直球勝負
「本日はご卒業、誠におめでとうございます」
ガーディニアが表情を変えずに、お見本のような礼を取った。
「……ありがとう」
何か言いたげな様子を見せたアーノルド王子だったが、思いつめた表情のまま小さく礼を言うのみ。
マーガレットも礼をとる。
「……婚約者がありながら他の女性をエスコートとは、最近の流行なのでしょうか?」
「お兄様!」
嫌味以外の何ものでもない言葉を、これまた嫌味満開な笑顔で言い放つ。
ガーディニアは静かに荒ぶる兄の腕を、宥めるように小さく叩いた。
兄君の憤慨ももっともであろう。
会場中が三人……いや、四人に注目していた。
ゲームでは、愛するマーガレットになされた意地悪や嫌がらせの数々に、激高した王子が見せ場とばかりに婚約破棄を叩きつける場面だ。
ふたりの悪役令嬢は、王子と、その後ろに控える側近たちに悪事を次々に暴露され、揃って断罪される。
ヒロインは王子の腕の中に守られ、悪役令嬢は床に崩れ落ちる筈なのに。
ところが今、神妙な顔をした王子が立ち尽くしており、どちらかと言えば責められている立場であった。
側近たちはたったふたりが少し離れたところから見つめるばかりである。
ヒロインが泣きそうなのは一緒だが、腕の中で安心するのではなく、突き刺さる視線の中で、覚束ない様子ではあるが自分で立っていた。
ひとりの悪役令嬢は場にそぐわない程の穏やかな表情でふたりをみつめており、もうひとりの悪役令嬢に至っては、完璧に傍観者側に回っている。
アーノルド王子が大きく息を吸う。
ゴクリ。誰かが大きく喉を鳴らした。
「ガーディニア……いや、シュタイゼン侯爵令嬢!」
王子達を挟んだ向こう側。
茶色の目の瞳孔が開ききってしまっているのではないかという位に、大変キモチワルイ顔をしたヴァイオレットが鼻を膨らませて大きく頷いた。
「君との婚約を、破棄させて貰いたいっ!」
大きく、ペッコリと王子が頭を振り下ろした。
「大変申し訳ございませんっ!!」
震える大声で、マーガレットも頭を下げる。
「……ん?」
マグノリアが首を傾げた。
会場も、全員が唖然としては瞳を瞬かせている。
チョイ悪オヤジ風なお隣の国の皇帝は、離れた場所にいる息子に『どういうことだ』と視線で問いかけたが。
ユリウスはただ肩をすくめるのみであった。
今度はガーディニアが口を開く番だ。
怒りに震える兄を視線で制すると、小さく一歩、アーノルド王子との距離を縮めた。
「……頭をお上げになってくださいませ。理由は聞くまでもございませんが、周りへの影響を考えた上でのご発言なのですね?」
ガーディニアがアーノルド王子の覚悟を確認する。
「私の勝手で大変申し訳ない事と思っている。……私は責任を取り、廃嫡を願い出るつもりでいる」
王子の言葉に、再び会場が大きく騒めいた。
「……廃嫡か……大きく出たな」
セルヴェスが王子を見ながら呟く。
「本気なのですわね」
「…………」
コレットの言葉に、アイリスは良く知った人間を思い、表情を厳しくした。
アーノルド王子の周りの話は、ガーディニアの耳にもマグノリアの耳にも色々と入っていた。
ガーディニアは当事者であるし、マグノリアだけでなくセルヴェスもクロードもおかしな乙女ゲームの話を知るだけに、その動向をお庭番に探らせていたのである。
まず日和見主義の側近とその家族が、今まで溜まったフラストレーションもあったのだろう。デビュタントでの一件で数名辞めて行ったと聞く。
王子は周囲に愛妾か側妃にするよう迫られ、マーガレットを正妃にしたいと願い出たそうだ。
だが勿論、却下される。
身分や生まれもそうであるが、何よりも王太子の正妃としての技量不足が懸念された。
流石の息子ファーストな王も、これには頷かなかったそうであった。
諦めきれないアーノルド王子は、貴族教育を熱心に行うマーガレットに、どこか公爵家の養女にならないかと持ちかけたらしい。
王子の申し出を聞いて訝しんだマーガレットが真意を聞くと、彼の気持ちをはじめて聞いては非常に驚いたのだった。
彼も自分を想ってくれていた事に、罪悪感と驚きと喜びとが、同時に強く押し寄せて来る。
嬉しい。だが、戸惑いと不安も大きかった。
王子は王子で、きちんと目途が付いてから気持ちを打ち明けるつもりであったらしい。
本来は相談し協力し合って事をなしていくものだが……未だどこか青い青年であるのだろう。
話を聞いたマーガレット自身に、ここまで出自が広まってしまっては、肩書だけを公爵令嬢にしても厳しいだろうと諭されたのであった。
またマーガレット自身、幾ら努力しようとも到底公爵令嬢として振舞えるとも、このまま仲を許されるとも思っていなかったのである。
ましてや自分がガーディニアになり替わろうとも思っていなければ、元々正妃にも側妃にもなろうとは思っていなかった。
本来のマーガレットはぶりっ子で泣き虫ではあるものの、ヒロイン気質で真っ直ぐな性根の持ち主である。
せめて学院生である間だけ、仲の良い友人として過ごしたい。
……そんなのは言い訳だとか、駄目だとか言われてしまうのは承知の上だ。
嘘だと言われても、それがマーガレットの偽らざる気持ちだったから。
ガーディニアには心苦しくはあるが。
若さなのか愚かなのか、膨らみ過ぎた気持ちを止めようと思っても、止めることが出来ないのだ。
だからせめて、身分不相応なこの気持ちを口にはしないまま……
