ダフニー夫人の移領
照りつける日差しが夏らしく感じられるようになった頃、ダフニー夫人と旦那様が移領して来た。
元伯爵とその夫人であるふたりだが、意外に質素な馬車と少ない荷物でやって来て驚かされた。
「もう人生の終盤ですからね。本当に必要なものを選別しているのですわ」
断捨離とか終活というものであろう。
――なかなか耳に痛い言葉である。
マグノリアは自分の部屋に積み重なる仕事の書類やら、日本で暮らしていた自分のマンションは大丈夫だったのだろうかとかに思いを馳せ、胃の辺りがキュッとした。
考えている事がおおよそ見当がついたのか、ダフニー夫人は楽しそうに笑うと、旦那様と共に新しい家に入って行く。
領都からもほど近い、学校の近くにある小さくて素朴な家。
旦那様と手に手を取り、人生の後半を美しく大切に生きて行こうという行動の表れのようで、ダフニー夫人らしい潔さのようなものを感じたのであった。
荷物が先行して来るのかと思えば一緒に移動するという事で、ギルドに依頼をして引っ越しの手伝いをして貰う事にしておいた。
……叱られるか苦言を呈される事を察してか、珍しくヴィクターは現れなかったが、豪華な花束と気の利いたお菓子が届けられ、ソツの無さに苦笑いをする。
『ヴィクター、バレてる♪』
そう言いながら部屋を飛び回るラドリは友達甲斐のない奴だ。普段あんなにヴィクターからお菓子を貰っているというのに。
流暢に話す小鳥を見て驚きつつも、内容と口調にみんな笑い声をあげた。引っ越しの手伝いに雇われた人たちも、みんなヴィクターを知っているのである。
そして、あっという間に片付けが終わり、お茶の時間になった。
引越しを手伝ってくれた人達に礼を言って見送る。
顔見知りであるというクロードと再会の挨拶が終わると、マグノリアの方へと向き直った。
「マグノリア様とお呼びしても宜しいですか?」
旦那様……ルボワール元伯爵は、優し気な表情のお爺さんであった。
元は城で文官をしていたそうで、物腰の柔らかい紳士だ。普段、真逆の人種としか関わらないマグノリアは微笑みながら頷く。
「はい、勿論」
「この度はダフニーをお気遣い下さりありがとうございました。夫婦共々、こちらで暮らす事をとても楽しみにしていたのですよ」
そう言って、初めは長年暮した場所を去る事を色々心配していた筈の夫人が、アゼンダで教師をしないかと声を掛けられ嬉しかった事や、何だかとっても元気になった事。
また、ずっと折に触れ、何もできなかった筈の自分に心を砕いてくれる事に夫人が感謝をしていた事や、マグノリアの活躍を自分の事のように喜んでいた事などを語ってくれた。
「あなた!」
「ふふふ。いいじゃないか、これで恩返しが出来ると言っていただろう?」
秘密にしていたらしい事をバラされ焦ったような夫人であったが、どこ吹く風とルボワール元伯爵は受け流す。
「恩返しだなんて……」
確かに教師と生徒かと言われると微妙な関係ではあるが、味方がいないと思っていたあの頃、マグノリアの負担がない様に気遣いつつも、必要な学び――情報を与えてくれたのは、間違いなくダフニー夫人だ。
夫人から密かに貰った課題を熟したおかげで、短期間にこちらの文法やらを覚えた事は間違いないと思う。
「……まぁ、年寄りの戯言だと思ってくだされば結構です。侯爵にもご事情があったとはダフニーから伺っておりますが、やはり小さな子どもが必要以上に苦労しているのを見るのは忍びないものですからねぇ」
やはり夫人から見ても、当時のギルモア侯爵家の行いは首を傾げるものであったのだろう。
ただ、家の事……それも上位の他家の問題に介入することは難しい事も確かで、幼いマグノリアの処遇を改善出来ない事に随分心を痛めていたとの事であった。
ある意味、改善なんて無理難題であろうに。却って申し訳ない事である……
「それに対して力不足であったにもかかわらず慕ってくれて。また、沢山の人の為に役立つ行動をされて、ダフニー自身が如何ほど救われたか……良く頑張られましたね」
ゆっくりとした口調で話される言葉は、マグノリアの心にもゆっくり染み渡るようであった。
「ありがとうございます」
「いいえ、全てマグノリア様の努力の賜物ですよ」
ルボワール元伯爵もダフニー夫人も、慈愛に満ちた瞳でマグノリアを見ていた。
何だか非常に気恥ずかしくなって、少々おどけてこちらの懸念も話す。
「せっかく第二の人生をおふたりで楽しまれる予定だったのでしょうに、当分、忙しくさせてしまうと思うのですが……」
「いえいえ、遣り甲斐があると張り切っておりますから。やはり妻は教師をしている方がイキイキとしています。第二の人生とはいえそこそこ時間もありましょう。暫し忙しくしたところで問題ありません」
