アーノルド
最近ずっと張り詰めるような様子を見せていたマーガレットだが、気の置けない友人達とのゆったりとしたお茶を楽しんだからか、表情が明るくなったように感じる。
……友人とマーガレットは思っているだろうが、その実全員恋敵のようなものだ。
王子であるアーノルドが気に入っている為に、その気持ちをマーガレットにぶつける事はないが、隙あらばと思っている事であろう。
「アーノルド様? どうなさいましたか?」
以前は弾ける様な笑顔と言葉遣いであったが、年齢を重ねたからか教育の賜物か、落ち着いた貴族らしいものになって来ている。
そんな変化を淋しいと思いつつ、頑張りやなマーガレットを思うと愛おしくも思う。
「……何でもない。顔色も良くなったようだ、また無理しすぎているのではないだろうな?」
「学べば学ぶ程足りないところが見えて来るものなのですね。マナーって奥が深いです」
無理をたしなめる言葉を曖昧に躱して、マーガレットは柔らかに微笑んだ。
*****
最悪のデビュタントとなってしまったあの日、アーノルドの手に引かれるまま大広間を抜けたマーガレットは、綺麗な顔を涙で濡らしてさめざめと泣いていた。
「私、アーノルド様やみんなと一緒に居ても、おかしいと言われないような令嬢になりたいです!」
そう言って顔を両手でおおって座り込んでしまったマーガレット。
……おかしい事なんてあるものか。
こんなにも優しくて頑張り屋で、一生懸命な女の子であるのに。
そう言って、すぐさま抱きしめてしまいたかった。
見知らぬ高位貴族の令嬢に絡まれた挙句、あのズケズケとものを言うマグノリア・ギルモアに、矢の様にとめどない言葉を投げつけられたのだ。
きっと恐ろしくて恥ずかしくて、悲しかった事であろう。
とてもあの場にあのまま置いておくなど、出来ようもなかった。
「……済まないな、マーガレット。我々が配慮不足だったばっかりに」
「私が男爵令嬢でなければ……きちんとしていれば、みんながあんな風に言われないで済んだのに……」
アーノルドはしゃがみこんで片膝をつくと、そっと震える肩に手を置いた。
泣きながらもマーガレットは、首を振って声を押し殺していた。
……他のご令嬢のように取り繕ったような態度を取るのでない、素直で愛らしいマーガレットだからこそ、こんなに心惹かれたのだとも言えるであろう。
アーノルドは、多分、側近たちも同じ気持ちであろうと思った。
確かに相手の色を差し色にする衣装と同じ刺繍はやり過ぎだったかもしれないが、臣下が主の色を纏う事はままある事。王家の人間に敬意を表してその者の髪や瞳の色を纏う事は、そうおかしい事ではない筈だ。
婚約者がいるのならともかく、いないマーガレットがアーノルドの色を纏ったとして、未来の国王を信奉しているという意味にだって捉えられるのに。
……衣装の方にばかり皆目が行っていたようだが……アーノルドのマントは青、マント飾りは赤い石と、ちゃんとガーディニアの色も纏っていたではないか。
エスコートもそうだ。
あのデビュタント会場にガーディニアもエスコートされて入場するなら、婚約者を差し置いてと言えるだろう。
……だがガーディニアは、主催者側として実際には先んだって控室に控えており、開会の際にはきちんと決まり通り定位置まで、アーノルドがエスコートしたのである。
親戚や兄弟、大切な友人など、夜会へのエスコートが要る場合に王族の人間だってエスコートする事はあるのだ。その者を身内として大切にしていると示すのだ。
……結局、人間は見たいものしか目に入らない。
婚約者のいる王子の大切な友人は、年の近い女性であってはいけない。
ちゃんと婚約者の色を纏っていても、友人の方の色だけを好奇の瞳は拾うのだ。
まさか、色合いが逆さだったら良かったとでもいうのだろうか?
……マーガレットに対して、友情を超えた愛情を持っている事は確かだ。
自分の色を纏ってほしいとも思ったし、マーガレットの色を纏いたいとも思った。
反応が良くないガーディニアと比べて、瞳を輝かせて楽しそうに吟味するマーガレットと一緒に、ひとつひとつ選ぶのは新鮮だった。
エスコートを願い出た時のとても嬉しそうな顔。
誓って何も、ふしだらな事などしていない。
それどころか、お互い気持ちを確かめ合った訳ではないし、本当に友人として過ごしているだけなのに。
あの後、落ち着いたマーガレットを連れて両親の元へ挨拶に連れて行った。
デビュタントの挨拶をしなかったとマーガレットの養父母に知れ、万が一にも彼女が叱られたら可哀そうだから。
苦々しい顔の国王と、何か言いたげな顔をした王妃が座って待っていた。
無事挨拶が済み、ホッとしたようなマーガレットが退室する前に、ヴィクターが注意をして来た為、マーガレットは再び表情を曇らせた。
泣くまいと、小さな唇を嚙み締めているのがみえる。
アーノルドは、衣装の事、色の事。エスコートの正当性。そして互いに友人として尊敬しているのだと、思うところを口にして伝えたが、大人たちの耳には何一つ届かなかった。
「……確かに理屈ではそうだろうけど、揃いの刺繍に互いの色を使う時点で、マントも飾り留めも目に入ったとしても無意味だって」
ヴィクターはため息交じりに続ける。
「エスコートにしても友人の家の軽い夜会ならともかく、王家主催のデビュタントに、デビュタントする令嬢を伴うのは……兄妹や親戚ならいざ知らず」
マナーの誇大解釈は理解を得難いと言われた。
