文官棟の宰相さん
王宮の文官棟を、鬼気迫る顔で歩いて行く御仁がいる。
ただならぬ気配を感じて振り向けば、泣く子も黙る(?)アスカルド王国宰相・ブリストル公爵その人であった。
苦虫を百匹位噛みに嚙み砕いた様なおっそろしい表情を見て、新人文官はひっと小さく叫び声をあげると、ズササッッと凄い勢いで壁際に飛びのいて頭を下げる。
……低位貴族であり新人の文官にしてみれば、元王族で筆頭公爵家の当主、かつ宰相と
いうおっさんは、触るな危険以外の何物でもない。
クワバラ・クワバラ。
はてさて。それにしても何をあんなに怒っているのだろうか?
新人文官が思わず後ろを振り返ると、他の文官も揃って首を傾げているのが見えたのだった。
文官棟の奥深くに(?)、地方の税金を扱う閑職の部署がある。
……そこは、文官棟の魔境と言われているとかいないとか。
現在、某侯爵家の元当主であるおじいさんがトップを務めており、その下にギルモア家の当主であるジェラルド、その他が在籍している。
元々は本当にただの閑職の部署でしかなかったのだが……ジェラルドが入ってからというもの、チョロまかしなんて可愛いなんてモノでない……四方八方・国の膿ともいえるような各所の献金・裏金に賄賂その他が出るわ出るわ。
そんな、なんだかとっても胡散臭い部署となっているのだ。
「……不味いのが来たな」
「隠れて下さい!」
ジェラルドの声と表情に、前の席に座る青年文官は任せろと頷いた。
「おい、ジェラルドはいるか!」
ガバリ。
ノックと同時に開かれる扉は、もうノックの意味が無いと思うのだが。
全員がそんな事を思いながら振り返る。見ずとも解るダミ声は宰相である。
「……ギルモア侯爵は、少し前に出られましたが」
「…………。本当か?」
ギロリ。
泣く子がギャン泣きする顔で念を押すと、青年文官はコクコクと首を振った。
ブリストルは部屋を見渡しては、ずずずいっと、目の前の青年文官に顔を近づける。
――怪しい。
この前もその前も、またまたその前も。更にはその前と更にその前も留守であった。
「というか、この部署は外出など業務にないだろう! 奴はどこで油を売ってる!?」
「知りませんよぉ……」
(うっひぃ~~~~~っ!!)
厳つい顔を近づけられて……なんなら怒鳴り声と共に唾まで飛んで来て、青年文官は顔を思いっきり後方に引いては後ろに傾いだ。
「お~い、秀才侯爵ー?」
涼しげな声が言いながら、コンコンと開いている扉をノックする。
「…………」
「…………」
「おお、東狼侯か」
身体を思いっきり引いたままの青年文官と、机と椅子の間に隠れているジェラルドが、微妙な表情をする。青年文官に思いっきり顔を近づけていたブリストルが、アイリスに顔を向けた。
「……おや。お取り込み中? 出直します?」
ふたりの様子を見て眉を上げたアイリスに、青年文官とブリストルが嫌そうに口を揃える。
「出直さんで宜しい」
「お取り込みでないです!」
「……そう?」
言いながら、アイリスはジェラルドの気配を探っては、にやりと笑って近くの椅子に座った。
「東狼侯、こちらの書類を渡すようギルモア侯が」
「お。ありがとう」
切れ長の瞳で微笑まれ、文官は顔を赤くした。
未だブリストルに顔を近づけられている青年文官は、いいなぁと思う。
――父親より年上のおっさんより、自分も東狼侯に書類を渡したい。
「ふうん……」
書類に蒼い瞳を落としながら、意味有り気に相槌を打つ。
「何だ、それは」
「砂漠の国の密入国者のリストですよ」
一番聞きたくない国の名前が麗人の唇から飛び出して、ブリストルは心底嫌そうな顔をした。
「……なんでアイツがそんなものを持っているんだ?」
「ちょっと伝手を頼んで調べて貰ったのですよ」
裏社会への伝手なら、ペルヴォンシュ家だって持っておろうに。
さしずめちょっと前にギルモア家の、いやアゼンダ辺境伯家のと言った方が良いのか。そこのお嬢様が攫われた事件があった為、色々と嗅ぎまわっていて、情報をたんまり抱え込んでいるのだろうとアタリをつける。
ギルモア侯爵家、アゼンダ辺境伯家、ペルヴォンシュ侯爵家。三家が組んで何かやらかすとしたら、もうそれは戦争しか考えられないだろう。
皆、戦馬鹿である。ブリストルは心の中でため息をついた。
