセルヴェスは、冒険者ギルドで書類仕事をしていたらしい。
実は少し前から内々で、ドミニクがギルド長を勇退したいと言う話が出ていた。
商会に深く関わる辺境伯家の人間にもその話は通っており、半ば了承されていたのである。
長年ギルドに貢献してくれたドミニクがギルドを去るのは痛手であるが、長く居すぎた事も確かで。いつ去るか、周りの兼ね合いをみながらずっと考えて来た事であるのだ。
それが急遽ヴィクターの立太子が降って湧いてしまった為、どうしたものかとドミニクの頭を悩ませていた。
一介のギルド長とはいえ、長とつくからにはそれなりに責任がある訳で。
中途半端な事でなら跳ね除ける事も出来るが、だが流石に廃嫡になった王子の代わりに立太子すると言われれば、どんな事より優先されるべきである。
元々ヴィクターの素性を知らされていたドミニクが、預かりという形で平民としての作法や流儀、仕事を教える為に面倒を見て来たのである。
*****
身体も弱く長年公子として暮してきたヴィクターが、自らの身分を捨て、初恋の君の幸せを祈り見守りながら平民として生きる。
字面の美しさに反して、非常に険しく難しい現実だ。
幸いだったのは初恋の君がアゼンダ領の隣町に暮らしているという事。
アゼンダはセルヴェスの治める領地である。
宰相であるブリストル公爵は、手助けは無用だが、時折気にかけてやって欲しいとセルヴェスに伝えた。
見た目に反して面倒見も良ければ情の深いセルヴェスが、長男坊の友人である少年が困っていれば何くれとなく世話を焼くだろう事は織り込み済みだ。
また、平民として暮らしていくのならば何かしら仕事をしなければならない。
使用人や取引のある商人の伝手を使い、手広く商売をし、口の堅い信用の置ける人間。
信用に値すると判断したドミニクに平民としての教育を一任する事にする。幸いにも、丁度ギルドの仕事にも着手し始めた頃だった。
ヴィクターが生き易いように手を差し伸べるのが目的ではない。
あくまで行動し、学び、生きるのはヴィクター自身だ。
どうしても行き詰った時に、それを平民ならどうやって解決するのか。
その方法をヴィクター自ら探す為のヒントを与える事。平民の当たり前の流儀を教える事。万一息子が野垂れ死にそうになったら公爵家に連絡をして貰う事のみを頼んだ。
本来誰かが、普通に教えてくれるもの。
貴族であり、それも公子であるヴィクターにそんな事を教えてくれる人間はいない。
与えるのは最低限の知識だ。
ドミニクが面倒な頼まれ事を飲まざるを得ず、内心ため息をついていると。
冒険者ギルドの依頼の貼ってある壁を、瞬きも忘れて吟味している姿が見えた。
冒険者になると言って王都から流れて来た男の子は、まるで女の子の様な見目の儚げな少年だった。
生活するのにはお金が要る。お金を稼ぐのには働かなくてはならない。
平民ならとっくに見習いとなって働いている年齢であるが、彼は本来学院で卒業を待つ学生である筈だ。
もう十七だが未だ十七でもあるヴィクターは、旅の途中で各地のギルドに立ち寄り、道すがら採集した薬草を売ったり、文章の代筆をしながら日銭を稼いでアゼンダにたどり着いた。
――流石にオルセーで暮すのは都合が悪い。
結婚を申し込み断られたのだ。同じ町に暮らし始めたら気持ち悪い事この上ないであろう。
これから大きく発展して行く伸びしろのありそうなアゼンダなら、自分が生きて行く隙間や場所があるのではないかと思い選んだ場所だ。
それに領主はジェラルドの父であるセルヴェスだ。
……ふたりの間には色々行き違いがあるようだが、セルヴェスが人間として信頼の置ける人間だというのは王国の多くの人間が知っている事だ。
「……おい、坊主。仕事を探しているのか?」
ダミ声が響き、ヴィクターが振り返る。
背は自分と同じ位でそれ程大きくないが、苦虫を噛み潰したような顔の中年のおじさんがヴィクターを見ていた。
「そんなひょろっこくて、冒険者なのか?」
「え? あ、はい」
厳ついおじさんはジロジロとヴィクターを見た。コクコクと頷く。
「お前、見ない顔だな」
「はい。今日アゼンダに着いたばかりなんです」
「宿は?」
宿。
確かにここに落ち着くのなら、どこか定宿を探すか家を借りるかする必要がある。
