再び王都へ
秋が来て冬が過ぎ、そして春が来た。
春といってもまだ寒い日が多いものの、雪が解け蕾が膨らむ様子を見ていると季節はしっかりと進んでいる事を感じさせる。
マグノリアも十六歳になり、いよいよ運命の日を迎えようとしていた。
この世界が日本の乙女ゲーム『みんなあなたに恋してる!』の、そしてその後に続く『プレイバック♡みん恋Ⅱ』(副題略)の世界だと知ってから、様々な未来を変える為に努力をして来たのだ。
王子の婚約者で、頭の弱い我儘な第二悪役令嬢マグノリア。
……現在のマグノリアは、王子との婚約を回避し王家との接触を極力避け、王国唯一の学校である王立学院への入学も回避したのである。
数日後にこの国唯一の王子にして、ゲームのメインヒーローであるアーノルド王子の卒業が執り行われる。
そこで本来なら第一悪役令嬢ガーディニアと、マグノリアの婚約破棄騒動が発生するはずであるが。
ガーディニアの婚約は残念な事に回避出来なかったが、万一ゲームの流れ通りに幽閉などという事が起これば、陳情に署名活動、その他諸々を駆使して回避するつもりである。
マグノリアが入学しなかった事から、ヒロイン・マーガレットに対するしょうもない意地悪の数々は消滅した。……筈。
完全無欠・高圧的な上に王子を愛するガーディニアも、どういう訳か王子への愛情は急降下である。
関わらないように助言をしたからか、ゲームでは度々行われていた(らしい)マーガレットへの教育的指導も、初めの一度しか行われていない。
更には、行き過ぎた態度が目立つ場合にご令嬢方から文句のひとつふたつを頂くことはあったものの、大きなイジメや嫌がらせもなく――というよりも、完全に相手にしないという空気感であるそうだ。
ゲームではない現実の人間というのは、そこまでおかしな事を言ったりしたりはしないものである。
変な人間……成績優秀でありながら言動がズレていて、王子とそのお取り巻きのお気に入りで。
更には可愛さとスキンシップの多さからか、令息の勘違いで何名か婚約が壊れる様子を見た周りの令息と令嬢は、そんな人間に関わると面倒事に巻き込まれると学習したのである。
注意は余程でない限りしない。出来る事なら余程でもしない。
余計な事はしない……仲良くもしないが、イジメたりハブるような事もしないのだ。
ハブってしまって王子一派に告げ口されたり、王子に目をつけられたり、婚約が壊れたり。最悪は両親や家に迷惑が掛かっても困るのである。
なので、積極的には関わらずとも、これ見よがしな悪い態度はとらない。
マーガレットが困っていれば普通に助ける(但し教育や助言はしない)。
授業で組む場合には、公平に持ち回りでパートナーを務める事にする。
話し掛けられれば普通に会話し、だけど自分が巻き込まれないように細心の注意を持って行う。
マーガレットが同級生とお茶会をしない間に、方々の学院に在学するご令嬢達のお茶会で次々に『自らを守るための取り決め』がなされ、伝播し、共有されたのであった。
――そんな訳で。
本来マーガレットからヒーローたちに告げられる筈の、学院生の苦言や暴露はないのであった。
その場合、一体どうやって婚約破棄に持っていくのだろうか?
「うーん……」
深く考え込んだように首を傾げるマグノリアに、リリーが鏡を覗き込んで語りかけて来た。
「どうなさいましたか? 違う髪型の方がよろしいですか?」
「……え?」
「まーのりあしゃま、かみかわいいの、ちがうでしゅ?」
眉を八の字にしたリリーと、髪型が可愛くないのかと自分の頭を指さしながらエリカが見上げて聞いていた。
ピンク色の髪は成長しても細いままだったが、量も増えて、以前本気で心配していた禿の心配はなくなったようであった。
顔の周りをほつれない様に丁寧に編み込みにされ、左耳のやや上に花の形に纏め上げたハーフアップは、可愛らしすぎる位に感じられた。
「ごめんごめん。ちょっと考え事してて……」
リリーに苦笑いしながら謝ると、エリカに向ってにっこりと笑いかけた。
「違くないよ。お母さまは髪を結うの上手だもの。……可愛い?」
そう言って結われた花を見せると、エリカもにっこりと笑った。
「まーのりあしゃま、かわいい!」
「ありがとうね。エリカも可愛いよ~」
だいぶ言葉がしっかりしたエリカは、優しく頭を撫でられて満足そうであった。
辺境伯家の館が遊び場であるエリカは最近、キッチンの端で豆の皮剥きの手伝いをしたり、絵本を読んだり、お庭番が植える花を運んだりと元気に過ごしている。