ちなみにギルモア家のジェラルドと、アゼンダ辺境伯家のセルヴェスは親子である。
「いったい何をやらかすつもりなんだ!?」
警戒するように詰問するおじさんに、何だかなぁとアイリスは切れ長の瞳を瞬かせた。
アイリスもジェラルドも同い年だが、ひとつ上の変な先輩にブリストルの次男坊がいる。そのせいもあって、目の前のおっちゃんは宰相とか筆頭公爵というよりは、変な先輩……ヴィクターの親父さん、という感覚が強いのだった。
勿論、ふたり共ちゃんと、公式の場では弁えている……つもりだ。
「例の毒の警戒ですよ」
「容疑者が居るのか?」
「今のところは動きはありませんがね」
先だっての騒ぎで分かった事だが、砂漠の国は毒虫から採ったそれをアスカルド王国の河川に撒いて、地球でいうところの毒物テロを画策していたのである。
裏ギルドの人間だとすぐ足が付くので、毒を河川や湖に撒くなら普通の人間に擬態している者に任せるのではないかと思い、日々警戒しているのであるが。
アイリスはため息をついた。
「その、今のところ動きはないものの何かあっては不味いので、いっそ毒に特化した結界を張れないものかと思案しておりまして」
「……結界……?」
言葉の意味は解るが、言っている意味が全く解らないのだが。もしくは解りたくないのだがと言わんばかりに部屋中の人間が瞳をパチパチしていた。
「ほら、モンテリオーナ聖国が様々な攻撃を結界で防御しているじゃないですか。それの毒のみに特化して張れないもんかなぁとねぇ」
だって、いつ来るか解らないんで警戒を続けるにも限界がありますしねぇとアイリス。
――確かにそうではあるが……結界を張るって、国中?
――嘘だろうと部屋中の人間が思いつつも、思案している人達はきっと本気なんだろうとも思う訳で。
痛む頭を癒すように眉間を揉み込むと、ブリストルが確認した。
「そんなおかしな事を考えるのは誰だ?」
「……おかしいですか? コレットとマグノリア嬢と話してたんですよ」
やっぱり、と思う。
国中に結界とか、魔力も金額も、何もかもがおかしな規模の話を始めるのは、間違いなくオルセー女男爵、ペルヴォンシュ女侯爵、そしてマグノリアである。
アスカルドが誇る(?)女性爵位持ちの面々だ。
……マグノリアは未成年の為未だ所持していないが、間違いなく近い将来叙爵されるであろう。
人呼んで『怖い女性の会』の面々である。
そして最近、叙爵はされていないものの、鉄の女と呼ばれたダフニー夫人までアゼンダに行ってしまったのだ。間違いなく怖い女性の会に入会するに決まっている。
「天才君に聞いたら、回路をいじって効果を倍増させれば、毒のみに特化するなら消費魔力を十分の一位に落とせるって言ってましたよ。一応魔法ギルド長なんで、ヴィクターもちょっとなら書き換えできるでしょうしね」
十分の一……どうやったらそんなに効率を上げれるのか、一般人にはとても考えが付かない。そこが『稀代の天才』と呼ばれる所以なのだろう。
……所以なのだろうが、その御大層なふたつ名をもじって変なあだ名をつけられる為、クロードはアイリスを苦手としていた。
確かに早急に考えなくてはならない問題だが、頭痛の種が増えるだけでもあるので、ブリストルはとりあえず脇へ置いておくことにした。
置いておいても、必要とあらば勝手に持ち出して実行している筈な面々なので、もう少し余裕が出来たら話を聞く事にしようと思う。
そう思い、自分の次男の名前が出たところで話を変える事にした。
「そういえば、うちのバカ息子を知らんか? 調査を頼んであるのだが」
「さあ? アゼンダの山でワイバーンでも狩っているんじゃないですかねぇ」
冒険者ですし、と言ったところで宰相さんの青筋がピクリと膨らんだ。
「最近西には行ってませんからね。私よりコレットの方が詳しいと思いますけどね」
「……男爵は王都には居らんだろう」
顔を顰めたところで、目の前を白い小鳥がふよふよと飛んで来た。
全員がゆっくりと小鳥の姿を追う。
先ほどから名の挙がっているマグノリアのペット(?)の、シマエナガの様な千鳥の様なインコである。
「ああ、ラドリ」
『やっほ~♪』
「どうしたんだい、こんなところで」
『おっさんな虫のところ遊びに来たー♪』
――おっさんな虫?