あるが……隠しに入れてある手持ちはそう多くはなく、さてどうしたものかと思って小さく首を傾げた。
「その、余り持ち合わせが無くて……お金が貯まるまで野宿をしようかと」
野宿。
ひょろっこい女の子みたいな公子を見て、ドミニクが瞳を瞬かせた。
「そんな見た目じゃ、襲われるぞ」
「僕、こう見えても男なんです!」
「知ってる! 男だけど女に見えなくはないから、藪に引きずり込まれかねんぞ」
だから大丈夫、そう言おうとして、逆にとんでもない事を言われて絶句する。
「…………」
ドミニクはため息をつく。
良く今まで無事だったもんだ……
丁寧な言葉遣いもしなければ、目に見えた特別扱いはしないと決めている。
敢えてぞんざいな口調で続けた。
「じゃあ、ギルドが閉まったら毎日掃除をしろ。そうしたら金が貯まるまでその辺の端っこで寝させてやってもいい」
そう言って床を指さす。
駆け出しの流れの冒険者が泊まる金がない時に使う手だ。
ヴィクターは瞳を輝かせると、ドミニクの手を取ってぶんぶんと上下に振った。
「ありがとうございます! 僕はヴィクターです。どうぞよろしくお願いいたします!」
寝床……文字通り床の上だけれども。雨風のしのげる場所が確保できて、大喜びした。
それからドミニクをはじめ面倒見の良い冒険者や、時折様子を見に来るセルヴェスに様々な事を教わって行く。
お上品な筈の公子様は意外にも平民の生活が性にあったらしく、どんどん馴染んで行った。様々な教育の下地があったからか、仕事の呑み込みもかなり早い。
何よりも特筆すべきは身体だ。
空気や水が合ったのか、過度なストレスが緩和されたのか。はたまた適度(?)な運動が良かったのか……
遅い成長期がやって来たヴィクターは、一年で二十センチ近く身長が伸び、筋肉が付き出した。それから暫く身長が伸びていたが、二年程経った頃にはまるで別人の……詐欺で訴えられそうな位成長した、非常に逞しい大男が出来上がっていた。
そして努力を重ねてメキメキと腕を上げ。
いつしかアゼンダで一番の冒険者となり、自らの力でギルド長にまで上り詰めて行く。
それからも陰に日向に、しっかりと地に足をつけながらも何処か夢見がちなヴィクターを見守って来たが。
もう大丈夫だろうと、勇退を決めたところにこの騒ぎだ。
*****
「……一度に両方のギルド長が抜けるのは混乱するだろう」
「そんな事を言っていては、いつまでも替われないだろう。もうお前には全て教え込んだから問題ない」
ドミニクが後継者に選んだのは、スラム街出身のダンだ。
元スラム街の人間らしく修羅場にも慣れており、多少の脅しには何という事もないであろう。
ガラの良くない奴らからの信用も厚い上、アゼンダ商会の中心人物として十年程、商人の間でもそれなりの評価を得ている。
子ども達に混じって文字と計算を学び、その後ドミニクから商売と経営、ギルドの仕事も教授を受けていた。
「それにセルヴェス様が冒険者ギルド長になれば、アゼンダ商会の会頭は辞めざるを得ない。次の会頭はパウルだと聞いている」
厳しい顔と声で自分の名前を呼ばれ、パウルは背筋を伸ばす。
パウルも同じく、自分の持てるスキルを教え込んだ。元々商船に乗っており、長く接客に携わるパウルに二代目会頭の白羽の矢が立ったのだ。
「……何も今すぐに居なくなるという訳じゃない。セルヴェス様も勝手が違うギルドに慣れるまで、暫くは時間がかかるだろう。両ギルド長である程度回るようになるまで、相談役として詰める事になる」
相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしながら、面倒見の良いドミニクはダンとパウルを順番に睨んだ。
そんな様子を見て、辺境伯家の面々……クロードとマグノリア、そして後ろに控えるガイが苦笑いをした。
「同じ新米ギルド長として宜しく頼むぞ!」
「俺、止められる気がしないんだけど……」
ニッカリ笑うセルヴェスが、この前ギルド棟を半壊させたことは記憶に新しい。
ダンが絶望に満ちた表情をした。
既に大急ぎの引継ぎを終えヴィクターが去った後のギルドも、新しい一歩を踏み出そうとしていた。