「最近考え込まれる事が多いようですが、大丈夫ですか?……やはり、王都へご一緒いたしますか?」
「ううん。本当に大丈夫なの」
張り詰めたような様子を悟ってか、リリーが困ったように聞いて来た。
先日彼女の夫である不憫な騎士は、腕をポッキリと骨折してしまい、絶賛休暇中なのである。
今回もあんなに避けていた筈なのに卒業式に出席すると言い出したマグノリアに、心配な為、ついて来るつもりだったのであるが……
セルヴェスやクロードも止める様子がない事に、セバスチャンもプラムも、ガイも訝しんでいた。
……元々不思議な少女であった事に加え、三人は言わないものの、何かを隠している風な様子を使用人達も薄々勘づいてはいるのである。
ただ、主が言わないものをあれこれ追及するのは自分たちがする事ではないと、追求せずに静観をしているのであった。
その隠している事に大きく関係するのだという事も感じている。
だから鬼門である王都へ向かうのだろう。
マグノリアが今回の卒業式を『見届ける』と口にした。
多分彼女の瞳で実際に見て、確認し、終わりにする必要があるのだろうと思っている。
リリーは鏡の中の主である少女を見つめては、頑張りなさいませと小さく呟いた。
階段を降りると、軽装のクロードとガイがロビーで待っていた。
「お待たせいたしました」
『マグノリア、やっと来た~!』
待ちくたびれたのか、ラドリがガイの頭の上で寝っ転がっている。
何年たっても小鳥のままのラドリは、マグノリアの近くにエリカがいる間は決して近づいてこない。
動物が大好きなエリカに捏ねられたり振り回されたり、にぎにぎされたりするからである。
「まあ、初日だけっすからね。明日からあっしよりもすっ早い支度っすよ」
相変わらずニヤニヤしているガイと、そんな事は慣れたらしいクロードが頷く。
「……では、行こうか。セバスチャン、留守を頼む。何事もなければ……十日程で帰る予定だ」
「畏まりました。何事もない様に祈っております」
「嫌だ、変なフラグを立てないで!」
すまし顔のふたりに、マグノリアは嫌そうな顔をして言い放つ。
「お嬢、武器は携帯しましたか?」
「念の為ね。でもお兄様もガイもいるのに、こんなの使うって余程よ?」
「……お前たちこそ変なフラグを立てるんじゃない」
ニヤニヤしたガイが、携帯武器の確認をして来た。
結局誘拐された時に隠し持っておいた糸ノコが役に立ったりで、ガイもクロードもマグノリアの隠し武器の拡充に励んでいた。
……今や手甲はおろか、服に靴に細工だらけである。
頭につけた髪飾り爆弾以外にも、隠しナイフや撒きビシ、煙幕に目くらまし、ナックル……いわゆるメリケンサックなど、多種多様に取り揃えられている。
肩を上げて答えたマグノリアに、今度はクロードが眉を顰めたのだった。
そして、ギルモア家と一目でわかる屋根飾りのついた黒い馬車に乗り込んだ。
「まーのりあしゃま、がい……」
エリカが長く出かける雰囲気を察してか、淋しそうにウルウルの瞳で見上げている。
「エリカはいい子で待ってるっすよ?」
「お土産買って来るね!」
「……くよーどしゃま……」
「……行って来る。ちゃんとお母様のいう事を聞きなさい」
「……あい」
「いい子だ」
お気に入りのクロードにそう言われると、淋しいのを我慢してこっくりと頷いた。
「さ、エリカ。行ってらっしゃいませ、ですよ」
リリーが先輩侍女らしく(?)、並ぶように声をかける。
セバスチャンの後ろに、騎士をはじめ侍女頭のプラム、そしてリリーとエリカが並んだ。
クロードが頷くと、セバスチャンが頭を垂れた。
「行ってらっしゃいませ」
「いってらっちゃいましぇ」
エリカも両手を身体の前で重ねると、そう言って、丁寧に礼を取った。
******
馬車が走り出して暫くして、クロードは口を開いた。
マグノリアと一緒の何度目かの王都への旅だが、毎回毎回、懸念が山積であるのだ。
「三日程でタウンハウスへ着いた後、一日休息をとってヴァイオレット嬢達と茶会の予定だ」
「翌日卒業式、更に翌日が『立太子の儀』でしたね」
「うん」
そして何事もなければそのまま馬車に揺られ帰還であるが。
はてさて。
「……どうなるんですかねぇ」
「……解らんな、全く」
『なるようになる☆』
ガイの慣れた手綱さばきに揺られながら、やたら前向きな(?)ラドリの言葉を聞いてふたりはため息をつきつつ、春の柔らかな景色を瞳に映した。