色々と大丈夫らしいと確認できたところで、クロードとマグノリアは視線を合わせて頷く。ガイは外の様子を確認して、やはり頷いた。
「……ダフニー夫人は、女官時代に前女官長と顔見知りだったとお聞きしました」
「ええ。後輩……直属の部下でしたわ」
ダフニー夫人が哀しそうな表情をして、頑張り屋でよく気がつく子だったと、昔を思い出すように言った。
「あのような事になってしまい、非常に残念でなりません……ですが、犯してしまった罪はそれ相応の代償を持って悔い改めねばなりませんから。仕方がございませんわね」
マグノリアも被害者だった事を思い、言葉を濁す様に続けた。
「死を賜って、自分の犯してしまった過ちに気づける事を祈るばかりですわ」
「……罪は罪ですが、死んでしまっては悔い改められませんが」
意味あり気なマグノリアの言葉尻に、ダフニー夫人とルボワール元伯爵が顔を見合わせた。
クロードは真顔でふたりを見ると、念を押すようにそれぞれ瞳を合わせる。
「これから話す事は他言無用でお願いしたいのですが」
「……私は席を外しましょうか?」
城勤めが長い彼は心得ているのだろう。クロードは首を振る。
「いえ。他言さえされなければ問題ありません。不安でしたらご退室されても構いませんが」
妻ひとり残す事に気が引けたのか、無言で頷いてはそのまま留まる事にしたようであった。
「元女官長については、ご実家やご家族との歪んだ関係に問題があったと考えております」
家や家族に問題がある人間全てが、罪を犯す訳では勿論ない。
小さい子どもの内ならともかく、自衛の出来る大人となれば、自分の責任である事は言うまでもないであろう。
「余り研究がなされていませんが、家族が家族として機能していないと歪んだ関係が出来上がると言われています」
「歪んだ関係……?」
「はい。親は親として、子は子として存在しているわけですが。実際はもっと複雑に関係性……役割のようなものがあると言われています」
必要以上によい子を演じてみたり、親と子が逆転していたり。家族を結びつける為に病気になったり問題行動を起こすようになる事まで知られている。
心理学では『五つの役割』と呼ばれている。
それらは無意識に選択しているのだが、役割を兼任する事もあり、家庭という閉鎖された社会で強固に上塗りされ重ねられていく事でも知られる。
ポジティブな面とネガティブな面の両方があるのだが、問題のある家庭ではネガティブな面が強調される事も多い。
それと。専門家ではないマグノリアだが、話を聞き事件を起こした経緯を知るに、女官長の家族と女官長は、病的な依存状態である『共依存』状態であった事も考えられた。
「私は、元女官長が心を入れ替える前に、まずは安心出来る当たり前の心を取り戻して欲しいと思っています」
――思っている。
現在進行形な言葉に、ダフニー夫人とルボワール元伯爵は顔色を変える。
「そして、健康な心で、自分のしてしまった事に向き合って欲しいと思っているのです」
続けられた言葉に確信を持った夫人は、小さな声で確認する。
「……生きているのですか?」
「元女官長は亡くなりました」
ダフニー夫人に、クロードが端的に告げた。
夫人と元伯爵は、鉛を飲み込んだような表情で頷く。
「……領都の教会に、ヴェルヴェーヌという女性がいます」
「ヴェルヴェーヌ……」
マグノリアが夫人の顔を見ながら続ける。
「彼女は『平民』ですが、マナーに精通しております。過去と向き合い、静かに暮らしておりますが、少しずつ心の健康を取り戻して参りました」
「……おお!」
ここまで来れば察したのであろう。ダフニー夫人は両手で口を押さえるが、堪え切れないような声を零した。
「けして表舞台へ出ないという彼女からの要望で、是非夫人のお手伝いをしたいと申しております。まだ完璧に元気だとは言い難いかと思いますが……どうされますか?」
ルボワールが、励ます様に夫人の肩を抱いた。
呼吸を落ち着ける様に、何度か深呼吸をして顔を上げた。
「はい。是非に」
夫人は元女官長の事を知り、非常に悔やんでいたと聞いた。
自分を心配してくれていた人間がここにもいたのだと知り、ヴェルヴェーヌの心の安寧と、人としての全うな自戒とが齎される様にと思う。
「……心は未だ剥き出しの状態です。責めずに聞いてあげる事から、お願い致します」
マグノリアの、結果として自分を陥れようとした人間への対応と気遣いとに、夫人は深く頷いた。
クロードとガイも、結果は解っていたのであろうが……無事、理解を得れた事に安心したように薄く微笑んだ。
「承知いたしました。マグノリア様と辺境伯家の皆様の、寛大なお心とご対応に感謝を」