恋心は自分の中に閉じ込めて(閉じこもってないけど)――アーノルド王子が卒業していつしか関りがなくなって……その後ひとり想いを抱えて生きて行く為、せめてもの思い出を作ろうとしていたのである。
一方、マーガレットの素朴で気取らない心根に惹かれたというのに、これ以上窮屈な生活を強いる事は可哀そうだと思い至ったらしい。
「側近は解散した。側近の再就職先を手配中だ」
「そうですか」
今更王宮に出仕する者も少ない。多くは嫡男である為、そのまま領地の運営に携わる予定でいるものが殆どだ。
王子の固い決意を感じ取った侍従長は、先日責任を取り辞職したい旨、国王と宰相に願い出ている。
小さなころより仕えてくれた侍従長へも、彼の決意を聞き、王子は自らの勝手が引き起こした結果だと詫びた。
頭を下げる王子を感慨深げに、そして残念そうに……様々な気持ちが綯い交ぜになった表情でみつめていたが。
静かに首を振ると、柔らかく微笑んだ。
アーノルド王子は、侍従長が今後も王宮に残って働けるように国王に願い出ると伝えたが、再び首をふる。
そのお気持ちだけで充分ですと言い、お幸せにと残して幼少より仕えたアーノルドの元を去った。
「シュタイゼン家への補償は……」
「そちらは、両家での話し合いが必要でしょう」
「そうだな……謝罪へはこの後向かうつもりだ」
まっすぐ向けられた青銅色の瞳に、頷いた。
「承知いたしました」
淡々と意見交換がなされるふたりの様子と、隣で頭垂れるマーガレットの様子に、マグノリアは今後に思いを馳せる。
地球でも王座を蹴って恋を取った王族がいたとは思うが……知る限り現代である為、とんでもない扱いなどは受けずに、爵位を持って高位の貴族としてきちんと暮らしていたと思う。
だがしかし、何かやらかしたらすぐさま修道院に幽閉されてしまうこの時代とこの世界、廃嫡しただけで(大変な事ではあるが)済むのであろうか……?
――まさか、怖い系の話にはならないんだよね?
特にマーガレット。
結果的に侯爵令嬢から王子を略奪してしまった訳だし、更には国唯一の王子を廃嫡に(まだ決まってはないけど)導いてしまったのである……
「君には、本当に申し……」
アーノルド王子が再び詫びようとしたところで、ガーディニアは首を振った。
「いえ。私にも至らぬ点は沢山ございましたので……」
「…………」
「殿下のお気遣いに気づかず、大変申し訳ございませんでした」
思い当たる事があるのか、アーノルド王子の握られた拳が小さく動く。
「周囲へのご対応は、殿下なりに誠意をもって対応されている事は良く解かりました」
決定が自分勝手なのか無責任なのかは置いておいて。
それでも今までのアーノルド王子からすれば、随分進歩したと言えるであろう。
当たり前だと言えばそうだが、きちんと自分の非を認めたばかりか、側近の身の振り方まで配慮するなんて、少し前では考えられない事であるだろう。
「廃嫡を願い出られるとのことですが……もし受理されたらどうされるのですか?」
「どう、とは?」
「廃嫡という事は、国王にはならないという事です。どうやって暮して行かれるおつもりなのですか?」
「え……?」
下される処分の内容にも因るが。
王太子や国王にならずとも、王族として籍を維持されるのなら問題ないが……
領地を下げ渡されたとして、ちゃんと管理出来るのか?
もっと厳しい沙汰を下されたら?
「私は、アゼンダで働く人々を見てもどこか他人事でしたが……この数年曲がりなりにも事業に携わり、その大変さと難しさ、尊さを知りました」
ガーディニアも、かつては世間知らずの鼻持ちならない人間であった。
ヴァイオレットの様な低位貴族をどこか蔑み、平民の事は道具か何かと思っていたと思う。
ヴィクターを通じてアゼンダの民の姿を見て、マグノリアと関り、少しずつ意識が変わって行ったのである。
王子として大切に育てられたアーノルドに至っては、ガーディニア以上に選民意識がしみ込んでいる事であろう。
「高位貴族である私たちは、貴族としての立ち居振る舞いは優れていたとしても、一般的な生活者としては酷く貧弱です。立場が変われば、今まで下だった者の元で働くことになるかもしれません」
果たして、アーノルド王子がきちんと働く事が出来るのであろうか?
ヴィクターの手伝いをした位の労働ではない。
それが来る日も来る日も続くのである。
「解っている。どんな事をしても、マーガレットを守って行くつもりだ」
アーノルドから放たれた言葉を聞き、それまで黙っていたマーガレットが強い瞳で口を開いた。
「私が、アーノルド様を支えます!」
「マーガレット……」
「厳しい現実は、存じております……!」
マーガレットは病弱な母を支え、厳しい暮らしを身を持って体験して来た人物である。
その決意が厳しい現実である事も、生半可ではない事も身に染みて知っている筈で。
明日、自分がどうなってしまうのかも解らない。不敬罪で処分されてしまうかもしれない……
だけども、自分の為にここまで決心してくれるのならば。自分に酔っているのだと言われようとも、自分もまた決心しなければならないとマーガレットは思った。
「この騒ぎは何事か!」
ふたりが再び何か言おうとしたところで、ブリストル公爵の声が響き渡る。
衣擦れの音が、早足で歩く足音と共に小さく響く。
そして厳しい顔をした国王が入室して来た。
全員が礼を取り控えた。
更に、厳しい顔をしたシュタイゼン侯爵とヴィクターが揃って入室して来たのであった。