全員が首を捻る。まあ小鳥ゆえ、虫や鳥の一匹や二匹、知り合いもいるだろう。多分。
面倒なのでそう結論付ける。
「……丁度良いところに。済まないのだけど確認を頼まれてくれないか? コレットがどこにいるかと、ヴィクターに宰相が頼んだ仕事はどうなったかだって」
『オーケー♪』
言うや否や、小鳥が消えた。そして轟音を立てながら戻って来た。
『うんとねぇ、コレットは海の上で海賊と戦ってるって。黒いのでぎぃーーーってして、バチンってしてた』
どうも商会の仕事で航海に出ているコレットは、海賊との応戦真っただ中らしい。
鉄扇を振り回して暴れている様であった。
「……全く、あっちもこっちも直ぐに暴れおって! また船やら島やら爆破する気じゃないだろうなっ!?」
話を聞いて怒った宰相を見て、アイリスとラドリは顔を見合わせた。
「爆破したのは妖精ちゃんだけどねぇ?」
『マンティス?』
「…………(怒)」
妖精ちゃんとは、マグノリアの事である。
マンティスとは、かつてマグノリアに捕獲の魔道具(爆弾)で捕獲された賞金首の海賊だ。
でねぇ、と言いながらラドリはブリストルの頭にとまった。
『ヴィクターはワイバーンと空を飛んでた。サイショーの書類は早馬で送ったって』
「……それどういう状況なの? 何処かに運ばれている感じ?」
『脚にギュってされてた。巣穴に行くんじゃない?』
――それは、危機的状況じゃないのか? っていうか、本当にワイバーンと戦っているのか?
ワイバーンに運ばれながら、書類はどうしたのかとやり取りするひとりと一羽がシュール過ぎる。ワイバーンもさぞや困惑したのではないだろうか。
部屋の中でアイリスとジェラルド以外の人間が困惑する。
話が長くなりそうだと悟ったジェラルドはそっと机の足元から抜け出すと、しっ、というように唇の前に指を立てながら頷き、ひらりと窓から飛び出した。
ブリストル以外全員が、一瞬のその様子を目で追う。
「…………?」
何かを察したブリストルが急いで振り向くと、金色の髪の先が窓の端に、かすかに見えたかという瞬間だった。
「おい、ジェラルドォ!」
走り寄って、窓から身を乗り出す。慌てて何人かがブリストルを掴んだ。
窓の下の方では緩いウェーブのかかった金髪が、あざ笑うかのように風に靡いている。
いきなり落下してきた侯爵に外を歩いていた文官が驚き、部屋の窓で怒鳴るブリストルと、着地してついた膝の土を払うジェラルドを交互に見比べた。
「宰相殿! 危ないですよぉ!」
「ここ、三階ですよ」
「くぉらーっ! さっさと宰相を替われーっっ!!」
怒って拳を振り回すブリストルに、ジェラルドは苦笑いをしながら手を振ると、優雅に走り去っていったのである。
「いい年をしおって、出入りは玄関からせいっ!」
「そこ!?」
思わず全員が声を揃えて突っ込んだ。
ブリストルの居なくなった部屋で、全員が首を傾げた。
「……何しに来たんですかね?」
「勧誘じゃない?」
「いい加減諦めたらいいのに……」
困ったように、青年文官が眉を八の字にした。
確かにである。
「……いや。息抜きにきたんじゃないの? 王子の件で頭を悩ませているだろうからね」
「ああ」
男爵令嬢と王子の恋。
センセーショナルなその話題は、次の春に成人を迎え立太子する王子の話題の中心である。
王子の婚約者であるシュタイゼン家は、王家に何やら申し入れをしているそうだが、当のご令嬢はダンマリを決め込んでいるという。
「……あれ、ラドリは?」
自分もお暇しようと腰を上げたアイリスが、首を傾げた。
変な小鳥がいない。
「宰相について行ったんですかね?」
「あのまま?」
部屋の中では顔を見合わせたり肩をすくめたり……そしてややあってそれぞれが仕事に戻るのであった。
部屋の奥で微動だにせず座ったまま、この部屋の責任者である老翁が微笑みながら様子を見守っていたが。
おっとりと冷めたお茶を口にすると、おっとりと書類に窪んだ瞳を落としたのである。
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ブリストルは来た道をずんずんと、怒り心頭という顔で戻って行く。
頭に白い小鳥を乗せながら。
「ったく、どいつもこいつも!」
もう無理が利かない年齢であるというのに、いつでもパワフルな御仁である。
激務がたたってイライラ気味のブリストルと、頭の上で腕組みならぬ羽組みをしながら仁王立ちする小鳥を見ては、文官たちは噴き出さないように素早く目をそらして頭を下げたのであった。