「友人って言っても、相手は婚約者の居ない、王子と年齢の近いご友人だよ。自分達はそう思っていないにしても、周りはそうは思わないって事をマグノリアちゃんは言ったんだよね。……そう思われないからあんな騒ぎになったんじゃないの?」
全て頭ごなしの反論に、アーノルドは我慢ならずに口を開いた。
「……周り周りって、どれだけ我慢すれば良いのですかっ!? 確かに私の落ち度もございましょう。ですが自分達を全く理解してくれない人間達の顔色と意見を、全て汲まなければならないのですか?」
「大変申し訳ございません!」
マーガレットは勢いよく頭を下げた。
ヴィクターは困ったようにマーガレットを見たが、必死に涙を堪えている様子が目に入り、小さくため息をついて側近に言った。
「誰か、彼女の馬車にお連れしてあげて」
側近は困ったように顔を見合わせた。
おずおずと言った様子で、ルイが口を開く。
「馬車は家の方がお使いになっているようで……」
ポルタ家は、そう裕福な家ではない。馬車も必要最低限しかないのだ。
マーガレットは毎日、徒歩で学院まで通っている。
今日もそれを知るからこそ、ルイが迎えに行ったのだ。
「……王家の馬車を出すと、余計と騒ぎになるから……誰か同じ方向の人が乗せてあげなさい」
「宜しければ当家の馬車をお使いください。まだ任務があります故、帰宅の際までに馬車が戻っておれば問題ありません」
やや遅れて入って来たブライアンが申し出た。
何処にどんな目があるか解らないのだ。ご令息たちと帰るよりもひとりで帰る方が余計な噂がたたないであろうと考えての事だ。
「……侍女殿を呼んで参ります」
誰からも反対の言葉が出なかったので、ブライアンは部屋の外へと出る。
それからだ。マーガレットは一層、マナーと礼節の勉強に重点を置くようになった。
騒ぎの顛末を聞いたポルタ家は、やっとマーガレットに家庭教師をつけたそうで、メキメキと仕草だけでなく、細やかなところにも気配りができる様になっていると思う。
「伯爵夫人に、色々教えて頂けるんです!」
心底嬉しそうにそういっては、学校の勉強と貴族としての勉強に、健気にも毎日頑張っているのだ。
そんな姿を見ていれば、自分も厳しい王太子教育も熱が入ろうというもの。
アーノルドは、辛い時にはマーガレットの姿を思い起こして勉学に身を入れる様になっていた。
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愛らしい顔でお茶を飲むマーガレットを見ては、心癒される。
テーブルにあるのは、偶然にも以前ガーディニアも美味しいと言ったお菓子だ。
……ガーディニアも幼い頃から頑張って学んでいる事は認めるが、ついぞ心の溝は埋まらなかった。
気に入った菓子を用意しても、遠慮と周囲の人間の負担になるという事で、全く喜んでは貰えなかった。
一緒に楽しみを分かち合おうとしても、無理をし過ぎなくても良いと言っても。
いつでも反論と小言、そして進言という四角四面の正論だけが返って来た。
冷めた言葉。何処か蔑んだ瞳。悟った態度に、責め駆り立てるだけの決まり文句。
『王子を想ってるからこそ』という免罪符。
――想ってる? 何を?
『誰からも文句を言われない王子を作る』事だ。
――かつてMiss・パーフェクトと呼ばれた王妃が、添うにふさわしい王を育成する事。
周りが正しく、いつだってガーディニアが正しい。
彼女は未来を見ている。
見ているのはアーノルド自身ではない。アーノルドを通り越して、あるべき国と未来の姿をみているのだ。
愛情を持とうと努力したアーノルドが、情の通じなさに先に折れた。
そして、ガーディニアにほのかにあったような愛情のかけらは、もう感じなくなった。
貴族の、ましてや王家の婚姻は個人の感情を排するとはいえ、十代の少年少女にとって余りにも冷たい婚姻だ。
恋する相手がいるなら尚更……
鉛を呑み込んだような得体のしれないそれに、指先から温度を無くしていくようだった。
マーガレットと話をしている時だけ、素の自分で居られるし、呼吸が出来ているような気がする。お互いを認め合い、支え合い、足りないところは互いに思いやりながら歩いて行けるであろう相手。
王は孤独だと言われる。
王家の人間にとって、信用する人間を得るのは本当に難しい。
ちやほやされる分、裏切りも多いのが現実だ。
……本当に友人なのか味方なのかなんて、蓋を開けたって解らない。
それはいつでも容易に切り替わり入れ替わり、姿を変えて流れて行き。いつの間にか目の前には違うものが据えられているから。
見る目がないというが、実際人間は剝いたって解らないことが多いのだ。
親切心を装って、自分の意のままに動かそうとする。
努力するか優秀かどうかは、たいして重要ではない。
多くの人間が欲しいのは、自分の希望通りに動いてくれる王という名の張りぼてだ。
今やマーガレットは、アーノルドの心の支えだ。
なのに。
マグノリアが言ったように、宰相にもマーガレットを側妃とするのかと確認された。
側妃。その言葉に愕然とする。
何故、彼女が側妃にならなければならないのだろう?
心優しく、人を思いやれるマーガレットが、まるで日陰者のように言われなくてはならないのか?
可笑しくなんてないのに、乾いた笑みが漏れた。自嘲だ、これは。
宰相には首を振って答えると、何もかも見透かすような瞳でアーノルドを見つめては、再び念を押して部屋を出て行った。




